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河童がいない人の哀れ
四
しおりを挟むで、後光寺の水源の池に、越してきて少し経った、今に至る。
「まぐれ池」にいたときより、血肉が詰まった重量感のある体つきに、表面がぬめっててかる、肌つきになったものを、さほど生々しくなく、ホラーでもない。
人がふざけて、ヘアメイクやボディペイントをし、仮装したよう。
ただ、やはり、どメジャーな古参のあやかしとあって、その語りは歴史的重みがあり「今時の若者は」的にやや説教臭かった。
もともと、おしゃべりのようだし、俺と人に変化したこんこんが、会いにいったところ「まぐれ池」騒動を振り返りながら、しみじみと、今の世を憂いた。
「工業やら科学やら医療やら発展してんのに、でも、水難事故は後をたたんで、原因もはっきりしん。
それでいて、河童のせいにもできんなって、今の人は難儀やな」
猫又も似たようなことを語っていたなと、思いつつ「河童のせいにされて、むかつかんの」と問う。
笑みを深め、見返した河童は「河童のせいにしんで、人のせいにするほうが、目も当てられん」と瞼を閉じた。
「水難事故いうのは、本人の不注意や相手の故意でもなく、誰のせいでないことが多い。
なんとも、やりきれんし、怒ったり責める相手がおらんから、河童に引き受けてもらうてたんや。
せやないと、とくに母親なんかは、子の後を追いかねん。
まだ子を成せことができる体を、水没させるんは、よお、見てられんかったわ」
昔を思い起こしてか、瞼を下ろしたまま、語り「今の母親はほんま、逃げ場がない思うよ」とうっすら、黒目を覗かせる。
「池に人がよおさんきてたとき、一回だけ、見に行ったことがある。
林ん中にある小川に潜んでな。
そしたら、女の人がなんや、池に向かって、えらい拝んどって。
それを隣におる婆さんが、『あんたの子は、あんたが目を放したせいで、死んだんや!』『この世におらんもんのせいにして、ずるいわ!責任転嫁すな!』てずっと怒鳴りつづけとった。
多分、よそで水難事故にあって、子供を亡くしたんやろ。
そんで、看板を読んで、なんかしら思うところがあって、手を合わせたんか。
隣で婆さんがごちゃごちゃ喚かんかったら、多少は、心が安らいだやろうに」
「なるほどなあ」と俺が聞きいったのに対し、「勘違いすなよ」とこんこんは鼻を鳴らした。
顎をしゃくって曰く「あやかしは仏やない」と。
「たしかに、非がない母親には、河童が要るかもしらん。
けどな、今回みたいに、それこそ、いけしゃあしゃあ責任転換して『世の中ちょろいわ』て調子乗る極悪人もおるやろ。
お前が引き受けることで、世の害になるような奴が、のさばってまうこともあんねんぞ」
黒い真珠のような、瞳を見開いた河童は、でも、問いただされ、心乱したわけではなさそうで「どうして、人は人を殺めたらいかんと思う?」と脈絡ない問いを投げてきた。
俺がこんこんと顔を見合わせ、瞬きしているうちに「今と昔では、その答えは違う」とつづけられる。
「昔なら『お天道様が見てるから』『仏さまが無用な殺生をしたらあかん、説かれてるから』。
今なら、『法律で禁じられてるから』『家族に迷惑がかかるから』かな」
河童のほうに向き直ったところで、「あの女の子は賢い」と呟き「けど、人は頭で考えると、ろくなことがない」とこめかみを指で差してみせた。
「さっきの答え、『法律で禁じられてるから』『家族に迷惑がかかるから』なんて『法律は万能やなく、いくらでも抜け道がある』『家族嫌いやから、むしろ迷惑かけたい』て嘲笑うように、論破されてまう。
人の頭では『どうして、人が人を殺めたらいかんか?』の問いに、絶対的に正しい答えがだせんのや。
やから、宗教や、あやかしのような、理屈で割りきれん存在が要る。
宗教的存在や、怪奇にはけちをつけにくいからな。
『仏や神なんか、おらんし、怪奇は人の妄想や』て前提を覆そうとしても、現代の科学やろうと、証明できひん。
宗教にどこまで信憑性があって、あやかしがおるかおらんかちゅうのは、曖昧なままで、人は惑わされてたほうが、ええんのやろう。
ある程度は、人智を超えたもんの教えに、愚直に従わんと、賢しらで心が汚れきった、あの女の子みたいになってまうで」
「見える君には、要らん心配かな」と首を伸ばして見てきたのを「人はそんな阿呆なん?」と遮るように肩をそびやかし、こんこんが応じる。
「善悪の区別や判断を、自分でできんほどに?」
「阿呆いうか、仲間外れになっとるから」
けちをつけ足りなさそうな、こんこんだが、思わぬ返しがきたからだろう。
言葉を詰まらせ、そのまま口を閉じたから「たとえば、狼が山羊の群れを襲ったとする」と河童は説法を聞かせるように、長々と語りだした。
「狙うのは、主に幼いのか、怪我を負ったのか、年がいったの。
山羊でも弱いもんに襲いかかるのを見て、人は、狼が残虐で非道やと思う。
でも、それは自然の理にかなったことや。
幼いのはまだ交尾ができひん。
怪我を負ったのは、交尾がしにくい。
年がいったのも、もう交尾ができひん。
それらを狙う狼は、そう、子を成すことができる山羊には、決して牙を剥かん。
子を成せる山羊ばかり食うたら、少ななるか、絶滅してまう。
そしたら、狼は飢えてまう、いうのもあるとはいえ、基本、自然の理は、自分の種を繁栄しつつ、捕食対象など関わる種も繁栄させること。
己を生かし、他も生かすんや。
狼が食べることは山羊を生かすことになる。
というのも、山羊は繁殖力が強くて、自分らでは抑制ができんから。
群れが多なったら、食糧不足になるとか困るの分かってて、どんだけでも増やしてまう。
それを狼が食べて、調整しとる一面があんねん。
そんな自然界にとって、当たり前のことを『山羊が可哀想』て嘆いて、狼を駆逐する人間は分からへん。
狼がおらんなったら、山羊が増えすぎて、結局、飢えて全滅してまうし、草を食べ尽くされたら、他の動植物も、人もまいってまういうんに。
自分の首、絞めるだけやなく、勘違いして虐殺して、一つの種を根絶やしにするは、自然界の調和を乱すは、お節介が過ぎる。
そら、いい迷惑やけど、わしは人に呆れても、憎くはなあて、可哀想に思うわ。
『己を生かし、他も生かす』自然の枠組みの中から、爪弾きにされて、空回りばっかしとるからな」
俺の目を真っすぐ見据え「寂しく哀れや」と告げたのに、一歩踏みだしたこんこん。
背に庇うように、体をずらしたあたり「人間代表」的に俺が、一身に、河童の咎を受けているように見えたのだろうか。
まあ、少々、居たたまれなかったものの、それより、気になることがあり「聞きたいことがあんねんけど」とこんこんの肩を掴み、池のほうを覗きこんだ。
「河童って、ちんこあるん?」
肩を跳ねて「はあ!?」と鼻先で叫ばれたのに、目を眇める。
「おま・・・!」と詰め寄られようとして、「ぶっ」と噴きだすのと水しぶきが上がった音がした。
こんこんと共に池のほうを見やれば、蓮の葉のように、頭の皿だけが覗き、傍でしきりに水面が泡立っていた。
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