筆と刀の混沌戦禍

皐月やえす

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大蛇

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 戦場に向かう軍が、一晩の休息を得るために馬を止め野営を組み始めた。

 それぞれが支度をしているところに、ふらりと男が現れる。
歳の頃は五十だというのに、身の丈五尺七寸(174cm)の筋骨隆々で、側に寄っただけで捻り潰されそうな強面。
柿渋色の着物に紺のたっつけ袴。
ボサボサとした白髪混じりの髪。
まるで鬼のような風貌だった。
この無愛想な仏頂面の男が、浅桜庄右衛門である。

 突然現れた庄右衛門を見た兵士たちはいかめしい風貌に咄嗟に警戒するが、

「要るか?」

と無愛想に紙を見せられた。

 その紙は、色白でふわふわと柔らかそうな美しい女を、逞しい男が自慢のブツで思う存分ぶち犯す様を、生々しく、なまめかしく描いたもの…いわゆる、春画というものだ。

 戦国時代、戦場へ向かう男たちは皆、その懐に春画や美人画を忍ばせ、己を慰め鼓舞こぶすることが多かった。
 一方で、野営を組んだ土地にはお金を稼ぐために、『御陣女郎』という身を売る女たちがこぞってやってきたので、当時の戦の中での男たちの楽しみは、性の方向へ向かっている。

 兵士たちはたちまち色めきだった。
 春画の出来を褒めそやかし、中には、いくら払えば良いかと尋ねて絵を欲しがる者もいた。それ程までに、この絵は生き生きとして素晴らしいものだった。女の悩ましい息遣いや、音まで聞こえてきそうだ。

「今ある絵はそれしかねえ。
だが、二倍銭を出すなら、その場で描いてやる。
しかも、お前さんらの望むようなものを、何でも描いてみせよう」

 庄右衛門は身に付けていた大きめの腰袋を解き、手始めに一枚、その場でサラリと描いて見せる。
あまりに速筆で、それでいて美しく艶かしい絵がまた生まれた。
春画はこの男が描いていたのだ。

 兵士たちはあっという間に描かれた絵を見て感嘆の声を上げ、俺にも描いてくれ、俺も俺も、俺のは尻を大きく描いて欲しい、などと注文が殺到した。
 庄右衛門は順番に並ばせたものの、筆が驚くほど早く、さらに画力も天井知らずなので、注文した者たちは非常に満足して銭を払っていく。
そしてその話を聞きつけ、別の兵士もこぞって並び…庄右衛門はあっという間に数日過ごすのに充分な銭を得ることができた。


 庄右衛門は兵士たちがはしゃぐのを尻目に、ふい、と立ち去った。



 その野営から暫く歩き、近くの川まで寄った。

 絵に使う墨や顔料を溶くためには水がいる。
先程の団体客で全て使い切ってしまったので、荷物から瓢箪を取り出し、水を汲んだ。

そして、冷たい水で手を洗い、また次に売るための春画や美人画を描き始めた。
真っ黒な硯に、先程汲んだ水を少しずつ加えながら、墨をゆっくり擦っていく。
筆にすくい、納得のいく濃さになれば、庄右衛門はすぐにさらさらと紙に描いていく。

「……。」

描き上がった下絵を、眉間に皺を寄せて見つめた。
 線だけでも伝わる肉欲。男の力強く荒々しい肉体、女の悦に浸った表情、今にも揺れ動きそうな、豊かな胸、柔らかそうな尻…。
美しく繊細ながら、激しく刺激的な春画だ。

「こんなんがあいつらの慰めになるなんてなぁ」

一つため息をついて、下絵を傍に置いた。
これだけの画力を持ちながら、庄右衛門は自分の絵で興奮など到底できない男だった。

 背後に誰かが来た。ちらりと確認すると、十六歳ほどの少年が立っていた。



 白い鞘に収まった大きな刀を背負っているが、刀を扱うには心配になるくらい線が細い。
藤色の旅装束を身に纏い、艶々とした黒髪を高いところで一つに結んでいる。
そしてその顔は、白くきめ細かい肌に、非常に整った顔つきの美形だ。
切長の目で庄右衛門を眺めているが、庄右衛門は構わず絵を描き続けた。

 やがて少年は、庄右衛門に話しかけようと近づいてきた。しかし、ギョッとして立ち止まる。庄右衛門の周りに墨で描いた無数の春画や美人画が散らばっているのに気付いたのだ。
 少年は出来の良さやら数に戸惑いながらも、おずおずと声をかけた。

「もし、そこの……」
「今仕事中だ」

 庄右衛門が遮ると、少年はムッとしたように顔をしかめた。

「俺の絵を買いに来たのかぁ?ボウズにゃまだ刺激が強すぎるだろうが。ん?」

 少年はわずかに頬を染めながら片方の眉を釣り上げ、花びらのような唇から凛とした声を発した。

「私が気になっているのは、その横に置いてある……」

あ?と庄右衛門が少年の視線の先を見やると、そこにある絵は、春画やら美人画ではない。荷物から落ちた、昨日描いた絵。


 なんとも不気味な大蛇だ。

 体中の至る所を大きな分厚い鱗が覆っている。しかし、本来あるはずのところに目も鼻も見当たらない。
代わりにやたらと大きな口がポッカリと開いていて、その中には鋭い歯が何列も並びながらビッシリと生えている。
その口から垂れた唾液なのか毒なのかが地面に落ちると、たちまち煙が上がってその場に無数の穴が開く。

 何枚ものその化け物の絵は、描きかけのようで尻尾がない。しかしかなり迫力があり、今にも襲ってきそうな恐ろしい化け物絵であった。


「売りもんじゃねえんだ。冷やかしならどっか行けよ」

 庄右衛門はそそくさとその絵を隠した。少年があっ、と残念そうな声を上げて、近くに寄ってきた。

「お願いだよ、もっと良く見せてほしい!」
「な、なんだお前⁈」

 あまりに近い距離までグイグイと顔を近づけてくるので、驚いて飛びのいた。
ガッチリと大柄な見た目の割に庄右衛門はかなり身のこなしが速い。
ところが、少年もなかなか身軽だった。庄右衛門が避けても避けても、諦めず臆せず近寄ってくる。

 とうとう、不意を突かれて絵を奪われた。

 少年はマジマジと絵を眺めている。
心なしか、目が輝き始めている
…ゲテモノ趣味があるのか?と庄右衛門は顔をしかめた。


「あんたにはこれが見えているの?それとも、想像で描いたの?」

少年が絵から目を離さず聞いてきた。

「…なんでそんなこと聞いてくるんだよ」
「見えているなら聞きたいことがあるからだよ。どうなんだ?」
「どうだって良いだろ、そんなこと……」
「重要なことなんだ!教えてくれ、庄右衛門殿!」

 パッと少年が顔を上げて、庄右衛門の名を呼んだ。
一瞬ギクリとなったが、なんてことはない。絵筆に庄右衛門の名が刻んであるのを見つけたのだろう。
 庄右衛門は強く輝く少年の目に気圧され、渋々答えた。

「ああ、そうだ。見えとるわ。
…そいつは、夜になると、いつも俺の後をついてきて、寝首を搔こうとしてくるんだよ。」

 庄右衛門には、人ではない存在が見えていた。
 その化け物は、2日前から、夜にだけ姿を現して、庄右衛門を追いかけてきていた。
庄右衛門がなんとか身を隠しても、日が登るまで執拗に周辺を彷徨うろついて探し回っている。
うっかり寝たら殺されると確信し、眠気を紛らわす為に化け物の絵を何枚も描き続けたのだ。

「最初はなんとか追い払おうとしたり、斬りつけてみたんだが……、何にも出来なかった。そいつに傷一つ付けることも出来なかったんだ。
それでも、そいつが俺の後を這いずり回る音や、土が溶けて穴が空いた場所、そいつが這った跡が、ハッキリ残っていて、気味が悪いのなんの……」

 ずりり、ずりり…。

 決まって夜が更けてから。
 星の輝きも月の光もわからないほど漆黒の夜空が広がった頃。
 静まり返った森に、己の体を引きずる音を響かせ、ひたすら庄右衛門を探し回る、大きな蛇の化け物…。

 その姿が脳裏に蘇り、庄右衛門は思わず身震いをした。

 ふと、黙って聞いている少年の視線に気づき、庄右衛門は疲れ切ったような顔をして首を振った。

「まったく、俺ぁガキに何話してんだろうな。
もういいだろう。この通り、ただの頭のおかしいジジイだ。ほっといてくれ」

だが、少年はその話を聞いて、引くどころか尚更興味を持ち始めてしまったようだ。

「すごい……この力さえあれば、もしかしたら……!庄右衛門殿、あんた、いつからこういうものが見えるようになったんだ?」

 庄右衛門の額に、ビキ、と青筋が立った。

「うるせぇな。関わるんじゃねえ。
お前も俺を白痴はくちだと嘲るんだろう」

 庄右衛門が少年を鋭く睨みつけると、少年が少し怯む。
 しかし、すぐに調子を取り戻して、口の端を釣り上げた。

「そんな酷いこと言わないさ。少なくとも、私は庄右衛門殿の見たものを信じる。
大丈夫。その化け物のことは、必ず解決できるよ」
「は?」

庄右衛門が問いただそうとする前に、少年は元来た方向へ走り去って行った。

「なんだ、あいつ……」


 庄右衛門は暫く少年の後ろ姿を見ていたが、やがて日が傾き始めていることに気づき、紙や筆を片付けた。

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