俺のパンツが消えた

ルルオカ

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俺のパンツが跳んだ

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パンツが跳んだ。

中学校初めてのプール授業でのことだ。

中学校には水泳部がなかったし、クラスにスイミングクラブの仲間もいなかった。

といって、学校生活に支障はなかったのだが、水泳中心の日々を送る俺と、オリンピックや世界大会のときくらいしか意識しない生徒と、思った以上に感覚のずれがあったらしい。

スイミングクラブの仲間が多くいた小学校のようには、いかないこと。
思春期に差しかかったお年頃相手には、注意すべきこと。

水泳馬鹿で世間知らずな俺は、すっかり失念していた。

授業中、「飛び魚だ!」「水面を滑っているようだ!」と囃したてられたのも、裏目にでてしまったようで。

そのときの興奮が冷めやらないように、男子らに注目されつつ、更衣室で着替えようとし、パンツを手に取ったら、「あれ?お前、名前書いてあるの?」と隣にいた奴に聞かれた。

幼いころから、スイミングクラブに通っている俺にすれば、名前が書かれたパンツは、珍しいものではない。

よく周りで見かけたし、俺のパンツとて、いちいち、取りざたされて、騒がれることはなかった。

パンツに穴が空いていても、笑いの種にされなかったほど、水泳選手にとってパンツ事情は、さほどデリケートなことではない。
との感覚に慣れていた俺は、「まあな」と応じただけで、説明を怠ってしまった。

弟とパンツが被っている事情を明かしたら、すこしは展開が違っただろうか。

まあ、箸がころがっても笑うお年頃だから、避けようがなかっただろうが、「まあな」と取り澄ましたように見えたのは、まずかったかもしれない。

「なに、パンツに名前、書いてあんのか?」と他所から声があがって「おーまじまじ」と隣のそいつは笑いながら、パンツを奪って、放り投げた。
「は?」と水着を脱いで、すっぽんぽんになっていた俺は、すぐに身動きできず。

腰にタオルを巻いているうちにも、「わーまじだよ!」「小学生かっつうの!(三ヶ月前まで小学生だっただろ)」とパンツは宙を舞って、取り返そうとしたところで、からかうように、げらげらと投げあいをされた。

今から思えば、俺のパンツはころのころから、ろくな目に遭っていなかった。

「はー、なるほど。
なんとなーく噂に聞いてたけど、そういうことだったのか」

今は高校の強豪水泳部、その更衣室で着替えようとしている。

隣には友人の太田がいて、タオルで一通り上半身を拭き、一息吐いた。

部活が終わって、「そういえば、お前、中学のころも、パンツのことでなんか、なかったか?」とシャワーを浴びる前に、聞いてきたのが太田だ。

前置きがない、唐突な質問だったが、つい先日、俺のパンツ消失事件があったから、パンツつながりで、ふと、そのことを思い起こしたのだろう。

パンツ消失事件が、名門水泳部の汚名になるからと、内密にされたように、中学のパンツ空中交錯事件も、他言無用とされた。「い

つまで、だらだら着替えているんだ!」と体育教師が怒鳴りこんでくれたおかげだ。

「(キング)コング」があだ名の体育教師は、見た目はいかめしいながら、割と気が利く人だった。

部屋に入って、すかさず状況を飲みこみ、パンツを奪いとって、俺に返したなら、更衣室内の男子に宣告した。

「もし、ここでのことを外に漏らしたら、全員にプールの授業の単位はやらないからな」と。

頭ごなしに叱っても、「更衣室でパンツが跳んだ」なんて、元々が噴飯ものなのだから、余興にしかならない。
と、分かっていて、コングはあえて説教をせず、教師の権力をふるって、首根っこをおさえたわけだ。

脅しが効いて、「更衣室でパンツが跳んだ」と周知されなかったものを、「コングがパンツのことで緘口令を敷いた」と謎めいた噂が広まって、それを太田が耳にしたのだろう。

高校になって、パンツ消失事件があり、もしかしたら、中学のパンツの噂も、俺に関してではないかと、勘付いたらしい。

残念ながら、正解だったが、水泳歴が長い太田と水泳部員が今更、パンツが跳んだくらいで、笑いはしないだろうと、洗いざらい打ちあけた。

実際、周りは「へー、水泳してない奴は、いちいちパンツで騒ぐんだな」と興味深そうに聞きつつ、茶化したり、冷やかしたりしてこない。
だったはずが。

「でも、俺らは騒いだことがないからこそ、パンツが跳ぶのを見てみたい気もするな」

その一言に「はい?」と不穏さを覚えた間もなく、ちょうど開けたロッカーに、太田が手を突っこんできて、パンツを掻っ攫った。

すぐさま奪い返そうとした、俺の手は空振りして「ほれ!」とパンツが宙を舞う。
悪夢の再来だ。

「やっべ!これ楽しいな!」「尚樹!ほれほれこっち!」とパンツが投げられるたび、受け手につめ寄るも、水泳部の平均身長に満たないこともあって、掲げる手に届かず。

「ほーらほーら」と弄ばれて、また投げられる。
こんなときに限って、「石頭」があだ名の部長や、止めてくれそうな部員がいない。

幼いころから、共に水泳で名を馳せていた、顔見知りばかりとあって、こういうとき馴れ合いが過ぎるのは、いただけない。

こうなったら、渾身に股間を蹴って、全員の頭を冷やすしかないかと、思いかけたとき、「あ!やべ!」と受けとろうとした手から、パンツが逸れて、場外ホームランになった。

パンツが跳んでいったのは、人気がない、シャワー室とつながった出入り口で、「これで奪取できる」と走っていった。
ところで、ちょうど出入り口に、ぬっと巨体が露になり。

身長百九十前後のナイスバディ野郎ながら、ミカケダオシカナヅチの異名を持ち、本名がまたギャップのある小山だ。

小柄でつるぺたな俺の、はるか頭上に顔があって、場外ホームランのパンツがそこに、張りついた。

コントのような奇跡が起こったのに、更衣室では笑いが起きかけたものを、水分を吸ったパンツを顔に張りつかせたまま、巨体が身動きせず、一言も発しないので、笑いは尻すぼみになり、ざわざわとしだす。

俺とて、パンツが張りつく顔を目の前にして、手を伸ばすことも、「パンツ返せ!」と訴えることもしないで、突っ立っていた。

間抜けにパンツを顔に張りつかせながらも、全身から怒気を滲ませているように見えたからだ。

いや、怒りたいのは俺のほうだが、顔が見えないから尚更か、進撃のなんたらのような、おどろおどろしい雰囲気を醸している。

部員らも怒気を嗅ぎとったらしく、水泳部の監督に対するより、縮み上がって、「進撃のパンツ(を顔に張りつかせた小山)」が腕を上げたときは、息を飲んだようだった。

が、剥がれたパンツから、顔を覗かせた小山は、いつも通り無愛想だったし、「結構、濡れたが、大丈夫か」と俺に差しだしてきたのも、至って紳士的で。

「だ、大丈夫。一応、替え、持ってきているから」と返せば「そうか」と肯いただけで、部員らが、尚、固唾を飲んで見守る中、自分のロッカーの元にいった。

扉を開けて、しばし、ごそごそしてから、魚肉ソーセージをくわえて、顔をあげる。

辺りを見回し「あうい、やまいあら(悪い、邪魔したな)」と魚肉ソーセージをくわえて、咀嚼しながら、更衣室からでていった。

「もぐもぐタイムか」と俺を含めた部員らは安堵の息を吐きつつも、狐につままれたように、しばらく呆けていた。

叱りつけたり、諌めたり、されたわけでないものの、どこか部員らは意気消沈として、もうパンツでからかってこなかったし、改めて、謝ってもこずに、そそくさと帰り支度をした。

謝ってこられても、気まずかったから、有耶無耶にしてくれて、却って助かったが、進撃のパンツの無反応ぶりも却って、気になり、この一件については尾を引いたもので。




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