倒錯文学入水

ルルオカ

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倒錯手紙墜落・山國屋

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「君は、そういうこと以外に人を思ったことはないのか」

「時さんが閉経しているからでは」との煽り文句に耳を貸さなかった野田先生が、ふとそう聞いてきた。

私はやや拍子抜けし、気づかぬうちに力んでいた肩を落とした。

やはり、体調が思わしくないようで、いつもより張り合いがない。
私とて、加虐性愛の適性があるとはいっても、病人を苛めるのは趣味でなかった。

応じようとして、湿り気を帯びた金木犀の香りに鼻腔をくすぐられ、一旦、口を閉じる。

忌まわしい記憶が揺り起こされ、やや神経が逆撫でられたものの、しばし目を閉じてから「思ったことありますよ」と白々しく告げた。

「学生のころでしたか。
同級生の友人でした。

しかし、結ばれることはありませんでしたよ。
私は元々、思いを打ち明けるつもりはありませんでしたが、その前に距離を置くことになってしまった。

女学生から恋文を渡されたのがきっかけです。
私宛ではなく、友人に渡してくれと頼まれましてね。

私は彼女の目の前で手紙を真っ二つに引き裂きました。
彼女が泣いて去っていった後、背後で物音がして、振り向いたら、友人が隠れて見ていたというわけです」

そう、あの時も小雨が降っており、女学生と対峙したその場には金木犀が植えられて、むせるような香りを放っていた。

恥らう女学生を見ているだけでも胸が悪かったところ、甘ったるい香りが体に纏わりついてきては、吐きそうになったものだ。

そんな嘔吐しかけた過去を忘れられないおかげで、今もまさに金木犀の香りに当てられているとはいえ、そんな心情とは裏腹に私は形のよい笑みを向ける。

「友人は『すまない』と謝りました。お前は、あの女学生を好きだったのだろうって。

まさかそんな風にとらえるとは思いませんでしたが、そう勘違いしてもらって助かりましたよ。
友人が勘付いていたら、どう事態が転ぶか分かりませんでしたからね。

別にはぐらかされたことに、私は怒っても悲しんでもいません。
反省をしただけです。

そも、山國屋五代目なら、よからぬ噂が立つような迂闊なことをしてはいけなかったわけですから」

友人が謝ったのは嘘ではないが、友人が勘違いしたのは、ふりだった。

嘘を吐くのが下手な友人は、顔を青ざめるのも、声を上ずるのも、傘を持つ手を震わせるのも、まるで隠せていなかった。
いっそ嘘を吐くなと叱ってやりたかったほどの体たらくぶりだったが、私は見て見ぬふりをした。

友人に勘違いしたふりをさせたままでいたほうが、私にも有益だったからだ。

こういうときに感情に走りきれず、損得で判断をするのが私という人間だった。半端に取り繕って逃げた友人を責められやしない。

体が弱っていることもあり、やりきれない失恋話に少しは同情してくれたのか、野田先生は天井に遠い目を向けていた。
かと思いきや「君には驕りがあるんじゃないか」と眉をひそめる。

「自分は誰よりも、意地汚い心根をしているって。
それとも、周りがそんなに罪のない人間に思えるのか?」

別に同情してくれることを期待していたわけではないとはいえ、非難がましい言葉が癇に障って笑みを引きつらせそうになる。

目敏くこちらを一瞥した野田先生は、表情の歪みに気づいたのか気づいていないのか。

また天井に向いて「僕は罪のない人間という言葉が嫌いなんだよ」と眉間に皺を寄せたまま、呟いた。

「罪なき人間は、この世にはいないと思うんだ。

だって、そうだろ?
僕達は食べて生きているのだから。

言い換えれば、生き物を食い殺して日々を送っているんだよ」

話が飛躍したように思え、心持、首を傾げる。

かまわず野田先生は「ああ、中には生きるために必要でもないのに、罪を犯す人間もいるさ」と天井に独白するようにつづけた。

「でも、故意に罪を犯さずとも、罪を作ってしまうことがある。

たとえば、家族に恵まれた人間が、幸せな家庭の素晴らしさを孤児に説いたとする。

その人間は罪を犯したくて犯しているのではない。
だからといって、孤児が傷つくのはおかしいというのは、それこそ、おかしいだろう」

言わんとしていることに気づき、とても笑みを保ったままでいられなくなった。

舌打ちは飲みこめたが「自分のことを棚に上げて、よく言えますね」と声が震えるのを抑えられなかった。

「あなただって、不倫をしたでしょう。
奥方に衣食住を世話になりながら。それでいて、あなたは罪を犯すつもりはなかったなんて、いうのですか」

旅館で手篭めにしようとしたときに「罪悪感があるなら、どうして死なないのか」と問いつめた。

言い換えれば「死んでいないのは、罪悪感がない証拠ではないか」と指摘をしたのだが、薬を盛られた野田先生は喘ぐだけで、一言も返してくれなかった。

そのときに返事ができなかった代わりというように「そうだな」と私に微笑を向ける。

「命を食い殺しながら、命の尊さを説く。
人は、僕も平気でそうする。

食べたそばから命を食い殺した罪を忘れる。

いや、そもそも、食い殺すのは生きるのに必要だから、罪に数えないでいいと思っているのかもな。
と、思えば、僕らは普通に生きているようで、中々狂っているのかもしれない」

平気な顔でいるのでは格好がつかないから、罪悪感があるふりをしているだけだ。
本当はこれっぽっちも悪いと思っていないのだろう。

相対するとき、私は笑みをたたえたまま、胸の内で野田先生をずっとそう責めたてていたのだろう。

だから却って、こうもあっけらかんと認められては、立つ瀬がなかった。

口を開けたまま言葉を失くす私を、野田先生はからかってこず「でも、君は命を食い殺した罪を忘れないのだろう」とまたも、思いがけないことを告げた。

「命を食い殺す罪を自覚して、積み重ねた罪をこぼさずに負って生きているのじゃないか?

はっ、おかしなものだ。
僕らより、僕を手篭めにしようとした君のほうが、まともな人間かもしれないというのは」

「私がまとも?」と耳を疑った。
私ほどの嘘吐きはいないというのに、と。



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