ダーマの休日

ルルオカ

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ダーマの休日

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一番に目に入ったのは密集した花。

鉢に植えられたそれを持っているのは、長い黒髪に小麦色の肌をした現地の人間だろう。

目深に帽子を被っているので、顔は見えないとはいえ、明らかに若そうで、花のイラストが描かれたエプロンをつけているあたり、無難に花屋といったところか。

ドアが開いたのに気づいて、相手が密集した花から瞳を覗かせたのに、どきりとする。
現地の人はアジア系だから、日本人に似て瞳は黒か茶のはずなのに、透き通った緑をしていた。

ハーフか?と思っているうちに、彼は母国語で話しかけてきて、さて、スマホの翻訳アプリを使うか、フロントに電話をするかと悩んだものの、試しに「なんの用ですか?」と英語で話しかけてみる。

キマシアは、昔、英語圏の国の植民地だったことから、今も日常的に英語が使われているらしい。

そういった基本的な情報は頭に入っていたし、英語で話すのにしろ、実家で海外と取引するときに通訳をしていたから、慣れたものだった。

果たして、言葉は通じたらしく、彼は緑の瞳をぱちくりとさせつつ「お花をお届けするように言われてきました」と流暢な英語で返してきた。

「え?いや、俺は頼んだ覚えは」と言いかけて、伝票のようなものを差しだされる。
伝票は母国語で書かれていたから読めなかったけど、「305」と俺の部屋の番号があるのは確かめられた。

ということは、彼は部屋の番号を間違えたわけではないらしい。

伝票の書き間違いか、注文の手違いなのではないかと伝えるも、彼は首を傾げるだけで「詳しいことは分かりません」「とにかく受け取ってください」と花を押しつけてくる。

友人知人もいない、これまで一度も訪問したことがない国で、花を贈られるような心当たりはない。
もし、あるとすれば、贈ってきた相手の、僕のあずかり知らない且つ、良からぬ思惑だろう。

それにしたって、なりたてほやほやで、右も左も分からない新人国会議員に工作のようなことをしても、意味がないだろうにと思いつつ、何にしろ、覚えがなく贈り主も不明なんてものは、受け取る気になれなかった。

だから「代金分を支払うから、持って帰ってくれないか」と言ったけど「親方が厳しくて、持って帰るなんてとんでもないし、途中で捨てのが、ばれでもしたら」とか細い声で言い、肩を震わせる始末。

こうしている間にも、ただでさえ短い睡眠可能時間が削られていく。
そのことに耐えられず、ついに折れた俺は、すぐにフロントに持っていって、ひそかに処分してもらおうと考え「分かったよ」とチェーンを外した。

両手で受け取ろうとしたら伝票とペンを差しだされ、指差すところにサインをすると、俺の脇をすり抜けて、彼が部屋に滑りこんだ。

伝票を落として「え?あ?」と慌てて追いかけるも間に合わす「ここにお花、飾っておきますね」と彼はテーブルの上に鉢を置こうとした。
が、途中でコップに当たり、倒れたそれが水を散らして床に落ちてしまう。

「わあ!ごめんなさい!」と鉢を叩きつけるようにテーブルに置いてから、コップを拾おうとしたのを、とにかく早く帰ってほしくて「いや、いいから」と俺も屈んで制止しようとした。

なんとか先にコップを奪ったものの、勢いあまって額をぶつけ「ごめ」と顔を上げたそのとき。
気がつけば、口づけされていた。

かるく触れただけで、今度は口を薄く開いて迫ってきたものだから、咄嗟に上体をそらして、尻もちをつく。

間抜けにコップを持ったまま、足を広げて座っていたら、四つん這いの彼は黒い前髪の間から緑の瞳をしばし、まっすぐ向けてきて「あれ?」と首を傾げた。

「タカハシサンは、こっちの人って聞いてたけど、違うの」と言われて、あらためて聞かれると、何故か即答できない。

いや、問題はそこでなく、その聞き方だ。
これは、まさか、世にいう。

「ハニートラップ?」とつい心の声を漏らせば「ピンポーン」と無邪気に緑の瞳を輝かせて、彼は立ち上がった。

ピンポーンと言うからに自分が工作員と自白したようなものだ。
のに、逃げるでなく罰が悪そうでもなく、ベッドに腰をかけて足を組み、いたずらっぽい目をしてこちらを見下ろしてくる。

幸い、未遂に終わったとはいえ、どう対応すればいいのか分からなかった。
外国に行った国会議員がハニートラップにかかったという話は週刊誌で読んだことがある。

けど、そういう黒い噂というものが夢物語と思えるほど、すくなくとも俺の議員生活は忙しさで枯れきっていて、実につまらないものだ。

まったく縁がなかったこともあり、黒い噂なんて大袈裟に騒がれつつ、実際は大したことがないのだろうと高をくくっていたから、いざ、そういった事態に直面しても、現実味が湧かない。

そもそもが、ひよっこのパシリの議員にしかける必要があるとは思えないし、同性からアプローチされる場合もあるなんて聞いていない。

いや、キマシア、とくに首都ダーマには同性愛者が多いのは知っているけど、それにしたって・・・・。

「でも、おかしいなあ。
事前情報では、タカハシサンは『ブレザーでお帰りなさい!』っていうお店に通っているって、なっていたのに」

ちらの股間を見ながら言われて、すかさず内股になり「あ!」と声をあげた。
その店には覚えがあったのだ。

議員の同期で年が近い、高梨という似た名前の奴が、ある日「ごめん!」と謝ってきてのこと。

なんでも、ブレザーを着た若い男性が接客をしてくれるお店で、ブレザーの一人に「議員さんじゃないの?」と言われたらしい。

高梨は私服でまったくのプライベートで来店していたし、店にしろ違法性はなかったとはいえ、つい慌てて「お、俺は高橋っていうんだよ」と応えてしまったと。

そのあとは話を有耶無耶にして、聞いてきたほうも興味を失くしたらしいけど、マスコミが嗅ぎつける可能性があるかもしれない。
ということで、俺に先に謝ってきたわけだ。

もし報じられることがあれば、すぐに弁解をすると約束してくれたものの、急にカミングアウトされた上に、同期として仲間意識があり頼もしくも思っていた相手のショタコン趣味を、唐突に聞かされた、俺の身にもなってほしいというもので。

その経緯をかいつまんで話したら「ああ、タカナシサンなら、今頃、そういう店でお楽しみだろうねえ」と彼は緑の瞳を細めて、にやりとした。
その表情から察するに、高梨もハニートラップをしかけられているのだろう。

電話して知らせるべきかと、スマホをちらりと見たものの、今更に店で名前を言われたことに腹が立って、それに手を伸ばさないで、ベッドに座る彼と向き直った。

あらためて見れば、ハニートラップに遣わされただけあって、緑の瞳をはじめ、肩にかかる黒髪も顔つきも小麦色の肌も若々しく美しく、大きすぎず小さすぎず均整の取れた体つき。
ブレザーを着たら似合いそうなあたり、なるほど、高梨の傾向対策はばっちり。

が、俺にはそんな特殊な趣味はないし、性愛の対象も多分、女性だ。

というのは、俺の股間を見て彼も分かっているだろうに、ベッドに座ったまま、帰ってくれない。
愉快そうに眺めてくるだけで、どうも、値踏みされているような気がして、やや悪寒がする。

まさか、無理に持ちこむ気かと、思わず両手で肩を抱いて後ずさったら、彼は噴き出して「大丈夫、失敗しても、報酬に変わりはないから」と安心させるように笑いかけてくる。

ほっとしたのもつかの間「ただ」と緑の瞳を鋭く光らせた。

「成果を挙げられないで、ハニートラップだってことがタカハシサンにばれたとなれば、報酬がもらえないどころか、お仕置きされるかもね」

だったら、ハニートラップと自ら打ち明けなければよかったのに。
と思ったものの、彼が何も言わず逃げたら逃げたで、おそらく俺は他の議員に相談していただろうから、結局、ハニートラップと発覚しただろう。

俺がそうする可能性があったから、確実に口止めするめに残ったということか。

俺の顔色を見て察したのか「物分かりがよくて、助かるよ」と彼は足を組み替えた。

「それだけ物分かりが良くて、優しいという日本人なら、僕がひどい目にあうと分かっていて、チクったりはしないでしょ?

タカハシサンは頭が良さそうだから、分かってくれると思うけど、キマシアはすこし前まで独裁的で危うい国だった。

前の政権は倒れたといっても、野蛮で卑劣な政治のやり方は、そんなに変わっていない。
こうしてハニートラップもするし、失敗した人間を消すのも躊躇わない」

流暢に難しい英語の単語を口にするのに、だたの仕掛け人ではないのかと、違和感を持つ。

たしかに彼の言う通り、俺はハニートラップされたことを党や他の議員に報告するつもりがなかったけど、彼の正体は気になった。

別に思惑があるのではないか。
それとも、今時のハニートラップの仕掛け人は性的魅力があるだけでなく、教養もあるのか。

考え込んでいたら「じゃ、ま、分かってくれたようだから」と彼は立ち上がって、やっと帰ってくれるかと思いきや、背を屈めて俺に手を差し伸べてきた。

「まだ戻るまで時間があるし、デートをしよう!」




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