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神のいない山

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 どことなく重い沈黙を払って、恒例の答え合わせへと入る。


「どうして、昨日が千代瀬さん……えっと、犯人の犯行決行日だとわかったんですか?」


 時政さんはあらゆる事態を想定して、当日に抜かりないよう僕にすらも秘密裏に動いていた。気が付いた頃には下準備はすべて終わっていた。まるで未来予知だった。
 さて、そうあるには──まず、のだという確固たる確信がなければならない。
 しかして時政さんは答えた。


「昨日が三ヶ月目の満月だったから」

「……三ヶ月目の、満月?」

「女将さんの話では噂が出始めたのは四月の中旬程から──これはあくまでも俺の推測だが、おそらく正確には二十七日からだ。で、犯人の準備そのものはもっと前から行われていて十二日から」

「…………」

「何の日か検索かけて調べてみろ。月関連でな」


 時政さんが悪戯っぽく促すのに従って、携帯電話の検索機能を開く。キーボードをタップする。四月の十二日から、二十七日──ぴったり十五日間──


「あっ、もしかして月の満ち欠け?」

「せーかい。十二日は四月の新月で二十七日が満月だ。日本では古来より物事を始めるには新月から、月が満ち満月になる頃、祈願は成就すると考えられてきた。御朔日参りと十五日参りの関係だな」


 オツイタチマイリとやらとジュウゴニチマイリがわからなくて引き続き検索機能に頼る。
 ははあ、なるほど……新月に神社へ行って無病息災の祈願をすることを御朔日参り、十五日後に無事に過ごせたと報告をすることを十五日参りと呼ぶのか……へえ……。


「時政さんが月を気にしてた理由はこれでわかりましたけど、三ヶ月っていうのはどこから来たんですか?」


 携帯電話を握り締めたまま質問を続ける。時政さんはこれまた常識の一つみたいな顔をして答える。(言っておくけれど、僕が極端に無知なわけではないぞ! 今どき新月と満月の呪術的関係を知る若者なんてそう簡単にいるものか!)


「そこはぶっちゃけ勘だ」

「えっ」

「三の数字に当てはまるもので一番近いのが三ヶ月だった。で、呪の進行度からみてこれは三ヶ月計画だろうなと。もしハズレなら三年っつーのも候補の一つだったが」

「……えーっと?」

「〝三〟ってのが大事なんだよ。ここ日本において三は【満つ】または【充つ】に結び付けられ重要視される傾向にある。商い三年だとか三文の徳、三日坊主に三途の川──学校だって中高三年だろ。ほら、〝三〟が俺達の生活には根付いている。だから、三日か三週間か三ヶ月か三年か──流石に三十年は気が長すぎて千代瀬さんの方が擦り切れる。となれば消去法としても三ヶ月が無難だ」


 祈願に成就──謂わばより強力にまじないを成立させる為の一種の験担ぎ──そう締め括る時政さんに不思議な気持ちになる。
 だって彼女が願った内容は僕達の常識に当て嵌めるならば悪で、善くないもので、けれど願いを託される側からすれば祈りも呪いも等しく変わりはしないのだ。そこに込められるものが憎しみであろうと恨みであろうと、願いとしての熱量に差が付けられることはない──

 神さまには願うものの善悪なんかは関係ない。だから、止まらない。


「三ヶ月も、千代瀬さんは『復讐』に身を費やしていたんだ……」


 呟く。それはどんなに──苦しかっただろう。


「ああ、なんだ。ちゃんと調べてたのか。──三つ葉のクローバーの花言葉」

「そりゃ……あれだけ意味深にされたら気になりますよ」


 四つ葉ではなく三つ葉の訳。そうでなくてはならないとほの暗く囁いた千代瀬さんのゾッとうつくしい姿──────


「でも、ちがうんです」


 自然と否定がこぼれ出ていた。自分の言葉に僕は確信した。


「これ、ほんとうはちがうんですよ、時政さん。僕、知ってるんです──『復讐』じゃないんです」


 夢を見た。ただの夢だった。
 ありふれた男の子と女の子の夢。僕が知る筈のない二人の『過去』の夢──


「圭司さんは思い出してほしかっただけなんだ。──『約束』を」


 夢の中で男の子は続けた。クローバーの花言葉にはね────……

 二人には家族にも等しい絆があった。けれど、真実家族であるわけではなかった。圭司さんも千代瀬さんも両家から大切に守られてきたたった一人の跡継ぎだ。将来、二人が互いに手を取り合うことはないのだ。
 それをまだ幼くとも圭司さんは理解していた。だから。

 ──『昔にした約束、覚えてる? そう、クローバーの話。君が結婚して、僕も結婚して──僕達はいつか必ず離れ離れになる。けれど、それでも千代瀬と僕は家族だ。ずっとずっと家族なんだよ。僕は千代ちゃんが大好きだ。それを君が忘れないでいてくれる限り、僕達がいがみ合うことはない。そうだろ?』
『だから、覚えていてね、千代瀬。約束──クローバーを見たなら、きっと思い出してね』


『復讐』なんて、今も昔も圭司さんは一度だって口にしなかったのに。


「……そうか。読み違えちまったな。推理失敗だ」


 そう笑う時政さんは子供みたいに嬉しそうだった。どうして部外者の僕がクローバーの真意を知っているのか──それには触れず、ただ満足そうにしていた。
 向かいにある赤い目が細まる様は、ゆうるりと微睡む猫のように優しくて、つられてほろほろと甘ったるい希望がまろび出てゆく。


「時政さん……本当に、圭司さんはそこにいなかったんでしょうか。彼の意思は欠片も残っていなかったのでしょうか」


 だって、優しい人だ。何度も僕を助けてくれた人だ。たとえ人でなくても──最後まで僕の手を暗闇から引こうとしてくれたヒト。
 あのゾッとするような温度の中、唯一悪意から僕を庇おうとしてくれた────優しい神さま。


「……今から少し、専門的な話をする。ま、話半分に聞いておけ。まず『神』には幾つかの側面があるとされている。善なる面、悪なる面──祟り神であり地母神、疫病神であり医神──矛盾することが最も当たり前に認められている概念だ。そうなるには、神と神の併合──例えば名前が似ていたからとか土地が隣合うため文化が混ざったからだとか、血なまぐさいものであれば宗教戦争の結果だとか──ま、色々あるわけだが、とりあえず神ってやつは往々にして方向性が定まらない。それを大きく二つに分けて、ここ日本では荒御魂アラミタマ和御魂ニギミタマと呼ぶ。本来同じ存在だが、これ等は時として分裂し別の名前を持つ──もしくは別々の神が一体化し同じ名を冠する──これが『分霊』だ。俺達が対峙した山の神……せいぜいが神もどきだな。あれは荒御魂としての分霊だった。となれば、和御魂は──」


 そこで時政さんは静かに饒舌を潜めた。なにかに気が付いた顔だった。


「そうか──和御魂は死んだんじゃない。和御魂こそが圭司を取り込んだのか」

「……時政さん?」

「いや、逆か? 圭司が和御魂の役割を肩代わりしたから──だからのか? 本来、複数の神性を持ち得てこその神だ。和御魂が死したなら荒御魂の面だけで荒神として完成すればいい。けれど、アレは神として。──圭司の魂を守護した和御魂が足りなかったんだ」

「時政さん」

「っンなもん反則だろうがよ、いくら山の神が男好きったってなァ。氏子を護るにしてもやり方が強引すぎる。圭司じゃないと成立しねぇぞ。これだから神ってのは、」

「──時政さん! ちゃんと素人にも解るように説明してください!」


 すっかり自分の推理の世界に没入してしまっている時政さんに辛抱堪らず声を上げる。前から思ってたけど、時政さんってそういうところあるぞ! 地頭がめちゃくちゃ良い所為で自分だけで自己完結しちゃうというか、理系特有の結論だけで理詰めしてくるというか。ぶっちゃけかなりオタク臭い!
 今は僕がいるのだから、ちゃんと僕と会話してほしい。
 そう、目で訴える僕に気まずげに肩を竦めた時政さんは、結局一言に纏めて告げた。


「お前が見た圭司は、やっぱり圭司だった──てことだよ」

「……どういうことですか?」

「お前、氏神ってどんな神だと思う?」

「どんなって……土地の神様じゃないんですか?」

「ん、まあ、今はその認識が一般的なんだろうな。『氏神』つうのは名の通り、本来は氏子……神に仕える一族を見守る神のことを指す。お前の云う土地神に値するのは鎮守チンシュ神だ。ちなみに子を守る神は産土ウブスナ神で、この辺りが混合され一口に土地神として語られることも多い」

「つまり……神奉山の神様は土地を守る神様なわけじゃなくて、人を守る神様──だったんですか?」

「ああ。昔は地主だとか地域の代表者、権力者の存在が現代よりもより明確で誇大だった。そしてそういった家は一族の血を重視し代々に渡って土地に仕えてきた。そういう家系に独自に憑き信仰の対象となるのが氏神だ」


 なるほど……と、どうにか殊勝な顔付きを保って頷いてみる。ようするに家系そのものの神様、てことかな。


「旅館なんてものはその土地に長く住む者でなけりゃできねぇだろ。これは勿論、俺の推測に過ぎない仮説だが──海野一族は元々神官に近しい役職の家系だったのかもしれない。なんたって、神奉山は元を正せば海野家の私有地だったとかいう後出し情報があるからな」

「えっ──そうなんですか!?」


 ここに来ての新情報に唖然とすれば、時政さんも同様の心境だったらしく「仕事が半端なんだよ、かがりの野郎は」なんておそろしく綺麗な顔を恐ろしく悪ぶらせてぼやいていた。おっとこれは完全にカガリさんへと八つ当たりを計画している顔だ。(顔そのものはまだ見慣れないけれど、この人の機嫌を察することならお手の物なのだ)南無……未だ見ぬカガリとやら。


「さて、神奉山の氏神が今も海野の血と繋がってるとして、そんな一族から現代に至っても男の子が生まれたとなれば──そりゃ、人間にとっても神にとっても『特別』な子供に成りうるってもんだろ?」


 シニカルに口角を上げてみせる時政さんに、ふと思い出す。圭司さんと初めて出逢ったとき、彼の手に触れられたとき──ああ、そうだ。と、僕は思ったんだ。


「……だから、圭司さんは山に呼ばれて殺された?」

「いや、そこは十中八九『事故』だ。山の怪──ああいや、その頃は正真正銘荒御魂の神と呼ぶべきだな。奴の狙いは女の千代瀬で間違いなかった。──山神ってのは基本的に醜女の女神とされている。だから男を好くし女を嫌う。特に美しい女なんてのは最悪だ。嫉妬の対象でしかない。ほら、山仕事に女を連れて行ってはいけないって謂われがあるだろ? まぁこれはあくまでも後付けであって、山賊──ちなみに天狗の元になったのはコイツだ──や月の穢れから肉食動物に跡を辿られやすい女性を守る為の方便がそのまま神として成り立った説が有力なんだが──」

「人間がそうだと信じれば嘘は誠になる──ですよね?」


 蘊蓄が続きそうな時政さんの言葉を引き取ってニッと笑った。
 のっぺらぼうという妖怪を生み出した人間の愚直なまでの──思えば、どんな宗教だって人が「神は在る」と声を挙げねば神は存在を認められないのだ。


「……そういうことだ。世が世なら圭司は神子として霊山に祭り上げられていただろうさ。神と同調するのに類稀なる才能を持った子供だ。だから──」

「神様に、なった」

「憶測だけどな」


 ──だとして。疑問は晴れずに募っていく。


「そもそも千代瀬さんが神……あ、ちがうのか、えーと、悪霊……妖怪? に、狙われたのはどうしてなんですか?」

「さあ?」

「えっ」


 さあ、って。
 コテンとわざとらしく小首を傾げる時政さんに(顔が良いのでなんとおそろしいことにこのあざとい仕草が似合っている!)お得意の誤魔化しが始まったのかと睨め付ければ、時政さんは悪戯っぽく笑ってあかい瞳を瞬かせた。


「俺は超能力者でも霊視能力者でも、はたまたフゲキでもない。人外の真意なんざ知るかよ。ただの暇潰しだったのかもしれないし、たまたま千代瀬が目に付いたってだけかもしれない。悪ふざけに好奇心、出来心。なんとなく。その程度の理由で人間に害なす、それが神だ。──ん? 理不尽だって? そりゃあそうだ。理不尽や不可解に堪えられなくなった時、その逃げ先に生み出されるのが『神』なんだから。だから、アヤカシが関わるこの事件に最初から答えはない。それでいいなら──」

「はい。聞かせてください、時政さん」


 何度も前置きを挟んで、僕がほんとうにできているのか慎重に確かめる時政さんに食い気味に首肯する。たぶん、この人は思いのほか臆病だから、僕から強引に求めるくらいが丁度いいのだ。
 そんな時政さんは、どことなく面食らった後くしゃっと困ったふうに笑うと応えた。


「動機はパスだ。状況証拠から〝犯人〟の目的だけを掻い摘んでいくぞ。まず、犯人の最終目的は海野家の血筋の根絶だった。だがしかし曲がりなりにも氏神である為に直接氏子らを害することはできない。だから、海野家に近しいである御崎千代瀬を狙った」

「はい」

「しかし、狙いを付けたはいいものの千代瀬の肉体──存在そのものを明け渡して貰うにはまず千代瀬本人の願いを叶えなくてはならない。等価交換ってやつだ。だから、千代瀬の深層心理を暴き祈願として成就させようとした」

「……千代瀬さんの願いの方が、後だったんですね」

「そういうことだ。あのまま彼女に『復讐』を完遂させていたら、被害は美岬館から清海野旅館、果てには土地全土と際限なく広がっていたかもしれない。──『火』にはそれだけの力がある」

「…………」


 だから──と思い出す。だから、時政さんは諦めなかったのだ。凶器を殺意を向けられても、腕を縫うほどの大怪我をしても──きもちわるいと、罵られても。

 そっと自身の唇に触れる。あれほど死が濃厚に迫る現場で、どれだけの人間が時政さんと同じように見ず知らずの他人の為に身を投げ打てるだろう。少なくとも……僕には無理だ。
 僕がこの唇で触れた闇は冷たい感触をしていた。──鮮明な、血の味だった。


「──は? うそだろ?」

「え? ……時政さん?」


 ふと、時政さんの視線に気がついた。眼鏡の境を失った時政さんの赤い眼差しは真っ直ぐに僕へと向けられていた。涼やかでガラス細工めいた印象の瞳をまん丸にして彼は驚愕していた。
 え、な、なに? 僕の後ろになにかいるの?


「時政さん……?」


 このまま無防備に振り返るというのも怖くて、何事だとおそるおそる怯え半分に目の前の彼へと目だけで伺えば、時政さんは──────項垂れた。身も世もとばかりに。


「時政さん!?」


 思わず飛び上がってしまう。件の時政さんは頭を抱えたまま「あー……」だとか「まじか……」だとか絶望感漂う声色で呻いている。本当に何事だ!?


「その、まさかとは思うが…………お前、どこまで覚えてる?」

「? どこまで、ですか?」

「ほら、祓いの最中、記憶が飛んだりしただろ? ……しなかったのか?」

「えっと……一階で圭司さんっぽい人に会った時は少しだけぼんやりしましたけど、以降のことはちゃんと覚えてますよ」

「……自分が若女将になにしたかも?」

「ゔっ……はい」

「…………そのあと、俺が、お前にしたことも?」

「……はい」


 再びの無言だ。沈黙。絶句。言葉にならない様子の時政さんを見つめる。そろそろこのビックリ人間じみたお綺麗な顔にも免疫が付いてきた気がする。だって──赤くなったり青くなったり忙しない様に美しさを感じるよりも可笑しくて笑っちゃいそうなんだもの。
 少しの間そうして時政さんを面白可笑しく観察していれば、時政さんは一呼吸すると次には僕へと深く頭を下げた。────へっ?


「悪かった」

「えっ、なにがですか?」

「急にあんなことされて嫌だっただろ」

「…………」


 あんなこと……あんなことって…………ああ、ね! ええ、はい、とんでもないことでしたね!
 思わずそうっと目をそらす。だめだ、今は彼の唇を見ちゃ駄目だ。感触を……だから思い出しちゃダメだってば!


「その、だな……言い訳でしかないが、どうせお前は覚えてないと思ってたんだよ。普通はそういうものなんだ。千代瀬さんがそうだっただろ?」

「そう、なんですか?」


 確かに、と羞恥を振り切って少しだけ冷静になる。時政さんを前にする彼女は所々記憶がぶつ切りになっていたというか、数分前の自分が何をしていたのかすらもわかっていない状態だったというか。アレがある意味正常な反応だなんて、とんだ皮肉だ。……あんな風には、やっぱりなりたくないな。


「どっちにしろお前の意思じゃなかったんだ。若女将とのアレコレについては忘れてやれ。間違いなく向こうは覚えてない」

「…………時政さんとのことは?」

「……不快にさせた詫びはいずれする。お前が全て覚えているなら──軽率な手段を取った俺に責任がある」


 横暴なくせに時折こちらが恐縮するくらい誠実に対応しようとしてくれる大人に困ってしまう。そりゃ、びっくりはしたけど別に嫌だったわけでは……。それに、千代瀬さんとの事をナシにするなら僕のファーストキスは結局時政さんってことになるんだけど。


「それにしても、瘴気を取り込んでいながら記憶障害を起こさないってことは、かなり純度の高い霊媒体質なのか? 男なのに? ──まあ、そういう例も無くはねぇか」


 一人頷いてなにやら自己完結したらしい時政さんに解説を求める事を諦める。これ以上掘り下げるとまた責任がどうとか言い出しかねない。
 そも、専門用語ばかりを並べられると一般人の僕としてはまだ触れがたいところがあるのだ。ならば、否が応でも触ってしまった問題を今は追及したい。
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