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社畜とブラックん
①
しおりを挟む頭ががくりと落ちて目を覚ました。
瞼を上げつつも意識を朦朧とさせたまま、視界が靄がかかっているようなのを、湯気だと気づくのに、すこし時間がかかる。
左手には味噌をすくったお玉、右手には菜箸を持っていて、味噌を溶かしている途中で一瞬、眠りに落ちたらしい。
夜中の三時のこと。
つい三十分前に仕事から帰宅したばかりの疲れた体で食事を作っていれば、味噌汁を作っている最中でも舟をこぐというものだろう。
熱いだし汁に顔を突っこむ前に目を覚ましたのはいいとして、眠気は残ったままだし、これから家事をして就寝したら、朝九時出勤まで、どれだけの睡眠がとれるかと思うと、余計に体が気だるくなる。
かといって、味噌を溶かさずにお椀を放って、すぐにベッドにもぐりこむこともできない。
なぜなら。
「おーい、いい加減腹減ったー。
こっちは昼飯食って、半日以上経ってんだからよー」
「だったら、自分で作って先に食べてればよかったでしょ」とやや眠気を飛ばし、むっとしつつ言い返せば「やだよ、俺の作る飯まずいから。お前の美味しい飯食うほうがいいに決まってるだろ」と言われて、味噌を溶かす菜箸を止めてしまう。
不覚にも「美味しい」に反応してしまったことに悔しさを覚えながら、味噌を溶かしきって振り返ると、テーブルに肘をついて座る猫背があった。
腹を空かせているくせに、すこしも手伝ってくれないのは、テレビに流れているアニメに夢中だからのようで、それにしても、アニメ好きにしては年齢がいっていて、僕より上背があり男らしいがっしりとした体をした男は、全身黒タイツを履いていた。
しかもちょうど尻の割れ目の部分に尻尾らしい赤い球体をつけている。
どこからどう見ても、文句のつけようのない、きちがい変態野郎にしか見えない男が、家に居つくようになったのは、一週間前からのことだ。
※ ※ ※
その日も朝九時に出勤して、夕方六時に一旦、退勤の処理をしつつ、結局、午前二時まで残業をして、自転車で帰宅したのが午前二時半だった。
帰宅してから食事を作って、片付け、洗濯物を回している間に、干していた洗濯ものを片付け、軽く部屋を掃除して、洗い終わった洗濯物を干してから、やっと午前四時半に床に就いた。
朝九時の出勤まで四時間半。
自転車での通勤時間と、支度で三十分ずつかかるから、朝八時まで起きなければならず、だから、睡眠時間は三時間半しかなかった。
「ああ目を瞑ったら、またすぐ朝がくるのか」と思うと、眠れなくなり、そうするうちに睡眠時間が減っていって、「一睡もせずに会社に行く羽目になるのか」と考えれば、もっと目が冴える。
「寝なくちゃ」という強迫観念と「寝たら終わりだ」という心の声のようなものがせめぎ合って、神経がすり減らされて、気が付けば布団から出て、机の引き出しを開けていた。重い眠気と疲労から、意識を混濁させながらも、迷いなく手はごついカッターを取っていて、キチキチと、刃を押しだした。
刃の切っ先をしげしげと見つめてから、掲げた左腕の手首に向けようとした。
そのとき、左手首が痛いほど力強く掴まれた。
「部屋には僕しかいないはずなのに、どこから」と思えば、開いた引き出しの中身が底なしの闇になっていて、そこから、ぴちぴちの黒い布に覆われた腕が突き出ていた。
肘から下は闇に閉ざされて見えなかったものの、しばらくもしないうちに、もう片方の腕が伸びてきて、肩まで出して引きだしの側面を脇で挟むと、そこを軸に上体を持ち上げて顔を覗かせた。
引きだしに生首が置かれたような形で顔を覗かせる金髪の男と、見つめ合うことしばし、そのうちに左手首を離されたので、僕はカッターを持ったまま後ろによろけて床にへたりこんだ。
ホラー映画と違って、人は本当に怖い目にあったとき、むしろ声を上げられないものだ。
カッターを握りながらも、すっかり腰が抜けて一声もあげられずにいる僕の目の前で、金髪の男は引きだしの側面を両手で掴んで、勢いよく上体を乗りだし片足をかけたなら、柵を超えるようにして、部屋の床に降り立った。
ただでさえ引きだしから人が出てくれば仰天するところ、相手が全身黒タイツ姿ともなると、自分の正気を疑いたくもなる。
しかも相手は、緩い体の芸人ではなく、日本人ながら金髪の似合う凛々しい男前で、無駄なぜい肉のついていない見惚れるような体つきをしているものだから、筋肉の隆起や筋が透けるのはいいとして、もっこりが生々しかったりで、目のやり場に困ったものだ。
まあ、プロポーションが抜群な男前が全身黒タイツ姿なのは、百歩譲ってまだ笑って済ませてもよかったものの、見過ごせないのは全体的なデザインだった。
鈴をつけた赤い首輪に、白い手袋に白い足袋、お腹の辺りだけ丸く白い部分があって、白いポケットのようなものがついている。
おまけに凛々しい男前の顔には、鼻の頭が赤く塗られて、頬に三本の髭が描かれた、間抜けなペインティングされていて、これは、どう見ても。
「俺は未来からきたネ」
「言わせねえよ!」
魂が抜けたように茫然自失となっていたはずが、脊髄反射のようにそうツッコんでいた。
この状況でふざけた自己紹介をしようとしてきた全身黒タイツ姿の男前も男前だけど、血相を変えて遮った自分も自分で、馬鹿げていたと思う。
これまた馬鹿げたことに、全身黒タイツ姿の男前はツッコミに応じて口をつぐみ、顎に手を当てて何やら考えこむと、逸らしていた目をまた合わせて「俺は」と仕切り直しをした。
「未来からきたブラック●●ん」
「いや、もうちょっとぼかして」
自分でも何故そこに拘るか分からなかったものの、全身黒タイツ姿の男前も男前で、「えー」という顔をしつつ「じゃあ、ブラックんと言うことで」と律義に訂正をしてから、どこかで聞いたことがあるような、未来からやってきた理由なるものを語りだした。
「俺はロボット学校でめちゃくちゃ優秀でモテまくっていたわけ。
それが仇になって、学校を卒業して、オークションにかけられたとき、客が男ばっかだったから、恋人や女房を寝取られると思ったんだろうな。
誰も入札のボタンを押してくれなくてさ。
このまま誰にも買ってもらえずに廃棄されると思ったら、赤ん坊がボタンを押してくれたんだよ。
それが、今世話を見ている低能な糞餓鬼な」
大まかな流れは同じとはいえ、落ちこぼれだったり、自分を助けてくれた赤ん坊に恩義を感じているようだったりする、本家と細かいところが違っていた。
まあ、全身黒タイツ姿を置いておけば、この男前を前にして、落ちこぼれには見えないし「寝取られる」とは確かに思えるし。
ていうか、どう見てもネ●型ロボットに見えないし。
そのあたりは、ロボット開発者の糞ったれた性癖のせいで耳をつけられていて、学校にいるころは我慢していたものの、買い取られてからは遠慮なくむしり取ったらしい。
いや、ネ●型に見えないのは、耳があるかどうかの問題ではないのだけど・・・。
で、ここからが本題。
この全身黒タイツ姿の男前こと、自称ネ●型ロボットが廃棄されるのを助けてくれた、恩人の低能な糞餓鬼に過去にタイムスリップさせられた理由について。
「あの低能の糞餓鬼は、頭は悪いし運動もできないし個性もないしと、ミクロも取り柄がない。
で、これは遺伝子に問題があるんだとか抜かしやがって、調べてみたら、どうやひい爺に当たるあんたの影響を強く受けていることが分かったんだよ。
低能の糞餓鬼に言わせれば、あんたが社畜で死ぬほど働きすぎた、その反動で、自分が怠け者になったんだとよ」
胡散臭さ満点の話ながら「性格の反動が子孫に出ることもあるの?」と一応聞いてみると、「あいつが、責任転嫁にこじつけてるだけだろ」と唾を吐き捨てるように言う。
心底、忌々しそうな顔をするのに「命の恩人ではないのか」と思いつつ「こじつけなんかに付き合わなければいいでしょ」と指摘したら、全身黒タイツ姿の男前は顔を背けた。
「母親と寝」
「言わせねえよ!」
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