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一
しおりを挟む校了の期限が迫り、多忙を極めているとき、若い編集者から「木藤さーん、」と呼びかけられた。校了前のトラブルに慌てていないのは、慣れっこだから。
俺が着信拒否しても、無駄か。と、ため息を吐き「電話、こっち回して」と返す。受話器を取ったところで、相手に挨拶もさせず「お願いですから」と切りだし、一息に告げた。
「毎回、そうですけど、今回はベテランさんが一人、入院してしまって、いよいよ、お手上げなんです。すこしでも外にでる時間が惜しいんで、お手数ですが、浮世絵の作品を郵送してくれませんか?いくらでも、料金、かかっていいんで」
聞こえよがしに、ため息を吐いてみせたものを「えーだめだよー」と子供が駄々をこねるように、突っぱねられて。いや、まるで子供らしからず、低く掠れた声だが。
「代表が、そんな疲れた声をしてちゃあ、士気が下がって、校了も乗りきれないよ。俺の旅館きな?ふかふあの布団で全身マッサージして、リフレッシュさせてやるから。なんなら、一発、ぬ」
皆まで告げさせず、受話器を叩きつける。先の編集者が気の毒そうに見てきたので「ごめん、できるだけ、早くもどるから」と笑いかけ、椅子にかけた背広を取って、編集部を後にした。
※ ※ ※
二十八の若さで俺が代表を務めるのは、こじんまりした出版社。出版社とは名ばかりに、知名度も発行部数も自費出版規模の、お粗末なもので、しかも、手がけているのは「摩訶クラブ」というエロ本だ。
もちろん、書店に並べていないし、ネット販売もしていなく、電話による通信販売しかしていないという。いかがわしそうな商売に加担するに至ったのには、こんがらがった事情がある。
大学卒業後は、一端の会社に就職。が、上司のパワハラプラス、病的なストーカーぶり(家にいても三十分置きに電話をして説教をするなど)に耐えきれずに、就職して三ヵ月でぶっ倒れて、泣く泣く退場をした。
山深い村にある実家に、なにがなんでも、帰りたくなかった俺は、会社を辞めたことを、親に告げないまま、早く転職先を探そうとして。とはいえ、たった三ヶ月、されど三ヶ月、人生で初めて、中年の同性にストーカー的いやがらせを受けたとなれば、そりゃあ、人間不信になるというもの。
転職活動がままならず、預金残高は減るばかりで、それでも「実家に帰るくらいなら死にたい」と頑なになって、思いつめていたところ、声をかけてくれたのが、大学の文芸クラブの先輩、松山さんだった。
大学卒業後も連絡をし合っており、といって、会社の件は明かしていなかったものを、電話越しに、勘付かれたらしい。久しぶりに、対面したところで「俺、ひそかに会社を作ろうと思っててさ」と切りだされた。
松山先輩は学生のころ、ITの会社を興し、いけいけどんどんに事業を拡大させた結果、今や、高額納税者のリストに名を連ねる大物だ。誰もが羨み憧れる、成功者のように見えるとはいえ、真に遂げたいことは、別にあるという。それが、そう、エロ本の制作と出版。
大学時代の松山さんは、理工学部で最先端のネット技術を学びながらも、唯一の理系の学生として、文芸クラブに所属。江戸から昭和初期の時代設定の小説ばかり書いていたからに、案外、趣味は最先端の逆をいって、渋かった。
当時から、懐古趣味なのは知れてたとはいえ、大学卒業後に再会したなら「昔のエロは最高だったんだよ!」と熱弁されたもので。とくに、そちら方面の造詣が深く、今の世にあってこそ「綺譚クラブを復活させるべき!」との野望を抱いていたらしい。
「綺譚クラブ」とは昭和の初期から後期まで出版された、紳士が密かに嗜むようなエロ本。SMや緊縛、フェチなど趣味嗜好が偏ったエロを題材に、小説、絵画、写真の作品を掲載し、また、匿名で同じ趣味の人同士、交流ができる場を、紙面に設けていたとか。
異端なエロ雑誌は、他にもあっただろうけど、「綺譚クラブ」は発禁を経ながらも、いまだに知名度が高い。なにせ、カストリ雑誌(当時の低俗な雑誌)レベルではない、芸術的な作品が紙面を飾っていたものだから。作品が良質だったのは、世間に知られる、名高い作家が、別のペンネームで投稿していたためらしく、そういった曰くつきなあたりも、興味をそそられるらしい。
「今の時代だからこそ、こそこそとエロを楽しむべきだ!」と力説する松山さんによれば、無修正のリアリティー溢れる動画を、クリック一つで見られる、今のエロは情緒がなく、萎えるという。だから、世間や人の目を盗んで、秘密の蜜を味わう、禁断書のような雑誌を、発行したいと。こそこそとするからには、利益を追求できないので、採算度外視上等に。
その野望を遂げるため、IT会社の経営に励んで、稼ぐだけ稼き、目標金額に達したら、会社を人に任せて、自分は引っこむつもりだった。が、気がつけば、日本の経済界を代表する一人になって、次世代を牽引する若手の星、カリスマ社長と祭り上げられてしまい。「俺も松山さんみたいな成功者になりたい!」と学生の曇りなき眼を向けられては、カリスマ社長にあるまじき、趣味に突っ走ることはできず。
「まあ、でも、諦めきれなかったから、こっそり出版社を作ろうと思ってな。つっても、俺は直接、会社に関われないから、人に任せなきゃいけなくて、となると、ばれないようにするためにも、よほど信頼できる奴じゃなきゃいかんだろ?それが、中々、見つからなくて。
だから、お前は大変だったろうとはいえ、会社を辞めたと聞いて、ラッキーって胸、躍らせちゃったよ。文芸クラブでは、評論をしていたから、本に詳しいし、手作りで製本するのも、自費出版するのも、経験済みで、基本がなっている。その上で、口が固くて真面目と、人格も申し分ない」
「といって、強制はしないよ」と気遣ってくれたとはいえ、俺にしろ、不幸中の幸いで、ありがたすぎる誘いだった。正直、出版関連に就職したかったのだ(実家に帰りたくないとの目的を最優先に、選り好みせず就職した、前の会社では営業職だった)。
松山さんの裏の趣味の延長線上だろうと、手がけるのがエロ本だろうと、かまわなかったし、エロに関することなら、俺には向いているとも思えた。逆にエロにこだわりがなく、健全な男より、助平ではないから。
というわけで、三ヶ月で会社を辞めてから、心機一転、小さい会社とはいえ、その代表に就くことになった。といって、大学で自費出版した経験があるだけでは、心許なさ過ぎるので、先輩のつてで、出版会社に研修をしにいき、一年間、基本を叩きこんだのを経て、本格始動へ。
定年になった出版業界のベテラン三人と、新規に雇った若者三人、少数精鋭で月刊誌「摩訶クラブ(「摩訶不思議」の意味合いと「マラ」の響きに似せてのタイトル)」の原稿調達、編集、出版、経理、事務、すべてをこなしている。裏代表の松山さんの理想、「こっそり出版し、こそこそ読んでもらうエロ雑誌」にするべく、宣伝をせず、口コミで隠れマニアの間で広まるような、販売の仕方をしているから、そりゃあ、毎月、赤字。
赤字分は、松山さんの本業の売上げから、適当な口実をつけ、補填するとのこと。「売上げを気にせず、綺譚クラブの後継として、恥じぬエロ本制作に邁進せよ!」と仰せつかっている。
赤字上等に仕事に励むのも、いかがなものと思うが、割と売上げは悪くない。松山さんのように、あけっぴろげな現代のエロの飽食ぶりに、却って興ざめして、勃たない人が少なくないのだろうか。
「摩訶クラブ」では、もちろん、鮮明な写真も動画も扱わない。写真を載せるにしろ、必ずフィルムで撮ったもの。あえて白黒に撮ったのに、手作業の加工を施すなど、昔の手法に習った作風にするのだとか。他にも、日本画や時代小説、エロに関する、昔の文化や風潮を研究した論文もある(本家の綺譚クラブと違い、題材は比較的ノーマル)。
雑誌お抱えの作家や評論家は、全員、先輩の推薦による。古風なエロを愛好する、裏のつながりがあり、そこで知り合った人や、独自のルートで見いだした逸材という。
彼らは、サラリーマンや自営業、公務員など、本業をこなしつつ、人目を忍んで活動をしている。松山さんのように、事情があり、表立って活動ができないので、口が固いし、雑誌作りに協力的だ。
日中は会社、役所、お店で、こつこつ働いている彼らは、作家ながら、社会人としても弁えている。電話やメールなどの連絡に、大抵、三十分以内に応じてくれるし、腑に落ちない点や疑問点があれば、これまた、すぐに呼びかけてくれ、面倒臭がらず、話し合いを重ねてくれるなど、「ほうれんそう」に忠実で、その上で、制作に励んでくれるものだから、ほとんどが締め切りを守ってくれた。
ほとんど。そう、一人を除いては。
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