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マイヒーロー オワ マイデビル
⑯
しおりを挟むこの部屋を一歩でれば、とたんに洪水のような忙しさに飲みこまれ、愚痴どころか、あっぷあっぷで息つく暇もない。
いや、溺れるように忙しくしていられるのも、まだ、ましなのかも。
副店長を意識せず、明日以降のことを考えずに済むから。
というか、さぼるのが仕事のような副店長は、多忙極まる店内にはいないだろう。
いたとして、仕事とストレスが増えるだけだから、むしろ、ありがたい。
副店長によって、人間関係がぎくしゃくしているものの、激務に追われては、いちいち、いがみ合ったり、気まずくしていられず。
セールの死闘を乗り越えるため、今だけは、なにかと、さて置いて一致団結。
みんな、分かっている。
明日から、改装のため、従業員だけで仕事ととなれば、地獄になるだろうことは。
客の目がない分、さらに歯止めがなくなり、副店長が独裁的横暴をふるうだろうことは。
なにより、副店長に目をつけられたナビ太が行く末が案じられるところ。
改装時期になったら、どんな仕打ちをされるやら。
先が思いやられ、すでに胃がきりきりするが、客客客で視界が遮られている今は、副店長もナビ太も見かけず。
窒息しそうな混雑のなか、まさかイジメてはいないだろう。
と思いたい。
それにしても、小柄なナビ太は客の大波に、完全に溺れてしまっているよう。
なにせ、俺の担当のレジに一回も顔を見せていない。
担当のパソコン機器売り場が遠いといっても、レジには必要な用向きがあるはずが。
いつものように、だるそうな顔をして無抵抗に人の波に漂っているか。
副店長がいないのをいいことに、迷惑にも人の流れをせき止めて、久しぶりにパソコンオタクどもと心置きなくバトルしているのか。
まるで空気を読まずに「売り子つぶし」とは激論を交わし、白熱でもしているのか。
ナビ太に会えないことに心配するより、あれこれ想像して、微笑ましくなる。
客の混雑で視野が狭くなるのも、ワルクないかもしれない。
「いつ副店長の餌食になるやら」とハラハラしなくていいし。
なんて、いつまでも現実逃避していられず「ふん」と鼻息を噴いて、背筋を伸ばした。
昨日の疲労を引きずり、寝不足とあっては「まだ、いいじゃないかあー」とくたくたの体は訴えてくる。
が、ぴりぴりの神経は「立ち止まるな危険」と警告。
気が抜けすぎては恐いようで。
客の肘鉄を食らった、わき腹の疼きに歯を食いしばりながらも扉へとむかう。
ノブに手をかけようとして、ふと振りかえり、寝息を立てるパソコンたちを眺めるともなく眺めた。
紛失した社員カード。
ナビ太の未確認。
なにかが引っかかった。
重大なことを見落としているような。
脳みそがぶるりとして、なにか閃きかけたとき、扉を叩きつける音が。
「おい、なに優雅にサボってんだよ!」と扉ごしに絶叫されて、思いつきが霧散したこともあり、かっとしてしまう。
「こんなときにマスでもかいてんのかよ、ボケエ!」
高原も頭に血をのぼらせているらしく、爆弾発言。
まあまあと宥めるか、ツッコんで笑いにするか、いつものようにはできず「お前といっしょにするなあ!」と俺も俺で問題発言。
扉を開け放ったなら、拳を上げたままの高原の胸に、社員カードを叩きつけた。
はじめに、ど下ネタをかましたのは高原のくせに。
「なんてお下品な・・・!」とばかり、肩をすくめるし、どたばたしていた周りは一斉に足を止めて、だんまりだし。
まあ、どうせ皆、あらためて感想を抱く暇なく「かまってられるか」と舌打ちして、走りだすだろう。
あとでセクハラで訴えられるかもしれないが、知ったことかと、俺こそ舌打ちをし、硬直したままの人の間を縫って、店内へと向かった。
激戦地にもどれば、仕事に関係ない感情も思考も彼方に。
社員カードとナビ太についての、引っかかりも、すっかり忘れてしまった。
ただ、あいにく、そのときの直感、よくない心当たりは、どんぴしゃだったもので。
閉店時間が過ぎても客にごねられて、三時間後、やっと出入り口を施錠。
嵐が通ったあとのような店内の惨状、その片づけは明日することに。
打ちあげをする意気もなく、誰もが即帰宅を望んでいたところ「全員、事務所に集まるように」とアナウンスが死刑宣告のように響きわたった。
よりによって、朝から遭遇しないで済んでいた副店長から。
おのおの、ため息、舌打ち、恨み言を漏らししつつも、重い足取りで事務所に。
やつれた青白い顔の面々が室内にそろうと、肌がてかてかな副店長が、俺を一瞥して笑い、告げた。
「じつはナビ太が、この混雑に乗じてやらかしてな。
パソコンの、なんかよく分からん、くっそ高額な部品をポケットにいれたところ、俺が御用したんだよ。
で、調べてみたら、今回に限ったことでなく、常習的だったらしい。
よって直ちに解雇処分したことを、報告しておくわ」
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