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ぐうたらで享楽的な恋を

犬飼の享楽的な一日②

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起床は八時。
アパートの主な住人は(将来のため、家賃を節約し、その分貯蓄したい)若い勤め人で、大体、この時間帯に部屋をでるから、その物音がアラーム代わりになる。

まだ寝息を立てる吉谷を、起こさないよう布団からでて、(予約しておいた)炊きあがったご飯をかき混ぜ、味噌汁を作り、ししゃもや干物があれば焼くが、ないなら卵料理を作る。

別に吉谷に「朝食を作って」とせがまれてはいない。

いつも八時半くらいに起きるのを知って、それより早く目覚め、自主的に台所に立ちだした。
自炊の経験は浅いものの、吉谷の料理ぶりの見よう見真似をし、朝食はご飯派、週一二回くらいがパン食と、その習慣も取り入れた。

朝食分以外のご飯は、昨夜のおかずの残りや、冷凍の総菜をいれた、ばくだんおにぎりにして、計四個作る。
俺と吉谷の、昼食と小腹が空いたとき用だ。

座卓に食事を並べたところで、吉谷を起こす。
犬らしく、体に乗っかって、首に顔を埋めて鼻を鳴らしたり、頬ずりしたり、瞼を舐めたり、耳を噛んだり。

案外、寝起きが悪い吉谷は、「うーん」と眉をしかめて、払おうとする。

滅多に見せない、赤ん坊がむずかるような顔つきが、俺的にはツボらしく、下半身にきて、太ももを足で挟んで股間を擦りつける。
犬がマウンティングするように。

決して、早漏でない俺だが、頬に口づけをしながら擦りつけ、尚も不機嫌そうに唸るのが上々で、すぐに達する。

朝っぱらから、盛られるも、吉谷はマイペースに眠気を覚まし、「おはよう」と笑いかけ、赤面し息を切らす俺を「朝ごはんの匂いだ」とやんわり退けて立ち上がる。

台所のほうにいこうとし、見下ろし「着換えてから、食卓ついてね」と忠告するのを忘れない。
吉谷のスウェットのパンツには膨らみが見られない。

起き抜けから、絶好調の女王様ぶりだと思う。

着換えていると、お茶の香ばしい匂いが漂ってくる。
お茶、紅茶、コーヒーなどは、吉谷の趣味の嗜好品なので、俺はノータッチ。

座卓に湯呑が二つ置かれたところで、二人して座卓について、「いただきます」と合掌。

犬の俺は、発声はせずに手を合わせてから、吉谷を見やる。
「よし」と肯かれたところで、犬ながら、箸を持ち、お茶碗を手に取って、行儀よく食べる。

食べ終わったら「ごちそうさま」と合掌して、吉谷は皿洗い、俺は布団の片付け。
部屋にころがりこんできたばかりのころは、俺がこもりっぱなし、布団もだしっぱなしだったが、今は休み以外、晴れの日はたいてい、窓から垂らして干している。

その作業が終われば、今日は生ごみの日なので、廊下に置いたポリバケツから、袋を取りだし、台所の生ごみを入れて縛り、外へ。
共同玄関で芳江さんとすれ違いざま、会釈をして、ごみ捨て場まで小走りにいく。

部屋に戻ると、身支度を整えた吉谷が「じゃあ、行ってくるね」と敷居を跨ごうとしたのに、一旦、扉から退いて廊下へ。
つづけて、廊下にでてきた吉谷の肩に手をかけ、口元をぺろり。

ドラマ共演したときは、目が合っただけで、茹蛸になっていたのが、まさに飼い主がペットを愛おしそうに見つめるようにして、おっとりと笑い、天然パーマをくしゃくしゃにする。
「いい子にね」と前髪をかき上げ、額に口づけしたなら、颯爽と背中を遠ざけていく。

悔しいやら、恥ずかしいやらで、しばし突っ立たままでいて、「さて、今日は何をするか」と鼻息を吹き、気を取り直す。

銭湯は午後二時から。
準備をするため、いくのは十一時。

それまでの二時間は、当番なら共同トイレや洗面台、玄関の掃除、食材や日用品が少なくなっていれば、買いだし、大家さんや芳江さんに声をかけられたときは、手伝いなど、その日によって、ちょこまかと自室やアパート付近での入用なことをする。
朝食づくりのように、とくに吉谷から、指示はされていない。

今日は隣室の人(実家が米農家)と、米二十合で取引した当番の代わりをする日だったから、一通り掃除して、すこし時間が余ると、ついでに廊下の拭き掃除、外回りを掃きもした。

他にすることはなく、十時に自室にもどって、取りこみ畳んだ布団に寄りよかり、三十分仮眠。
起きたら、すこし早い昼食、ばくだんおにぎりを頬張って、銭湯へと出動。

女将さんが入り口の鍵を開けているところに遭遇し、「今日もよろしくねえ」と挨拶され、こちとら不愛想に会釈しかしないが、「さあて、はりきってこー」と気にされない。

室内に入って、女将さんと全部の窓を開けてから、裏口からでて、ボイラー室を開錠する。

まずは、灰を取り除いたり、辺りを掃いたり、煙突のすすを落とす。
昨晩、かるく掃除をしたといっても、念入りに。

その後にボイラーの蓋を開け、薪と枯葉、小枝を入れ着火。
ある程度燃えたら、ボイラーから放れ、作業台に向かう。

普通、薪ボイラーは火をつけたら、四、五十分ごとに、薪をくべればいい。
直接、火で水を温めるのではなく、風呂釜を熱するからだ。

一度、釜が熱を持てば、冷めにくいとあって、火を絶やさなければ、ボイラーを放っておいても問題ないものを、この銭湯の湯舟は大きいし、機器が古いとあって、手なずけるのが難しい。

上と連絡を取り合い、湯加減を聞きながら、調整するのが欠かせず、ボイラーの火から目を放せない。
といって、ボイラーの前に突っ立っているわけでなく、薪をこしらえる作業も並行してする。

薪にするのは建築廃材なので、割ったり切ったりして、長さを揃え、釘などの異物を取り除かないといけなく、結構、時間と手間がかかる。

火をつけてから、二時間経つと、上にいって、自分の手で湯加減を確かめ、女将さんにも聞く。
それで問題なければ、この時点で、すっかり全身汚れているので、炊いたばかりのお湯につけ、絞ったタオルで体を拭いて、着替える。

休憩室で、ばくだんおにぎりを食べて、女将さんと室内の窓を閉めたなら、またボイラー室に引っ込み、さあ開店。

やることはボイラーの調整と、薪作りだけだが、気が抜けるようで抜けないまま、薄暗い半地下にこもっているとなれば、時間を忘れて没頭し、しすぎて、虚無の境地に達する。

そんなときは「ごくろーさん」と開けっ放しの扉から声がかかってきて、我に返り、階段を上ってみると、ノブにビニール袋が提げられている。

ビニール袋の中身は飲み物やお菓子、果物、パンなど。
そうやって昔から、常連さんが、銭湯の親父さんに差し入れをしてくれているらしく、ピンチヒッターの俺のことも、労ってくれた。

心遣いもそうだが、無自覚な疲労、水分不足や空腹にはっとさせられ、こまめに休憩をとるきっかけになるのが、ありがたい。

六時ごろになると、「犬飼君、おつかれー」と劇団の事務仕事を終えた吉谷が、上から呼びかける。
銭湯にきたばかりのときは、挨拶だけで去っていき、後は一時間置きに、スポーツドリンクや冷たい一口ゼリー、アイスなど携え、扉から顔を覗かせた。

吉谷の訪問のときは、ボイラー室から外にでて、銭湯の脇にある用水路を見下ろし、涼みながら肩を並べ、冷たいものを口に含む。

銭湯の客の入りや、その人らの「今日の湯は」という感想、実際の湯加減など、吉谷が伝えるのに耳を傾け「ボイラーの機嫌はいい?」「体調は大丈夫?」「薪を作るのに怪我はしていない?」と質問するのに、肯くか首を振るかで、犬の俺は口を利かない。
でも、気まずくなく、用水路に吹く、水気を含んだ風が快い。

常連の声かけが途切れてくると、そろそろ店じまいだ。

火の始末をして、ボイラーと辺りをかるく掃除したなら、上へと向かう。

「じゃあ、後はお願いね。
飲み物はいくらでも飲んでいいから。

あと、これ、ぬか漬けにつけた鶏肉。
かるく表面のぬかをとって焼けば、すぐ食べられるから、よかったら」

差し入れをくれた女将さんを二人で見送り、銭湯に戻って、残り湯をいただいてから、俺は女湯、吉谷は男湯の、脱衣所の片付けも含め、掃除をする。

受付と休憩所があるところは、二人して片して、終わったらコーヒー牛乳を一瓶ずつ、いただく。

最後にごみ出しをして、全体を見回りし、照明を落とし施錠。
隣のコインランドリーに洗濯物を取りにいき、二十四時間営業スーパーに寄って、お惣菜を買うこともあるが、今日はぬか漬けの鶏があるので、すぐに帰宅。

俺が洗濯物を畳んでいる間、吉谷は台所で鶏肉を焼き、配膳をする。

座卓につけば、鶏肉以外におかずが、ほうれん草のおひたしと、こんにゃくと薄上げの煮物。
休みの日に、吉谷が作り置きしておいたものだ。

朝食と同じように、二人して合掌して「よし」で食べはじめる。
前は、さほど食が旺盛ではなかったものを、灼熱の中、本格的な肉体労働をしだしてからは、そりゃあ、がっつくようになった。

ご飯二合をたいらげ、皿洗いと、翌朝分の米研ぎを俺がして、吉谷は寝支度をする。

生ごみを廊下にだし、スウェットに着替え、布団に向かうときには、もう吉谷はうつらうつらしている。
ドラマ共演をしているときは、寝つきが悪くて困ると、こぼしていたはずが。

いや、人のことはいえず、俳優業を忙しくし、不規則な生活をしていては、仕事が終わっても緊張や神経の高ぶりを引きずって、ほぼ常に、目が冴えているという異常状態にあった。

寝ても、一日がリセットされた感覚がなく、終わりのない道を延々と歩かされていたような。

今は布団にもぐりこんで、犬のように、吉谷の腹あたりに体を縮め丸くなれば、すぐに快い気だるさと眠気が染みてくる。
頭から首まで撫でられているうちに、瞼が落ちて、心音も聞こえない闇へ。

というように、吉谷とがっつり勤労して、なんとなく家事を分担して、当たり障りなく近所づきあいをして、時々、二人で体を重ね、まぐわいつつ、安らかに眠りもした。




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