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倒錯手紙墜落・高井
八
しおりを挟む時さんの話では、朝から頭痛を訴えてきて、水銀温度計で測ったところ微熱だったらしい。
心配する時さんに「なに、寝ていれば昼過ぎには直るだろう」と玉子酒を旨そうに飲んでいたというが、人のをしゃぶり尽くし足で扱き抜かれたとなれば、話は別だ。
朝より熱が上がった野田は、中々目を覚まさなかった。
完全に意識を閉ざしているようではなく「医者を」と時さんと話したいたら、眠ったままながら唸って顔を振ったものだ。
あまりに苦悶に満ちた表情をしていたから、さすがの俺も憐憫の情が湧いて「夕方まで目を覚まさなかったら、改めて考えよう」と時さんを説得した。
目を覚ますまでの間、野田の体を拭いて着替えさせ蒲団を敷きなおして、俺も体を拭いて時さんに借りた着物に着替えて、玄関から点々と落ちている泥と水滴を拭いて、ついで廊下を全体的に拭き掃除をした。
それらを一通り終えても野田は起きなかったので、時さんとお茶をし、普段はできないという男手が必要な作業を任され、黙々とこなした。
作業が終わるころには、障子が夕暮れの色に染まっていた。
いつの間にか雨は止んでいたらしく、障子を開けて見上げれば、屋根から水滴が落ちつつ、空を覆っていた雲はちぎれて、帯状に細長く並んでいた。
昼過ぎより空は明るくなり、赤みがかっているのが目に沁みるようだった。
作業終了の報告を時さんにしたところで、生姜湯を持たされた。
「生姜、仰山、入れたさかい。もしまだ起きんようやったら、無理に飲ませなはれ」とのことだ。
湯気立つのを嗅ぐだけでも、鼻の奥が痛くなるようなら、気付としては十二分だろう。
あまり鼻に湯気が当たらないように湯のみを運び、二階に上がって襖を開けたら、ずっと仰向けだった野田の顔が窓のほうに向いていた。
声をかけようとして、飲みこみ、襖を開けたままにして蒲団の傍に腰を下ろした。
湯のみを盆に乗せたところで「雨が降っていたときは、あんなに金木犀の香りが匂ったのに」と窓の隙間から覗く夕焼けを見つめているらしい野田が呟いた。
湯飲みから放そうとした指を跳ね、夕日の逆光になった後頭部を見つめる。
背筋を伸ばし、俺も窓の隙間から漏れる赤い日差しに目をやりながら、口を切った。
「あの人は何しにきたんだ」
やおら顔をこちらに向けた野田は、頬を薄く染めながらも、眠りこける前より顔色をよくしていた。
頭痛ももうしないのか、こめかみを引きつらせたり眉をしかめることなく、磊落に笑ってみせる。
「勝手に眼鏡でもよおして、勝手に夢想して、勝手に勃起して、帰っていったよ」
穏やかな表情をしながら、物騒なことを口にするものだ。
苦々しい思いがして顔をしかめれば「大丈夫」と苦笑し、天井を見やる。
「彼は僕よりまともだ」
自分を手篭めにしようとした相手をまともと評する野田の気は知れなかったが、何故だか、さほど反発心は湧かなかった。
それにしても、人が良すぎると、苛立たないこともなく「そうだな」とあえて即答をしてやる。
露骨だったから不本意なのが気取られて、ふっと笑った野田はまたも、寝ぼけたことをぬかした。
「案外、君たちは気が合うのかもしれない」
それこそ拳を振りあげ、撤回を迫りたくなるほど不本意だったが、天井を見るともなく見ているような野田を眺めていると、何だか気が抜けて、病人相手とあって情けをかけてやり、口をつぐんだままでいた。
否定しない俺を茶化してはこないで、野田は徐々に瞼を下ろしていき、少しもしないうちに寝息を立てはじめた。
先より、はっきりとした呼吸音で規則正しく聞こえるのに、医者は必要ないだろうと思いつつ、手に取った湯のみに口をつけ、一気に傾けた。
熱さと辛さに、悲鳴を上げ泣きそうになったが、口を真一文字に結び飲みきる。
舌と喉が火傷したようにひりつくのを噛みしめつつ、千代に山城の手紙を送ろうと、腹を決めたのだった。
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