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消えた友人
◆失踪
しおりを挟む入学と新学期を同時に迎え、指定された教室への道のりにもすっかり慣れた五月の頃だ。その日は五月晴れというやつで──あれ、これって確か誤用なんだっけ。まぁ、ニュアンスで受け取ってほしい──朝から日差しがやけにご機嫌だったことを覚えている。
きゅっと上靴を鳴らしながら自然と覚えた力加減で教室の扉を横にスライドさせる。廊下と教室を明確に区分する下レール(この名前で合ってるのかは知らない)に踏み入る。途端、目が合ったクラスメートとお馴染みの「おはよう」を交換する。
高校生になったばかりの青少年の若さ溢れる日常風景だ。
昨日は大変だったからなあ……。肩から鞄を机上に落としたついでにチラリと見るのは、昨日怪しい男から半強制的に渡されたある探偵事務所の名刺だ。受け取ってブレザーのポケットへと入れたままになっていたのだ。
──探偵、ねえ。
鬱憤をため息に変換して晴らす。正直なところ、気乗りはしない。まず名刺もあの男もまとめて詐欺っぽいし、仮に彼の身分が真実だとしても、ならば尚更お近づきになりたいとは思わない。警察ほどでないにしろ探偵も十分に危険なイメージがあるからだ。かの有名なシャーロック・ホームズだって最期には滝壺に宿敵と身投げするのだから、つまりはそういうことなのだ。……その後大人の事情で生きてることにされたとか、そんな蛇足は知らない。知らないったら知らない。
とどのつまり、いくら下っ端アルバイトとはいえ危険事に巻き込まれない保証はどこにもない、という話だ。
……ま、あの様子じゃあ飼い猫探しくらいしか仕事もなさそうだけれど。僕が彼の何を知ってるんだかと二秒後にはセルフでツッコミしつつ名刺をポケットに仕舞い直す。あのだらしないニートのような風貌で地を駆け回り垣根を掻き分け必死に猫を追いかけ回す姿を想像すると、少し笑えた。
──それでも。
「……他のバイト、探そう」
声にすることで決意を新たにする。──どれほど小さく安全な仕事だとしても、あの男の元へ行ってはいけない気がする。行ってしまったら、戻れない。この日常に。手にした平穏に。もうこの愛おしい世界には帰ってこられない。
決して根拠があるわけではない。けれど、根拠だとか証拠だとか、余程説得力のある事実よりも漠然とした本能の警鐘のほうがこの時の僕には信じられた。
「──ま、最終手段ってことで」
「何が?」
「おうッ!?」
突如、第三者が僕の独り言に答えるものだから、漫画のように肩も背中も跳ね上がった。振り向けば、なんのことはない、友人だ。男女別あいうえお順に名字の頭を取って並べられた際、彼は僕のすぐ後ろに立っていた。この程度のきっかけが結果的に彼──佐竹と僕を友人関係に結び付けた。
「急に話しかけるなっていつも言ってるだろ!」
「だぁってよ、倉橋、深刻そうな顔してんだもん。トモダチとしては気になるじゃん? ──んで、何が最終手段なんだ?」
ちっとも反省した様子のない浮わついた友人に仕返しとばかりに頬をつねってやる。
「お前にはかんけーない」
「っいひゃひゃ! わうかったって! ……っ倉橋、おとなしそうな顔して容赦ねぇんだもんな」
「今さら佐竹に容赦とかいらないだろ」
僕らのやり取りを見ていたらしいクラスメートの誰かからクスクスと笑い声がもれる。悪くない雰囲気だ。佐竹はムードメーカーとして非常に優秀というのが、彼の友人記録一ヶ月目を更新した僕の見解だ。
さて、件の佐竹は涙目になりながらもぶつぶつと少々の恨み言を呟くと、「あっ!」とお手本のような閃き顔をした。
「ははーん、わかった。お前も気になっちゃったんだ。──『不良先輩失踪事件』」
「──失踪事件?」
僕がうっかり呟きに落とした最終手段の単語をどう咀嚼したのか、佐竹の、口調は軽やかなくせに穏やかでない出だしに自然と声を潜める。そうすれば、佐竹もスパイごっこに興じてやろうとばかりにズズィと顔面を近付けてくる。(ちなみに彼の顔面偏差値は間違いなく僕より高い)
「ん。あれ、知らない? ほら、ここ最近夜になると学校に変な男が現れる、て噂になってたろ? ソレ確かめよう、て集まった先輩達がみんな行方不明になったらしいんだよ」
「……え、」
変な男? 失踪? ──そんなの、噂すら知らない。
「あー……お前、学校終わったらバイト探しに行ってたもんなあ。そりゃ知らねーか」
内容に反して実にのんびりとした佐竹の声色に、僕は辛うじて頷いた。
「うん。知らなかった。──学校はどう対処してるの? 警察は?」
だって、事件だ。確証のない不審者情報はまだしも、生徒が失踪したとなればこれは立派な事件なのだ。──それなのに。
「えーと、様子見だって。元々先輩ら不良だったしさ。どこかに無断外泊してるだけかもだからって。代わりに教頭が見回り強化するんだってさー」
衝撃だ。僕の考えうる常識と一致しない対応に思わず教師の神経を疑ってしまった。
──そんなので大丈夫なの!? 親は納得してるのか!?
しかし、情報いっぱい頭もいっぱいついでに胸焼けな僕を置き去りにして佐竹は嬉々と続ける。むしろ失踪事件はただの話題提起であり、ここからが彼としては本番らしかった。
「でーさっ、ちょおっと提案があるんだけど────俺らも夜の学校に忍び込んじゃわね!?」
絶句する僕とは反対に彼の瞳は実にイキイキと輝いていた。もしも彼のモテっぷりの証明でしかないお綺麗なこの顔面を無声で第三者に提供したならば、少なくとも吹き出しには失踪だの忍び込もうだのといった台詞は書き込まれないだろうなと思った。現実逃避だ。
「何言ってんの!? ダメだよ、危なすぎる!」
「だーいじょうぶだって! ちょっと見回ったらすぐ帰るし! それにもし俺らが不審者捕まえられたら、そりゃまあ怒られもするだろうけど大手柄だぜ? 俺、一回そういうのやってみたかったんだよなあ……! 夜の学校を探検! 良くね? 青春ってかんじする!」
「しねーよ!!」
暗闇の中、危険な(危険であってたまるか!)校舎に忍び込むクールでカッケー自分を想像しているのか、此方の話など聞きもせずにやける佐竹に頭を抱える。
ああ、そうだった! ────こいつ、心底バカなんだ!
「もし本当にその不審者ってのがいたらどうすんのさ」
「そりゃあもちろん俺の黄金の右足で……」
「このバカ! 子供が大人に太刀打ちできるわけないだろ!?」
全く危機感のない佐竹にさしもの僕も声を荒げてしまう。すると、バカと言われた事が気に障ったのか佐竹は拗ねた顔をして、
「んじゃあもういいよ! 俺一人で行くし! 後で羨ましがっても知らねーかんな!」──なんて今時小学生だって笑ってしまいそうな逆ギレのポーズを残して自分の席へと戻ってしまうではないか。
だから、そういう問題じゃないだろー!?
「…………」
我ながら困った友人のあまりの無鉄砲さに言葉も出ない。はくはくと鯉の真似をするだけの口を手動で閉じて机に額を投げ出す。
……いや、まさか。さすがに冗談だろう。いくらあの、脳みその代わりにスポンジか綿でも詰まってんじゃないのと頭をカチ割って確認したくなるくらい奇跡的なバカでも、失踪事件が起きた現場にわざわざ第二被害者になりに行くような真似はしないだろう。いくらバカでも。バカだけど。奇跡的なバカなんだけど。
「……あれぇ、余計に不安になってきた……」
◆◆◆
朝の佐竹逆ギレ事件以降、変わった事もなく坦々と過ぎた最終授業終わりの現在。約五時間もの拘束から解放された生徒達がわいわいと寄り道の計画を立てる横で、相変わらず僕は冷たい机にすがり付いていた。
今日も数学は理解不能でした、と……。
数学の公式が未だ脳内をグルグルと回るのに合わせて筆箱や教科書をスクールバッグに詰めていく。──と、そこに。教室の一角から彼の声が聞こえてきた。
「──でさぁ、俺、今日忍び込もうと思うんだよねー!」
「佐竹やるぅー!」
「さすがアホの佐竹、危険処に自ら飛び込んでくなぁ。ガンバレガンバレ」
「アホは余計だ!」
楽しげだ。そして誰も佐竹の言葉を真面目に受け取っていない様子だ。たぶん、あの中にいれば僕だってそうした。佐竹が嘘つきなわけではなくて、それほどに佐竹という男がジョークを愛するユーモラスな人間だととっくに知れ渡っているが故だった。
だけれども。今回ばかりは、僕だけは同調できない。
「証拠ぉ? んー……じゃ、ビデオで実況しながら行ってやるよ! きもだめしの定番じゃん? オメーら、明日楽しみにしてろよ!」
「魂になって帰ってくんなよー」
「松原、それ腹黒いって」
騒ぐならばお決まりのメンバーに持てはやされてすっかり有頂天の佐竹はふんぞり返っている。ああ、もう、様々な意味で見てられない。
「っさた……」
しかし、どうやら僕も佐竹も今この時をもってタイミングを司る神に見放されてしまったようだ。タイミングを司る神──すなわち終礼に現れた担当教諭によって彼等の話は打ちきられてしまう。誰もが放課後の青春に向けてイキイキと黒板へ向き直るのに、一人ぎゅっと唇を噛む。
──佐竹があそこまで言ったなら、何がなんでも実行するだろう。朝の、友人との細やかで馬鹿げた衝突を思い返して僕はそう判断する。
ついていってやりたいのは山々だ。本音はそのまま佐竹を彼の家まで連行してしまいたい。けれども、本日は駅前のベーカリー&カフェ店にてアルバイト面接の予定があるのだ。……業腹だけど、自称探偵不審者のアドバイス……たぶん、おそらく、アドバイスに従ってネットの求人板から探し出した宛だった。面接まであんまりにもスピーディー過ぎてこれまでの自分の苦労はなんだったのかと都合よく都合の悪い神を恨んだ。
──ともかく、だ。彼の言う〝忍び込む時間〟には到底間に合わない事実だけが現時点での確定事項。
何も、なければいいけど。
そんな僕の祈りは無慈悲に裏切られる事になる。
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