生臭坊主と不肖の息子

ルルオカ

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子を亡くした母のあやかし

十九

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「はっ」と吐息が耳について、我に返る。
スマホを取ろうとして空振ってから、我聞と睨めっこしていた矢口冴子が、皮肉っぽく笑ったらしい。

令和のナイチンゲールの見る影なく、卑しく笑い「蹴られたて、猫又が証言したいうんか?」と顎をしゃくってみせる。

「猫又の証言なんか、誰が聞く耳持つねん、スマホの音声ファイルかて、決定打に欠けるわ。

あの子は虐待やと、はっきりと口にしてないし、私も認めてない。
虐待して、痛めつけてる場面が録られたもんでもない。

大体、音声なんか、なんぼでも、加工できる今やったら、証拠にならんやろ。
ネットやマスコミの支援者が多い、私の言葉と、曖昧なやりとりの音声データと、どっちが世間の支持を受けるか、試してみてもええで?」

「支援者」と聞いて、肩を揺らす。
資料を読んだだけのころなら、真に受けたかもしれないものを、病院で聞き込みをした後では、「はったりでは?」と勘ぐってしまう。

矢口加奈にも、似た物言いで、捻じ伏せていたようだから、尚更だ。

はじめから「女狐」呼ばわりしていた我聞にしたら、にわかな揺さぶりも、屁ではないらしく、「こっちは薬剤師を押さえてる」と低い一声で、彼女の口をつぐませた。

「あんたは、血糖値を下げるインスリンに見せかけ、逆に血糖値を上げるブドウ糖を、矢口加奈に注射で投与してた。

人手不足で、細かいとこまで目が行き届かん病院、しかも自分の手で看護してたとなれば、そら、ばれんかったんやろうが、にしたって、薬品の取り扱いは、中々、自分のいいように、よお、できん。

その点は、協力者がおるんやろう思うて、調べてみたら、矢口加奈が死んだ直後、薬剤師が辞めてた。
そいつは、娘の死をきっかけに、あんたに協力してたのが、ばれるんやないかと恐れて、行方をくらませたわけやな。

ま、そいつが阿呆で助かったわ。
案外、病院の近くでのうのうと、暮らしとった。

探しだして、問い詰めたら、協力的なもんで、洗いざらい、げろったで」

薬剤師がお漏らししたのを思い起こして、「協力的、ね」と思う。
詳細は置いといて、内容は嘘偽りないものだったが、我聞の得意げな口ぶりからして、「はったりや!」と噛みつきたくなりそうなところ。

案外、「証拠はあるんか」「薬剤師なんか知らん」と食い下がってこないで、矢口冴子は悔しげに、唇を噛んでいる。
戦闘意欲はまだありそうでも、面と向かって図星を突かれ、もたついているのかもしれない。

なんたって、これまでは自分の都合のいいようにばかり、支援者やマスコミが担ぎ上げてくれたから。
実態を知る、島津早苗をはじめ、病院の人は忙しくて、かまわなかったこともあり、ツッコミ不在のまま、つけあがってしまったのだろう。

ボケるつもりがなく、ボケにボケ倒しまくって、ツッコまれては、どれだけ厚顔無恥でも、恥じらいを覚えるものなのか。
意外に彼女は打たれ弱いのか。

どちらにしろ、我聞の(すこし調べれば分かることだったし)渾身でもないツッコミに、ぐうの音もでないようなのに、「周りが気づかんでよかったな」と追い討ちをかける。

「娘の死が、病院のせいやと騒ぎたてたんは、急に薬剤師が辞めたんを、不審がられんようにするためも、あったんやろ。
薬剤師から目を逸らさせるために、騒いだってわけや」

とくと彼女を辱めていたのが、ふと、真顔になって「いや、にしたって、ひっかかる」と呟く。

「病院側は、あんたを疑っていなかったし、いちゃもんつけられてからも、解雇をせんかった。
患者ウケがいいのを買ってたのもあるが、医療馬鹿のお人好しなんやろ。

おそらく、あんたが騒がんでも、薬剤師が辞めたのを、おかしいと、気づかんかった可能性のほうが、高いんやないか?

せや、あんたが騒ぐメリットは、あんまない。
元々、疑われてなかったんやから、じっとしとっても、誰も気にしんかったはずや。

むしろ、騒いで蒸し返したら、疑うきっかけを与えるかもしれんから、危ないやろ。
罪悪感に耐えられんで、精神を破綻させるタマでもないやろうし」

達磨のような、ぎょろりとした目を近づける。
口が利けないながら、彼女は睨み返したものを、「島津早苗か」と告げられて、瞳を揺らめかした。

「あんたは、島津早苗に対して、優越感を持ってた。

患者があんたを、令和のナイチンゲールやどうたら、誉めつつ、島津早苗を鬼やどうたらて、こきおろしとったからな。
聞いてて、さぞ、気分よかったやろ。

つっても、それは劣等感の裏返しやった。
仕事のできる島津早苗に、仕事のできんあんたは、嫉妬した。

患者の悪口聞いて、その屈辱を紛らわしてた。
いくら仕事できたかて、人望のある自分のほうが、人として勝ってるんやと」

「私があの女に嫉妬?」と嘲ったのに「人望な」と我聞も嘲る。

「残念ながら、あんたには、人望もなかった。
自分で、そう思い込んでいただけや。

自分をちやほやしてくれる、調子のいい奴の声しか聞かんかったせいやで?

百人力に仕事して、信頼もできる、島津早苗のほうが、患者はともかく、周りには慕われるってもんやろ。
そんな当たり前のことを、インフルエンザにかかったとき、思い知らされた。ちがうか?」

反抗心剥きだしの彼女が、やや身を引く。
秘密を掴んでいた猫又とて、矢口冴子の本性を、丸裸に暴きたてはしなかった。

だから今、語られているのは、我聞の想像によるものだ。

彼女の顔が青白くなっているに、心を透視されているようで、生きた心地がしないのだろう。
我聞がいうには「俺の並外れた、情報収集能力と洞察力の賜物や」らしいが、からくりを知る俺でも、超能力者めいて見える。





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