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八
しおりを挟む前に嶋田さんに都市伝説の「だるま男」について聞いたときは、吐きそうになったものを。もっと吐き気をもよおしそうな、えげつないさまを目にしたはずが、起床はいつになく、頭が冴えていた。長年の胸のつかえが取れたかのように。
藤岡兄弟宅への二回目の訪問から、五日経っていた。その五日間、仕事はままらならず、嶋田さんとは音信不通、浮世絵の封筒の開封もできないまま、詮なく足踏みをしていたのに「阿保らし」と我ながら、飽き飽きして、早速、自宅へ電話。
三回のコールで「はい、藤岡製茶卸問屋です」と応じたのは雄太くん。その血縁の淫らな夢を見たとなれば、さすがに気まずかったが「菖くんに面会したいのだけど、店の都合はどうかな」とあえて気安く聞く。むっとするかと思いきや「菖は風邪を引いて」と予想外な返し。
「今は熱をだして寝こんでいます」
事務的に伝えるのに、むしろ気後れして「そうなのか」と言葉を詰まらせる。早々、降参して「お大事に」と電話を切ろうとしたら、これまた意外に引きとめるように「医者に見せたところ、インフルエンザではないそうなので」と口を挟んできて。
「もし、お時間があれば、顔を見せてやってくれませんか」
どうして天敵のような俺に塩を送る真似をするのか。と、眉をひそめたとはいえ、電話越しだからか、先日、会ったより底意がなさそうだったし、彼の思惑がどうにしろ、俺にも俺の都合があったから「分かった。昼前に伺っていい?」とだけ伝えた。
先日、菓子折りを持っていったばかりとなれば、差し入れをどうしたものかと悩んだものを、高校のころ、菖くんがピンポン玉のようなそれを口に放っていたのを思い起こし、スーパーで金柑を二パック購入。そのまま飾り気がないのを持参することに。
相変わらず香ばしい匂いを垂れ流す、格子越しの開けっぱの窓に「ごめんください、木藤です」と呼びかければ、ちょうど傍にいた雄太くんが「今すぐ、戸を開けるので」と招き入れてくれた。俺が土間から上がったところで「菖、木藤さんがお見舞いにきてくれた」と居間のほうに声をかけ「お茶を入れてお持ちするので、どうぞ」と退く。
雄太くんとすれ違いに、居間に足を向ければ、部屋の真ん中に布団が敷かれていた。前にそこを陣取っていた座卓は隅に立てかけてある。
照明は落とされ、庭からは、さほど陽光が差さずに、早朝か夕時のように薄暗い。肌寒い日とあって、火鉢が置かれ、また庭に向かっての雨戸は閉められ、でも、換気のためだろう。すこし開けられた合間から、しんしんとした苔蒸す庭が覗ける。
寝室は二階にあるのだろうが、雄太くんが仕事をしつつ、定期的に赴いて面倒を見るため、居間で寝かせている模様。「どうぞ、ごゆっくり」と湯気立つ湯呑を置くと、縁側を伝って隣にいき、すこしもすれば、焙煎しているらしい芳しい匂いを漂わせてきた。
その匂いを胸いっぱいに吸ってから、あらためて菖くんと向き合い、ただ、いきなり本題に入るのもどうかと思って、枕元に置かれたお盆を見やる。コップに入った緑茶と、小鉢に金柑三つ、お茶碗には茶色に染まった水っぽいご飯。「おかゆ?」と呟けば「茶粥だよ」と閉じていた瞼をほんの上げて、かすれた声で。
「お茶で米を炊くんだ」
「へえ、おいしそうだな」
「一口、くれないか」と軽口を叩こうとしたところで「この前は悪かった」と先手を打たれる。息を飲んだのもつかの間「この期に及んで有耶無耶にしようとするな」と発破をかけるように熱い湯呑を煽って「いや、いいんだ」と手で口を拭った。
「とはいえ、正直、聞きたいことがある。体調が優れないのに、負担をかけるかもしれないが、すこし相手をしてくれないか」
すぐに応じず、熱っぽいこともあって、虚ろな目をする菖くんは、おもむろに庭のほうに向いたものの、かすかに肯いた。つられて俺も、雨戸の隙間から庭を眺め、しばし間を置いてから「覚えているか?」と切りだす。
「顔の青痣をどうして、そのままにしているのか。俺に理由を教えてくれたのを」
菖くんが放課後、図書室に通いだして、一ヵ月くらい経ったころ。気を許すようになってか、たまに愚痴るようになった。テストの赤点も大目に見てくれる義理の父が、青痣については「病院にかかっては」としつこく、せっつくように云うのだと。
日ごろ、家や家族のことを、ほとんど口にしない菖くんが「いい人だからこそ、断るのが気兼ねでさ」と繰り返し繰り返し、ため息を吐くものだから、そりゃあ、気にかかった。聞こえよがしに、ぼやくのに「聞いてほしいのか?」と思わないでもなく、ついには踏みこんだもので。
「逆に、どうして、青痣をそのままにしとくのに拘るんだ?」
なるべく、さりげないように聞きつつ、内心どきまぎしたものを、瞬きをした菖くんは「そうだなあ」と小首を傾げてみせた。
「木藤には勉強を見てもらって、おかげで赤点を回避できた恩があるしな」
あっけらかんと笑ったのは、もとより、思うほどデリケートな問題ではないのか。やはり、かまってほしかったのか。なににしろ、家庭や青痣についての質問はタブーではないらしく「母さんが雄太を『ぶさいくぶさいく』ってなじるんだよ」とおどけるように肩をすくめた。
「どうも、実の父と似ているらしくて。それで気に食わなかったみたいだ。幼いころは、そのことを知らなかったけど、どんな事情があるにしろ、母さんが弟を蔑むのに、平気でいられるわけないだろ?
だから『ぶさいく』って耳にしたら、二人の間に割って入って『俺もぶさいく?』って母さんを見上げたんだ。青痣のある顔でな。そしたら、母さんは顔を背けて、だんまり。
まあ、発作のようなもんだから、すこしもすれば、懲りずに『ぶさいく』祭りをするけど、そのたびに『俺もぶさいく?』ってつめ寄って、しつこくしつこく青痣を見せてやった。そのうち、さすがに母さんも嫌気が差したみたいで、雄太に当たらなくなったよ」
がっしりした体格といかめしい形相をしながら「鳴かないゴジラ」と呼ばれたように、年並みの浮つきもなく、しおらしい性格をしていたのは、母の仕打ちがあってのことか。と、やけに得心したなら、ご満悦そうに肯いて「な?だから痣に手を加えられないわけ」と頬を撫でた。
「痣の存在感がなくなると、ほら、俺、絶世のイケメンになってしまうだろ。そうしたらどうよ?母さんはまた発作を起こすだろうし、周りは兄弟を比較して、悪気ない悪口を浴びせてくるってもんだ。そうならないよう兄としては、弟を守らないと」
大袈裟にふんぞり返ってから「のもあるけど」と苦笑し「雄太には感謝しているんだ。痣を肯定的に見てくれたから」としみじみとするように目を細めた。
「痣があると、子供は指差して笑うし、大人は『かわいそうかわいそう』うるさい。でも『痣がなければ、生きやすかったのに』って俺は思いたくなかった。そもそも、痣のある顔を気に入っていたしな」
「え?」とつい目を丸くすれば、むっとしたように「ほれ、俺がどんだけ『伊達政宗』を読んだと思ってんだ?」とテーブルに積まれていた、偉人の漫画を突きつけて。
「伊達政宗も幼いころ、右目が白くなって眼球がとびでて、醜いからって母親に疎まれてたんだよ。それでも、東北地方を平定して治め、戦国時代を立派に生き抜いてみせた。
俺はもともと、自分に痣があったし、美しいとされる顔立ちに惹かれなかった。この漫画を読んで、もっとその価値観が固まったんだ。顔の美醜で人生は決まらない。欠点だろうと、特徴があったほうが、伊達政宗みたいに物語になるから、おもしろいってな」
思いがけず、熱弁されて、なんとも返事のしようがなかった。顔のよしあしに、菖くんほど意見を持っていなかったからだが、俺の感想を聞くまでもなく「俺の価値観は周りとはそぐわない」とばっさり。その割に、嘆いているようではなく。
「当たり前のように人が『将来のために、痣を隠すか、消したほうがいい』と親切心から助言してくるのが、割ときつかった。でも、弟は云ってくれた。『兄ちゃんに痣があってよかった』って」
雨戸から覗く苔の深緑に見入って、しばし回想に耽ってから、布団に向き直る。発熱で呆けながら、瞳を揺らめかすのを見とめ「聞いてもいいか」と姿勢を正して問うた。
「菖くんがゾウネツのことを知っていたと知って、気になったことが二つある。一つ目は、放課後、図書室に居座る俺に近づき、放れようとしなかったこと。
怪しい祭りにからめて、自分がずりネタにされていると耳打ちされたんだろ。それでも、首謀者のような神主の息子と親しくなりたいなんて、普通は思わないだろ。
たしかに、噂する連中と、俺は距離を置いていた。噂を知っている分、後ろめたくて、できるだけ親切にしようとも思ったけど、菖くんにすれば、胸糞悪かっただろうに」
薄く口を開けたまま、こちらに見向きもしない。かまわず「それに弟も知っていてたって」と畳みかける。
「兄を侮辱するような噂に怒っていたというなら、なぜ、俺と居るところを見せびらかすように、毎日毎日、迎えにこさせていた?
そのことに関係して、もう一つ気になったのが、火事のあった日に限っては、雄太くんを待たなかったみたいで、早く帰ったことだ。父の市議会員としての仕事につきあってのことって云っていたけど、それまでも、同じことはあっただろうに。
図書室にこない、途中で帰るなんて一度もなかった。どうして、その日だけ」
返答を待ったものを、頑なに口を閉ざしているようなので、しかたなく「二日前、弟が女子に告白されたことが関係あるんじゃないか」と告げる。確信がありつつ、青痣以上に禁忌的な領域に手を突っこんだ自覚もあった。
黙秘を通されるか「二度と顔を見たくない」と引導を渡されるか、覚悟したが、おもむろに目を瞑り、睫毛と声を震わせて応じたことには「どうすれば、よかったんだ?」と。いじらしく唇を噛むのを「分からない」と冷ややかに見下ろす。
「ただ、俺は菖くんがずるいと思う。多分、昔もそう思っていた」
「ずるい?」と涙目で見上げてきたのに「嘆くほど哀れではないから」と自嘲的に笑う。
「義理の兄と噂になっていたけど、表立っては騒がれなくて『キショイ』『ホモが染つる』って陰口を叩かれることもなかった。むしろ女子は、絵になるツーショットに歓声をあげていたし、男子もどこか、羨ましそうに見ていた」
「雄太くんに睨まれていたのは、俺だけだったしな」と付け加えれば、ばつが悪そう。「べつに根に持っていない」というように笑い、首を振ったものの「ゾウネツの噂だって」とつづけるに、どうしても頬をひきつらせる。
「いつもは、ゾウネツ役の人が、まあ、きれいどころとは云えなかったから『あんなの犯せるか』『逆に意地でも勃ちたくねえ』って一笑に付していたのが、菖くんが噂の的になったら、目の色を変えて鼻息を荒くして・・・」
言葉を切ったのは、気づかってというより、歯軋りして、ままらなかったから。一呼吸したものを、抑えきれずに「今も町の人に大切にされているじゃないか」と声を上ずらせる。
「多少、訳ありだろうと気にしないで、なんなら、蕎麦屋の女将さんは周りから誤解されるのを庇おうとしていた。身内のようなものと思っているって、口ぶりで語りもして。
きっと、年を取って結婚しないまま、兄弟二人で暮らしてても、蕎麦屋の女将さんたちは、見て見ぬふりして口だししないと思う。これだけ恵まれていて、悲劇ぶっているから笑えるよ。誰も二人を引き裂こうとしていないし、糾弾したり迫害したり裁いたりしていないじゃないか」
「戸を釘付けにする必要なんかないのに」と奥歯を噛みしめ、睨みつければ、びくりとしつつ「俺がずるいって、じゃあ、木藤は・・・」とみるみる目を見開く。言葉がつづかないようなのに、やおら上体を倒して「そう」とつめ寄った。
「俺はゾウネツを犯す男の一人になりたかったんじゃない。逆に、ゾウネツのようになりたかった」
絶句する菖くんが、すべて飲みこめたかは分からないが、隣から聞こえていた物音がやんだのを潮時として、深く息を吸い、腹に力を込める。にわかに顔つきを引きしめたからだろう。「え」と身じろぎしたのに、まっすぐ見据えたまま、口を切った。
「先に謝っておく」
「ごめん」と云うや否や、布団越しに菖くんに跨り、片手で肩を押さえつけ、もう片手で浴衣の襟をつかみ引っぱった。と、ほぼ同時に鳴った陶器が割れる音。その響きに腕を引きつらせたのもつかの間、吹っとばされた俺は、畳で一回転をして。
「雄太!」と叫んだのを耳にし、すかさず顔を上げて身がまえたものを、タックルをしてきた巨体は追撃してこず、菖くんに抱きついた。獣じみた荒い息遣いのまま、圧死させんばかりに絞めつけるさまは、でも、乱暴ではなく、どこか切なげだ。母を恋しがって、すがりつく子供のように。
ひたむきに抱擁されるまま、突き放さず、文句を垂れず、呻きもしない菖くんには、俺の云わんとしたことが身に染みて伝わったのだろう。「やれやれ」とため息を吐いて立ち上がり、背を向けようとしたところで、どうにか隙間から顔を覗かせ「なあ」と引きとめた。
「戸の釘を抜くよ。だから、木藤も・・・」
釘付けの戸を開けるなんて、お茶の子さいさいなほど比でなく、代々の呪いを背負う俺が踏んぎりをつけるには、ハードルが高すぎる。「そう、かるがるしく云ってくれるな」と癪だったが、一息ついて肯いてみせたなら「どうぞ、ごゆっくり」ともう振りかえらずに、長屋の一軒をあとにしたのだった。
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