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子を亡くした母のあやかし
二十六
しおりを挟む自室に入って、障子戸を閉め、ため息を吐いた。
猫又が手伝ってくれたおかげで、大雨が降り注いだ部屋は、また使えるようになったとはいえ、どうしても、湿気臭いのが鼻につく。
しばし、あえて鼻をひくつかせ、匂いに慣れさせてから、障子戸から背中を放して、中央の電気を点ける。
作務衣と下着を脱ぎ、洗濯用の籠にいれて、パンツだけ身につけ、浴衣を羽織った。
襟を合わせて帯を結ぼうとしたところで、白いイタチが襖をすり抜けてきた。
かまわず、帯を絞めて、押し入れから布団をだそうとしているうちに、背後で白い着物姿の人に変化して、声をかけてくる。
「我聞、めっちゃ疳の虫やったけど、大丈夫やったか」
「まあ・・・」と布団を下ろしつつ、先の一波乱を思い起こしながら、その内容を語った。
「前日の依頼主から、追加の報酬が支払われて、そうなったらもう、外で遊び呆けて、二三日、帰らんかと思ったら三時間も経たんと戻ってきて」
臨時収入があったとして、散財することにしか目がなく、ツケや借金の返済に、一円も割こうとしない我聞だ。
「金ができたら必ず」「利子をつけて返すから」と泣きっ面で床に額を擦りつけながらも、一向に約束を果たそうとしないので、いい加減、町の人たちは指をくわえて待つばかりでなく、積極的に取り立てをしだした。
常日ごろ、町中で監視の目を緩めず、時折、俺や菊陽さんに探りをいれてくる。
金の匂いをキャッチしたとして、相手は仏僧のくせに、神がかった逃げ足の早さだから、騒ぎ立てて寺に乗りこむようなことはしない。
ひそかに速やかに、周りに情報を行き渡らせ、前から画策していた通り、町中に罠を仕込む。
で、あずかり知らず、のこのこ山の寺から下りてきた我聞を、町の総力をあげて、お縄にしようというわけだ。
人を虚仮にするように、ツケや借金を踏み倒す気満々に、放ってある我聞とて馬鹿ではないし、町の人らを見くびってはいない。
油断しているかに見せかけ、町に踏みだせば、目的地まで裏路地の迷路のようなルートを辿り、行く先で待ちかまえる罠や、影に潜む人を見破って、だし抜いていく。
そうして、これまで、町の人と我聞の攻防が繰り広げられ、勝負は五分五分。
今回は町に迷いこんだ猿の捕獲劇よろしく、どだばた騒動があった末、我聞は早々、御用になったらしい。
揉みあいや乱闘になった挙句、懐にいれていた全額、取り上げられたのだろう(それでも、まだ借金やツケが残っていそうだが)。
ジーンズは元々、破けていたものを「Holy shit!(なんてこった!)」とプリントされたTシャツもずたぼろにして、落武者のようなざまで、すごすごと我聞は寺に帰ってきた。
町の人と一戦交えてくるのは、予想していたとはいえ、まさか、三時間しか経たず、敗走してくるとは思ってもなく、縁側で猫又と談笑しているところで、でくわす羽目に。
目を合わせた瞬間、「なに、塩大福食っとんねん!」と怒鳴りつけ、後はもう、全身全霊で八つ当たりをしてきた。
依頼の解決には必要不可欠だった、猫の治療費、その出所について蒸し返し、「依頼が解決したからて、水に流さんからな!どっから金を持ちだしたか吐け!」と怒髪天になりつつ、町の人に袋叩きにされ、いいかえれば、よってたかって虐められたせいか、半泣きになっていたように思う。
「そういえば、猫又は、(ゴキブリジェットならぬあやかしジェットの)我聞が目の前にいても、平気やったけど、どうして?」
「そら、俺らと違って、生まれつき実態があるし、人の日常生活の一部みたいな存在やから。
それに、あの猫又は、かなり長生きしてて、自意識が強いを越して、仙人みたいな境地に至っとるから、我聞に一喝されたくらい、屁でもないやろ。
つっても、我聞に太刀打ちするにも化けた爺さんができる範囲しか、無理やろうけど。
口達者で煙に巻くことはできたとしても、腕力では、からきしなわけ」
猫又を分析してというより、身に覚えがあって語っているのだろうなと、思いつつ、布団を広げて整えていく。
敷いた布団に腰を下ろし、向き直れば「そういや、治療費のことは、わしも気になっとってん」と近づいて、こんこんも畳にあぐらをかく。
「洋服も四、五着しか持っとらんほど、お前が自由にできる金なんか、ほとんどないやんか。
お前に限って、我聞の財布から盗むようなこと、すると思えんし」
洋服に限っては、手持ちが少ないのは、必要がないから、でもある。
学校には制服、寺にいるとき、買い物などで外出するときは作務衣と、日ごろ、私服を着る機会は少ない。
おまけに「先代が作務衣、ぎょうさん、残してくれて、いくらでも替えがあるから」、洋服を買うのがもったいなく思えるのだ。
「なに、若者が色気のないこと、いうてんねん。
あんま節約しすぎると、心も貧しなるぞ」
「せやかて、町に作務衣着てくと、受けがええんやで。
町には檀家さんとか、おるし、そうでもない人でも、作務衣見ると『若いのに偉いねえ』いうて、値段まけてくれたり、商品にならん非売品をくれたり、なにかと、よおしてくれる」
「でも、お前、我聞の養子なのは、知れてるやろ。
ツケや借金を代わりに払えて、追いかけられたり、塩かけられて、店から追っ払われたりせんの?」
「なんていうか、お金のことで、我聞に困らされているのは、町の人と俺とでは同じやから、仲間意識あるようで、労ってくれる。
『君も苦労しとるなあ。これは、おまけや』みたいな。
菊陽さんなんかは、ヒモクズな夫を持つ健気な妻みたいに見られて、やっぱ、食べ物とかよお、もらうて」
「ふーん、人って、よお、分からんな。
とくに我聞なんか、言動が道理もへったくれもないから、怖いけど。
なけなしの、へそくりにも、どうせ、ぎゃあぎゃあ、けちをつけたんやろ。
元々、自分が生活費とか、けちっとるくせに」
こんこんが鼻を鳴らした通り、「ぎりぎりでやっとるのを、さらに節約して、貯めたんか。偉いなあ」と、あの鬼にも、たかりそうな、がめつい男が褒めてくれるわけがない。
自業自得とはいえ、情け容赦ない取り立てに合って、割と傷心しているなら尚更。
獣医にかかった費用を聞きだし、その分を返すよう命じてきた。
といって、外でバイトをしていない俺は、自ら稼いで返せなかったので、代わりに、もっと寺の手伝いをすることを求められ、プラスアルファ、月々の生活費や学費などの諸費用を減額するとのお達しがされた。
これ以上、要りようの費用が減らされたら、高校を辞めるしかない。
と、嘆いたところで、人が一円でも無駄遣いするのを許さない我聞が、聞く耳を持たないのは分かっていた。
気分屋でもあるから、意識を逸らせれば、打開できるかもしれないものを、いかにも金の亡者らしく、目の色を変えていては、なす術がなさそうで、「まあ、栄養失調で倒れるより、高校を辞めたほうが」と諦めようとしたとき、猫又が口を挟んだのだ。
「律義なことで」と。
好好爺然とした笑みを浮かべつつ、口にしたのは、不可解で皮肉っぽい一言。
ぎょろりとした目を剥きながら、意外にも、我聞は口をつぐみ、「提案があるけど、よろしいか」と告げられても、威嚇をするように睨むだけで、吠えたてなかった。
「新しいお手伝いさんが中々、見つからんいう話を猫又にしとってん。
で、自分がお手伝いさんになるて、立候補して。
報酬はいらんくて、猫が食べる分量の、ご飯をもらえるだけでええ。
給与を払わんでよくて、余ったご飯、分けるくらいなら、お手伝いさんを雇う費用を削減できる。
まあ、多分、お手伝いさんには、たいした報酬を払ってなかったんやろうけど、それでも、『あなたは倹約家なんやし、すこしでも、節約できるとなれば、悪い話やないやろう』て」
人には知れない、あやかしジェットの脅威を知るこんこんだけに、「我聞に、そんな嫌味かませるなんて、さすが猫又やな・・・」と茶化すでなく、額に汗を噴いて、生唾を飲みこむ。
俺が見ているのに、はっとして「つうても」と肩をすくめた。
「あやかしが、どうこういうより、大の動物嫌いな我聞は肯かなかったんちゃうか?
前は門から階段に、子猫、放ったいうし」
「いや、今回ばかりは、動物嫌いだけやなくて、自分が目に見えて、口も利けるあやかし相手やから、警戒したみたいや。
本体の猫や、化けた爺さんの姿形以上に、実質的な力ないて、分かってるんやろうけど、疑い深い人やし。
でも、また思いがけんで、猫又の一言で、飲んでもうた」
「なんや、我聞、悪いもんでも食ったんか。
その猫又の一言ってなんやねん」
「『このままやと、引っ込みがつかんくなるで』やて」
こんこんは首を傾げたし、俺も今一飲みこめていなかったので、口を閉ざした。
説明しようがなかったからだが、実は、省略した部分があって、その前段階を教えたくなかったせいもある。
猫又が謎の一言を発する直前のこと。「信用ならん」「猫はずる賢い」と飽きずに、いくらでも、いちゃもんをつけていた我聞が、息継ぎした隙に、告げたのだ。
「恩返しもあるけど、私はこの子を気に入った。
やから、この子を決して、悪いようにはせんよ」
相変わらず、にこやかにしながら、らしからぬ強引な手つきで俺の腰を掴んで寄せたもので。
瞬間、我聞は仏頂面を崩さないながら、頬をひきつらせ、猫又の胸ぐらを掴んで、頭突きせんばかりに、引き寄せた。
小柄な猫又は、つま先立ちしつつ、俺の腰を放さないまま。
お互い、挑発したり、恫喝したり、やかましくしないで、ひたすら無言でメンチを切ることしばし、猫又があの一言を口にしたなら、とたんに突きとばして、「好きにせえ」と去っていった。
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