6 / 58
蛙
一
しおりを挟む日が上り始め、澄んだ空気が森を包み始めた。
庄右衛門がゆっくり目を覚ますと、大蛇と戦った痕跡やら倒された木やらが目に入り、昨夜のことが夢では無かったのだと実感した。
(とんでもねぇ話だ……)
庄右衛門が上体を起こすと、太ももに重みを感じた。
見ると、昨夜助太刀してくれた少年・雪丸が、庄右衛門の太ももを枕にして眠りこけている。
美しい顔が、子供のようにあどけなくなって、可愛らしさまで出ている。
…が、庄右衛門には全く関係なかった。
「どこで寝てやがる‼︎」
首根っこを掴んで噛み付かんばかりに怒鳴ると、雪丸は驚いて目を覚ました。
「なんだよ、ビックリしたなぁ……!せっかく寝心地が良かったのに!」
「図々しい奴……!」
庄右衛門は呆れて手を離すと、さっさと散らばった荷物をまとめ始めた。
そしてすぐに立ち去ろうとする。
「ちょ、ちょっと!どこ行くの⁉︎」
「どこ行こうが勝手だろうが!」
雪丸が慌てて付いて行こうとすると、ギロリと睨み付けてきた。
雪丸は気圧されて一瞬黙るも、
「私と一緒に旅してくれるんじゃなかったのか?」
と残念そうな顔で見上げてくる。
「一言も行くなんて言ってねえよ。
付いて行って毎回あんな化け物に遭遇するハメになるなんて絶対に嫌だね!」
庄右衛門が唸ると、雪丸はむくれ始めた。
「何だよ……、昨夜、あの後気が抜けたのか眠かったのか知らないけど、そのまま倒れ込んだ庄右衛門を看病したのに。
また別の化け物が襲ってきても大丈夫なように、側についててあげたのに」
言われてみれば……。
庄右衛門が横になっていた場所には、水で湿らせた手拭いが落ちているし、自分を枕にしていたものの、その大きな刀を抱きしめていつでも動ける体制で寝ていた気がする。
「庄右衛門が心配だったし、一緒に来てほしかったから、頑張ったのになぁ…。」
下から大きな綺麗な目をウルウルさせて覗き込まれると、段々居心地が悪くなってきた。
やがて庄右衛門は視線を外して額を掻くと、
「わかった…腹ごしらえするまでは一緒に行ってやるから。礼に何か奢る。」
とため息を吐いた。
旅に着いていく、と言ってくれなかったものの、雪丸は嬉しそうに頷いた。
一刻歩いたところで、森を抜けて田畑が見えて来た。
ここが後日戦場になるのだろう。
せっかく育てた稲をもほっぽって、農民たちはどこかへ避難したようだ。
代わりに、ここを通過する兵士たちを目当てに、いくつかの屋台が立っている。庄右衛門がそのうちの一つに、今やっているかと声をかけると、屋台の店主は気前よく屋台を開けた。
「とろろ汁と麦飯、味噌汁を二人前」
庄右衛門が頼むと、店主はすぐに持ってきてくれた。
簡単に拵えてある机と椅子に腰掛け、手を合わせから、庄右衛門はとろろ汁を麦飯にかけて掻っ込んでいると、雪丸が庄右衛門と、麦飯ととろろ汁を交互に見つめている。
「なんだ?食わねえのか?」
「いや、食べるけど、……初めて見たんだ。その白いやつをかけて食べるんだね」
雪丸は庄右衛門に倣ってとろろ汁を麦飯にかけて、恐る恐る一口食べた。
すると、わかりやすく顔が輝き、夢中で食べ始めた。
(とろろ食べたことねえ奴なんているのか……)
雪丸の肌艶が健康的であることや、身につけている着物の質がかなり良いことから、もっと良いものを食べている世間知らずな身分の人間なのかもしれないな、と一人納得する庄右衛門だった。
「美味しいなあ。やっぱり旅のご飯は誰かと一緒に、が一番だね!」
雪丸が口の端に麦飯を付けながら人懐っこく笑いかけるも、
「今回が最初で最後だがな」
と庄右衛門は素っ気なく味噌汁を啜った。
雪丸がしゅんとする。
「そんなこと言わないでよ……。良いじゃないか。人ならざるものの絵を描いてくれるだけなんだから。一緒に行こうよ」
「だから、俺を巻き込むな!」
庄右衛門はウンザリしたように低く唸った。
「お前の魂胆はわかってんだよ。
まだ自分で退魔できないから、俺に封印させて、その刀の力を引き出すための時間稼ぎしようってんだろ」
図星だったようで、雪丸の真っ直ぐな瞳がゆっくりと横に泳ぎ出した。庄右衛門は鼻をフン、と鳴らした。
「冗談じゃねえぞ。大体俺はただの絵描きだ。昨日まで封印の力なんて知らなかったし、これからも使いこなせるかわからんし、第一に、絵を描くためには化け物の姿を隅から隅まで観察せにゃならん。危険極まりないわ!」
「だ、だから、私の刀である程度は足止め出来るから、危険じゃないって!大丈夫だって!」
雪丸が困り果てた顔をした。
「頼むよ。私じゃ退魔ができないんだ。だからこそ庄右衛門の封印の力を貸して欲しいんだよ。
絶対危ない目に合わせないって約束するから!」
「……」
確かに、昨晩の剣術の腕前を見れば、雪丸は相当強いので、庄右衛門を守り抜くことは可能だろう。
しかし、だ。
自分よりも若く、小柄で細身な雪丸に守られるのは、長年忍びとして戦ってきた身としてはこれ以上情けないものはない。
しかしそんなみみっちいことを正直に話す気にもなれず、なんと断ろうか悩み始めるが、ふと思いついた。
(待てよ、こいつが欲しがっているのは俺の封印する力だよな)
つまり、力の出どころが庄右衛門の持ち歩く絵筆にあるなら、それを雪丸に譲ってしまうのもアリかもしれない。
「俺は行かねえから、お前が代わりにこれで封印すれば良いんじゃねえか?」
そう言って、庄右衛門は荷物から一つの袋を取り出した。
紐を解いて広げると、様々な種類の絵筆がゾロリと入っていた。一つ一つに庄右衛門の名が刻まれている。
雪丸は一瞬、豊富な絵筆に素直に感心してしまったが、だんだん困惑したように庄右衛門を見た。
庄右衛門は思い入れがあるような優しい目で、筆の一つをソッと撫でた。
「この筆たちは俺が若い頃から少しずつ増やしてきたもんだ。手渡すのは惜しいが、お前なら使いこなせるだろ。
封印の力とかそういうのは、もしかしたらこの中の筆に宿っているのかもしれねえ。お前が使ってやってくれ」
「い、いや……」
ん?と庄右衛門が目を上げると、雪丸の顔が引き攣っている。
「わ、私は刀の力を引き出すのに集中したいし、その力は、庄右衛門しか使えないんじゃないかな!
ほら、道具には魂が宿るって言うだろ?その筆たちも、庄右衛門に使って欲しがってるに決まってるよ!」
「そんなことねえよ。この筆たちはどんな人間にも素直に応じてくれるはずだ。試しに紙に書いてみろ、ほら」
庄右衛門が細筆を一本、雪丸の手に握らせた。
硯で墨を擦っている間、雪丸は、えー…、でも…、とモゴモゴぶつぶつ言っている。
「試しにウサギでも描いてみろ。簡単だからよ」
雪丸は目に見えて嫌がっているのだが、庄右衛門は有無を言わさず促した。
雪丸は暫く躊躇していたが、やがて諦めたように描き出した。これで雪丸が筆を持って行き、別々に旅ができれば良いのだが…。
「できたよ……」
しょぼくれた雪丸が紙を差し出してきた。
頭に何かが三~四本も生えた鹿のような物が、ヨレヨレの線で描かれていた。
「……わざとか?」
「ひ、酷い!」
庄右衛門が呟くと、雪丸の顔がカーッと高揚した。
「そうだよ、どうせ私は絵がど下手くそだよ!それでも頑張って描いたのに、わざとだなんて!
そうだよね、庄右衛門はあんなに上手に助平な絵をわんさか描ける人だもんね!絵が描けない私の気持ちなんてわからないよね!」
大声で捲し立てた後、綺麗な目にみるみるうちに涙が溜まったかと思うと、大きな粒となってぼろぼろと溢れ落ち、泣き出した。
よほど傷ついたようだ。庄右衛門は慌てて宥める。
「悪い、こんなに下手くそな奴がいるとは知らなかったんだ!
でもまあ、味があって…良いんじゃないか?この、耳か?ツノか?が沢山描いてあって強そうな所とか、目が魚みたいに死んでる所とか」
「それで慰めてるつもりだとしたら、あんた最低だな!」
しゃくり上げながら雪丸は机に突っ伏してしまった。
店主や通りすがりの者たちの目線が痛くなったので、庄右衛門はそそくさと勘定し、雪丸を引きずるようにして立ち去った。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説

【完結】風天の虎 ――車丹波、北の関ヶ原
糸冬
歴史・時代
車丹波守斯忠。「猛虎」の諱で知られる戦国武将である。
慶長五年(一六〇〇年)二月、徳川家康が上杉征伐に向けて策動する中、斯忠は反徳川派の急先鋒として、主君・佐竹義宣から追放の憂き目に遭う。
しかし一念発起した斯忠は、異母弟にして養子の車善七郎と共に数百の手勢を集めて会津に乗り込み、上杉家の筆頭家老・直江兼続が指揮する「組外衆」に加わり働くことになる。
目指すは徳川家康の首級ただ一つ。
しかし、その思いとは裏腹に、最初に与えられた役目は神指城の普請場での土運びであった……。
その名と生き様から、「国民的映画の主人公のモデル」とも噂される男が身を投じた、「もう一つの関ヶ原」の物語。
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

架空戦記 隻眼龍将伝
常陸之介寛浩☆第4回歴史時代小説読者賞
歴史・時代
第四回歴史・時代劇小説大賞エントリー
♦♦♦
あと20年早く生まれてきたら、天下を制する戦いをしていただろうとする奥州覇者、伊達政宗。
そんな伊達政宗に時代と言う風が大きく見方をする時間軸の世界。
この物語は語り継がれし歴史とは大きく変わった物語。
伊達家御抱え忍者・黒脛巾組の暗躍により私たちの知る歴史とは大きくかけ離れた物語が繰り広げられていた。
異時間軸戦国物語、if戦記が今ここに始まる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この物語は、作者が連載中の「天寿を全うしたら美少女閻魔大王に異世界に転生を薦められました~戦国時代から宇宙へ~」のように、異能力・オーバーテクノロジーなどは登場しません。
異世界転生者、異次元転生者・閻魔ちゃん・神・宇宙人も登場しません。
作者は時代劇が好き、歴史が好き、伊達政宗が好き、そんなレベルでしかなく忠実に歴史にあった物語を書けるほどの知識を持ってはおりません。
戦国時代を舞台にした物語としてお楽しみください。
ご希望の登場人物がいれば感想に書いていただければ登場を考えたいと思います。
旧式戦艦はつせ
古井論理
歴史・時代
真珠湾攻撃を行う前に機動艦隊が発見されてしまい、結果的に太平洋戦争を回避した日本であったが軍備は軍縮条約によって制限され、日本国に国名を変更し民主政治を取り入れたあとも締め付けが厳しい日々が続いている世界。東南アジアの元列強植民地が独立した大国・マカスネシア連邦と同盟を結んだ日本だが、果たして復権の日は来るのであろうか。ロマンと知略のIF戦記。

織田信長に逆上された事も知らず。ノコノコ呼び出された場所に向かっていた所、徳川家康の家臣に連れ去られました。
俣彦
歴史・時代
織田信長より
「厚遇で迎え入れる。」
との誘いを保留し続けた結果、討伐の対象となってしまった依田信蕃。
この報を受け、急ぎ行動に移した徳川家康により助けられた依田信蕃が
その後勃発する本能寺の変から端を発した信濃争奪戦での活躍ぶりと
依田信蕃の最期を綴っていきます。
よあけまえのキミへ
三咲ゆま
歴史・時代
時は幕末。二月前に父を亡くした少女、天野美湖(あまのみこ)は、ある日川辺で一枚の写真を拾った。
落とし主を探すべく奔走するうちに、拾い物が次々と縁をつなぎ、彼女の前にはやがて導かれるように六人の志士が集う。
広がる人脈に胸を弾ませていた美湖だったが、そんな日常は、やがてゆるやかに崩れ始めるのだった。
京の町を揺るがす不穏な連続放火事件を軸に、幕末に生きる人々の日常と非日常を描いた物語。
16世紀のオデュッセイア
尾方佐羽
歴史・時代
【第13章を夏ごろからスタート予定です】世界の海が人と船で結ばれていく16世紀の遥かな旅の物語です。
12章は16世紀後半のフランスが舞台になっています。
※このお話は史実を参考にしたフィクションです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる