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⑪
しおりを挟む体育で長距離走をしているときに、肘鉄を食らった。
一瞬、藤子の件の腹いせかと思ったが、踏ん張って堪えた俺の傍で、肘鉄を食らわしたほうが、倒れこみ、四つん這いになった。
呼吸困難になって、青ざめていたからに、体力が底をついてか、体調が悪くてか、へたりこんだらしい。
「朝食を抜くからだぞ!」と叱られつつ、セリーの栄養補助食を与えられた相手は、教師にボードで煽られながら、木陰で休み、なんだかんだ、いたせりつくせり。
「お前は、一応、保健室で診てもらえ」と邪険にするように、俺のほうこそ追い立てられた。
打撲した脇腹に痛みや違和感はなく、腫れたり、内出血もしていなかったとはいえ、傍にいると、相手が気兼ねするようだったので、しかたなく、保健室へと向かった。
扉を前にして、ノックをし「先生、体育でぶつけたのを、見てほしいんですが」と声をかけたが、無反応。
手洗いか何かで、席を立っているのか?と「せんせー?」と扉を開けたところで、やはり見当たらず、主不在の保健室に踏みこんでいいものかと、迷っていたら、ベッドの仕切りのカーテンが開いた。
不意をつかれたせいもあって、「あ」と口にしたきり、声を失った。
朝から「帰るときどうしよう」と考えていたとはいえ、まさか、部活前に小山と遭遇するとは、思ってみなかったから。
あらためて、顔を合わせて、「藤子の件を知っているのか?」「どう思っているのか?」と気になったが、小山のほうが先に「どうした」と口を切った。
寝起きだからか、深く眉間に皺を刻んで、物言いにも棘がある。
睡眠を妨げた以外、機嫌を損ねるようなことをした覚えはなかったものの、なんとなく決まりが悪くて、「いや、その」と目を伏せた。
「走っていたときに、肘鉄を食らって」
勢いよく布団をのける音がしたのに、「いや、相手がばてて、ふらふらして、ぶつかっただけで、わざとではないし!」とつい、弁明をしてしまう。
どうして、こうも慌てふためくのか、我ながら分からなかったが、実際、小山が血相を変えていたからに、すかさず宥めにかかって正解だったのだろう。
先の一言で、かっとなったらしい小山は、深く息をついてから、「見せてみろ」と顎をしゃくり、ベッドの傍にあった、キャスター付きの丸椅子を滑らせた。
保険医用の、背もたれがある椅子を蹴って、空いたそのスペースに、丸椅子を据えて座ったなら、向かいの丸椅子を手で叩いてみせる。
眉間の皺を浅くしたとはいえ、口をへの字にしているあたり、まだご機嫌斜めでいるらしい。
触らぬ神に祟りなしとばかり、どうにも、関わると、ろくなことがないように直感したし、そもそも「先生は?」とその所在が知れなければ、敷居を跨ぐのが躊躇われる。
「骨折した奴が、さっき運ばれてきてな。
親がこれないってんで、先生が代わりに、病院に連れて行った。
ついさっき、でていったばかりだ」
「しばらくは、戻ってこないぞ」とまた、丸椅子を叩く。
こちらの怪我の具合が気になって、焦れているのか。理由が何にしろ、やや苛立っているような小山に、藤子の件を口にしないほうはよさそうだった。
ただ、小山のほうから、聞いてくるかもしれない。
と、考えたら、尚更、二人きりになりたくなく、いっそ逃げだしたかったものを、「見せろ」とねばる小山、短距離走の学年トップタイム様に、早々御用になるだろう。
いや、悪いことをしたわけでなし。
何も逃げなくてもと、思い直し、「湿布をだすから、貼ってくれるか?」と室内に踏み入る。
聞き分けよく、こくこくと肯いた小山は、腹の虫の居所が悪くても、俺を目の仇にしているわけではないらしい。
湿布の貼り方を教えて、シャツをめくれば、「すこし、青痣になってけど、大したことなさそうだな」とほっとしたように告げ、慎重な手つきで処置をしてくれた。
だけ、ではなく「両方の腕の裏にも痣のようなものがある」と教えてくれ「見せてくれ」というのに従い、手を背中に回した。
はじめは、二の腕をかるく揉んで「うーん」と唸ってたものを、「どう?」には応えてくれず、一旦、放れる。
腕も処置をしてくれるのかと思いきや、布擦れの音がして、腕ではなく両手首を掴まれた。
「ん?」と振り返る前に、手首をまとめて縛られて。
「な!?」と見上げれば、ネクタイを外し、襟元をはだけた小山が、むっつりとしていた。
いやいやいや、せめて「なんてな」と笑ってくれよ!との心の叫びも虚しく、後ろから太く長い腕に抱かれて、「どっこら」と持ち上げられる。
易々と足が浮いてしまう、大人と子供のような体格差が、今はとくに恨めしい。
からかったり、遊んでいるのではないから、尚のことだ。
足をばたつかせても、筋肉馬鹿のカナヅチには、屁でもないようで、体を反転させたなら、ベッドに歩み寄った。
そのまま倒れこむようにして、ベッドに俺を押しつける。
百九十の厚みのある肉体にプレスされて、圧死しそうになり、加えて「なぜにベッド!?」と心理的にも打ち砕かれて、声もだせず、身を固めた。
つぶれた蛙よろしく、放心しているうちに、仰向けられて、小山の名にふさわしくない、エベレスト級の巨体に覆いかぶさられた。
小山相手で、俺が対象だと、男子同士のじゃれあいではなく、大人が子供を押し倒しているような、犯罪臭がする。
まさに、パンツを消して頭に被る小山は、変質者じみていたから、迫られては笑えるはずがなく、「なにすんだよ!」と悲鳴を上げるように、訴えた。
と同時に、足を蹴り上げ、金的を狙ったのが、あっさりと脛を掴まれた。
もう片方の足には、乗っかって体重をかけられ、さらに身動きがとれなくなる。
いよいよやばいと、わななく人の気も知らないで、目を細めた小山は、ため息を吐いた。
「ホテルに入っておいて、今更?」と鬱陶しがるようなそぶりで、告げる。
「お前の筋肉がどうなっているか、知りたいだけだ。
参考にして、筋肉改造をしてみたいし」
「だ、だったら、そう口で頼めばいいだろ!
これじゃあ、まるで!」
「前に、股間を掴んだから、了承を得られないと思って」
「了承なしに、押し倒すほうが問題だろ!」と返したかったものを、シャツをめくられ、腹に手を置かれて、息を飲む。
息を乱したり、声を漏らしたら、もっと、らしくなりそうだから、抗議するのを諦め、腹に力をこめて、ひたすら唇を噛んだ。
マウントをとる小山の顔を直視できずに、顔を背けて、身構えたのだが、医師が触診するような手つきからして、「参考にしたい」と口にした通り、下心はないらしい。
いやいや、それにしたって、筋肉チェックをしたいがために、保健室でなんとやらと、アダルトビデオまがいな展開に持っていくとは、下心がないほうが、正気でないだろう。
「本当、見た目どおり、筋肉ががっつり、ついているわけじゃないんだな。
なんなら、女子みたいだ」
経験豊富さが窺える一言に、引っかかりつつ、「人魚姫」につづき「女子」と表現されたのに、首を傾げたくなりつつ、まともに取り合っては、どつぼにはまりそうに思え、聞き流す。
といって、無言でいるのも気まずく、つめていた息を吐いて「筋肉がついていれば、いいってもんじゃないだろ」と応じた。
「スポーツの種類や人によって、適性の筋肉量や質は違う。
まあ、とくに俺は変わっているかもしれないけど。
筋肉をつけるとかえって、泳ぎにくくなるんだよ」
「にしたって、よく、この筋肉量で泳ぎきれるな。
俺は泳げないが、水中にいて、もがいているだけで、へとへとになるのに」
「前にも言ったろ。
俺には、水の流れを矢印になって、肌で感じ取れるって。
で、どう腕を振って、体をひねって、足を蹴れば、体を刺すように、向かってくる矢印を、押してくれる方向に変えられるのかも、分かる。
ぶっちゃけ、泳ぐとき、水圧を覚えることは、ほぼ、ないんだ。
だから、水圧を押し返したり、払いのけたりする筋力が、いらない。
がむしゃらに水をかき分けて泳ぐ選手よりは、な。
逆に、筋肉をつけると、肌感覚が弱まるというか。水の流れの矢印を、捉えられなくなる」
「ふうん」と相槌を打ちつつ、腹を掌で揉んだり、押したり、指で突いたり、指圧するようにしたり、忙しくして、ついには口を閉ざした。
相変わらず、ふむふむと研究しているような手つきとはいえ、しつこく丹念に撫でられては、居たたまれなくなってくる。
見惚れるようなものでない、一つも割れてない腹を、注視されるのにさえ、そわそわするというものを。
体操着で短パンでいるとあっては、どうにも心細いし。
左右の布が引っ張られた短パンは、ただでさえ、もっこり感があるのが、万が一、反応したら、丸見えだ。
太ももを閉じたくても、片足は掴まれ、もう片足は体重をかけられたまま、びくともしない。
内心、焦りながら、努めて顔にはださずに「もういいだろ」と呼びかけようとしたとき、脇腹を撫でていた手が、上へと滑った。
「胸!?」と居ても立ってもいられなくなり、「ああ、そうだ!」と声を張りあげる。
「中学のころのお前について、聞いたよ!
器用貧乏だったてな!
なんだって、できるっていうのに、またなんで、数少ない、できないものの一つの、水泳にのめりこんでいるんだ?」
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