生臭坊主と不肖の息子

ルルオカ

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子を亡くした母のあやかし

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起床は朝五時。作務衣に着替え、ご飯を研いで、野菜を切るなど、食事の下ごしらえをしたら、外を竹箒で掃きにいく。

昨日は風が強く、黄砂がとんでいたこともあり、掃いても掃いても、きりがなさそうだったが、竹箒を振るのをやめずに、少しずつ石畳を前進していった。

そうして砂を掃くのに没頭して、その気配に気づかなかった。
「なんや」と背後から声がしたと思えば、抱きつかれた。

「朝勃ちしんかったんか」

股間に這わせようとした手を、竹箒の棒で叩き、体を反転させ、向き合う。
肩をすくめて笑うのは、銀の髪に白い肌をした、俺と同じくらいの年恰好の少年だ。

俺とて、高校生にして似つかわしくない、作務衣を着ているが、彼もまた、とても流行ではない、白い無地の着物を身につけている。

「朝から、盛るな、こんこん」

竹箒で掃いて、砂埃をかけるようにして、遠ざける。
一歩退いたこんこんは、「つれへんなあ、庄司」と、俺が仏頂面なのに対し、しまりのない笑みを絶やさない。

「そらあ、いつだって盛るやん。
この寺にきて具現化できただけやなく、ちんこまで、ついてきたんやから」

やんごとないような、端正な顔つきに、全身が白っぽく、清楚な雰囲気をまといながら、「ちんこ」と口にされると、眉をひそめてしまう。

朝からのセクハラにうんざりしながらも、いちいち反応するのは、相手の思う壺だったから、あえて「君らも、性行為をすんのか?」と乗ってやる。

「さあ?というか、庄司、お前が、できる思てるし、わしにちんこがあるて、思ってるんやろ。
要は、わしとセックスをしたいと」

拒否しないなら、しないで、つけ上がらせるだけか。
と、早々、後悔して、応戦しようとしたとき。

「おはようございます」とまた、背後から声をかけられた。
こんこんの時より、距離はあったが、一呼吸して気を取り直してから、顔を向ける。

「菊陽さん、おはようございます」

門の下に立つ菊陽は、俺と同じく作務衣を着つつ、長い前髪を縛っている俺とは違って、きれいさっぱり剃髪し、年も二十上だ。
色白で細く、こんこんと似た狐顔ながら、彼は顔だけでなく、性格も物腰も品があり、おっとりしている。

指先まで神経が研ぎ澄まされたような、しなやかで繊細な所作は女性より女性らしい。
さすがは、かつて、歌舞伎の女形として「丹波菊陽」と名を馳せただけある。

剃髪してから、つきあいが短くない俺でも、首を傾げ微笑されると、目を泳がせてしまう。

隣のこんこんは、さぞ口を尖らせているだろうが、その非難めいた視線に見向きしないで、しずしずと歩いてくる菊陽を迎える。

「庄司くん、こんな朝から、掃除してはったのか。
やったら、私ももっと早くきたほうがええな」

「あ、いや、ええんですよ。

片桐さんが、これんくなったのを、急遽、菊陽さんにきてもらうことになったんですから。
菊陽さん、日中も忙しいのに」

「そら、日中、高校行ってる庄司くんも、同じやろ。
新しいお手伝いさんくるまで、二人で頑張ろな」

「とか、ええこと言いつつ、こいつ、我聞目当てやで」とこんこんが囁きかけたのに、応じずとも、僅かに頬をひきつらせた。

返事するタイミングも遅れてしまい、「どないしたの?」と聞いてきた菊楊さんは、でも、眼前のこんこんに焦点を合わせない。

「いえ、あの人に、菊陽さんの爪の垢を煎じて、飲ませたいな思て」と咄嗟に誤魔化せば、「ええ、そんな、堪忍してや」とやや頬を赤らめて、目を逸らす。
艶っぽいのは元女形だから、というだけでなく、先のこんこんの囁きが的を得たものだからだろう。

「じゃあ、私は暁鐘を鳴らしたら、庫裏のほうで、料理にとりかかるわ。
で、煮込んでいる間に、方丈のほうを掃除しよか」

早口にまくしたてたのに「はい、そうですね」と応じたなら、逃げるように、そそくさと庫裏のほうへ向かった。

一応、背中が視界から消えるまで、見送ろうとしたのを、途中で肩を抱かれ寄せられて、「あのな」とため息を吐かないではいられず。

「いくら、菊陽さんが見えんいうても、俺と話してるとき、口を挟まんといてや」

「ええやないか。ええやないか。
我聞がおるときは、傍にいられねんし。

わしも、あいつ、いけ好かんしな」

「お前が望むんなら、どうにかしたってええで」と耳に口付けるように、囁いてきた、その顎の下を竹箒の棒で突こうとした。

その前に跳び退りながらも、屁でもないように顎をしゃくって笑うのに、「こんこん、いい加減に」と頭に血を上らせたところで、ぽつぽつと雨が当たった。
つい先まで、朝焼けに雲ひとつなかったはずが。

「喧嘩はあかんよ」

雲に覆われた空から、視線を移せば、松の木の下に、死に装束のような白い着物を着た、長い黒髪の女が佇んでいた。
血色のない、暗い顔をして、大きな白い袋を肩に担いでいる。

「こんこんも、ここにありがたく、住まわせてもろてんねんから、庄司くんのいうこと、ちょお聞いてやり」

子を宥める母親のような物言いをされ、笑みを引っこめたこんこんは、ふてくされた顔をしつつも「分かったわ」と白いイタチに変化をした。
赤みがかった黒目で、俺をじっと見てから、女に振り返り、「あんたも、ちょお役に立ち」と偉そうな口を叩く。

「ここら、いつもより、埃っぽいねん。
あんたの縁起の悪そうな雨でも、流してやることできるやろ」

「こんこん」とたしなめようとしたら、人を小馬鹿にするように、舌をだしてみせ、本堂の裏の山へと走っていった。

ため息吐きつつ、肩の力を抜き、踏みだした足を戻して、「ごめん、雨女」と向き直る。
松の木の下で、鬱々とした表情をしがらも、僅かに口角を上げ、首を振る雨女。

「こんこんかて、あんたのこと、結構、気にかけてねんや。
それに、今日は、あの子がおらんなったこと、よお、思い起こすに、ほんま、ついでやし。

つうても、この埃っぽさは、あかんなあ」

「昨日はPM2.5やったいうやないか」と雨女の口から、現代的な用語が聞かれたのに、笑ってしまう。

見た目は陰湿でも、彼女の趣味はお笑い芸人の舞台観賞。
そのせいか、たまに、こうして、さりげなく、あやかしジョークのようなものを、かましてくる。

こんこん、こと管狐、雨女、他にも多数のあやかしが住みつくここは、義理の父親、「御白川 我聞」が住職を務める「後光寺」だ。

中心街の近くながら、高い石段を上った山奥に構えているとあって、辺鄙なぼろ寺との印象が強い。

本堂がある方丈と、住居部分の庫裏と合わせて、一軒屋くらいの規模で、こじんまりとしている。
が、一山を所有しているので、全体的には大規模で、他に人が住みついたり、建物や道がないから、尚のこと、広々としていた。

目が行き届きにくく、手入れもされてなくて、人が寄りつかないから、格好のあやかしのたまり場になっている。
という、わけでもない。

なんでも、彼らが住みつきだしのは、俺がこの寺の養子になってからだという。

こんこん曰く、「前から寺には、あやかしを必要とする人間が集まりやすかった」「その上で、お前がきたから、姿形を得られるようになった」とのこと。
詳しく説明をされたものを、今一、飲みこめていない。

自分には、あやかしを召還する力があるのか、その自覚はなかったが、幼いころから、異形の者が見えていたのは、たしかだ。
こんこんが述べたように、幼いころからずっと「あやかしを必要とする人間が集まりやすい」場にいたせいなのか。

何にしろ、そのころから、あやかしと目を合わせ、意思疎通もしていたので、後光寺にきても、さほど環境の変化に動じることはなかった。

快晴の日に、ふらりと雨女が顔を覗かせ、にわか雨を降らせる光景は、俺にすれば、至って日常的なものだ。

ちなみに雨女は、我が子を亡くした母親があやかしになったとされている。
「雨が降ると、大きな袋を担いで、子供の前に現れる」と説明されれば、「自ら雨を降らせる」との言い伝えもある。

子供の前に現れるとして、その後はどうするのか、記述はないらしく、まあ、雨女に限らず、諸説あり曖昧なのが、あやかしだ。

実際に、寺で見かける雨女は、後者に当たる。
子供の前に現れるか否かは、分からない。

というのも、雨女は後光寺以外では、姿を保てないからだ。
高校生の俺は子供といえる年に当たらないし、一応、寺には子供が入れないようになっている。

なってはいる、が。

「その袋、何が入っているん」

前から気になっていたことを、なんとなく、口にしてみた。

肩にかけ、腰まで深みがある袋は、いつも張りつめている。
中身については、やはり文献などに、記述がなかったものの、子供を亡くした母親が元のあやかしなら、サンタクロース的な胸弾むような想像はできない。

雨に打たれる前から、全身濡れそぼっている雨女は、すぐに応じず、暗い目をしたまま、微笑した。
口を開こうとして、雨脚を強くしてから、告げる。

「はよ、寺に戻らんと、着替えることになるで」

母親のような、懐深い一面を覗かせ、冗談をかますことがあっても、あやかしは、あやかしだ。

幼いころから、傍にいて、接してきて、俺は危害を加えられたことはないが、恐くないと思ったことはない。

「あやかしが人をたぶらかして、脅かすから恐いんやない。
人間以外にも、自分を傍で見とる存在がおると思わして、恐がらせるのが役目やねん」

いつか、こんこんが得意げにのたまったのを思い起こしながら、「せやな」と追求せずに、庫裏のほうに小走りにいった。

雨脚は強くなっていくばかりで、極端に湿度が上がったせいか、屋根の下に駆けこみ、振り返ったなら、辺りは霧がかっていた。

煙る雨と霧の向こうに、松の木の下に佇む、そのシルエットが滲んだ墨汁のように見える。

肩に担ぐ袋が、揺らめいて見えるのは、気のせいなのだろうか。




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