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働き蜂
五
しおりを挟む娼家のすぐそばまで来たが、儲かっているのかそこそこ人の出入りが激しかった。
團蔵とあざみによると、全ての出入り口にさりげなく見張りのくのいちや忍びを立てているそうだ。
(それだけじゃない……)
とっぷりと日が暮れた今、雪丸にしか見えていないものもあった。
この娼家の従業員の首筋に、蜂がくっ付いているのだ。
(庄右衛門を捕まえた忍びたちだけじゃなかったんだ……あの蜂がくっ付いている人たちは、蜻蛉御前とその家来たちのように操られているかもしれないよね……)
雪丸が意識を向けると、二階建ての娼家の一番奥あたりに、強い力を持った蜂の気配を感じた。恐らく、椿山兵次郎に一際大振りの蜂が付いている。その蜂を斬りつけて、庄右衛門の封印の術を使えば、一気に無力化できるはずだ。
(問題はそれをどうやってこの人たちに教えるかだ……)
あざみや團蔵に信じてもらえる自信がなかった。協力してくれるなら、とても心強いのだが……。
「二手に別れよう。表で囮になる者、中に侵入して庄右衛門の救出をする者……」
「私は……」
「君はだめだ。庄右衛門と行動を共にしていたようだが、部外者を巻き込む訳にはいかん。危険だからここで待機していなさい」
あざみや團蔵たちは端から雪丸を救出部隊に入れる気はないようだった。信用も無いし、当然だろう。
(困ったなあ……庄右衛門一人じゃ、蜂をどうにもできないよ)
雪丸は早く庄右衛門の元に行きたかったので、仕方なく一人で侵入することにした。
店の裏手側に回り込み、勝手口を見つける。人けが全くない。そっと近づいたところで、誰かに腕を引っ張られた。あざみだ。
二人で茂みに隠れると、途端に勝手口から人が出てきた。隠れるのが少し遅れたら見つかっていただろう。
「何やってるの……!ばれるでしょ!」
あざみがヒソヒソと叱る。雪丸はしゅんとしながらも、
「ごめんなさい。でも、早く庄右衛門のところへ行きたかったんだ……」
と答えた。あざみは深々とため息を吐くと、
「もうちょっと待ちなさい。私たちもついて行く」
と言った。見ると、あざみの背後には七人の忍びがいた。
「爺を含めた七人が、表で敵を引きつけてくれるわ。その間に中を探すの」
雪丸はしめたと思った。あとは兵次郎と庄右衛門のいる場所にそれとなく誘導できれば上出来だ。
しばらくすると、娼夜の正面の方で爆発音、女性たちの悲鳴や男たちの怒号が聞こえた。勝手口からくのいちと思われる者たちが出てきて、表へ向かう。團蔵たちが派手に暴れ始めたのだ。
「今よ」
あざみと忍びが駆ける。勝手口に侵入し、人がいないことを確認した。あざみが仲間たちに手分けをして内部を探るよう命じている間に、雪丸はさっと目的の二階へ向かって走った。
「ちょ、ちょっと!雪丸……!」
あざみは慌てて呼び止めるが、雪丸は止まらず姿を消してしまった。忍びを引き連れ、あざみも後を追った。
新しかった畳は庄右衛門の血で汚れてしまっている。
兵次郎は鼻歌を歌いながら、やっとこについた血を拭き取った。両手の爪を全て剥がされ、肩で息をする庄右衛門に近寄り、笞で傷ついた大きな肩に触れた。
「君の命が私の手中にあるというのは、とても良い気分だ。ようやく君を私のものにできて嬉しいよ」
うっとりとした微笑みを浮かべ、みみず腫れをそっと指でなぞる。庄右衛門が汗で塗れた顔でぎろりと睨んだ。
「……誰がてめえのもんだって?手に入れた気になってんじゃねえよ」
兵次郎はたじろいだ。
痛々しい姿になっても、庄右衛門は依然として兵次郎への怒りと殺意を捨てていなかった。
まるで鬼のように唸るその姿は、兵次郎がかつて戦場で見たことのある、敵に屈することなく勇ましく戦い抜いた「鬼の庄右衛門」そのものだった。
(今の庄右衛門にとって僕は親友ですらなく、敵でしかないんだ)
わかっていたつもりだが、情の欠片もかなぐり捨て、何がなんでも絶対に殺すという純粋な殺意を向けられてようやく、兵次郎は望んでいた形で自分に目を向けてくれていたわけではないと改めて認識させられた。
「おかしな話だよね……こうなることはわかっていたはずなのに」
兵次郎は自嘲気味に笑い、釘と槌を手にした。庄右衛門の右手の甲に釘を突き立てる。
(僕は、庄右衛門なら最後まで親友と思って情けをかけてくれると思っていたみたい)
兵次郎は自分の気持ちを刻みつけるかのように、思い切り槌を振り下ろした。ぶつんという嫌な感触と、庄右衛門の叫び声。
(今度こそ、庄右衛門のことも、僕のこの想いも、壊しきらないと……)
かん、かんと槌を打ち込むごとに、庄右衛門の体が強張り、食いしばった歯から悲鳴が漏れる。早く、終わらせたい。でも、終わらせたく無い……。
突然天井の板が外れ、一陣の風が兵次郎の頬へ降ってきた。兵次郎が状況を把握する間もなく、少年の力強く鋭い蹴りが兵次郎の顔に入る。
兵次郎が倒れると美しい少年はひらりと着地し、太刀で器用に庄右衛門の枷と戸板を切り刻んだ。自由になった庄右衛門の体は、力なく崩れる。
「庄右衛門!庄右衛門‼︎」
「雪丸……」
雪丸と呼ばれた少年は、庄右衛門を抱き起して泣き叫んだ。そうしている間に、天井から次々と忍びたちが降りてきた。
「雪丸!無茶しないでよ!」
そう叫んだのはあざみだ。兵次郎が慌てて娼家の従業員についている蜂の視界を通して確認すると、庄右衛門への暴行に夢中になっている間に、かつて自分がいた里の忍びたちに娼家が攻め込まれていたようだ。
雪丸は綺麗な目からぼろぼろと涙を流していた。庄右衛門はその涙を、爪のない左手で拭ってやる。
「泣くな……今はそれどころじゃねえ」
「でもっ、でもこんなに傷が……酷いよ!」
「見掛け倒しだ。死にゃしねえよ」
庄右衛門がぎこちなく笑ってみせると、雪丸は鼻を啜りながらよかった、よかったと囁く。
兵次郎にはわかってしまった。庄右衛門の目も心も、きちんと雪丸に向けられている。どうしようもない焦りと怒りがめらめらと火のように心を舐めた。ようやく庄右衛門がこちらを見ていたのに……!
「お師匠……あんたを殺すよ」
あざみが忍刀を構えた。冷たく光る瞳の奥に、これからかつての師匠を討つ悲しみと、庄右衛門を始め自分たち仲間を裏切ったことへの怒りが燃えている。兵次郎が見たことが無いくらい怒っていた。
他の忍びもあざみに倣い、各々の武器を構える。兵次郎に逃げる隙を与えない。
「同じ里の者たちを欺いて、金次第で武士を殺したり村を襲って略奪行為をする……これ以上野放しにできない」
「え、まさか、ここに来るまでに宿場や村が襲われてたのは、この人のせい……⁉︎」
あざみの言葉に、雪丸が驚きの声を上げた。そして、兵次郎を切れ長の目できっと睨んだ。
「庄右衛門、気づいていると思うけど……この人の蜂を斬れば、他の操られている人たちも開放できるんだ」
「ああ、だからお前は来てくれたんだろう?」
庄右衛門がつらそうに上体を起こした。雪丸と互いに目配せをする。ただならぬ間柄に見える。
兵次郎はそんな二人の様子に怒りが沸き立ち、とうとう堪えきれずに叫んだ。
「その子で良いなら僕とだって良かったじゃないか‼︎」
きょとんとした雪丸に手裏剣を投げつけた。横にいたあざみが咄嗟に忍刀で弾く。兵次郎は急激に間合いを詰め、あざみの鳩尾に肘を入れた。袖の中にある仕込み刀を雪丸に向けて突き出す。
鋭い金属音と共に、庄右衛門の左の手甲に刀を防がれた。その後ろにいるはずの雪丸の姿がない。
ひゅん。
風を斬る音が兵次郎の背後でする。いつの間にか、雪丸は兵次郎の背後に回り込み、大きな太刀を振り落としていた。空振りかと思いきや、兵次郎の首にくっついていた大振りの蜂だけを一刀両断にしているではないか。
(見えている……⁉︎)
それだけではない。視認のみならず攻撃が通っているのだ。
蜂は力なく羽を鳴らし、二つに切れて床に落ちた。
兵次郎はまるで自分まで斬られたかのような鋭い痛みを感じて怯んだ。
「庄右衛門!」
と雪丸が叫ぶ。庄右衛門は左の手甲から筆を抜くと、腰の瓢箪の炭に浸す。
「ぐ……!」
ところがいざ蜂を描こうとすると、釘を打たれ爪を剥がされた右手が上手く動かず、筆を握ることができない。左手も同様に負傷している上に利き手ではない。筆が落ち、ころころ、と畳を転がっていく。
兵次郎は尚も雪丸に仕込み刀で斬りかかる。雪丸が太刀の達人とは言え、兵次郎も手練の忍びであるので、鋭い攻撃に珍しく押され始める。
雪丸の胸に刺突が入る時、立ち直ったあざみが叫び声を上げながら忍刀で弾き返した。そのまま二人と一人で戦い始めるも、兵次郎はものともせず雪丸とあざみの攻撃を捌いていく。兵次郎が二人の命を狩り取るのも時間の問題だろう。
「く、そ、おおぉぉ……!」
庄右衛門は苦痛の唸りを上げ、筆を咥える。そして、庄右衛門の血で汚れた畳に死に物狂いで描き始めた。体重が手にかかるだけでも痛みが走るが、それでも戦ってくれている雪丸たちのために、そして兵次郎を止めるために慣れない方法で必死で描き上げる。
やがて畳に、大きな一匹の蜂の絵が描かれた。庄右衛門の絵の腕前のおかげで蜂とわかるものの、ところどころ線の太さや方向を加減できず、まるで苦しみ悶えているかのような様子の荒々しい蜂の絵だった。
やがて床に落ちた蜂が細かな光の粒になり、畳の絵に吸い込まれる。娼家のあちこちからも光の粒が集まり、袖の蜂に色を施していく。鮮やかな黄色と、どす黒い血の赤が混じる、おどろおどろしい絵が完成した。
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