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背水の陣
二
しおりを挟む庄右衛門が重たい瞼を開けると、見慣れない天井が目に入る。
とても静かだ。障子から差し込む太陽の光で昼ごろだと判断する。目だけであたりを見渡すと、古い建物だがよく手入れされており、清潔で過ごしやすい部屋であることがわかった。畳の井草の香りが心地よく鼻をくすぐる。
場所に心当たりがあるか考えているうちに、背中や胸、両手に鈍く痛みが広がってきた。特に右手が痛い。軽く頭を上げて見ると、両手とも清潔な包帯でぐるぐるに包まれ、胸元も手当てをされている。恐らく背中も処置が施されているだろう。薬草のような匂いもする。
(そう簡単に死なんか……)
この時ばかりは己の体の頑強さに落胆した。先程の夢の中で感じていたはるの温もりや、優しい声、悲しそうな顔を思い出しては恋しく思い、すぐに別の死ぬ方法を考え始めた。
すると、頭上にひょこっと顔が現れたので驚いて固まった。
「お目覚めですか、庄右衛門殿!」
雪丸にそっくりな美しい顔で庄右衛門の顔を覗き込んでいる。本当に間違えてしまいそうなくらい似ているが、非常に具合が悪そうな青白い肌をしているし、健康的な体格ではなく、痩せて節々が角張っている。
(雪丸じゃない……こいつは男だ)
庄右衛門が警戒していると、雪丸に似た少年は少し後ろに下がり、座り直して手を床についた。
「お初にお目にかかります。閏間翡翠と申します。庄右衛門殿には妹が大変お世話になりました」
丁寧に自己紹介をして頭を下げると、優しく笑いかけてきた。翡翠は雪丸と違って髪を低い位置で緩く括って垂らし、寝巻きに上等な羽織を身につけている。
庄右衛門は痛みを堪えつつ上体を起こし、
「雪丸の兄がいるということは、……閏間神社か?なぜ俺はここにいる?」
と尋ねた。
「二日前の夜、庄右衛門殿はお雪と女性、数人の忍びの者にここに運ばれました。酷い怪我を負っている状態だったので、僕の主治医に診てもらうために、お雪がここに誘導したそうです。
すぐに処置をして、先程まで庄右衛門殿は懇々と眠り続けておりました」
翡翠が丁寧に答える。お雪、と聞いてすぐに雪丸のことだと気付けず、庄右衛門は妙な感じに陥った。
「それは世話になった……で、雪丸は今どこにいるんだ?」
庄右衛門が尋ねると、翡翠は顔を曇らせた。
「庄右衛門殿は、お雪が持っていた刀が、我が家の御神体であることはご存知ですね?」
「ああ、少しだけ聞いたことがある。理由があってのことだと……」
翡翠は悲しそうな表情を浮かべ、小さく溜息を吐いた。
「僕のためにやったこととはいえ、母は大変お怒りで……庄右衛門殿の看病を施すことは許す代わりに、お雪は罰として部屋に軟禁されています」
庄右衛門は愕然とし、そして悔やんだ。せめて怪我で倒れなければ、もしくは雪丸を振り払って一人でさっさと死んでおけば、雪丸はまだこの神社に戻らなくてよかったはずなのだ。
あれだけ帰宅することを嫌がっていたのに、庄右衛門を救いたい一心で閏間神社に運び込んでくれた。雪丸は本当に優しい人間だ。
「どうにかならんのか?雪丸はあれで旅の間は必死に化け物と戦っていたんだぞ」
翡翠に尋ねる。庄右衛門のために行動してくれた雪丸を放って死のうとするほど自棄にはなれなかった。
「僕も母に抗議したのですが……いくら外に蔓延る人ならざるものを討伐したと言っても、大切な御神体を無断で持ち出した事は擁護しきれませんでした。
実際、「イワトワケの刀」がなくなったおかげで、当主代替わりの儀式ができなくなり、お祓いも行えず方々に迷惑をかけてしまったのです。
これはお雪のした事に対する罰で、お雪も納得の上なんです……」
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