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無感情なきみが恋をした
しおりを挟むクリニックで働きながら、スクールカウンセラーも務めて、ぼちぼち無難にこなしていたところ、教師から一風変わった相談が。「うちのクラスには感情のないヤツがいるんですよ」と。
「人並みに自ら話しかけたり、相手に呼びかけられて受け答えはするんですが、表情筋が死んだように、顔つきを変えないんです。ほんの口角を上げも下げもしない。
なにを考えているか分からない。得体が知れないってんで、クラスの連中は寄りつきません。腰が引けてイジメさえしないのは、まあ、いいですが、クラスで浮いたままだと、私もやりにくいですし、本人のためにならないかと」
正直、教師にいい印象を持たなかった。「表情筋が死んだ」は口が過ぎるし「イジメさえしない」は不適切な言葉選びだし「私もやりにくい」なんて要らぬぶっちゃけだ。
この教師のほうが社会不適合者のようで、カウンセリングが必要なのではと思ったが、余計な口を挟まず「分かりました。すこし話しましょう」と首肯。「無理解な教師だからこそ、困っているのでは」とその生徒を心配してもありつつ、単に興味が湧いてのこと。
指定した時間の五分前に部屋にきてノック。「どうぞ」と応えると「こんにちは、すこし早いですが、いいですか」と顔を覗かせた彼は、なるほど鉄壁のように無表情だったが、一連のふるまいは、なんとも礼儀正しく、成熟した印象を受けた。
浮つきがなく、ある意味、高校生らしくない。「未熟、異常、劣等」と教師が見なしたようなのとは逆に。
すすめた椅子に座ったところで「今日はきてくれてありがとう」と切りだす。
「先生に行くよう云われて、なにも思わないというのは無理だろうけど、罰とかお仕置きとかではないから」
緊張をほぐすため、笑いを含んで云ったのを「そうですか」とくすりともせず。といって反抗的でもない。
そう驚かずに「これは感情がないと判断されるな」とふむふむと思い、言語能力、認知能力、コミュニケーション能力を測るために、いくつか質問を。案の定、水準に至らないどころか、同い年の男子より優れていたのに、半ばで中断。
二手三手先を読めるほど察しがよさそうなら、だらだらと試すようなことをしても、彼はしらけるだけで「無能なカウンセラーめ」と馬鹿にするだろう。まあ、相変わらず無表情で、胸中は読めないが、単刀直入に切りだすことに。
「きみは『感情がない』と云われたり、見なされることが多いだろう。そのことについて、どう思う?」
表情筋をぴくりともさせず、でも、やおら小首をかしげて返したことには「表にだすほど、感情はあるのでしょうか」と。感情表現は豊かでなくても、割とおしゃべりと、すらすらと語ってきたもので。
「たとえば『お前、ブサイクだな』と笑われて、笑い返すか、怒る。それは表現と訴えだと思います。
『それくらいの悪口、平気なほど俺は心が広い』と思わせるため。『俺がブサイクなのではなく、ブサイクというお前に問題がある』と納得させるための、結局はパフォーマンスなんじゃないですか。厳密には感情とちがう」
カウンセラー相手に心理学や精神論に関する意見をするとは、なかなか、ふてぶてしい。が、無感動に論文を読みあげるようだったから、さほど癇に障らず、なんなら興味津々に「じゃあ『厳密に』きみは感情がないのではなく、人より表現や訴えをしないということか」と聞く。
「そうかもしれないです。あまり『自分はこういう人間だ』と認めてほしいとか『誰が何が正しくて誤っているのか』はっきりさせたいと思わないですね。
生きていくには、表現や訴えをするのも必要なのだろうけど。ただ、それに力を注ぎすぎると、むしろ感情が分からなくなるようで」
カウンセリングを済ませ翌日、教師に報告。もちろん会話内容は伏せつつ、なるべく客観的にカウンセラーとしての見解を。
「社会性はあるものの、人より物事を深く考えるから、その分時間や手間がとられて、周りと足並みが揃えられないのでしょう。ノリに合わせられなかったり、空気を読めなかったり。
ただ、云いかえれば、反射的に物事を決定せず、周りに流されない、しっかりした子でもあります。だから馬鹿をやったり、過ちを犯さないという、いい点も。周りは慣れるのに時間がかかっても、その良さに気がつけば、とても彼を信頼すると思いますよ」
「ちょっと彼に肩入れしすぎたかな」と反省したのもつかの間「そうですかねえ」と大仰にため息が。
「ノリに合わせる、空気を読むは、社会で生きていくには必須でしょう?自分の本当の良さをしってもらうのに、時間をかけたくても、人はそんな悠長に待ってくれないんじゃないですか?
ていうことを、あいつにも諭したんですけどね。カウンセラーの人も、歯がたたないってなら俺の手に余るなあ。そういうケアをしてくれる学校に行ったほうがいいんじゃないかなあ」
この人には言葉が通じない。というか「厄介な生徒をよそにやりたい」という目的にしか目がなく、その後押しをしてくれる、カウンセラーのお墨付きがほしいだけなのだろう。
と察しながらも「気長に見ましょう」とにっこり。「このカウンセラー使えないな」と見切られて、強行手段をとられても困るし。
感情表現が乏しくても、実質、問題がない生徒より、よほど厄介な固定観念まみれの教師をどうするか。カウンセリングで時間稼ぎしつつ、対策を考えつつ、彼との会話を愉しみもした。内容もさながら、彼の無表情とほぼノーリアクションは、カウンセラーの俺からしたら大歓迎だったから。
カウンセラーも、基本は、ノーリアクションに近い。反応のよしあしを極端に見せると、相談者が気兼ねをするからだ。大口で笑ったら、そのあと笑わなかったとして「私の話はつまらないんだ」としょげたり、親身になって肯いてから、無関心そうにすると「キラわれている」と怯んだり。
そこらへんを心得て仕事に臨みながらも、俺だって人間だから、相談者の反応に振りまわされる。とくに「このカウンセラーなにも分かっていない」と失望、見下すといった表情を露わにしやすいから「こんな仕事、やっていられるかあ!」と投げだしたくなることも。
「逆に俺がカウンセリングしてもらっているようだよ」とつい赤裸々に語ってしまい、気恥ずかしく目をそらしたものを、ふと閃いて「もしかして」と向きなおる。
「きみが無表情を通すのは、そういう理由もあってなのか?」
すこし顎を引いた彼は即答せず。いつもの完璧な無表情でも、揺らぎがあるように見え、果たして口を切ったことには「担任の先生が」と。
「前にいた学校で、生徒にイジメられたそうです。そのことを乗り越えて、よく云えば、前向きで快活に、わるく云えば、図太く無神経になった。
そう見えるけど、俺にはそう思えません。神経質に生徒の顔色を窺って、機嫌をとるのに卑屈になって、根っこにはまだまだ怯えがあるように見える」
質問の答えには当たらないような、唐突な担任教師批評。中身にしろ「きみを疫病神扱いする教師だぞ」と釈然としないもので、でも、俺も俺で見当ちがいの思いつきをして「まさか、きみ・・・」とあらためて問うた。
「先生をスキなのか」
言葉のニュアンスの機微から真意をつかめる彼だ。生徒として教師を慕っている以上の「スキ」と正確にとらえただろう。
そのうえで、うんともすんともなく、わずかに口角をあげた。無表情と微笑の中間で、一見、冷めた顔つきだが、彼にしたら、十分に思わせぶりだ。
まさに恋は盲目的。スキスキアピールして、やたら喧伝する人は、騒ぎ立てるほど恋をしていなく、自覚していないのだろう。真に人を愛するなら、多くを語らず、多くを顔にださないで、なんぼなのかもしれない。
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