春画作家がだるま男に狂う

ルルオカ

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どうにかこうにか、印刷所に間に合って、俺が機械でプレスされることなく、雑誌が刷り上がった。刊行されれば、しばらくは、すこし息抜きできる。わけにはいかなく。

印刷所に提出する直前、紙面のスペースを空け「嶋田先生の新作春画、十名様にプレゼント」と銘打ったからに、嶋田さんとの交換条件によるミッションを果たさないといけない。もちろん、プレゼント用春画は後払い。

応募締め切りまで、まだ月日があるとはいえ、次回の脱稿と重なっては面倒だろうし、すこし余暇がある今のうちに、済ませておいたほうがいいだろう。と、雑誌が刊行された翌日、菓子折りを持って(旧姓・桑原、今は)藤岡兄弟の卸問屋兼自宅を訪れた。

相変わらず、木の格子越しに窓は開けっ放しながら、覗いても誰も見当たらない。玄関のほうにいき「ごめんくださーい」と引き戸越しに呼びかけ、しばし待ったが、動向はなく、ややじれったくなって、引手をつかむ。

指を力ませるも、びくともしない。古そうな引き戸となれば、鍵がかかっていようと、がたぴしと軋みそうなもの。戸の端と縦枠が接着しているような頑なさに、眉をしかめつつ、すりガラスに細めた目を近づけたら「なにか、御用でしょうか」と背後から声をかけられた。

跳びあがって振りむけば、無表情の菖くんが。先日と同じように、襟に「製茶卸問屋」「藤岡屋」と書かれた法被を着ながらも「まいど」とばかり、愛想をふりまくことなく、口をへの字にしている。高校のころから変わらない美青年ぶりで、青痣も見慣れているとはいえ、火傷の跡が加わったせいか、目のやり場に困るところ。

歓迎ムードでないなら、尚のこと、腰が引けたものを、すぐに「ああ、木藤か」と口角を上げてくれた。客商売をしているからか、青痣と火傷跡があっても、気にさせない、朗らかな笑みを見せる。歓迎してくれたら、してくれたで、どきまぎして「あ、ごめん、俺・・・!」と舌をもつれさせると、おもむろに頭を撫でるふりをして「相変わらず、亀みたいな頭をしているな」と。

下ネタキングだった菖くんの、定番の挨拶のようなものだ。「木頭」だから「亀頭」。読み方が同じだけで、俺の頭は似ていない(と思う)。

正直「亀みたいな頭」と例えられるのは不愉快だったものの、二人きりのときしか、からかってはこなかった。女子を追いかけまわし「お乳ビーム!」と乳首から噴射するポーズをしていた一方、衆人環視で「亀頭」と囃し立てなかったあたり、下ネタキングなりに節操はあったのだろう。

あれから十年も経ったとなれば、小中学生レベルの下ネタに恥じらう年でもなく、懐かしくなって、笑ってしまう。おかげで肩の力が抜けて「先日は、ちゃんと挨拶できなくて、ごめん」とやっと切りだせた。

「あのときは、連れがいたもんだから」

「で、今日はあらためて、挨拶にきたのと」と菓子折りを掲げてみせてから「じつは頼み事がって」とやや視線を逸らす。嶋田さんを浮かべて、ほんの気まずさを覚えたのだが、気づいたのか否か「じゃあ、家ん中に入って話そう」とにこやかに応じ、背を向ける菖くん。

「ちょうど、仕事が一区切りしたところだ。我が家自慢のお茶をご馳走する」

俺が立つ玄関から遠ざかるのに「あれ?表玄関から入らないの?」と聞けば、顔だけ振りむけ「入りたくても、入れないんだよ。戸を釘付けにしてあっから」と引き戸のほうを指差す。

「釘付けって・・・目をどうとかって意味ではなく?」

「そ、釘を打ってあんの」

あっけらかんと告げたのに、むしろ悪寒がして「またどうして・・・」と踏みだした足をとどめる。口角を吊り上げてみせて「えー、エロイ人妻を監禁してヤりまくってっから」と冗談めかすのに、つい、むっとすると「ふ」と漏らしつつ「そうだなあ」と向かいの家のほうを向いた。

「お前、蕎麦屋さんにいったなら、俺について、聞いただろ」

「あ、いや、でも、俺の連れが強引に聞いたのであって、女将さんは、話すのを渋っていて」

咄嗟に嘘がつけずに、あたふたするも「そういうこと、心配してんじゃないから」と首を振って、笑いかける。

「べつに、知られて困るようなことじゃないしな。ただ、戸を釘付けにしている訳を聞かせるには、ある程度、事情を知っておいてもらわないと。一から話すとなったら、朝までかっかから」

「まあ、とりあえず、家に入ろう」と隣の家との境目近くにある、小さい戸に鍵を差しこんだ。壁と似た色合いと素材のものとあって、遠目には戸があると分からない。

茶室のくぐり戸のようで、背を屈めて入れば、台所の土間だ。菖くんが脱いだ靴をそろえて、床板にあがったあとにつづき、隣の居間にきたなら「今、お茶入れてくるから」と敷かれた座布団に座った。

家の奥まったほうには、小さな庭があり、障子戸と雨戸が開けっ放しになって全体が覗ける。木の垣根に囲われ、隣と裏手の家が迫る、こじんまりとした庭は、目立った草花はなく、絨毯のように苔が敷かれるのに、一本の椿が佇み、岩が置かれているだけ。

全体的に影がかっているものの、四方の壁の隙間から日の光が差しこむのに、湿った苔が反射して、ちかちかときらめている。「隠れ家的な寺の庭園みたいだ」と見入っていたら、香ばしい匂いが鼻についた。

先日、外で香ったのとは、やや違うよう。庭から台所のほうに振りむけば「できたての茶葉ではないけど」と湯呑と漆の皿が乗ったお盆が食卓に置かれた。

「玄米は煎ったばかりだから、香りがいいだろ?俺は玄米茶が一番、好みでさ」

「玄米茶」は飲んだことがあるとはいえ、これまで嗅いだ覚えがない、ご飯のおこげのような香りがするのに「ほんとうだ」と立ちのぼる湯気に鼻をひくつかせる。微笑んでせみせてから、漆の皿の落雁を口に放って、湯呑を煽った菖くんに習い、お茶をすすった。

菓子と茶の甘みが、じんわり舌に染みるのを味わいつつ、菖くんと苔蒸す庭をぼんやりと眺めることしばし「俺、こんなんだからさ」と不意に、語られだして。

「雄太も見た目がパンチあるだろ?だから、おじさんが、かなり間を取り持ってくれて、なんとか町内会や近所に受け入れてもらえたわけだけど、俺が思う以上に、ありがたいことだったんだなって。そのことを、おじさんがいなくなって痛感した」

「おじさんが、いなくなった?」

菖くんの従妹が「日本茶専門の喫茶店」をしたいと望み、その手伝いをするとなった叔父夫婦が、兄弟に老舗卸問屋を任せることにした。とは聞いたが、その喫茶店は住居を兼ねており、叔父一家はそこに引っ越したという。

そうして、甥っ子兄弟が独立したころに、新町のほうで映画撮影があり、そのことで、さらに増えた観光客が、旧町のほうに迷いこんでくるようになった。観光客向けのつくりになっていないので、彼らは散歩するくらいなものを、なにせ、菖くんの家からは、茶葉のいい匂いがする。ので、開けっ放しの窓から声をかけたり、玄関の戸を揺すったり、騒ぎたてる人がいるのだとか。

「居留守にしてても、中々、帰らないし『いるの、分かってんだぞー』って喚くもんだから、しかたなく対応するんだよ。ここでは茶をだしていない、茶葉を売ってもいないって、説明するけど、まあ、聞いちゃいないよな。俺の顔に興味津々で」

母親や叔父が「費用がかかってもいいから、痣をどうにかしては」と勧めたのを断ったからに、自業自得というか、顔を指差されても、己が定めと飲むしかない。と心得て、観光客のマナー違反を大目に見たものの、玄関にでたところ、すかさず写真を撮られたのには、さすがに堪忍袋の緒を切らしてしまい。

「世にも奇妙な顔面の男がいるとか、なんとか、噂を聞きつけて、はじめから写真を撮るつもりできたらしい。丁寧に接していれば、そのうち、引き下がってくれるだろうと、思っていたのが甘かった。噂が広まることまで、頭が回らなかったのは、俺の落ち度だよ。

もちろん、不意打ちで撮られて、怒ったというのもあるけど、写真を拡散されたら、近所に迷惑をかけるかもしれないだろ?そう思って、スマホをとりあげてしまった。そしたら、相手が警察を呼んでさ」

ただ、観光案内のパンフレットだったり、立て看板だったり「旧町には普通に生活している人が多いので、迷惑をかけないでおきましょう」ともともと注意喚起されていたこと。その上で、町内会長が(顔見知りの)交番の警官に取りなしてくれたおかげで、むしろ観光客のほうがたしなめられ、菖くんはお咎めなし。スマホの写真も消してもらったという。

旧町に迷いこむ観光客の迷惑行為に、近所の人も眉をひそめていたから、頭を下げる菖くんに「災難だったなあ」と町内会長は労ってくれたとはいえ「対策をしたほうがいい」と助言もした。玄関の戸は閉めっぱなしにしておいたほうがいいと。

「で、玄関のを開かずの戸にして、くぐり戸を使うことにしたんだ。代わりに窓を開けっぱなしにしといてさ、訪ねてきた人には、そこから声をかけてもらうようにして」

「いや、でも、開かずの戸たって、釘を打ちつける必要があるの?鍵が壊れているとか?」

「鍵はあるんだが、古いもんだから、戸の建てつけがな。厄介な観光客は、鍵がかかってても、しつこく呼びかけて戸を揺らしつづけて、それが、うるさいってなんの。そんとき、ちょうど苛々していたこともあって、つい、かっとなって、釘を打って。今じゃあ、くぐり戸を使うのにも慣れたし、玄関の戸ががたがた鳴らなくなったし、なんとなく、そのまま放ってあるわけ」

「釘付けされた開かずの戸」との字面だけでも怪談のようだし、過去の義兄との噂や、ブラコン弟と同居する現状を踏まえるに、忌まわしく思える。が、顔の痣についての屈託、釘付けにするに至ったその心境は理解できるもので「そうだったのか」と胸を撫でおろす。口に含んだ茶の香りが、吐息と共に香って、尚のこと、ほっとした。

「どうだ?まだ、疑わしいか?なんなら、エロい人妻を拉致監禁していないか、全部の部屋を見回るか?」

「なんなら3Pするか?」と食卓に肘をつき、前のめりになったのに、やや上体を反らしつつ「菖くんは、相変わらずだな」と苦笑する。

「近所の人の前では猫をかぶっているようだけど」

「いうねー。なんだ、十年ぶりくらいに会ったのに、今の俺のこと、丸分かりかよ。これじゃあ、フェアじゃないから、お前のことも、洗いざらい吐けよ。今、なにしてんだ?」

青痣に火傷跡のある顔は、一見、ぎょっとするとはいえ、誰にでも尻尾を振る犬のような人懐こさと下ネタキングぶりは健在。つい、気を許しそうになって、ほんの唇を噛む。

前の会社を辞めたことも、転職してエロ本出版社の責任者になったことも、実家には打ちあけていない。絶対に知られたくもない。となると、家庭事情が知れない菖くんの耳に入れていいものか。

一瞬、迷ったとはいえ、菖くんが、あの忌まわしい地に、二度と踏みいつことはなかろうと、転職については伏せて「大学の先輩にエロ本の出版社を任されて」とおおまかな経緯と、仕事内容を語った。働き先がエロ本出版社と隠さなかったのは、相手が下ネタキングだからで、案の定「へえ、おもしろいな!」と膝を打ってくれて。

「俺はまだ若いほうっつても、こんな商売してっから、古いもんに関わることが多いしな。最先端のものより、古臭いのが逆に、ださいどころか、センスあるなあって感心したり、いろいろ、決まりや縛りがあるのが面倒くさいようで、その絞めつけ感が悪くないっての、なんか、分かるわあ」

腕を組んで肯き「ぜひ、定期購読したい!」と見栄を切ってみせたようで「ところだけど」と眉尻を下げて、笑う。

「小説は俺、てんで読まないんだよ。四コマとか、すこしでも漫画が入っていないの」

根っからの文学畑の俺は、先輩も同じタイプとあって、当たり前のように、小説を中心にした雑誌づくりをしていた。が、「摩訶クラブ」の方針は「古き良きエロ」ならジャンルを問わない。

そのはずが、盲点だったようで「・・・ああ、そうだ。漫画はないんだ」と独り言ちる。ぼけた俺の反応に「今更かよ!」とツッコむことなく、頬をかいた菖くんは「ほら、俺、図書室にある漫画、読んでたろ」と庭のほうに視線を逸らした。

「『きゅうり夫人』『きゅうり夫人』って騒いでいたけど、そういう有名人の伝記とか、世界史、日本史の歴史ものとか、図書室の漫画はほとんど、読破したんだよ。おかげで、頭悪いのに、歴史だけ、成績よくなったり。

で、そういう漫画の絵柄が古かったもんだから、そのあとも、古い漫画ばっか読んで。そのせいか、むしろ古いのが、エロいって分かるんだよなあ。有名どころなら、手塚治虫とか、案外、エッチなシーン描いてんのよ。

デフォルメした裸や、あっさりした描写のほうが、ロマンを感じるていうか。実際、そんなキレーなものじゃないし、生々しいのがエロいを越してグロいし、みっともなくて、笑けることがあるし。相手のイキ顔が、つぶれた蛙みたいで、萎えたりしてさ」

「そうだろ、な?」と聞かれたのを流して「・・・漫画か、いいかもしれない」と顎を撫でた。「いい?」と首をうねったのに、はっとして「いや、今、雑誌を刊行してから三年が経つんだけど」と説明をする。

「ちょっと、マンネリ化しているから、小説メインの色合いを変えるのに、漫画はうってつけかなと。ただ、うちの会社、先輩も俺も含めて、漫画に詳しい奴がいなくて。よかったら、もうすこし詳しく・・・」

それまで互いに視線を外していたのが、そのとき、あらためて向き合った。働き先がエロ本出版社と聞いて前のめりになり、そのままでいるから、菖くんの顔が間近にある。

頬の痣は痛ましげでも 目を皿にする幼児のように、あどけない顔つきでいるのに、俺も見返してしまう。お互いを見るともなく見合って、無心でいたのが、菖くんの睫毛が伏せられたのを目の当たりにしたとたん、肩を跳ね「じゃ、なかった!」とすこし退いた。

「本題、そう、本題!うちの会社のお抱えの春画作家が、新町で旅館をやってるんだ!で、商売としても、趣味としても、お茶にこだわりがあるっていうんで、是非とも、ここのを注文したいって!あ、もちろん、断ってくれてもかまわないし!だからって、俺の仕事に響かないから!」

そう、まくしたてて「・・・多分」と付け加えると、噴きだして「こっちこそ、全然かまわないって」としばし肩を震わせ、うついてから「どうせ、配達をするとき、新町を通るから」と涙目で見上げてきた。ほっと息を吐いたつかの間「ただ」と居ずまいを正される。

「俺じゃなくて、弟の雄太に任せていいか?取引先とやり取りする、表立った仕事は俺、雄太は職人として茶葉の仕込みって、これまで分業していたんだけど、配達のほうが多くなって、手が足りなくなってきて。雄太にも、少しずつ、任せていっているんだ。で、これからは、近場は雄太に回ってもらうつもりでいるから」

さりげなくとはいえ、その口から弟云々と聞かされ、生唾を飲みこみつつ、気取られないよう「いや、こちらが注文つけることじゃないし、雄太くんがよければ・・・」と返せば、菖くんが顔を上向かせた。なんだ?と視線を追って、振り仰ごうとしたら「だって、雄太!」と。

「ちょうど今、手が空いてんだから、先方に挨拶に行けよ!あ、木藤も、よければ、行ってくれない?初対面だと、雄太一人じゃあ、先方が怯むだろうし」

向けようとした顔を、一旦、とどめて、やおら見やったところ、いつの間にか、庭沿いの縁側に巨漢が佇んでいた。寺の掃除をするときなどに、お坊さんがするような格好で、頭にタオルを巻いているさまは、いぶし銀な職人らしいが、菖くんが変わらなければ、彼も同じく。

かつてのあだ名のまま、凶悪そうな顔つきをしつつ、幽霊のような静けさをまとう「鳴かないゴジラ」だった。


※  ※  ※


嶋田さんに、曰くありげな兄弟について語ったとき、一つだけ、誤りがあった。義兄との関係は噂になっていたとはいえ、弟のブラコンぶりを知っていたのは、多分、俺だけだったろう、との点について。

すくなくとも、噂になるほど、学校で兄弟は接触していなかった。俺がブラコンぶりを垣間見たのにしろ、クラスではなく、放課後の図書室でのこと。

必ず施錠をすることを約束に、鍵を預かった俺は、運動部が帰宅するくらいの時間まで、図書室に入り浸っていた。同じく、早く帰宅したくない事情があってか、菖くんも同じテーブルについて、漫画を読みふけっていたのだが、毎度、雄太くんが迎えにきたもので。

図書室の扉がすこし開くと、すぐに菖くんは立ち上がって「じゃあな」と挨拶する間もなく、小走りに向かった。そのまま隙間から、廊下にでていき、それを、ちらりと見てから、俺に小さく頭を下げてみせ、扉を閉めた弟。

中々どうして、礼儀正しい弟だったが、閉めきる直前、体の向きを変えながら、睨みを利かせて。「ゴジラ」のように、生まれつき強面なのだろうとはいえ、その一瞬、身の毛がよだったからに、見た目のせいだけではないのだろう。

毎日欠かさず、図書室に迎えにきたこと。居合わせる俺を睨んだこと。どういったブラコン的心情だったのか、具体的には知れないものの「兄の友人」と好意的に見なされなかったのは、たしか。

あれからもう、十年経ったが、ゴジラよろしく、得体の知れなさを覚える相手とあっては、肩を並べて歩くとなると、今でも肝が冷える。見送る菖くんが見えなくなり、さて、どうしたものか。

そりゃあ、気まずいとはいっても、旅館につくまで、だんまりするのも御免こうむりたく、とにかく間を埋めようと、口を開こうとしたら「すみません」と謝られた。の割には、前を向いたまま、むっつりとしていたし、唐突すぎる一言だったものを、なんとなく伝わって「ああ、いや、その」としどろもどろながら、応じる。

「俺、嫌われているかと思っていたから」

俺も前を向きつつ、こっそり横目に窺う。鳴かないゴジラは、むきになって誤魔化したり、声高に否定をせず、目を細めて物思いにふけるようにしてから「すいません」とまた呟いた。

「あのころは、変な目で見る連中が多かったので、つい。誰かれかまわず、睨みつけてしまって、木藤さん相手に限ったことではなかったんです」

十年前のこととはいえ、多少、誤解があったようと知れて、肩の荷が下りる思いがした。なんて一息つく暇をくれずに「まあ、たしかに」と足をとめ、俺のほうに向き、声を荒らげずとも、その巨躯でもって威圧感たっぷりに見下ろしてくる、鳴かないゴジラ。

「祭りの噂を耳にして、不審がっていましたが」

思春期をとっくに過ぎたとなれば、あからさまに威嚇はしてこない。ただ、逆光になって佇む巨体から、陽炎のような、禍々しいものがくゆっているかに見えて。抑えきれない敵意なのか、俺の錯覚なのか、なににしろ「祭り」と耳にして息を飲み、後ずさる。

不審がった理由を口にせず、ただただ見つめてくるのは、自ら弁解しろということなのか。暗い目で詰問されているようなのに、鼓動を早め、汗を噴きながら、心のどこかでは「ふざけるな」と苛立ってもいた。

俺が望んだわけではないと。むしろ菖くんを、俺は。

声にだして、抗弁するわけにいかず、代わりに奥歯を噛みしめたら、その音を聞き咎めたように、雄太くんがこめかみを引きつらせた。が、睨みつけ、責め立ててはこず、やや瞳をずらす。

俺の肩辺り、いや、その向こうに焦点を合わせているようなのに、首を傾げながら、振りむいた。瞬間、頭が真っ白になり、いっそ、そのまま意識を失いたくなったもので。

俺の背後、五歩ほど先には、長屋の町並みに見合う、着物と羽織をまとった男が、難しい顔をして腕を組み、立っていた。いつもは、遠目でも俺を見つければ「木藤くうん!」と着物が肌蹴るのもかまわず、内股で疾走してくるはずの、そう、嶋田さんだ。

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