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蜂
四
しおりを挟む美祢がお茶を淹れて来た頃には、色とりどりの愛らしい絵が出来上がった。
「母ちゃん見て見て!おじちゃんすごく絵がじょうずなの!俺も描いた!きれいだよ!」
与吉が庄右衛門の膝の上に座りながらきゃっきゃとはしゃいだ。庄右衛門の厳つい顔が、僅かに笑顔なのも相まって、美祢は大変驚いていた。
「あ、あんた……本当に絵描さんだったんだねえ!すごく上手いじゃないか!」
美祢と、膝から降りた与吉が絵をニコニコしながら眺めているのを見て、庄右衛門は照れ臭くなったのか、居心地が悪そうに頬を掻いた。
雪丸はその姿がなんだか可愛らしいと思い、にやにやと見つめる。
「こりゃあすごいね。あんな絵描いてないでこういう綺麗な絵で食っていけるでしょうに!」
美祢が言うと、庄右衛門は少し眉を寄せた。
「俺も、別に好きで描いている訳じゃない。どちらかというと風景や動物を描く方が得意だ。
しかし、現実的に食っていけるのはあんたが昼間に見たような絵の方さ。こんなに殺伐とした世の中だと、なおさら風景より欲に訴えた物の方が皆欲しがる」
庄右衛門は雪丸と違って必要以上に嘘は吐かない。おそらく、これが本心なのだろう。
美祢はしばらく庄右衛門を見つめた後、まだ絵に夢中になっている与吉を見やり、頷いた。
「よし!あたしに任せな!あんたの絵に価値をつけてくれるお方に合わせてやろう!」
えっ?と庄右衛門と雪丸が顔を上げると、美祢が続ける。
「今、武士たちの間では絵や茶器と言った芸術品っての?が流行ってるじゃないか。
うちの城主の蜻蛉御前様は、今新たに価値のある絵を探している途中なんだよ。
会わせてやろうじゃない!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。あんた平民だろう?そんな簡単に城主に会えるもんなのか?」
庄右衛門が聞くと、美祢は胸を張った。
「安心しな!蜻蛉御前様はあたしたち女の味方なんだ。そこに身分の差も何もないのさ!もうあんたたちがこの村に来たことは知らされてるだろうし、思い立ったが吉日、早く行くよ!」
どやどやと急かされる。ちょくちょく女たちの口から出ていた『蜻蛉御前』とやらは、女性ながらに城主としてこの町を仕切っているようだ。
与吉を隣家の嫁に預け、庄右衛門と雪丸は美祢に誘われて城の門前までやってきた。
門を超えしばらくすると、蜻蛉御前の武家屋敷が見えた。戸を守り固めている武装した女と美祢が何やらやりとりをすると、
「入れ!」
と指示された。庄右衛門と雪丸は主殿と呼ばれる来客用の建物へ案内され、美祢とそのまましばらく待っていた。
やがて奥から、数人の女性が連れ立ってやってきた。先頭に立っている人物が蜻蛉御前なのだろう。武家の女性にしてはすっぴんで、垂髪に鉢巻、甲冑と珍しい姿だった。
引き連れてやってきた女たちも皆それぞれ甲冑を着て戦闘態勢だ。
庄右衛門と雪丸が呆気に取られていると、蜻蛉御前は軽く名乗った後、
「このような飾り気のない姿での対面であいすまぬ。今は戦の最中でな。
もしかしたらこの領地まで押されてしまうやもしれぬ、というほど切羽詰まった状況じゃ。すぐに| 戦場に出られるようにしておる。」
と言う。地味な顔立ちなのだが、態度は堂々としたものだ。
「いえ、そのような事態とは知らず、申し訳ない」
庄右衛門は、相手が城主なので丁寧に頭を下げる。雪丸はなんだかぼんやりとしているので、庄右衛門が脇腹を小突くと慌ててぴょこんと頭を下げた。良い良い、と蜻蛉御前が顔を上げるように言う。
「して、美祢から教えてもらったのだが、庄右衛門殿、そなたは素晴らしい絵を描くようじゃな?」
蜻蛉御前がいくらか期待を込めた目を向けた。
「……手前味噌ではありますが、描きます。描けと申されたものも、その場で描いてみせましょう」
庄右衛門が答えると、蜻蛉御前はふむ、と目を細めた。雪丸が何か言いたげに庄右衛門を見ているが、無視をした。
「ならば、花を描いてはくれまいか?一面に咲く曼珠沙華の花を」
「承知致した」
庄右衛門は早速筆と墨、染料を固めた顔彩と鉄鉢を出し、まずは墨で下書きをした。
そして命を吹き込むように、水で溶いた赤い染料で染め上げて行く。様々な色を繊細に混ぜ、置いていけば、輝くような美しい曼珠沙華の絵が完成した。
蜻蛉御前を始め、その場にいた者たちは皆驚いた。これほど見事な出来の絵を、僅かな時間で描き上げてしまった。
「なんと美しい絵じゃ!」
蜻蛉御前がうっとりとため息を吐いて絵を眺める。
「そなたのような絵師が何故まだ無名なのか、不思議でたまらぬ。あんなに筆が早いのに、ここまで細かい絵を生み出せる者は他にはおらぬのではないか?」
「本職ではございません。あくまで趣味や、日銭稼ぎで描いていたもので」
庄右衛門は謙遜するが、蜻蛉御前は気に入ったようで、それから鶴、滝、刀と様々に庄右衛門に描くよう命じた。庄右衛門はその度に筆を滑らせ、見事な絵をその場で完成させてみせた。武装をしていた女たちも厳しさを忘れ、わいわいと絵を眺めていた。
「あっぱれ、あっぱれ!そなたは素晴らしい!しかもまだ誰も見つけたことのない腕の良い絵師じゃ!」
蜻蛉御前は満足気に頷いた。
「そなたが良ければ、この蜻蛉御前専属のお抱え絵師として雇いたいのだが、どうかの?」
「それは……」
絵を描く者にとって願ってもない言葉だ。だが、庄右衛門にはこの世に甦った大切な目的がある。
まさかここまで気に入られるとは思っていなかったので、庄右衛門がどう断ろうかと考えていると、雪丸が口を挟んだ。
「先生は私と旅をしなければならないのです。それはどうか、ご勘弁を……」
「雪丸?」
庄右衛門は驚き、周りの女たちもざわめいた。
「ちょいと!せっかくあんたの先生の絵が売れるのに、なんでそんなこと言うんだい?」
美祢が慌てて言うと、雪丸は困ったような、焦ったような顔をして、庄右衛門の腕につかまっている。
「紹介してくれた美祢さんには悪いけど、そもそもの目的は違うんです……」
「私の頼みを聞いてはくれぬのか?」
蜻蛉御前の目がすうっと冷たくなる。頼みではなく命令なのだろう。
ここで庄右衛門は、雪丸が腕に指文字で何か書いていることに気付いた。
『へや に なんびき も いる』
庄右衛門は思わずゾッとした。
いる、とは雪丸が言うのだから恐らくは人ならざるもののことだろう。
もしかして、雪丸はこの部屋に入った時から、その気配をずっと感じていたのだろうか?
横目で見ると、雪丸は一つ頷く。
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