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番外編
未来彼女 下
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長沢先生に私が未来から来たどころか、私の名前まで当てられてしまった後、私は長沢先生に連れられるまま彼の研究室にお邪魔していた。
研究室は空調が効いていて、暑い日差しが強かった外とは異なりかなり過ごしやすい。手持ち無沙汰な私と異なり、長沢先生ときたら随分ご機嫌なようで、鼻唄まじりにカタカタとキーボードを打っていた。
「あ、あのー……」
「ん?ああ、ごめんね。もう少しでキリのいいところまでいくから、お菓子でもつまみながら待ってて」
「は、はあ……」
私からしてみればお菓子どころではないのだが、どうにも長沢先生は話をしてくれる雰囲気にない。仕方なく戸棚を開けてみると、コンビニもビックリのお菓子の品揃えだった。チョコ系やポテチ系は言わずもがな。おつまみやアメリカっぽいお菓子に見たことないお菓子も多々ある。
なんだか、長沢先生が将来クマみたいな大男になってしまう片鱗を見てしまった気がした。
「……これは、奈々ちゃんに報告だね」
どのお菓子にするか悩んだ末にしばらく板チョコを食べていると、キリのいいところまで終わったのか、長沢先生が冷蔵庫から自分用だろうコーラと私用に缶コーヒーを取り出していた。だが、ブラックコーヒーなので、飲むのに躊躇してしまう。
私の手が空を泳いでいると、コーヒーの代わりにココアが投げられた。缶入りのやつで少し珍しい気がする。
「ふむ、そういうところは父親似のようだね」
私がまじまじとココアの缶を眺めていると、したり顔の長沢先生がそんなことを言ってきた。
瞬間、チクリと胸に小さなトゲが刺さる。それを私はココアの甘さと共に無理やり流し込んだ。
「別に、今は甘いものを飲みたい気分だっただけです」
「確かにこう熱い日は甘いものに限るね。君はよく分かっている」
「どうも……それよりも色々と聞きたいことがあるんですけど……」
「まあ、君が何を聞きたいかは大体想像できるし、僕はそのほとんどに答えを持っているだろう。けど、その前に一つだけ僕から質問させてくれ」
そう言う長沢先生の表情は真剣そのものだった。
初めて見る彼のその表情が自然と私に緊張感を走らせる。長沢先生は、私がママの体を借りている娘であることも、私が未来から来ていることも気づいているだろう。そんな人が私に何を質問したいというのだ。
「僕の娘って可愛い?」
「……っ!?」
あまりに予想外な質問に椅子から転げ落ちそうになってしまった。
この人、真剣な顔してなんて言った?
「はい?」
「いやいや、だから僕の娘って可愛いのかなぁって気になってしまってねー。僕のことは気にせず素直な意見をよろしく頼むよ」
「あの、唯一聞きたいことがそれですか?もっとこう他に色々と……」
「いや、僕が気になるのはそれくらいかな。後はまあ、だいたい君の最初の反応から想像がつくからね。例えば……僕は将来太っているとか。それもかなり太っているね、たぶんクマみたいになっているんじゃないかな」
「あ、当たってる……」
「ね?けど、さっきの質問は今僕が持っている情報からだと仮説を立てるまでにいかないんだよ。だから教えてくれると嬉しいかな」
「まあそういうことなら……」
それから、私は私の知る友人、長沢奈々について色々と話をした。
私にイタズラばっかりしてくることや、幼馴染みでついぞ高校を卒業するまでずっとクラスが一緒だったことなど。可愛いかどうかは、私が嫉妬するくらいには可愛いと伝えた。それだけだとなんだか癪に触るので、奈々がよく男遊びしているなんて余計なことも教えておいた。
「ありがとう。君は娘と仲良くしてくれているようだね。未来の僕に代わってお礼を言っておくよ」
「いえ、私も奈々ちゃんのことは好きですし、お礼を言われるようなことじゃ……それに、お礼を言うのは私の方で……」
「ふむ、これ以上は僕じゃなくて娘に伝えてあげるといい。きっと喜ぶと思うから」
思えば、私は奈々に「ありがとう」と感謝を伝えたことがないのかもしれない。ずっと一緒にいたし、いるのが当たり前だと思っていた。けれど、高校生活も卒業までの残り半年くらいしかないのだ。今のところ大学は同じところを受ける予定だけど、それもどうなるか分からないし、社会に出ていけばそれこそ一緒にいる可能性は低いはずだ。きっと、今までみたいに何も考えず、奈々と楽しく過ごせる時間は残り少ないのだ。
私は、長沢先生の言葉に小さく頷いた。
「さて、それじゃあ次は君の番だ。僕に何が聞きたい?とは言っても答えられるのは限られているけどね」
「じゃあ、ずっと気になってたんですけど、何で私がママじゃないって気づいたんですか?そんなに話した訳でもないのに」
「ああ、それね。あれは最初の奈々ちゃんのパパっていう一言でおかしいと思ったんだ」
「え、でもそれだけじゃ……」
「うん、普通はそれだけじゃあ分からないね。君がやろうとしたみたいに通そうと思えば冗談で通る。けど、君のお母さんは普通と異なる部分がある。君からしてみればあったかな?」
「……あ、記憶」
「そう、君のお母さんは1日しか記憶が残らない。正確にはもう少し短いけど、1日しか色んな出来事を記憶に留めておくことができないんだよ。だから、彼女は自分の知り合いらしき人には必ず確認するんだ『何とかさんで合ってますか?』てね」
「……そうだった。ママはそうだったんだ」
「だから、君が誤魔化そうとして僕のことを先生って呼んだときは、つい嬉しくて笑ってしまったんだよ。君が過去に来る頃には彼女は普通に近い生活を送れている。それも愛娘と一緒に過ごせているんだ。今を生きている僕たちからしたら、それはまだ想像もできないことだからね。まあ、まだまだ問題がありそうだけど」
「……奈々ちゃんのパパは、そこまでわかるんですね」
「これでも僕は君たちの両親をよく知っているんだ。君のお母さんの担当医だし、君のお父さんはこの研究室の一員だからね。まあ、ほとんどはただの予想だけど君の反応がわかりやすかったから、それで確信したって感じかな」
そんなに分かりやすかったのかな、とも思うが奈々もよく「マコって色々と顔に出るからわかりやすいよねー」なんてことを言っていた。こういうところは親子で似ているのかもしれない。そう思うと少しだけ奈々が羨ましかった。家族の繋がりというか絆というか……何か大切なものがこの親子にはきっとあるのだ。私たち家族には少し欠けてしまっている大切なものが……。
それから後もいくつか質問をしてみて私が知らなかった色んなことを知った。
まだ産まれてもいないのに私の名前はすでに決まっていたこと。例え私が男の子でも同じ名前だったみたいなので少し複雑な気持ちになった。
いま長沢先生はママの治療の研究を、あの人はママの失われてしまった記憶を取り戻そうと研究に励んでいること。それがどうしてタイムマシンなんてものを作るに至ってしまったのか、私にはわからないけど、それは未来の長沢先生に聞けばいいだろう。
そして、長沢先生にも私がどうやったら未来に帰られるかわからないらしいこと。それさえ分かれば話しは早かったのだが、人生そう上手くはいかないらしい。
「随分と話し込んだみたいだし、次の質問で終わりにしようか。君も未来に帰るためにいつまでもここにいるわけにはいかないだろうからね」
お代わりでもらったココアの缶も空いたころ、名残惜しそうに長沢先生はそう言った。
まだ聞きたいことはたくさんあるし、正直行く宛もないが、未来に帰るためにはいつまでもこうしている訳にはいかない。頭の中に浮かび上がるいくつもの選択肢、そりゃあ私の知らない過去に来ているのだからもっともっと色んなことを聞いておきたい。選択肢は無限に広がっていく。
だけど、私はその中から迷うことなく、ある一つの疑問を聞くことにした。
「……未来って変えられますか?」
長沢先生と別れた後。小腹も空いたこもあり、私は大学近くの繁華街を訪れていた。
ママの体は小柄だけど不思議なくらい色んな食べ物がお腹の中に吸い込まれていった。それだけ食べられてこのスタイルなのだから娘ながら本当に羨ましい。
現実逃避するようにデザートまで手を出してしまったが、それでも不安は拭えなかった。
……どうしたら帰れるのかな。
未だに答えのでない問いに、一人頭を抱えながら歩いていると、ガクンと引っ張られるような感覚と衝撃が急に体に走った。
「えっ!?」
後ろを向けば、私の手首を握った男が一人。彼に付随するかのように側にはニタニタと嫌な笑みを浮かべた男がさらに二人立っていた。
急な出来事でパニックに陥った頭は私から冷静な思考力を奪っていく。
「……離……して……」
喉から絞り出した声は小さすぎて男たちには届かない。
考えごとをしていてこんな人通りの少ない場所に来るなんて、なんて間抜けなんだ。さっきまでの呑気な自分を罵りながら、辺りを見回してみるが、助けてくれそうな人は誰もいない。
「女の子一人でこんなところにいるなんて危ないよ?それとも俺たちと遊びたいとか?」
「すこーし遅くなっちゃうけどさ、家まで送ってあげるから」
男たちが何を言っているかなんてよくわからなかったし、そんなことどうでもよかった。
奈々から聞いたものより随分とガラの悪い絡み方だが、つまるところ、ナンパとかそう言った類いのものだろう。こういうのはガツンと一発言ってやればいいのだ。
冷静になれと自分に言い聞かせながら、私の手首を握った男を睨み付ける。
「……離……し……て……くだ……さい……」
頭では分かっているつもりでも、恐怖で支配された私の体は言うことを聞かなかった。
最初よりもずっと小さな声は当然男たちに届かないし、抵抗する勇気も沸き上がらなかった。
自分がこんなにも弱いなんて知らなかった。
ナンパくらい軽く蹴飛ばせると思ってた。
だけど違った。
今の私は過去に来ていて、奈々もいなければ頼れるママもいない。
一人ぼっちだ。
そうこうしている間にも男たちはどこかへ連れていこうと私の腕を引っ張っていく。
「……離してよぉ……」
上擦った声が自分の耳から入ってくる。
それが悔しくて、情けなくて、でもどうしようないくらいに恐くて……沸き上がる暗い感情がぐちゃぐちゃに混ざっては膨れ上がっていた。
そんなときだった。
聞きなれた、けど、随分と久しぶりに聞く声が飛んできたのは。
「ましろちゃんから離れやがれ!このくそ野郎!!!」
すっかり滲んで歪んだ視界に一つの影が映った。
黒い影は男たちから私を切り離すと、私の手を握って走り出そう……とするも足が固まってしまった私のせいでその場から逃げられなかった。
「ましろちゃんの前でこういうのはしたくなかったんだけど……」
黒い影はそう小さく呟くと、男たちに向かって飛びかかる。
何度か鈍い音が響くと、蜘蛛の子を散らすように男たちはどこかへと消えていった。
「ましろちゃん、怖い思いさせてごめんね。怪我はない?」
もう大丈夫だから。と、いつの日かと同じように、あの人は私を安心させようと手を握ってきた。
さっきの男と違いその手はとても暖かい。それに私の知るものより大きく感じた。
手を繋いだ。
たったそれだけのことだったけれど、堪えきれずに涙が溢れてきた。
瞬間、表現のしきれない、名前も知らない感情が沸き上がってくる。そして、それはあっという間に私の心を満たし溢れだしていた。
「パパー!!!」
「えっ!?ましろちゃん!?」
素っ頓狂な声を挙げるあの人に縋るようにして、気がつくと私はあの人の胸に飛び付いていた。
「…………」
「…………」
……私、なにしてるんだろ。
ぼんやりとした頭で、さっきまでのことを思い出す。
ナンパから助けてもらった後は、幼い子供みたいに泣きじゃくり、パパの服を涙やら何やらでべちゃべちゃにしていた。
そうして、しばらくして落ち着いた私はパパに連れられるようにしてどこかへと向かっている。
揺れる視線の先にはしっかりと繋がれた手がある。手を繋いで歩くなんて何年ぶりだろう。ママとこうして歩くのは良くあることだ。だけど、この人とは……。
「ほら、着いたよ」
「ここって……」
少し視線を上げると、そこには満天の星空が広がっていた。
道中、まったく気がつかなかったが、ここは子供の頃よく家族で星を見に来ていた公園だ。
久しぶりに来たはずなのに、その景色はつい最近見たもののように頭のなかで鮮明に浮かび上がる。
「うん、何度説明しても恥ずかしいけど、ここで俺は……プロポーズしたんだよ」
「そうなんだ……」
知ってた。三人で来たときにママが嬉しそうに話してくれたから。
だけど、何故か私は知らない振りをしてしまった。
「ほらこっちこっち!ちょっと汚れるけど、とっても綺麗だよ」
そう言うとパパは芝の方へ駆けてって寝転がる。
私も真似るようにして隣に寝転がった。
視界すべてに満天の星空が広がる。その輝きは今も昔も変わらない景色を私に届けた。
「…………」
「…………」
「……何も聞かないんだね。私が誰か……とか」
星空を見て暫く。
隣で星を見る人が一向に何も言わないので、我慢できずに私の方から口を開いてしまった。
「うーん、気にはなるけど……君に安心してもらう方が先だから」
「そう……」
沈黙。
「ありがとう。だいぶ落ち着いてきたからもう大丈夫」
「それは良かった」
再び沈黙。
「私、誰だと思う?」
「ましろちゃん……と言いたいところだけど違うね。俺はあまり勘が良くないから外したらごめんね。先に謝っておく」
「別にいいよ。それで?誰だと思う」
「……一城マコ。俺とましろちゃんの子供。たぶん娘かな」
「正解、たぶんは余計」
「良かった。正解で……えっと、たぶんの方はごめん」
三度沈黙。
「パパはさ、どうしてママのこと好きになったの?」
「一目惚れ」
「……最低」
「あはは……やっぱり?けどね、それは俺にましろちゃんを見る目が無かっただけで、心底惚れた理由はまた別なんだよ」
「そうなんだ」
「……ん、ちょっと待てよ?そんなことを聞くってもしかしてマコちゃんは好きな人ができたとか?」
「全然ちがう……けど、そういうのに興味はあるかも」
嘘……ではない。誰かを好きになったということがないだけで、興味はある。何かが変わるかもしれないから。
それに、私の憧れだった人たちがどんな恋をしたのか。いましか聞けないことだからとても気になった。
「少し長くなるけど聞く?」
「……うん」
満天の星空を見ながら、パパとママの馴れ初めを聞いた。
それはそれはとても長い二人の道のりの話だった。
「悲しくないの?」
話を聞いて最初に浮かんだ疑問がそれだった。
未来を、これから二人が歩む結果を私は知っているから私は違う答えを出せる。でも、まだその途中であるいまを生きている彼のそれは、そこから導き出される答えはいわゆる悲恋というやつではないのだろうか。
「そりゃあ、悲しいことも辛いこともいっぱいあるよ……けどさ、それって当たり前なんだよ。誰かと一緒にいるってことは互いに傷付けるし傷付けられる。大切な人であればきっとたくさんそういうことがある。それでも……そんなことを吹き飛ばしてくれるくらい幸せなことがたくさんあるから、たくさん起きてほしいと願えるから好きなんだよ。だから、俺は誰になんと言われようと幸せかな。俺の恋は悲恋なんかじゃないよ」
その言葉が届く度、どこか私の中で欠けていた部分が満たされていった。
最近抱えていた虚無感や喪失感も同時に薄れていく。
すると、昔よくママが言っていた言葉が脳裏に浮かび上がってきた。
「ハッピーエンドが一番……か」
「そうそう!ハッピーエンドが最高だよ」
星空の下、ニカッと笑うパパの顔はあまり父親らしくないはじめて見る顔だった。
この人はいつだってそうだった。大好きな人のために一生懸命で、その好きな人が幸せだったら自分も幸せになるような人だった。……だから、私はパパが許せなかったんだ。私もママも同じことを考えていたのに……
「ねえ……」
「うん?」
「もしも私が未来に起きることを教えたとしたら、未来ってどうなるの?」
長沢先生の答えを脳裏に浮かべながら、私は目の前にいる大切だった人にそう質問した。
「うーん、難しいなー……どういう風に世界だったり時間を解釈するかによると思うけど、個人的な答えとしては未来は変わらない……かな」
「そっか……」
「例え、俺が未来のことを知ったとしてもそれは俺が未来を知らないまま訪れていた未来と結局同じものになる。世界は収束するからね……て、少し難しいか」
「大丈夫。似た話を教えてもらったから」
「未来の学校は進んでるんだなー」
「そうだね」
別に長沢先生に教えてもらっただけで学校で教えてもらったわけでもないのだが、そこの訂正をしても大差ないと思ったので特には触れなかった。
「じゃあ……タイムマシンがあるとしたらパパはどうする?」
「そんなの一択だけだね」
その後に続く答えを聞いて私は納得してしまった。
目の前にいる人はこのときからそんな途方もないことを考えていたのだと。しかもあげくのはてにそれを作ってしまうのだから本当にとんでもない。
でもそれもこれも彼が言う恋の結果だというなら納得できてしまう。
不思議なくらい私の中では、その答えを聞いた瞬間目の前にいる人の行動すべてが府に落ちてしまった。
「未来は変わらないのに?」
「うん、でも考え方を変えれば、過去で未来を変えればそれは未来で確実に起きてくれる未来に変わる。つまりは希望に変わるはずなんだよ。まあ、俺はそこまでのことは求めないけど……」
「そっか……じゃあ、私からも一つだけ」
過去を変えたところで、未来は変わらない。
だけど、過去を変えて作った……そう思った未来は、もしかしたら今の自分よりもっと先の自分知っている変わった過去になるかもしれない。
考え出すと、世界だか時間の流れだかまで考えられない私の頭では理解できないしこんがらがるが、それでもせっかく過去に来たのだから、決まりきった明るい未来のために手助けをしてもいいのかもしれない。
私は別に何もしていない。だって私が何をするでもなく私たちの未来は明るいのだから。
だから少しだけ……
「あのね……そう遠くない未来で、パパは私たちを助けようとして……!?」
言ってる途中だった。
伝えてる途中だったのに、そこで私の意識はブレーカーを落とすみたく突然切れた。
何の予兆もなかったので一言を振り絞ることもできずに終わってしまった。
瞬間、私は最後の一言を伝えきれる前に未来へ戻ってしまった。
それに気づいたのは、いつものベッドで目を覚ましてからのことだった。
研究室は空調が効いていて、暑い日差しが強かった外とは異なりかなり過ごしやすい。手持ち無沙汰な私と異なり、長沢先生ときたら随分ご機嫌なようで、鼻唄まじりにカタカタとキーボードを打っていた。
「あ、あのー……」
「ん?ああ、ごめんね。もう少しでキリのいいところまでいくから、お菓子でもつまみながら待ってて」
「は、はあ……」
私からしてみればお菓子どころではないのだが、どうにも長沢先生は話をしてくれる雰囲気にない。仕方なく戸棚を開けてみると、コンビニもビックリのお菓子の品揃えだった。チョコ系やポテチ系は言わずもがな。おつまみやアメリカっぽいお菓子に見たことないお菓子も多々ある。
なんだか、長沢先生が将来クマみたいな大男になってしまう片鱗を見てしまった気がした。
「……これは、奈々ちゃんに報告だね」
どのお菓子にするか悩んだ末にしばらく板チョコを食べていると、キリのいいところまで終わったのか、長沢先生が冷蔵庫から自分用だろうコーラと私用に缶コーヒーを取り出していた。だが、ブラックコーヒーなので、飲むのに躊躇してしまう。
私の手が空を泳いでいると、コーヒーの代わりにココアが投げられた。缶入りのやつで少し珍しい気がする。
「ふむ、そういうところは父親似のようだね」
私がまじまじとココアの缶を眺めていると、したり顔の長沢先生がそんなことを言ってきた。
瞬間、チクリと胸に小さなトゲが刺さる。それを私はココアの甘さと共に無理やり流し込んだ。
「別に、今は甘いものを飲みたい気分だっただけです」
「確かにこう熱い日は甘いものに限るね。君はよく分かっている」
「どうも……それよりも色々と聞きたいことがあるんですけど……」
「まあ、君が何を聞きたいかは大体想像できるし、僕はそのほとんどに答えを持っているだろう。けど、その前に一つだけ僕から質問させてくれ」
そう言う長沢先生の表情は真剣そのものだった。
初めて見る彼のその表情が自然と私に緊張感を走らせる。長沢先生は、私がママの体を借りている娘であることも、私が未来から来ていることも気づいているだろう。そんな人が私に何を質問したいというのだ。
「僕の娘って可愛い?」
「……っ!?」
あまりに予想外な質問に椅子から転げ落ちそうになってしまった。
この人、真剣な顔してなんて言った?
「はい?」
「いやいや、だから僕の娘って可愛いのかなぁって気になってしまってねー。僕のことは気にせず素直な意見をよろしく頼むよ」
「あの、唯一聞きたいことがそれですか?もっとこう他に色々と……」
「いや、僕が気になるのはそれくらいかな。後はまあ、だいたい君の最初の反応から想像がつくからね。例えば……僕は将来太っているとか。それもかなり太っているね、たぶんクマみたいになっているんじゃないかな」
「あ、当たってる……」
「ね?けど、さっきの質問は今僕が持っている情報からだと仮説を立てるまでにいかないんだよ。だから教えてくれると嬉しいかな」
「まあそういうことなら……」
それから、私は私の知る友人、長沢奈々について色々と話をした。
私にイタズラばっかりしてくることや、幼馴染みでついぞ高校を卒業するまでずっとクラスが一緒だったことなど。可愛いかどうかは、私が嫉妬するくらいには可愛いと伝えた。それだけだとなんだか癪に触るので、奈々がよく男遊びしているなんて余計なことも教えておいた。
「ありがとう。君は娘と仲良くしてくれているようだね。未来の僕に代わってお礼を言っておくよ」
「いえ、私も奈々ちゃんのことは好きですし、お礼を言われるようなことじゃ……それに、お礼を言うのは私の方で……」
「ふむ、これ以上は僕じゃなくて娘に伝えてあげるといい。きっと喜ぶと思うから」
思えば、私は奈々に「ありがとう」と感謝を伝えたことがないのかもしれない。ずっと一緒にいたし、いるのが当たり前だと思っていた。けれど、高校生活も卒業までの残り半年くらいしかないのだ。今のところ大学は同じところを受ける予定だけど、それもどうなるか分からないし、社会に出ていけばそれこそ一緒にいる可能性は低いはずだ。きっと、今までみたいに何も考えず、奈々と楽しく過ごせる時間は残り少ないのだ。
私は、長沢先生の言葉に小さく頷いた。
「さて、それじゃあ次は君の番だ。僕に何が聞きたい?とは言っても答えられるのは限られているけどね」
「じゃあ、ずっと気になってたんですけど、何で私がママじゃないって気づいたんですか?そんなに話した訳でもないのに」
「ああ、それね。あれは最初の奈々ちゃんのパパっていう一言でおかしいと思ったんだ」
「え、でもそれだけじゃ……」
「うん、普通はそれだけじゃあ分からないね。君がやろうとしたみたいに通そうと思えば冗談で通る。けど、君のお母さんは普通と異なる部分がある。君からしてみればあったかな?」
「……あ、記憶」
「そう、君のお母さんは1日しか記憶が残らない。正確にはもう少し短いけど、1日しか色んな出来事を記憶に留めておくことができないんだよ。だから、彼女は自分の知り合いらしき人には必ず確認するんだ『何とかさんで合ってますか?』てね」
「……そうだった。ママはそうだったんだ」
「だから、君が誤魔化そうとして僕のことを先生って呼んだときは、つい嬉しくて笑ってしまったんだよ。君が過去に来る頃には彼女は普通に近い生活を送れている。それも愛娘と一緒に過ごせているんだ。今を生きている僕たちからしたら、それはまだ想像もできないことだからね。まあ、まだまだ問題がありそうだけど」
「……奈々ちゃんのパパは、そこまでわかるんですね」
「これでも僕は君たちの両親をよく知っているんだ。君のお母さんの担当医だし、君のお父さんはこの研究室の一員だからね。まあ、ほとんどはただの予想だけど君の反応がわかりやすかったから、それで確信したって感じかな」
そんなに分かりやすかったのかな、とも思うが奈々もよく「マコって色々と顔に出るからわかりやすいよねー」なんてことを言っていた。こういうところは親子で似ているのかもしれない。そう思うと少しだけ奈々が羨ましかった。家族の繋がりというか絆というか……何か大切なものがこの親子にはきっとあるのだ。私たち家族には少し欠けてしまっている大切なものが……。
それから後もいくつか質問をしてみて私が知らなかった色んなことを知った。
まだ産まれてもいないのに私の名前はすでに決まっていたこと。例え私が男の子でも同じ名前だったみたいなので少し複雑な気持ちになった。
いま長沢先生はママの治療の研究を、あの人はママの失われてしまった記憶を取り戻そうと研究に励んでいること。それがどうしてタイムマシンなんてものを作るに至ってしまったのか、私にはわからないけど、それは未来の長沢先生に聞けばいいだろう。
そして、長沢先生にも私がどうやったら未来に帰られるかわからないらしいこと。それさえ分かれば話しは早かったのだが、人生そう上手くはいかないらしい。
「随分と話し込んだみたいだし、次の質問で終わりにしようか。君も未来に帰るためにいつまでもここにいるわけにはいかないだろうからね」
お代わりでもらったココアの缶も空いたころ、名残惜しそうに長沢先生はそう言った。
まだ聞きたいことはたくさんあるし、正直行く宛もないが、未来に帰るためにはいつまでもこうしている訳にはいかない。頭の中に浮かび上がるいくつもの選択肢、そりゃあ私の知らない過去に来ているのだからもっともっと色んなことを聞いておきたい。選択肢は無限に広がっていく。
だけど、私はその中から迷うことなく、ある一つの疑問を聞くことにした。
「……未来って変えられますか?」
長沢先生と別れた後。小腹も空いたこもあり、私は大学近くの繁華街を訪れていた。
ママの体は小柄だけど不思議なくらい色んな食べ物がお腹の中に吸い込まれていった。それだけ食べられてこのスタイルなのだから娘ながら本当に羨ましい。
現実逃避するようにデザートまで手を出してしまったが、それでも不安は拭えなかった。
……どうしたら帰れるのかな。
未だに答えのでない問いに、一人頭を抱えながら歩いていると、ガクンと引っ張られるような感覚と衝撃が急に体に走った。
「えっ!?」
後ろを向けば、私の手首を握った男が一人。彼に付随するかのように側にはニタニタと嫌な笑みを浮かべた男がさらに二人立っていた。
急な出来事でパニックに陥った頭は私から冷静な思考力を奪っていく。
「……離……して……」
喉から絞り出した声は小さすぎて男たちには届かない。
考えごとをしていてこんな人通りの少ない場所に来るなんて、なんて間抜けなんだ。さっきまでの呑気な自分を罵りながら、辺りを見回してみるが、助けてくれそうな人は誰もいない。
「女の子一人でこんなところにいるなんて危ないよ?それとも俺たちと遊びたいとか?」
「すこーし遅くなっちゃうけどさ、家まで送ってあげるから」
男たちが何を言っているかなんてよくわからなかったし、そんなことどうでもよかった。
奈々から聞いたものより随分とガラの悪い絡み方だが、つまるところ、ナンパとかそう言った類いのものだろう。こういうのはガツンと一発言ってやればいいのだ。
冷静になれと自分に言い聞かせながら、私の手首を握った男を睨み付ける。
「……離……し……て……くだ……さい……」
頭では分かっているつもりでも、恐怖で支配された私の体は言うことを聞かなかった。
最初よりもずっと小さな声は当然男たちに届かないし、抵抗する勇気も沸き上がらなかった。
自分がこんなにも弱いなんて知らなかった。
ナンパくらい軽く蹴飛ばせると思ってた。
だけど違った。
今の私は過去に来ていて、奈々もいなければ頼れるママもいない。
一人ぼっちだ。
そうこうしている間にも男たちはどこかへ連れていこうと私の腕を引っ張っていく。
「……離してよぉ……」
上擦った声が自分の耳から入ってくる。
それが悔しくて、情けなくて、でもどうしようないくらいに恐くて……沸き上がる暗い感情がぐちゃぐちゃに混ざっては膨れ上がっていた。
そんなときだった。
聞きなれた、けど、随分と久しぶりに聞く声が飛んできたのは。
「ましろちゃんから離れやがれ!このくそ野郎!!!」
すっかり滲んで歪んだ視界に一つの影が映った。
黒い影は男たちから私を切り離すと、私の手を握って走り出そう……とするも足が固まってしまった私のせいでその場から逃げられなかった。
「ましろちゃんの前でこういうのはしたくなかったんだけど……」
黒い影はそう小さく呟くと、男たちに向かって飛びかかる。
何度か鈍い音が響くと、蜘蛛の子を散らすように男たちはどこかへと消えていった。
「ましろちゃん、怖い思いさせてごめんね。怪我はない?」
もう大丈夫だから。と、いつの日かと同じように、あの人は私を安心させようと手を握ってきた。
さっきの男と違いその手はとても暖かい。それに私の知るものより大きく感じた。
手を繋いだ。
たったそれだけのことだったけれど、堪えきれずに涙が溢れてきた。
瞬間、表現のしきれない、名前も知らない感情が沸き上がってくる。そして、それはあっという間に私の心を満たし溢れだしていた。
「パパー!!!」
「えっ!?ましろちゃん!?」
素っ頓狂な声を挙げるあの人に縋るようにして、気がつくと私はあの人の胸に飛び付いていた。
「…………」
「…………」
……私、なにしてるんだろ。
ぼんやりとした頭で、さっきまでのことを思い出す。
ナンパから助けてもらった後は、幼い子供みたいに泣きじゃくり、パパの服を涙やら何やらでべちゃべちゃにしていた。
そうして、しばらくして落ち着いた私はパパに連れられるようにしてどこかへと向かっている。
揺れる視線の先にはしっかりと繋がれた手がある。手を繋いで歩くなんて何年ぶりだろう。ママとこうして歩くのは良くあることだ。だけど、この人とは……。
「ほら、着いたよ」
「ここって……」
少し視線を上げると、そこには満天の星空が広がっていた。
道中、まったく気がつかなかったが、ここは子供の頃よく家族で星を見に来ていた公園だ。
久しぶりに来たはずなのに、その景色はつい最近見たもののように頭のなかで鮮明に浮かび上がる。
「うん、何度説明しても恥ずかしいけど、ここで俺は……プロポーズしたんだよ」
「そうなんだ……」
知ってた。三人で来たときにママが嬉しそうに話してくれたから。
だけど、何故か私は知らない振りをしてしまった。
「ほらこっちこっち!ちょっと汚れるけど、とっても綺麗だよ」
そう言うとパパは芝の方へ駆けてって寝転がる。
私も真似るようにして隣に寝転がった。
視界すべてに満天の星空が広がる。その輝きは今も昔も変わらない景色を私に届けた。
「…………」
「…………」
「……何も聞かないんだね。私が誰か……とか」
星空を見て暫く。
隣で星を見る人が一向に何も言わないので、我慢できずに私の方から口を開いてしまった。
「うーん、気にはなるけど……君に安心してもらう方が先だから」
「そう……」
沈黙。
「ありがとう。だいぶ落ち着いてきたからもう大丈夫」
「それは良かった」
再び沈黙。
「私、誰だと思う?」
「ましろちゃん……と言いたいところだけど違うね。俺はあまり勘が良くないから外したらごめんね。先に謝っておく」
「別にいいよ。それで?誰だと思う」
「……一城マコ。俺とましろちゃんの子供。たぶん娘かな」
「正解、たぶんは余計」
「良かった。正解で……えっと、たぶんの方はごめん」
三度沈黙。
「パパはさ、どうしてママのこと好きになったの?」
「一目惚れ」
「……最低」
「あはは……やっぱり?けどね、それは俺にましろちゃんを見る目が無かっただけで、心底惚れた理由はまた別なんだよ」
「そうなんだ」
「……ん、ちょっと待てよ?そんなことを聞くってもしかしてマコちゃんは好きな人ができたとか?」
「全然ちがう……けど、そういうのに興味はあるかも」
嘘……ではない。誰かを好きになったということがないだけで、興味はある。何かが変わるかもしれないから。
それに、私の憧れだった人たちがどんな恋をしたのか。いましか聞けないことだからとても気になった。
「少し長くなるけど聞く?」
「……うん」
満天の星空を見ながら、パパとママの馴れ初めを聞いた。
それはそれはとても長い二人の道のりの話だった。
「悲しくないの?」
話を聞いて最初に浮かんだ疑問がそれだった。
未来を、これから二人が歩む結果を私は知っているから私は違う答えを出せる。でも、まだその途中であるいまを生きている彼のそれは、そこから導き出される答えはいわゆる悲恋というやつではないのだろうか。
「そりゃあ、悲しいことも辛いこともいっぱいあるよ……けどさ、それって当たり前なんだよ。誰かと一緒にいるってことは互いに傷付けるし傷付けられる。大切な人であればきっとたくさんそういうことがある。それでも……そんなことを吹き飛ばしてくれるくらい幸せなことがたくさんあるから、たくさん起きてほしいと願えるから好きなんだよ。だから、俺は誰になんと言われようと幸せかな。俺の恋は悲恋なんかじゃないよ」
その言葉が届く度、どこか私の中で欠けていた部分が満たされていった。
最近抱えていた虚無感や喪失感も同時に薄れていく。
すると、昔よくママが言っていた言葉が脳裏に浮かび上がってきた。
「ハッピーエンドが一番……か」
「そうそう!ハッピーエンドが最高だよ」
星空の下、ニカッと笑うパパの顔はあまり父親らしくないはじめて見る顔だった。
この人はいつだってそうだった。大好きな人のために一生懸命で、その好きな人が幸せだったら自分も幸せになるような人だった。……だから、私はパパが許せなかったんだ。私もママも同じことを考えていたのに……
「ねえ……」
「うん?」
「もしも私が未来に起きることを教えたとしたら、未来ってどうなるの?」
長沢先生の答えを脳裏に浮かべながら、私は目の前にいる大切だった人にそう質問した。
「うーん、難しいなー……どういう風に世界だったり時間を解釈するかによると思うけど、個人的な答えとしては未来は変わらない……かな」
「そっか……」
「例え、俺が未来のことを知ったとしてもそれは俺が未来を知らないまま訪れていた未来と結局同じものになる。世界は収束するからね……て、少し難しいか」
「大丈夫。似た話を教えてもらったから」
「未来の学校は進んでるんだなー」
「そうだね」
別に長沢先生に教えてもらっただけで学校で教えてもらったわけでもないのだが、そこの訂正をしても大差ないと思ったので特には触れなかった。
「じゃあ……タイムマシンがあるとしたらパパはどうする?」
「そんなの一択だけだね」
その後に続く答えを聞いて私は納得してしまった。
目の前にいる人はこのときからそんな途方もないことを考えていたのだと。しかもあげくのはてにそれを作ってしまうのだから本当にとんでもない。
でもそれもこれも彼が言う恋の結果だというなら納得できてしまう。
不思議なくらい私の中では、その答えを聞いた瞬間目の前にいる人の行動すべてが府に落ちてしまった。
「未来は変わらないのに?」
「うん、でも考え方を変えれば、過去で未来を変えればそれは未来で確実に起きてくれる未来に変わる。つまりは希望に変わるはずなんだよ。まあ、俺はそこまでのことは求めないけど……」
「そっか……じゃあ、私からも一つだけ」
過去を変えたところで、未来は変わらない。
だけど、過去を変えて作った……そう思った未来は、もしかしたら今の自分よりもっと先の自分知っている変わった過去になるかもしれない。
考え出すと、世界だか時間の流れだかまで考えられない私の頭では理解できないしこんがらがるが、それでもせっかく過去に来たのだから、決まりきった明るい未来のために手助けをしてもいいのかもしれない。
私は別に何もしていない。だって私が何をするでもなく私たちの未来は明るいのだから。
だから少しだけ……
「あのね……そう遠くない未来で、パパは私たちを助けようとして……!?」
言ってる途中だった。
伝えてる途中だったのに、そこで私の意識はブレーカーを落とすみたく突然切れた。
何の予兆もなかったので一言を振り絞ることもできずに終わってしまった。
瞬間、私は最後の一言を伝えきれる前に未来へ戻ってしまった。
それに気づいたのは、いつものベッドで目を覚ましてからのことだった。
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