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背水の陣
六
しおりを挟む部屋から出て、牡丹の案内でまず翡翠の元へ行こうとすると、
「義姉さん!」
と後ろから声がした。
振り返ると、廊下で男がにこやかに手を振りながら近づいてくる。紫の生地に紫紋が施された袴を履いた宮司だ。日に焼けた肌にエラの張った顔。ガッチリとした体型で、のしのしと歩いてきた。
「お勤めが終わったよ。ああ、お雪と一緒に旅していた方だね、お怪我はどうですか?」
にこやかに話しかけてくる。庄右衛門が軽く頭を下げつつ牡丹を横目で見ると、牡丹の目が冷たく男を見据えていた。そして手短に説明した。
「庄右衛門殿、この方は当主代理である幽幻と申します」
「雇われ神主のようなものですがね。お雪の叔父です。家出をした時は心配でたまりませんでしたが、無事に帰ってこれてホッとしました。きっと庄右衛門殿がよく守って下さったのでしょう。重ねてお礼申し上げます。礼と言ってはなんですが、怪我が治るまでどうぞゆっくりお寛ぎください」
幽幻が快活に挨拶をした。笑うと目が糸のように細くなり、口の端が均等に釣り上がってぞろりと綺麗に並んだ歯が覗いた。
なるほど、確かにこのように根っから明るく振る舞っているような男のことを疑う者はなかなかいないだろう。
「ところで義姉さん、お雪を座敷に軟禁しているんだって?僕にも会わせてくれないから驚いたよ。どうしてそんな酷い仕打ちを?」
「刀を無断で持ち出して家出をし、何月も帰らなかったことへの罰です」
牡丹が何の感情も無しに答えると、幽幻の明るい顔が曇った。
「刀もお雪も無事に帰ってきたんだから、許してあげたらどうだい?あんまりにも可哀想だよ。せめて話だけでも……」
「可哀想で子育ては務まりませぬ」
牡丹がピシャリと言うと、幽幻は苦笑した。
「僕に子供がいないからって、手厳しいなあ。あの子の為を思って言っているだけだよ」
「……」
幽幻は困ったような笑みで庄右衛門に話しかけた。
「お雪と一緒だったなら聞いたかもしれないですけど、この通り子供可愛さについ厳しくなってしまうお人で。悪く思わないで下さいね」
庄右衛門は喋る幽幻を見てだんだん嫌な気持ちになった。人当たりが良い振る舞いをしておいて、それとなく牡丹が悪者になりかねない発言をしているように感じたからだ。
「早く案内をしてくれ」
あまり長いこと牡丹と幽幻を一緒にしてはいけないと思った庄右衛門が急かした。牡丹は頷き、踵を返す。
「何処へ行かれるのです?」
「……お雪の座敷へ向かいます」
「なんだ、それなら僕も一緒に行きますよ。お雪が帰ってきてからまだ一度も会わせてもらえてないから……」
牡丹と庄右衛門の間にするりと入り込み、にっこりと笑いかけた。得体の知れなさと、またもやさりげなく牡丹を下げつつ断りづらい頼み方をしてきたことに、庄右衛門は思わずぞわりとした。
「雪丸と個人的な話をしたいと俺が牡丹殿に頼んだのだ。申し訳ないが遠慮していただけないだろうか」
牡丹が口を開く前に、庄右衛門がずいっとしゃしゃり出た。牡丹が反論すると思っていた幽幻は、客人の思わぬ反抗に、え……でも、としどろもどろするが、
「遠慮、していただきたい」
と庄右衛門がぎろりと睨みつけた。並より高い背に圧倒的に恵まれた体格の、鬼の様に恐ろしげな風貌の男に凄まれ、幽幻は顔を引き攣らせて、
「わ、わかりました。僕はまた別の日にでも……では庄右衛門殿、ゆっくりしていってくださいね」
と答えた。そしてそそくさと立ち去ってしまう。
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