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子を亡くした母のあやかし
六
しおりを挟むテレビもネットも雑誌も見なく、それこそ坊さん並に、浮世離れした俺でも、「矢口冴子」の名には聞き覚えがあった。
クラスで一時期「矢口冴子がどうたら」と盛んに口にされていたように思う。
資料を読んでから、あらためて、教室で耳をそばだててみたものの、一度もその名を聞かなかったからに、彼女が引きこもりになったせいか、民衆が飽きたのか、騒動はすっかり下火になっているのだろう。
いってしまえば、流行遅れ。
警察からも、裁判所からも、門前払いを食らい、世間からもそっぽを向かれ、「やけになって、最後の頼みの綱にあやかしを?」と頭をひねりつつ、下校して、後光寺に戻った。
約束の時間の三十分前には、庫裏に着き、自室に向かおうとしたところで、曲がり角で、ばったりと我聞と鉢合わせ。
顔を上げる間もなく「遅いわ」と頭を叩かれた。
三十分前に用意しだすのは、決して遅くはないとはいえ、遅刻魔の我聞が、文句なしに身支度を整えているとあっては、抗議しにくい。
暴力的なのと、無愛想なのを抜きにすれば、朝からロックに決めていた格好から、我聞は見違えていた。
元が悪くないから、無精髭を剃っただけでも、割とこざっぱりした男前になる。
さらに、ぼさぼさ坊主を切り揃え、鼻ピアスを外し、おできに見せかける、肌色のピアスを装着。
葬式や法事向けの、正装用の法衣をわざわざ身につけ、トレードマークの、達磨のようなぎょろりとした目を細めれば、あら不思議。
女犯肉食酒豪の生臭坊主が、戒律厳守をする、ストイックで高尚そうな僧侶に変貌する(こんこん曰く「ホストっぽい」らしい)。
いくら、一丁前に坊主として格好をつけても、そもそも生臭坊主の悪評ぶりがあっては、誰も人生相談なんか、持ちかけそうにないところ。
檀家が遠のいて、町の人もツケを要求する以外、後光寺に寄りつかないのが、依頼人の訪問だけは、後が断たなかった。
怠け者のやさぐれ生臭坊主と知っていて、それでも、頼ってくるのか。
気取っても、所詮は生臭坊主の道化ぶりを見て、なんとも思わないのか。
依頼人の心理は解せないが、「裸の王様!」と誰もツッこんでくれないから、今日も今日とて、いかにも胡散臭く大袈裟に着飾り、我聞は本殿へと向かう。
急いで作務衣に着替え、庫裏と方丈をつなぐ渡り廊下で我聞に追いつき、本殿に顔を覗かせると、まだ二十分前のはずが、すでに依頼人が座っていた。
ちらりと湯のみを見たら、半分ほど減っていたからに、「遅いわ」というのは、いちゃもんでもなかったらしい。
「お待たせてして、すんませんね」と檀家には、だし惜しみする愛想を全開にして、我聞が向かいの座布団に座ったのに、つづいて畳に正座をする。
正体が不良坊主と知っているか、いないのか、どちらにしろ、相手は女だから「ええんですよ」と心持、しなをつくって笑い返す。
菊陽さんほど、女性人気はないものを、タイプが違う男前とあって、我聞も色目を向けられることは、少なくない。
今回の依頼人、矢口冴子のお好みは、菊陽さんのように中性的ではなく、我聞のように男臭い人のようだ。
「私が、いてもたってもおられんで、早めにきたもんですから」
資料に書かれていた彼女は、病的なヒステリーを起しているようだったものを、いざ体面した矢口冴子は、喪に服するように、慎ましくしていた。
ショートの黒髪に、黒のTシャツ、黒っぽいジーンズと、喪服までいかずとも、どこか己を戒めるように、洒落っ気をださず、飾り立てもしていない。
我聞に挨拶され、ほんの女っ気を見せたとはいえ、返事は礼儀正しく、気配りもできている。
娘の死と、社会の風当たりに打ちのめされ、家に引きこもっている割に、顔色はよく、情緒も安定しているようだ。
付け加えていえば、いつも我聞が布団に連れこむ、知能指数が低そうで感情的な女のタイプにも、当てはまらない。
「こちらは、お弟子さん?」
少々、余所見に考え事をしていたので、はっとする。
いつものように、「これは不肖の息子で」と紹介されるのを待ったが、中々、聞かれず、代わりに、依頼人には見えないよう、肘鉄をされた。
察して、無言で頭を下げれば、「あら、シャイなんやね」と矢口冴子はくすくすとして、不審がらなかったようだ。
先の肘鉄は「聞き流せ」との命令だけでなく、「気を抜くな」との注意喚起だろう。
資料と実物の印象が違うのに、俺が惑わされたのを、見逃さなかったらしい。
依頼人の事前調査と後追い調査を怠らない我聞は、案外、慎重であり、裏を返せば、疑い深い。
依頼人がどんな人物だろうと、その語りだけで、決して判断しようとはせず、多角的に探ったり調べていき、裏の顔がないか、腹に一物がないか、徹底して、相手を丸裸にしようとする。
というように、初対面で疑ってかかるのは常で、はじめから見破って、疑いの目を向けてはいないものを、元より、人を見る目はあるらしく、初めに、いい印象を持たなければ、たいてい、調査後もろくなことがなかった。
今回にしろ「不肖の息子」の紹介を省いたあたり、幸先はよくなさそうだ。
といって、警戒しているのを、もちろん気取らせないよう、「さて、今回はどういったご相談で」と檀家には向けない、スマイルゼロ円を惜しみなく、叩き売りする我聞。
「私のことは、一時期、よお、メディアで取り上げられてたから、知ってはると思います。
被害妄想やいう人もおりますけど、そうやないって、証拠はあるんです。
なんに、警察も裁判所も『母親の暴走や』決めつけて、冷めた目で見てくるし、周りの人も、はじめは『一緒に、がんばりましょう』いうてくれてたのが、少しもせんうちに、態度を豹変させて、『妄言につきあいきれんわ』て皆、去っていきました。
普通なら、ありえんことです。
証拠はある。
言い分にも十分な正当性がある。
なんに、世の中は、病院の横暴を見て見んふりをして、なんなら、私を邪魔者扱いしよる。
これはもう、社会や国がおかしいんか、呪われてるからとしか、説明できんように思えて」
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