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倒錯文学入水
三
しおりを挟む私は地味で冴えない学生だった。
人付き合いに疎く異性とはさらに疎遠で、経験もまだだった。
初心というよりは、幼いころ慕っていた女中が突然、姿を消したことがあり、それ以来どこか女を信用できなくなったのかもしれない。
そんな私とは対照的に岡崎は広く浅く女の知り合いがいて、絶えず肉体を含めた関係を持っていた。
私は内向的、岡崎は外向的と、女を抜きにしても私たちは似たところがなかった。
でも、岡崎は「誰よりも、お前といると気が楽」と言い、私は岡崎のような人間にそう思われることが嬉しく、何かと二人でつるんでいることが多かった。
岡崎が女に夢中になると私とは会わなくなるとはいえ、どうせ長続きしないので、しばらくもしなうちに元の鞘に収まる。
寄っては去っていく女と、付き合いの期間だけで比べれば、僕のほうが圧倒的に長く岡崎と共にいた。
風向きが変わったのは、ある女の存在によってだ。
その女は茶屋の店員だった。
もちろん岡崎は茶屋に通いつめたとはいえ、女に声をかけるどころか、来店してから帰るまでずっと俯いていた。
まるで恥じるように。
奥手な男ならまだしも、百戦錬磨の岡崎には異例のことだ。
仕方なく私が仲立ちをしてやり女と言葉を交わせたにしろ、しどろもどろで見られたものではなかった。
ただ、そんな岡崎の手慣れてないさまを、女はむしろ好ましく思ったらしく、次回に訪れたときには私を介して手紙を渡してきた。
奥ゆかしそうな彼女のことだし、女から交際の申し込みをするのは気が引けたのだろう。
手紙の内容はあくまで文通の申し込みだったらしい。
これまで文通をするなんて、まともな手順を踏んだことのない岡崎だったけど「まどろっこしい」と手紙を捨てはしなかった。
その場で膝から崩れ落ち、手紙に顔を埋めたまま、しばらく動かなかったほど感極まっていた。
女から踏み出したのなら、岡崎も男の意気地を見せて関係を進展させるものかと思いきや、返事の手紙を僕から彼女に渡させた。
茶店で本人を目の前にしながら、だ。
岡崎は私を伴わなければ茶店に赴かず、手紙を直接、渡そうともしなかった。
彼女も彼女で注文を取りにくるときに持ってきた手紙を、岡崎を目の前にしながら僕に手渡した。
それで、彼女が厨房に引っ込んでから、私が向かいに座る岡崎に手紙を差しだすという始末だ。
何の茶番かと。
このままではいつまでも関係を深められないのではと、呆れつつ心配していたところ、不本意にもその通りになってしまった。
岡崎が結核にかかったのだ。
岡崎の実家、着物屋の番頭から言伝を受けとって、すぐに私は茶店の彼女に知らせにいった。
青ざめた彼女は、でも取り乱すことなく急いで書いた手紙を私に託して、深々と頭を下げた。
彼女の手紙を持ち岡崎の実家に訪ねていったものの「本人が誰にもうつしたくない、と言っておりまして。とくにあなたには、と」と母親に丁寧に断られた。
「そうですか」と私は応えつつ「彼への伝言を頼めますか」と言った。
「どうしても君宛ての手紙の内容を伝えたい。
襖越しでもいいから話せないか。
私のことは心配しなくてもいい。
体だけは人一倍丈夫で、これまで病気がしたことがないから、と」
母親や家の人間が、彼女のことをどこまで知っているか分からなかった。
となれば、彼女からの手紙を家族に預けていいものか、判断がつかなかったのだ。
そういった私の胸の内を察してだろう。
母親は「その手紙を渡していただければ」と申し出てくることなく「分かりました。お伝えしておきます」と引き下がった。
後日、番頭が「お坊ちゃまがお会いになると申しております」と呼びにきた。
そして私が申し出たとおりに襖越しで彼と会うことが叶った。
「調子はどうだい」となるべく、何気ないように聞いたのに岡崎は苦笑しつつ「今日はお前がくるというから、調子がいいよ」と応えてくれた。
思ったより声に張りがあり咳きこむこともなかったとはいえ、やせ我慢している可能性もあったから、私は息つく間もなく話した。
そうして町の様子や自分の近況を語ってから「彼女にも君のことを知らせたよ」と切り出した。
「手紙を預かっている。君に渡してもいいが」と言おうとしたら「お前がそこで読んでくれ。できるだけ接触はしたくないんだ」と言われた。
手紙には彼女の心配する心情が綴られており「どうか、一目でいいのでお目にかかることはできないでしょうか」と最後には懇願がされていた。
手紙を読み終わっても岡崎は何も言わなかった。
耳を澄ますと、必死に泣くのを堪える息遣いが聞きとれ、忍びなくなった私は挨拶をせずに、その日は帰っていった。
翌日に番頭が手紙を持って訪れ「坊ちゃんの言葉を代筆したものですので」と差しだしてきた。
手紙から感染する恐れはないと思われるとはいえ、岡崎は念に念を押したのだろう。
万が一、自分から彼女にうつってしまっては、やりきれないから。
すぐに茶店に訪れ彼女に事情を話して手紙を渡した。
彼女は手紙を持って一旦引っこみ、私がお茶を飲み干したころに戻ってきて、新たに書いた手紙を差しだしてきた。
「どうか、お願いします」と頭を下げたのを「そんな、やめてくれ」と肩に手をかけて起こさせたら、彼女の目は真っ赤になって腫れていた。
岡崎の家に訪れ手紙を読み聞かせ、翌日、番頭が持ってくる手紙を彼女に渡しにいき、ついでに彼女の手紙をもらい受ける。
前とは違う形で手紙の仲介をする日々がしばらく続いた。
どうせ暇な身だったから、行き来するのはさして重荷にならなかったとはいえ、心の負担のほうは、時にその重みに耐えられなくなりそうなときがあった。
襖越しでも分かる岡崎の憔悴ぶり。
日に日に生気が失われていっているのが感じ取られ辛くあると同時に、自分が何もしてやれないことが、もどかしく、やるせなかった。
それでも彼女の手紙が心の支えになっているのだろうと思えば、どれだけ憂鬱でも通うのを休むことはできなかった。
その日は症状が落ち着いていた。
相変わらず声の調子や息遣いは弱弱しかったものの、激しく咳きこむことなく、取り乱しもせずに平静を保っていた。
妙に落ち着き払っているのに、却って不安を覚えた。
それは話の内容からも感じ取れた。
それまで私が手紙を読み聞かせる以外に、彼女の話題に触れることはなかった。
結核が発覚した時点で、彼女には二度と会わないものと岡崎は腹をくくったのだろう。
その心情を察して私からも話題に上げなかったのだが、その日は岡崎のほうが「どうして彼女を好きになったと思う?」と切りだした。
「お前に似ていたからだよ。
口数が少なくて自己主張をあまりしない。
それでいて芯の強さがあって周りに流されることがない。
俺にはない強さを持つお前にずっと惹かれていた。
お前が女だったらよかったのにと、どれだけ思ったか分からない。
そしたら彼女が現れて、俺は本当の恋に落ちた・・・」
翌日、岡崎は亡くなった。お通夜から葬式まで一通り終えてから、私は手紙を携え茶店へと向かった。
茶店に入る前に彼女が外に出てきて私の手を取り、店と家の間の暗がりに連れこんだ。
私が手紙を渡すと彼女は受け取りながらも、封を開けずにそれを胸に抱きしめて泣きだした。
彼女が泣きつづけている間に私はお通夜や葬式の様子を語った。
話し終えるころには彼女も泣き止み「何かとありがとうございました」とあらためて頭を下げてきたので、その肩に手を添えた。
「気落ちするのはしかたがないが、後を追おうなど考えてはいけないよ」と語りかけ「岡崎は決して望みはしないから」と力づけるように肩をかるく叩いた。
「それでは」と背を向けようとしたそのとき。
彼女が胸にもたれてきた。
泣いてはいなかった。
覗く頬から耳にかけて肌が染まっており、心なし胸に擦りつけられる顔は熱っぽいように思えた。
私が両肩に手を添えると、おもむろに彼女は顔を上げた。
上気した頬に潤んだ瞳、熱い吐息が漏れる唇。
「私、ずっとあなたに優しくしてもらって、それで」とその後の言葉はつづかなかったが、言いたいことは分かりきっていた。
彼女が何を望んでいるのかも手に取るように分かって、肩に添える手に力を込めた私は「やっぱりな」と鼻で笑った。
「君、手紙で『あなたがいなくなっても、私は死ぬまで思い慕いつづけます』と書いていたじゃないか。
よく、いけしゃあしゃあと嘘を書けるなと感心したが、まさか、こんな早く岡崎を裏切るなんて」
彼女は艶っぽかった表情を一転させ、顔色を失くした。
かと思えば、すぐに顔を真っ赤にして眉を逆立て、私の胸を両手で突き飛ばし、表通りへと去っていった。
落としていった手紙を私は手に取り、帰路についた。
自宅に着くと部屋の隅にあった小さな行李を脇に抱えて庭へと出た。
一旦、行李を地面に置き、その傍に薪を並べて火をつけた。
ある程度、炎が立ち上ってから蓋を除いた行李を逆さにすると、大量の手紙が落ちてきた。
ほとんど封が切られていなく、切られているのは一通だけ。
岡崎が結核になったと知らせに行った時に、彼女に手渡された手紙だった。
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