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子を亡くした母のあやかし
十七
しおりを挟む籠が揺れないよう、抱きかかえるのに精一杯で、制止させようにも、声もあげられない。
土砂降りと金切り声と地震で部屋がごったかえしつづけ、それでも、頑なに籠を守ろうとするのに、痺れを切らしてか、爪を立てて、俺の肩を掴み、揺すってくる。
といっても、こんこん曰く「あやかしは、人に危害を加えたりせん」らしいので、実際、痛くも痒くもなく、こそがしいものだ。
しばらくもすれば、叫ぶのをやめ、「お前のせいや、お前のせいで」とぶつぶつと口にしだし、地震がおさまっただけでなく、小雨にもなる。
「お前のせいで」と幾度も繰りかえし、泣き声で漏らしたのを最後に、飲みこんだ。
肩に手を置いたままになって、身動きしなかったものを、用心して、籠にしがみつきながら、顔をあげ、はりつく黒髪から覗く瞳を見つめ、問いかけた。
「雨女、白い袋をどこにやったんや」
目を見開いた瞬間、吹かれた火のように、消え失せた。
長い胴を曲げて、布団から尻と顔を覗かせた、こんこんが「なんや、お前、あやかし撃退できるんか」と聞いた間もなく、「おい!こら!庄司、お前なあ!」とどたばたと迫ってきて。
ゴキブリジェットならぬ、あやかしジェットのおでましにより、ちょうど区切りのいいところで、雨女は退散したのだろう。
こんこんにしろ、「ひっ」と頬を引きつらせた直後、布団の穴を残して、どろんをした。
はじめは「さっきから、タオルもってこい、いうてんのに、なに無視しとんねん!」と威勢がよかったのが、廊下の角を曲がって、雨女の暴れていった痕跡を目にしてだろう、「はあ!?」と声を上げたきり、口を利かなくなった。
足の運びは、もっと慌ただしいものになり、すこしもしないで、障子戸の骨組み越しに我聞がお目見えする。
年甲斐ないロックな格好は変わらずで、今日のTシャツのプリントは「Go to hell」だ。
そう引導を渡されるまでもなく、隅々まで水まみれになり、まだ雨が降っているように、天井から雫が降り注ぐ部屋が、まさに地獄のよう。
雨女が去ってから、あらためて、その惨状を目の当たりにしたなら、「畳全部、だめんなったんやないか」とそりゃあ、途方にくれ、骨組み越しの我聞に、かける言葉が浮かばなかった。
咄嗟に言い訳や説明ができずに、代わりにくしゃみをし、籠が軋んだのに、はっとする。
体を起こして見やれば、タオルに体を埋める猫又は、さほど濡れていなく、雨女襲来前と変わらずに、ひそやかに寝息を立てている。
二本目の尻尾も、浮かんだり消えたり。
安堵の息を吐く暇もなく、障子戸が叩きつけられる音が耳を打った。
前に向き直れば、湿った畳を踏み抜かんばかりの足取りで、詰め寄った我聞が、目前で仁王立ちし、それこそ仁王像のような形相で見下ろした。
「そんな猫、捨ててこい」
洪水にあったような部屋の、見るも無残なさまに、目もくれないほど、我聞にとって動物は鬼門だ。
よほど、忌まわしい過去でもあるのか、前に菊陽さんが子猫を連れてきたときは、門の前から階段に向かい、放ったとか。
そうされては堪らないと、籠を抱え直し「こいつは猫股や。人知れず、矢口加奈と会ってたようやから、なんか肝心なこと、聞いたかもしれへん」と訴える。
「なら、さっさと話、聞いて、捨ててまえ」
「そうもいかんねん。
かなり衰弱してるから、しっかり休ませなて、獣医さんが・・・」
しまったと口を閉じるも、間に合わず、「ああ?」と凄みを増した仁王像に睨みつけられる。
最低限の必要経費もけちろうとする我聞だけに、獣医にかかっての支払いを見咎めないわけがない。
出所はどこだと。
出所については、疚しいところはないとはいえ、己の金遣いについては棚に上げて、人の金遣いには、いくらでも、いちゃもんをつけるから面倒だ。
ただでさえ、猫股の処置をめぐって押し問答するのに、時間がかかりそうなところ、金勘定の追及をされては、埒がない。
絶対安静の猫股に、やかましくなく、安心できるような場で、看護したかったから、しかたないと、片手で籠を抱えながら、もう片手で、穴が空いたジーンズをつまんだ。
腕を組み、びくともしない我聞に、水が滴って止まない顔を向けて、口を切る。
「お父さん、堪忍してや」
膝が痙攣したと思いきや、次の瞬間、鎖骨に足を置かれ、勢いよく踏みつけられた。
湿った畳に叩きつけられた背中は、さほど痛くはなかったものを、倒れても、足を乗せたまま、体重をかけられ、咳きこむ。
激昂する仁王像とあらば、鎖骨を折り、肺を踏み潰しかねなかったが、舌打ちの音が聞こえたなら、足が退いて、苛ただしげな足音は遠のいていった。
廊下にでて、見えなくなっただろう、ころ合に、咳きこみつつ、起き上がる。
「お父さん、呼ぶな」と文句も垂れなかった我聞の心中は、さぞ穏やかでないだろうものを、呼んだほうも呼んだほうで、胸糞悪いし、嫌気が差す。
咳がおさまってから、深々と頭を垂れて、ため息をつき、横目に籠を見やった。
猫又がうっすら瞼を上げていた。
まだ、変化するほど力がないのか、猫の形のまま力なく寝そべっているとはいえ、二本の尻尾を、やや揺らめかしている。
朧だった尻尾が、明瞭に見えるようになったのより、目を見張ったのは、その瞳だった。
俗にいう「オッドアイ」。
医学的には「虹彩異色症」と呼ばれ、日本では縁起がいいものとされている、それ。
猫又の瞳は、右が青で、左が緑だった。
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