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第一章/出席番号二十二番・中辻柊馬

(一)

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 なにかが始まる日の朝は、決まって晴れだ。
 校門に続く緩やかな坂道を登っていく。先を見やると、下ろし立ての制服に身を包んだ新入生が、三々五々群れをつくっていた。
 男子の一人がしきりに足下を気にしている。だぶついた裾と、綺麗すぎるローファーが恥ずかしいのだろう。去年の俺もまったく同じことをしていたからよくわかる。というか女子のスカートって、あんなに長くて野暮ったかったけ?

「トーマ! おはよ!」

 背中と肩を叩かれて振り返る。去年クラスが一緒だった女子バレー部の二人組だ。

「はよ。久しぶり」
「トーマも早く行かないと、掲示板の前ごった返しになるよ!」
「今年も同じクラスだといいね!」

 二人はスカートを揺らしながら、校門に向かってきゃっきゃと駆けて行った。うん、やっぱりスカートは短いほうがかわいい。
 普段よりも賑やかな通学路。そこかしこに散らばる笑顔。新芽の香り追って空を仰げば、葉と葉の隙間から光の粒がぱらぱらと降ってくる。
 ああ、春だ。青くて、眩しくて、新しさでいっぱいの季節だ。
 季節の中では春が一番好きだけど、今年は格別だ。ゲームを一度クリアして、ステータスをそのままに新しいゲームを始める、あの『強くてニューゲーム』の感覚に似ている。装備は体にフィットした学ラン。アイテムは慣れという名の自信。
 今年は受験という恐ろしいラスボスを、とりあえず見て見ぬ振りをしていい最後の年だ。進級まで、まだ三六四日ある。あと、じゃなくて、まだ。願ったって祈ったってカウントダウンは止められないから、後悔のないように一日一日を思い切り楽しみたい。




 今年のクラスは『二ーB』だった。

「トーマと同じクラスとかツイてるわ! これで体育祭も球技大会も余裕勝ちだな!」

 始業式を終えて教室で待機していると、俊平が肩を組んでくる。

「言いすぎ。もちろん優勝は狙うけど」
「謙遜すんなよ、俺らサッカー部のエースにして、次期部長!」

 俊平のいつもの突っ走った発言は、笑って受け流しておいた。
 早速新しいクラスメイトたちに声をかけて、去年の思い出や、秋にある修学旅行、オープンキャンパスなどの話題で盛り上がる。去年同じクラスだった人とはほとんど離れてしまったけれど、残念な気持ちよりもわくわくが勝っている。知らない人の数は、イコール新しい出会いの数だ。
 そうして話に夢中になっていると、一歩下がった拍子に肩がどん、と誰かにぶつかってしまった。

「ってーな」

 極太のアイラインに囲まれた鋭い目が、俺を睨みつけた。
 ほんのり明るい茶髪に、真っ赤な唇、シルバーチェーンのネックレス。校則違反をこれでもかと詰め込んだその子の格好に二の句が継げずにいると、ぷいっと顔を逸らして行ってしまった。まずい、怒らせた。

「かわいくねーよな、本宮千波」

 俊平が侮蔑の視線を送る。モトミヤチナミ、初めて聞く名前だ。

「いや、今のは俺が悪い。本宮さんって有名な子なの?」
「そっか、トーマは去年A棟だったもんな。B棟じゃ一時期、噂になってたよ。普通の子だったのに三学期頃から急にケバくなってさ。まじないわー」
「そうなんだ。ちょっと俺、謝りに行ってくる」

 ほっとけよ、と不満そうに言う俊平を置いて輪を抜ける。俊平は本宮さんのことをよく思っていないようだけれど、俺がぶつかったこととそれはまったくの別問題だ。俺は教室の隅で壁にもたれかかっている本宮さんに声をかける。

「本宮さん、だよね? 俺、中辻っていうんだけど。さっきはごめん」
「腕の骨折れた」

 え、と思わず漏れる。いやいや、その腕でいま普通にスマホいじってるじゃん。こう拒絶されては取り付く島もない。

「チナ、中辻君は悪い人じゃないと思う」

 本宮さんの隣にいた女子が会話に入る。彼女はちょっとした有名人だから知っていた。名前は、確か――。

「いずみがそう言うなら、そうなのかもね」

 そうだ、神林いずみ。男子の間で『絶滅危惧種の清純派』ともっぱらの評判だ。

「中辻君、チナは別件で機嫌が悪いだけなの。だから大丈夫」
「別件?」

 確かに虫の居所は悪そうだけれど、新学期早々、嫌なことでもあったのだろうか。

「ケガがないならよかったけど、本当にごめん。お詫びに今度飲み物でも奢るよ」
「いらない」

 俊平がかわいくないと言った理由が、よーくわかった。
 チャイムが鳴り、みんなが席に着く。進学校の生徒という肩書きを持つ俺たちは、親や教育委員会の期待を裏切らず、健全な高校生の模範像でなければならない。そんな見えない縛りの中で生活しているからか、斜め前に座る本宮さんの姿は嫌でも目についた。白いシャツに飛んでしまったミートソースみたいに、彼女の茶髪は教室にあるべき秩序を乱していた。
 始業式では見当たらなかったから、きっと先生たちに捕まっていたのだろう。せっかく同じクラスになったのだから仲良くなりたいけれど、彼女はなかなか骨が折れそうだ。

「みんなおはよう! 二ーB担任の滝田晃輔です。担当科目は体育! 進路に部活、それから恋バナ、悩みがあったらなんでも相談してくれ。一年間よろしく!」

 よっしゃ!と机の下で拳を握る。行事を楽しみたい俺にとって、アカ高の教員で一番若い、つまり生徒側に一番近いこーちゃんは、願ったり叶ったりの担任だ。

「早速、委員会決めするぞ。最初に学級委員だが……って、そこにいるのはトーマじゃないか! え、なんだって? 学級委員がやりたいです、だって?」
「いや言ってないし!」

 三文芝居へのツッコミに教室が沸く。みんなは救世主を崇めるような目で俺を見た。
 そういえば去年も同じ流れで、後期の学級委員に指名されたような。まぁ形はどうであれ、頼りにされるのは嬉しい。

「わかった、やります」
「さすがトーマ! あとは女子だが、誰も手挙げないだろうし、トーマの独断で決めていいぞ!」

 女子は一斉に目を逸らす。そんな中、神林さんだけが俺をまっすぐ見ていた。一瞬、見つめられているのかと思ってドキリとしたけれど、これは私がやってもいいよ、というアイコンタクトだろう。

「じゃあ、神林さんに――」
「あたしがやる」

 遮るように手を挙げたのは、本宮さんだった。
 人を見た目で判断するのはよくない。よくないけれど、どうやったって本宮さんと学級委員は結びつかない。彼女の行動にクラスがざわめき出す中、こーちゃんは早速俺たちに委員会決めの進行を託する。

「あたし、板書するから」

 本宮さんはそう呟くと、進行役は俺に一任して、みんなに背を向けたまま一度も振り返ることなく板書に徹底した。
 自ら立候補したのに、その態度は……。最初こそそう思ったけれど、役割を明確にしたことで結果的に効率が上がり、俺たちはどのクラスよりも早くHRを終えた。
 終わるや否や、教室を出ようとする本宮さんを呼び止める。

「板書ありがとう。本宮さんのおかげでスムーズに進行できたよ」

 俺は白い字で埋まった黒板を見る。意外というと失礼かもしれないけれど、本宮さんの字は丸みを帯びた、女の子らしいクセ字だ。

「でもどうして、学級委員を引き受けてくれたのかなって思って」
「別にあんたのためじゃない。あたし急いでるから。行こう、いずみ」

 隣にいた神林さんは俺に会釈をして、本宮さんの後を追った。うーん、わからない。結局彼女は、協力的なのか非協力的なのか、どちらなのだろう。
 ただ少なくとも、嫌々やっているようには見えなかった。駿平が保健委員から文化祭実行委員に移ると言ったとき、彼女は渋ることなく書き直していたし、板書も後ろの席でも見やすい間隔と大きさで書かれている。
 見た目は派手だけれど、とりあえず悪い子ではなさそうだ。学級委員になったのもなにかの縁だし、まずは『あんた』ではなく、名前で呼んでもらえるように頑張ろう。
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