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倒錯手紙墜落・高井
三
しおりを挟む深い眠りに落ちたはずが、翌朝の目覚めは清清しいどころか、鬱々としていた。
夢見の悪さのせいだが、激昂した上官の鉄拳を頂いた影響は現実にまで及んで、起き上がってからも眩暈がするは足がふらつくはで、散々だった。
とはいっても、忍耐強いほうの俺だから、努めて平気な顔をして、目敏い彼女や目を光らせる叔父に気づかれずに、やり過ごした。
心配をさせたくないというより「坂田さん看病してやって」と叔父につけいる隙を与えたくなかったのと、これ以上、坂田に気に病まれるのを面倒くさく思ったからで。
そんな人の気も知らないで、旅行の連れ合いは時々、俺と坂田を囃したてながら、絶えず談笑をしていた。
よりによって軍人の話をしだし、夢見の悪さで過敏になっている俺は聞き流すことができなかった。
「生きて戦地から戻ってきた軍人が、戦友の妻に形見を渡しにいって、それがきっかけで懇ろになったのだと。
なんと、節度のないことか。
戦友を裏切る真似をして」
整備兵になる前なら、俺も同じようにその軍人を軽蔑したかもしれない。
何せ、曲がったことが大嫌いなのだから。
だが、俺は戦争を経て変わった。
いや、山城の最期に居合わせてから、否応なく変わらされた。
今の俺だったら「偉そうに言えるほど、あんたは正しく生きていたのかよ!」とそいつの胸倉を掴み揺さぶるだろう。
相手が旅行の連れ合いとあっては、下手に手を出せなく、見逃してはやったが、ただでさえ坂田の申し訳なさ攻撃で参っているところ、耳を汚されては胸糞悪いったらなかった。
いい加減、忍耐力も底をつきそうだったのを、どうにか踏んばって、旅館の傍にある山の散策道を叔父らと歩いていた。
はじめは横幅のあった道が狭まっていき、そのうち縦一列に並んで歩くようになると「足が遅い俺らの後をついてくるのは、若い人には、じれったいだろう」と叔父が提案をして、俺を先頭にさせ、その後ろに坂田に並ばせた。
しばらく行くと二股の道に行き当たり「右だよ」との叔父の指示に従って、その道を進んでいった。
散策道とは名ばかりに、登山道のように中々険しい道のりに、無駄口を叩いていた連中は少しもしないうちに、口をつぐんで歩くようになった。
それにしても静かすぎやしないかと、違和感を覚えたとき「高井さん」と坂田に声をかけられた。
気遣わしげな声にはっとして、振り返れば、坂田の後方に叔父らの姿がなかった。
また謀られたかと、頭に血が上りかけたが「すみません、私、全然気づかなくて」と坂田がうな垂れたのを見て、興醒めする。
「そんなことない」「悪いのは叔父らだ」と宥めてやるのが煩わしく、口をへの字にして叔父のいるだろう方向を睨みつけるも「はじめから、きちんと断るべきでした」と坂田の懺悔は留まらない。
「よそ様の慰安旅行に予定なく混ざることも、そう見せかけて縁談をすすめることも、私には良いことのように思えませんでした。
お相手のことを騙すようなことは、したくありませんでしたし。
けど、私、縁談がうまくいかないことがつづいて、親に申し訳なく思っていたのです。
だから、どうしても断りきれなくて。
ただ、今こうなってみれば、やっぱり断っておくべきでした。
高井さんに、こんなに迷惑をかけて不愉快な思いをさせてしまった。
こうなる前に、無理にでも帰っておいたらよかったですよね。
私が留まったばかりに、高井さんは叔父さんにこんな、ひどいことされて・・・」
頭の中で、鈍い音を立てて太い血管が切れるような音がした。
どうも忍耐力が底をついたようだ。
まだまだ敬虔なように悔い改めるのを聞かされそうだったから「いい加減にしろ」と声にどすを利かした。
びくりとして見あげてきた涙目の坂田を、冷ややかに見下ろす。
「あなたは言い訳ばかりだな。
口だけではなく、すこしは行動に移したらどうだ」
魂が抜けたように坂田は固まりながらも、濡れた瞳から涙をつ、と滴らせた。
すぐに俯いて頬を拭ったなら、そのまま俺から顔を背け、きた道を戻ろうとした。
が、涙目でよく見えなかったのだろう、道から外れて崖のようになった斜面のほうに踏みだす。
斜面までは、まだ一歩ほどあったとはいえ、地面に見えて枯葉が重なっていただけらしいそこに、足を突っこんでしまった。
泣いて気が動転していては、とても踏んばれないで、足を滑らせるまま体ごと斜面に引きずりこまれていく。
俺とて、瞬く間のことに吃驚したとはいえ、すかさず手を伸ばして坂田の手首を掴んだ。
やや遅かったようで、斜面に持っていかれそうな坂田の体重と重力に引っ張られるのに、踏み留まれない。
引っ張り返すのを諦め、あえて斜面に向かって跳びだし、坂田を包みこむように抱きしめた。
できるだけ体をずらし、落ちる方向に自分の背中を向ける体勢で、急な斜面を滑り落ちていった。
幸い、枯葉が敷きつめられた地面は柔らかく、途中で木に衝突することもなかったが、気が遠くなるほど長く滑り落ちていき、やっと水平の地面に行き当たったと思えば、頭を打ちつけて気を失った。
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