上 下
20 / 33
第一章 馴染むところから始めます

20.フルネームを知る

しおりを挟む
「過去に何度かお前が記憶喪失になったことがある。記憶を食う呪詛も存在するからな。ただどんなに強力でも解除は可能だ。こちらが手を貸さなくても、一か月程度あれば自力で解除するだろう」

 確信をもつ玉谷たまやの言葉に、息吹戸いぶきどは「ふぅむ」と曖昧に相槌をうちながら腕を組んだ。

(確かに。中身が違うっていうよりも、単純に記憶喪失っていう方がすんなり納得できるかもしれないね。絶対に違うと断言できるけど)

「それでも、ここまで全て忘れているのは初めてだ。まるで別人の様だ」

「別人です。でもまぁ、私がそう感じているだけで違うかもしれないから、強く言えないけど」

 「そうか」と相槌を打つ玉谷たまやに、息吹戸いぶきどはズイっと身を乗り出した。真剣な面持ちで見据える。

「では記憶喪失中ということで私がこれからどうすればいいか教えてください。まずはこの世界のこと。あとカミナシの事と。生活の基礎知識だけでも教えてほしいんだけど、玉谷たまや部長さん時間大丈夫?」

「それは……」

 大丈夫と頷きかけて、男性二人の小さな声が聞こえた。

「戻りましたー|! ってあれ? 誰もいない?」
「おかしいな。玉谷《たまや》部長が戻っていると聞いてたんだが? トイレかな?」

 誰か職場に戻ってきたようだ。
 玉谷たまやはため息を吐き、首を左右に振った。

「儂は仕事に戻らねばならないようだ。その代り本を持ってこよう。ここで読んでから、今日はそのまま帰るといい」

「ここ何時まで就業しているんですか?」

「二十四時間常に」

「ブラックかっっっ!」

 血反吐の如く叫ぶと、玉谷たまやは苦笑いを浮かべた。

「異界からの侵略は昼夜問わない。残念な事に交代制で二十四時間勤務だ」

「それもそうかー。警察とか自衛隊みたいなもんだよねー」

 息吹戸いぶきどは体を二つ折りにしてテーブルに額をつけた。

「けいさつ? じえいたい?」

 玉谷たまやは聞き慣れない言葉に復唱する。

(ああ。この世界にそれはないのね)

 そう察した息吹戸いぶきどは「こっちの話です」と打ち切った。

「では。休日の間隔は?」

「多発侵略時期でなければ週休三日制だ」

「今は?」

「多発侵略時期だ。だから休みはない」

「あー」

息吹戸いぶきどは嫌そうに声をあげた。喜怒哀楽がはっきりしているので、玉谷たまやはなんだか笑いそうになった。

「本に飽きたら帰りなさい。明日は休みをいれておこう」

 帰るという言葉を聞いて思い出した。
 息吹戸いぶきどはすぐ起き上がると右手を玉谷たまやに向けて、ストーップとジェスチャーを行った。

「あああ! 部長さん待って! もう二つ頼みがあるの!」

「なんだ?」

「私のフルネームと家の場所を地図で教えて! あと現在地も! でないと一人で帰れない!」

 必死の形相で言うと、玉谷たまやはきょとんと目を丸くした。やや間を空けて「そ、そうか」と小さく頷きながら会議スペースから出ていった。
 すると男性たちのきょとんとしたような声が聞こえてくる。

「あれ? 部長。会議室でなにを?」
息吹戸いぶきどさんから報告!? な、なるほど」

 ドアが完全に閉まるがうっすら声は聞こえる。
 会議室で一人になった息吹戸いぶきどは脱力した様に体を折り曲げテーブルに額をくっつける。メンタルがどっと疲れた。

(ううう。当分休みがないって言われるとメンタルが削れる。でも明日休みもらえてよかった)

 ころんと顔を横に向けると、飲みかけのお茶のペットボトルが目に入った。蓋を開けて口につけると、喉が渇いていたようで全部飲み干してしまった。

(なんだか飲食について体があまり欲してない気がする。小食なのかもしれないけど、この体が鈍いのかもしれない。ちょっと注意しなきゃ)

 やることがないのテーブルに伏せて寝ていると、数分後に玉谷たまやが会議室に戻ってきた。

「待たせた」

 ドアが開いたので緩慢に体を起こして「どうも」と声をかける。玉谷たまやはドアを閉めてから少し立ち止まって息吹戸いぶきどを見降ろすと、にこりと形だけ笑みを浮かべて両手に持っていた数冊の本と地図を息吹戸いぶきどに手渡しする。

 受け取った息吹戸いぶきどはテーブルに置いて、ざっと広げてみた。文字は読めるなとなんとなく感じる。
 玉谷たまやはソファーに座ると地図を開き、現在地を指し示した。

「ここが本部」

 道筋を伝って息吹戸いぶきどの家で指を止める。

「ここがお前の家だ。徒歩十分ほどで着く」

 アパート名と三階の角部屋に住んでいると判明した。思ったよりも近い場所にあると息吹戸は喜んだ。

「有難うございます! 公共交通機関使わなくて助かった!」

「それと、お前の名は瑠璃るりだ。息吹戸瑠璃いぶきどるりという」

 息吹戸いぶきどは自分の名前を聞いて目が点になった。そして吹き出す。

「うっは。可愛すぎる名前! 絶対私の名前じゃない! めっちゃ可愛い! そっかー、瑠璃っていうのかー! 良い名前だねぇ!」

 テーブルに突っ伏して悶えていると、玉谷たまやは複雑そうな表情で見下ろした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

【完結】婚約破棄されたので、引き継ぎをいたしましょうか?

碧桜 汐香
恋愛
第一王子に婚約破棄された公爵令嬢は、事前に引き継ぎの準備を進めていた。 まっすぐ領地に帰るために、その場で引き継ぎを始めることに。 様々な調査結果を暴露され、婚約破棄に関わった人たちは阿鼻叫喚へ。 第二王子?いりませんわ。 第一王子?もっといりませんわ。 第一王子を慕っていたのに婚約破棄された少女を演じる、彼女の本音は? 彼女の存在意義とは? 別サイト様にも掲載しております

勇者パーティのサポートをする代わりに姉の様なアラサーの粗雑な女闘士を貰いました。

石のやっさん
ファンタジー
年上の女性が好きな俺には勇者パーティの中に好みのタイプの女性は居ません 俺の名前はリヒト、ジムナ村に生まれ、15歳になった時にスキルを貰う儀式で上級剣士のジョブを貰った。 本来なら素晴らしいジョブなのだが、今年はジョブが豊作だったらしく、幼馴染はもっと凄いジョブばかりだった。 幼馴染のカイトは勇者、マリアは聖女、リタは剣聖、そしてリアは賢者だった。 そんな訳で充分に上位職の上級剣士だが、四職が出た事で影が薄れた。 彼等は色々と問題があるので、俺にサポーターとしてついて行って欲しいと頼まれたのだが…ハーレムパーティに俺は要らないし面倒くさいから断ったのだが…しつこく頼むので、条件を飲んでくれればと条件をつけた。 それは『27歳の女闘志レイラを借金の権利ごと無償で貰う事』 今度もまた年上ヒロインです。 セルフレイティングは、話しの中でそう言った描写を書いたら追加します。 カクヨムにも投稿中です

みそっかす銀狐(シルバーフォックス)、家族を探す旅に出る

伽羅
ファンタジー
三つ子で生まれた銀狐の獣人シリル。一人だけ体が小さく人型に変化しても赤ん坊のままだった。 それでも親子で仲良く暮らしていた獣人の里が人間に襲撃される。 兄達を助ける為に囮になったシリルは逃げる途中で崖から川に転落して流されてしまう。 何とか一命を取り留めたシリルは家族を探す旅に出るのだった…。

【完結】公爵家の末っ子娘は嘲笑う

たくみ
ファンタジー
 圧倒的な力を持つ公爵家に生まれたアリスには優秀を通り越して天才といわれる6人の兄と姉、ちやほやされる同い年の腹違いの姉がいた。  アリスは彼らと比べられ、蔑まれていた。しかし、彼女は公爵家にふさわしい美貌、頭脳、魔力を持っていた。  ではなぜ周囲は彼女を蔑むのか?                        それは彼女がそう振る舞っていたからに他ならない。そう…彼女は見る目のない人たちを陰で嘲笑うのが趣味だった。  自国の皇太子に婚約破棄され、隣国の王子に嫁ぐことになったアリス。王妃の息子たちは彼女を拒否した為、側室の息子に嫁ぐことになった。  このあつかいに笑みがこぼれるアリス。彼女の行動、趣味は国が変わろうと何も変わらない。  それにしても……なぜ人は見せかけの行動でこうも勘違いできるのだろう。 ※小説家になろうさんで投稿始めました

【本編完結】さようなら、そしてどうかお幸せに ~彼女の選んだ決断

Hinaki
ファンタジー
16歳の侯爵令嬢エルネスティーネには結婚目前に控えた婚約者がいる。 23歳の公爵家当主ジークヴァルト。 年上の婚約者には気付けば幼いエルネスティーネよりも年齢も近く、彼女よりも女性らしい色香を纏った女友達が常にジークヴァルトの傍にいた。 ただの女友達だと彼は言う。 だが偶然エルネスティーネは知ってしまった。 彼らが友人ではなく想い合う関係である事を……。 また政略目的で結ばれたエルネスティーネを疎ましく思っていると、ジークヴァルトは恋人へ告げていた。 エルネスティーネとジークヴァルトの婚姻は王命。 覆す事は出来ない。 溝が深まりつつも結婚二日前に侯爵邸へ呼び出されたエルネスティーネ。 そこで彼女は彼の私室……寝室より聞こえてくるのは悍ましい獣にも似た二人の声。 二人がいた場所は二日後には夫婦となるであろうエルネスティーネとジークヴァルトの為の寝室。 これ見よがしに少し開け放たれた扉より垣間見える寝台で絡み合う二人の姿と勝ち誇る彼女の艶笑。 エルネスティーネは限界だった。 一晩悩んだ結果彼女の選んだ道は翌日愛するジークヴァルトへ晴れやかな笑顔で挨拶すると共にバルコニーより身を投げる事。 初めて愛した男を憎らしく思う以上に彼を心から愛していた。 だから愛する男の前で死を選ぶ。 永遠に私を忘れないで、でも愛する貴方には幸せになって欲しい。 矛盾した想いを抱え彼女は今――――。 長い間スランプ状態でしたが自分の中の性と生、人間と神、ずっと前からもやもやしていたものが一応の答えを導き出し、この物語を始める事にしました。 センシティブな所へ触れるかもしれません。 これはあくまで私の考え、思想なのでそこの所はどうかご容赦して下さいませ。

心の声が聞こえる私は、婚約者から嫌われていることを知っている。

木山楽斗
恋愛
人の心の声が聞こえるカルミアは、婚約者が自分のことを嫌っていることを知っていた。 そんな婚約者といつまでも一緒にいるつもりはない。そう思っていたカルミアは、彼といつか婚約破棄すると決めていた。 ある時、カルミアは婚約者が浮気していることを心の声によって知った。 そこで、カルミアは、友人のロウィードに協力してもらい、浮気の証拠を集めて、婚約者に突きつけたのである。 こうして、カルミアは婚約破棄して、自分を嫌っている婚約者から解放されるのだった。

【完結】20年後の真実

ゴールデンフィッシュメダル
恋愛
公爵令息のマリウスがが婚約者タチアナに婚約破棄を言い渡した。 マリウスは子爵令嬢のゾフィーとの恋に溺れ、婚約者を蔑ろにしていた。 それから20年。 マリウスはゾフィーと結婚し、タチアナは伯爵夫人となっていた。 そして、娘の恋愛を機にマリウスは婚約破棄騒動の真実を知る。 おじさんが昔を思い出しながらもだもだするだけのお話です。 全4話書き上げ済み。

処理中です...