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子を亡くした母のあやかし
十五
しおりを挟むベッドのシーツを干すのも、仕事だろうとはいえ、忙殺される彼女を見兼ねた誰かが、屋上に一時避難させたのだと思う。
だとしても、忙しい身なのに変わりはないのだから、シーツが干し終わったところで、お暇しようとした。
その前に、最後に一つだけ、質問をした。
「加奈ちゃんは、病室の外を出歩くことあるんですか」と。
矢口冴子が寺に連れてきた、あやかしの気配が病室になかったので、他を当たろうと考えてのことだ。
「あったみたいよ。
体調がええときは、あんま制限せんと、自由に歩かせるよう、医師の指示、受けたし、他の患者から見かけたとか、話したとか聞いてたしな。
私が担当したときも、二日目、風邪治ったこともあって、病室覗いたら、おらんくなっとった。
予定なかったから探したわけやないけど、渡り廊下通ってたら、中庭のほうから歩いてきたの、たまたま見かけてん。
中庭には遊歩道あるから、そこをよお、歩いてたんやない?」
見かけたのが、どこかと問おうとしたところで、「そういえば」とはっとしたように、呟いた。
「矢口さんに、加奈ちゃんが外でるとき、注意してほしい、いわれたわ。
どうも、外出歩いているとき、スマホを落としたみたいで。
それを気にしとったようや。
そうそう、加奈ちゃんの部屋、片付けたときも、結局、スマホは見当たらんかったな」
どうせ戻るときに、渡り廊下を通るというので、ついて行った。
ついでに遊歩道の場所を教えてくれたのに「忙しいのに、ありがとうございました」と頭を下げたら、「気晴らしになったから」と気を使ってか、手を振り、見送っている間は、急がないで歩いていった。
角に曲がって、その背中が見えなくなってから、遊歩道のほうを向いた。遊歩道とは名ばかりのようで、まるで手入れがされてなく、野性味に溢れている。
鬱蒼とした木々に囲まれて光が差さず、奥のほうは真暗だし、落ち葉がとっちらかり、雑草がぼうぼうの道は、境目なく地面と一体化しているし、この有様では、ほとんど人が踏みいらないのだろう。
人手不足のせいかなと思いつつ、遊歩道に入り、道らしき、つながりがある空間を歩いていく。
しばらくして、景色は代わり映えないながら、アルコールのような、酔いそうな匂いが鼻について、足を止めた。
お酒の類ではない。
嗅いだ覚えがあるようなのに、正体が掴めない。
何にしろ、病院とはいえ、その中庭で薬品のような匂いが立ち込めるとは考えにくく、あやかしの手がかりと捉えたいところ。
鼻をひくつかせても、全体的にでなく、一定の方向から匂ってきているとなれば、その可能性は高そうだ。
匂いを辿って、林の道なき道をすすんでいったなら、そのうち、コンクリートの建物が立つ、すこし開けたところに行き当たった
。四畳くらいの一階建てで、扉と窓が一つずつ。
建物に近づくと、むせそうに匂ってくるから、あやかしの本体が、室内に身を潜めているのかもしれない。
その扉が、やや開いているのに気づいて、おそるおそる、隙間から覗いてみれば、とくに目につくものはなかった。
棚が据えられ、箒や熊手、剪定ばさみ、鉈などが置かれているあたり、中庭の手入れする用具の保管用、物置小屋のよう。
ただ、埃をかぶり錆びているのを見るに、今は使われていなく、放置されたままになっているのだろう。
「じゃあ、この匂いは?」と顔を下に向けたところで、床に寝そべる猫が目に入った。
全体的に白く、明るい茶の斑模様が入っている。
寝ているようではなく、口を開けっぱなしに、苦悶する表情をしていて、室内に入り、屈みこんでみると、やはり息が浅い。
猫の顔の傍には、プラスチックの容器が二つ置かれていた。一つは空だが、もう一つには、水がこぼれそうに満たされ、滴が落ちて、波紋が広がった。
見上げれば、天井にひびが入って、雨漏りをしているらしい。
たまたま、なのかもいれないが、身動けない猫のために、飲み水を絶やさないよう、配慮してのことに思えた。
何にしろ、容器があるなら、誰かが、猫の面倒を見ていたのに違いない。
置かれているのは容器だけでなく、一番下の棚に、袋入りのペットフードが積まれていた。
袋が破られて、中身はこぼれ、猫の顔の近くまで、ペットフードがちらかっているのは、これまた、意図的なのだろうか。
「まさか、矢口加奈が?」と思ったと同時に閃いて、ペットフードの袋に手を伸ばす。
袋と袋の間に手を突っこみ、引きだしたのはスマホ。
外で落としたのを矢口冴子が気にかけ、病室でも見つからなかった、それかもしれない。
スマホの電源が入らないか、試してみてから、猫のほうに向き直り、仔細に見やる。
野良の割に、毛並みに艶がある以外、特徴のない雑種とはいえ、茶色の尻尾に目を凝らすと、割いたように、もう一本の尻尾が、うっすら浮かび上がっては消えた。
体力も妖力も尽きかけているのか、呼吸して、腹が上下するび、二本目の尻尾が見え隠れする。
呼吸に合わせて、濃くなったり、薄まったりするのは、匂いも同じだった。
人を誘うように、中庭に漂わせていた匂いの発生源は、この猫で間違いなさそうで、となれば、その正体に思い至らないわけがなかった。
マタタビだ。
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