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三
しおりを挟む蕎麦屋の向かいに、かまえるお茶の卸問屋は、明治からつづく老舗で、六代目が営んでいた。六代目が職人として手作業で加工し、できたてのその茶葉を奥さんが配達の手配をしたり、近場には自ら届けにいったり。
取引先は個人宅、個人経営店、茶道の関連機関などで、小売りに近い商売をしていることもあり、大学生の娘さんを含め、三人の家族経営でやっていたのが、ある日から、二人の若い男が加わることになった。それが今の七代目の兄弟だ。
兄弟は、六代目の妹の息子であり、甥っ子。六代目曰く、妹が再婚してからは、山奥の村に住むようになって、疎遠になったらしい。のが、妹家族の住む家が火事で、全焼。
家族全員、軽症で済み、身体的には事なきを得たものを、妹に頼まれ、兄弟を引き取ることになったという。蕎麦屋の女将曰く「妹さんの再婚相手が、市議会議員らしいですので、その関連で込み入ったことになったのかも」とのこと。
卸問屋兼住宅に甥っ子が同居するようになってから、兄弟が興味を持ってか、恩を返そうとしてか、商売を手伝うようになった。兄の菖は、叔母の配達を手助けしつつ、営業や経理について学び、弟の雄太は、六代目の叔父を師と仰ぎ、修行に勤しんだ。
で、娘さんが継ぐつもりがなかったのと「日本茶専門の喫茶店をしたい」と望み、それを両親がサポートすると決めたことで、兄弟に七代目を譲ることに。今は七代目の手がけたお茶を、先代一家が営む喫茶店でふるまっているという。
「娘さんが継ぐ予定がなかったというのなら、不幸中の幸いというか、甥っ子、しかも兄弟に卸問屋の看板を守ってもらうとなれば、万々歳ですし、なんとも叔父孝行な二人で、むしろ美談ではないですか。火事や、そのあとの経緯については、気にかかるとはいえ、デリケートなことですから、詮索するほうが野暮ってもんでしょう。べつに誤解されるようなことは・・・」
「・・・そうですね。たしかに、お話をすると『若いのに立派だ』と感心なさる人もいらっしゃいます。ただ、実際、お会いになったら、驚かれる方が多く・・・。お兄ちゃんの菖くんには、右頬に青痣、左頬に火傷の跡があるんです」
一通りお茶屋の事情を聞いて、拍子抜けしていたような嶋田さんは、でも、最後の一言に、頬をひきつらせた。俺に一瞥をくれつつ、顔色を変えずに「火傷というと、先立っての火事で?」とさりげなく問う。
「そのようで・・・。六代目に相談されたことがあるんです。顔の痣について、自分はなんとも思わないし、近所の人も理解してくれているとはいえ、大人になって社会にでたら、どうなるか、正直、心配だと。
今の医術なら、目立たないようにできますし、メスを入れない方法もあります。本人が望むなら、どんな方法でも、費用がかかろうと施してあげたいと思ったようですが、やっぱり遠慮があってか、菖くんは肯かなかったそうで。青痣のほうは、生まれつきらしく、これも母親が整形手術を受けるようすすめたものの、飲まなかったといいます」
「昔気質で義理堅い子のようだな」と苦笑すれば、すくめていた肩の力を抜いて、女将も笑った。先より、しゃちほこ張っていない調子で「弟の雄太くんは」とつつげる。
「年の割には顔つきが渋く、威厳のある風格をしてまして。背が高くて、体つきも堂々たるもので、たまに子供に泣かれるほど、一見、怖そうに思えます。
でも、寡黙でぶっきらぼうですが、町内会や近所で男手がいるときに、快く手を貸してくれたり、率先して力仕事をしてくれたりして、とても頼りになる子なんです。菖くんも、町内会議によく参加してくれますし、町で祭りとか、イベントをするときは、場を盛り上げてくれて、二人とも町のために尽力してくれています」
滞りなく語っていたのが、一呼吸置き、あらたまったように嶋田さんに向き合った。居合わせる俺が眼中にないのは、余裕がないからか、なにか察してなのか。ともあれ、睨むように凄んでみせたのも一瞬のことで「どうか」と浅く頭を下げる女将。
「新町とちがって、旧町の住人は高齢の方が占めて、跡継ぎがいないところも多いです。そんな昔ほど、活気がない町で、若い人が商売に励んでいるだけで、私たちは元気がもらえて、助かっています。こんな回りくどいことをして申し訳ないですけど、どうか、私たちが、あの子たちを大切にしたい思いを、汲んでいただければと」
※ ※ ※
「なんとも興をそそられる話だったな。今日は忙しくて、会えないというのが、残念だったが」
旨い蕎麦に舌包みを打ち、旅館にもどってきたのはいいとして「いい加減、浮世絵を」と切りだす間もなく、離れの書斎に引きずり込まれてしまい。分厚い座布団で胡坐をかき、畳に正座する俺を見下ろすようにしながら、問うてきたことには「で、近藤くん、なにか知っているんだろ?」と。
手洗いを済ませ個室にもどってから、挙動不審だったのは一目瞭然。あまりの不測の事態に遭遇したとなれば、隠しようがなかったとはいえ、こうして刑事よろしく尋問するに至るまで、嶋田さんが食いつくとは。
事情を聞かせるのに、まるで気乗りしなかったが、人質の浮世絵をちらつかせられては、どうしようもなく「女将さんが、いっていたでしょう」と自白をする。
「・・・六代目の妹が再婚してからは、山奥の村に住んでいたと。そこが俺の地元なんです。二人が転校してきたのは、俺が高校二年のとき。兄の菖くんは俺のクラスにきたんですよ」
「なるほどねえ。で、蕎麦屋の女将がいうには、今時、感心するような好青年のようだが、木藤くんから見た二人はどうだったんだ?とくに兄のほうは、生まれつきの痣を、頑なに隠そうとしないあたり、かなりの曲者のように思えるけど」
女将には慎重にアプローチして、細やかな心配りをしていたのが、なんとも野次馬根性丸だしで無遠慮だ。「プライバシー侵害ですよ」と楯突きたいところ、変に守りに入ろうとすれば「やはり、なにかあるのでは」とさらに好奇心を掻きたてられそう。いっそ、ある程度情報開示したほうがよかろうと「曲者なんて、柄じゃないですよ」と肩をすくめた。
「たしかに、痣があって、しかも端正な顔をしていたから、注目の的になりましたけど、なにせ、下ネタキングだったんで。『ちんこ』を連呼して笑う小学性並みに、あぴっろげで気さくだったから、男子とは馬鹿騒ぎしていましたし、女子とも『やだあ』って疎まれて、いい距離感でいましたよ」
「じゃあ、弟のほうは?」
「はじめは『ゴジラ』とか囁かれて、怖がれられていたようですけど、そのころから、すでに、ずば抜けて長身でしたからね。定員ぎりぎりでやっていた、弱小バレーボール部が『救世主が降臨した!』ってもてはやして、熱烈勧誘して。
で、バレーボール部に入ったことで、同じクラスの部員、ムードメーカーのそいつが、かなり、目をかけてやったんです。だから、割とすんなりクラスに馴染めたと、少しもしないうちに、クラスのマスコットキャラ的に『ゴジラ』『ゴジラ』と慕われるようになった、なんて聞きましたね」
我ながら上出来に、変哲ない学生時代の一コマとして物語れたものだが、そつがないなら、ないで、逆に引っかかるらしい。「なんだ、つまんないなあ」と目を細めつつ「あのときの木藤くんの目の泳ぎっぷりからして、それだけじゃあ、なさそうなのになあ」と喉から手がでるほど欲しい、封筒をひらひらとさせられる。
表情を変えないようにしながら、奥歯を噛みしめ、腕時計をちらりと見やる。タイムリミットは近く、これ以上、旅館で足止めを食らえば、印刷所に激怒され、出禁にされかねない。しかたないと、拳に力をこめ、でも、「ほら、なんていうか」と目を逸らす。
「あの年ごろって、顔に傷や跡があるのを、かっこよく思うこともあるじゃないですか。菖くんは顔が整っていたから、尚のこと、下ネタキングの裏の顔があるような、陰がある色気があるような感じがしたもんで、惹かれる学生が少なくなかった。ひそかに、熱狂的ファンがいたんですよ。女も男も。
でも、誰も下心を持って近づかなかった。義理の兄がしょっちゅう、菖くんに会いにきて、それを見たら、なんとなく、つけいる隙がないように思えたんでしょう」
「義理の兄?ってことは、再婚相手も連れ子だったというのか?」
「そうです。高校では、皆が知っている有名人でしたよ。市議会議員の息子だった上に、その肩書に見合う、品行方正で才色兼備な生徒会長だったもんで。見た目も抜け目なく、爽やかイケメンだったし。
その人が、用もなく菖くんに会いに、下級生のクラスに通うは、距離感おかしくて顔を接近させるは、やたらボディタッチをするはで、なにかと目を引くっていうんで、あらぬ噂が流れたんです。実際のところは、分からないですけど、義理の兄が菖くんを贔屓にしていたのは、たしかですね。だって、雄太くんのクラスには出没しなかったといいますから」
「なるほど・・・で、火事があって、兄弟二人が家族から切り離された。そりゃあ、想像力豊かにさせられるな」
はじめは口を重くしていたものを、語るにつれ、懐かしさに浸って「俺はどっちかっていうと・・・」と呟く。
「弟の雄太くんのほうが、目を光らせていたように思います」
すぐに我に返って「しまった」と思うも、「へー」と案外、嶋田さんの反応は塩。義理の兄との、一物ありそうな関係性のほうに、心奪われているらしい。
「重度のブラコンで、兄にたかりそうな悪い虫に睨みを利かせていたってか」
「あ、いや、まあ、うん、そ、そんな噂もちらほら、ありましたね。でも、義理の兄とのほうが、血のつながりもないし、二人並ぶと絵になるっていうんで、熱い視線を送られてましたよ」
しどろもどに誤魔化したものを、上の空の嶋田さんには聞こえていないようで、にわかに「いい!いいね!」と扇子で膝を叩いた。「こりゃ、いいデザインの発想ができそうだよ!木藤くん!」と俺の鼻先に扇子を突きつける。
「義理の兄との禁断の恋!加えての、いき過ぎたブラコン!いいね!背徳感ぷんぷんで、耽美的なイメージもあって、こりゃあ、そそられるね!」
落語の一人芝居のように剽げてはしゃぐのを、眉をひそめて見やれば「失礼だなあ、編集長」と「オーマイガー」とばかり、これまた大袈裟に首をふってみせる。
「これでも、雑誌お抱えの人気作家として、使命感を持って制作に励んでいるんだよ?浮世絵っていう目新しさにも、読者が慣れてきて、ただのエロじゃ、物足りなくなってきただろうな、とか考えるわけ。だから、そろそろ、変わり種にも手をつけようと思っていたところでさ。近親相姦とか、獣姦とか、異種姦とか、屍姦とか、輪姦とか」
エロ本の出版社の責任者ながら、おどろおどろしいエロ単語に怯んで「いやいやいやいや」としきりに手を振る。
「いや、だって、だってだって、うちの雑誌の傾向は、古き良きエロですよ?」
「それに先輩の許可が」とまくしたてようとしたのを「ばかばか!この勉強不足が!」と扇子で額を打たれる。
「古き良きエロに、前時代的なイメージを持つんじゃないよ!いっそ現代人がドン引きするほど、昔の人はエログロを究極まで追求していたし、歯止めがないように、斬新奇抜な発想をしていたんだからな!とくに西洋文化が入ってくるまでは、ほとんど規制なしに、町人文化が栄えたから、あけすけないエロパラダイスだったんだぞ!」
古き良きエロについて熱弁をふるったなら、額を撫でる俺に謝らないで「ただなあ」と自分の肩に扇子を置いた。
「俺自身、経験がないし、案外、性的な傾向はノーマルで、自慰するときも、さほど特殊な妄想をしないし、趣向を凝らさないで、作業的に扱くだけだからな。俺の腕をもってして、見てくれは十分な浮世絵をこしらえられても、こう魂がこめられないというか」
「エログロに魂をこめないでほしいなあ」とエロ本編集者にあるまじき感想を抱くと、口にしなかったはずが、聞き咎めたように、ぎょろりとした目を向けてくる。「そこでだ、木藤くん!」とまたまた芝居がかって、佳境になった話をする落語家のように「ばしし」と扇子で太ももを打った。
「曰くありげな兄弟について、想像を働かせると、インスピレーションが湧きあがってきそうなんだよね!美醜を兼ねた蠱惑的な兄、義理の兄との妖しい疑惑、異常に嫉妬する巨漢にして巨根そうな弟、そして、三人の暗い情熱が入り乱れたような火事・・・。こう断片的に物語る単語だけでも、ぐっとはくるものの、詳細が知れたら、もっと、ぐわっとくると思うんだが!」
単なる下世話な物見高さなのではないか。擬音語で喚かれても、やかましいだけで、心に刺さらないんだが。とツッコみたいなれど、否応なく察しられて「まさか・・・」と声を震わせる。
「二人と親しくなって、事情を探ってこいっていうんですか?」
先日、十年ぶりに菖くんと再会したとはいえ、忙しそうだったので、挨拶をしてすぐに別れ、連絡先を交換しなければ、日を改めて会う約束もしなかった。元より、もう顔を合わせるつもりはなかったし。
俺が旧町に足を運ばない以上、情報皆無の菖くんは俺を探しようがない(蕎麦屋で嶋田さんは名乗らず、旅館の紹介もしなかったので)。と高を括っていたのが、締め切り破り常連やくざにして、とんでも厄介迷惑伏兵にけしかけられようとは。
「もし、参考にならなかったとしても、木藤くんの働きには報いるから!毎月、プレゼント用の浮世絵十枚、提供してもいいぞ!」
人に頼み事をしているくせに、殿様気分でふんぞり返り「苦しゅうない」とばかり高笑いをしている。「人の足元を見やがって」と歯ぎしりするも、残念ながら、自転車操業の万年赤字出版社に対抗手段はなく「分かりました・・・」と呻く。
「毎月、浮世絵プレゼント」に釣られたというより、目の前をひらひらする封筒を今すぐにでも渡してもらわないことには「印刷所の機械で俺がプレスされる」と思いつめてのこと。プレゼント用の浮世絵提供にしろ、交換条件ではなく、恩着せがましいもので、どうせ、また締め切り日に人質にして、人質の数が増えた分を上乗せし、わがままを大盤振る舞いするつもりに違いない。
後に禍根を残すような、悪魔の取引と分かりつつ、とにかく今は封筒が最優先。封筒さえ手中にできれば、あとは「そんなこと、ありましたっけ?」とすっとぼけて、約束を反故するとか、いくらでも手の打ちようはあると思い直し、やっと差しだされた封筒に手を伸ばした。
が、指先が触れそうになったところで、封筒が空気を切った。我ながら、思ったより気がはやっていたようで、手が空振りしたのに、上体を倒して畳に手をついてしまう。
すかさず、顔を上げれば、いい年こいて餓鬼のような悪戯をしかけ、ご満悦そうににんまりとしている嶋田さん。上等な着物と羽織をまとっているのが、殿様というより、悪代官のようで、憎たらしいほど、さまになっていたものだ。
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