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番外編
未来彼女 上
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いつからだろ。
こんなにも日常に退屈を覚えたのは……。
私の頭では、そんな答えのわかりきった問いが浮かんでいた。
「……はぁ」
プイッと窓の外を眺めても空はあいにくの雨模様。どんよりと重たい雲が広がり、昼とは思えないくらいに辺りは暗い。こんな天気だとため息もでてくるものだ。
せいぜい晴れてればなぁ。天気予報で今日はずっと雨なことを知っているので、それは叶わない願いなのだが、それでも天気くらい晴れて欲しい。そうすれば、私の中でどうしようもなく広がっているこの虚無感とやらも少しは薄れるのに。
ボーッと外を眺めていると、グラウンドにポツリと一人の陰があった。隣のクラスの三島駆だ。
けっして水捌けのよくない我が校のグラウンドは、歩くだけでもビチャビチャ土が飛び跳ね、足元を汚していく。けれど、駆はそんな事を気にした様子もなく最終コーナーを駆けぬけていく。
「……なにがそんなに面白いんだか」
流石に三階の教室からは遠すぎて顔はよく見えない。けれど、私には彼の顔が容易に想像できた。きっと、いつもの部活の練習で見せるみたく真面目で緊張感を持った顔をしているに違いない。ほんの少し満足気な笑みを浮かべて。
久しく見ていないあの顔を思い出すと、なぜだか無性に腹がたった。
「なーに黄昏っちゃってるの!」
「ひゃいっ!?」
突然の声、それと同時に冷たい何かが首に当たった。
振り返るとイタズラを成功させて喜ぶ友人の姿があった。彼女の右手には缶コーヒー。それが私の首に当てられたものの正体だろう。夏だというのに、首に当てられた缶コーヒーはとてつもなく冷たかった。どうにも戻りが遅いと思っていたが、私へのイタズラのために無駄な時間を過ごしていたようだ。
「うぅー、やっぱり奈々ちゃんか……」
「ホッホッホ。マコの可愛い声を聞けてワシは満足じゃ」
言って、奈々は肩甲骨あたりまで伸びた長い後ろ髪を髭のようにして遊ぶ。私は髪が短いからそんな変な遊びができることが少し羨ましいが、それを言うと奈々が調子に乗りそうなので言わないでおいた。
「誰のせいだ誰の」
「はいはい、そんなに怒らないの。カルシウム足りてないんじゃない?小魚食べなさいよー。あっ、それとも生理?」
「その発言、女子にはセクハラ」
「えぇー、同じ女の子同士なんだし固いこと言わないでよー」
ケチケチーと言いながら奈々がじゃれてくる。
奈々はスキンシップ過多だ。誰にでも抱きついてくるし、とにかく距離が近い。おかげで勘違いする男子も多いのだとか。
普段は奈々が抱きついてきても抱き心地もいいし、別に気にしないのだが、今は夏だ。いくらなんでも暑いし鬱陶しい。
「……はぁ、まあ奈々ちゃんに何言っても無駄だし、私もそんなに気にしない方だからいいんだけどさぁ……暑い」
「暑い?まあ、夏だもんねー。今はこれくらいにしとくね」
今は?
私の疑問は軽くスルーされ、缶コーヒーが手に渡される。それとお釣りも。
「さてはて、お子さまのマコにそれが飲めるかなぁ」
私がまじまじと缶のラベルを見ていると、奈々がからかうようにそんなことを言ってきた。
「よ、余裕だし」
「へぇー」
私の強がりを適当な様子で返すと、奈々は空いていた前の席に座った。いや、座ったのは机の上でしかも胡座をかいている。一応、奈々なりに気を使ったのか上靴は並べて下に置いてはいたが。
注意するのも面倒だったので、スルーして冷えきった缶コーヒーを一口。
「冷たっ!うぅ……うえ、苦くてまずい」
苦い。その一言につきる。
身近に一人、ブラックコーヒーを美味しそうに飲む人がいるので、飲んでみようと意気込んでみたが、どうやら私にはまだ早かったようだ。
そんな簡単なことに気づけたのはいいが、苦味が口に残って消えない。
「ほらー、やっぱり言った通りじゃん」
「ココア……甘いココアが欲しい」
「はいココア」
私が飲めないことを予想していたのか、奈々が背中に隠していたココアが出てきた。五百ミリ入りの紙パック。いつものやつだ。
コーヒーをココアで流し込むとようやくコーヒー独特の苦味が消えた。
「ふぅ、助かった。ありがと」
「どういたしまして。けど、なんで急にブラック飲みたいとか言ったの?」
「何かが変わるかなぁって思って」
「あー、いつものアレね。刺激が欲しいってやつ?」
「その言い方は気にくわないけど、まあそうかも。暇っていうか、退屈っていうか」
「ふむふむ、マンガの最終話を読み終えたみたいな感じね。あの喪失感というか虚無感はどうしようもないよねー」
奈々は適当な感じで言うが、案外的を得ていた。きっと、私の胸にあるこの感情はそういった類いのものなのだろう。原因は分かっていても解決方法を見つけられていない。マンガだったら、新しいマンガを見つけれればいいのだろうけど、私の場合はそうはいかない。そうそう代わりなんて見つからないのだ……。
「奈々ちゃんはさ、そういうときどうするの?」
「あたし?あたしはそうだねー」
奈々は一瞬悩むような素振りを見せた後、何か見つけたのか窓の外を指差した。
「あっ、三島くんだ。今日も頑張ってるねー」
「……」
「あははは、三島くんの話はタブーだったかな」
「別に、私は気にしてないし」
私にとってはどうでもいいことなのだが、去年クラスで私と駆が付き合っているという噂が流れた。同じ陸上部のエースだし、家も近くだったからよく一緒に登下校していたのがよくなかったのだろう。話の内容は陸上のことばっかりだったし、努力型の駆にしてみれば、あまり練習しなくても大会でそこそこいいタイムを出す私のことを好きになるはずもないのに。
「それに、私が三島くんと付き合うと困るのは奈々ちゃんでしょ」
「うーん、そうでもないかも」
「え?」
「三島くん格好いいけど付き合うとかは違うなぁ」
「そうなの?奈々ちゃんって面食いでしょ?」
「まあ、あたしも少しは成長してるんだよ。顔がよくても性格がよくなければダメだって分かったの」
「ふーん、別れたんだ」
「あ、バレた?」
奈々は居心地悪そうな笑みを浮かべて頬をかいている。あまり彼氏の話には触れてほしくないのだろう。逃げるように話を私の問いに戻した。
「さっきの答えだけどね。私は男かも」
「……」
「ちょっと!?何か反応してよー!」
「奈々チャンラシイネ」
「うぅ、マコのいじわる」
「冗談だってば。でも、その考えはなかったかも」
私はまだ、恋というものをしたことがない。
それなりに格好いいと思う人もいるし、いいなって思う人も何人かいた気もする。けれど、好きかと聞かれると悩んでしまうのだ。私は本当にこの人を好きなのだろうかと。
だから、私は恋というものを知らない。
もしも、恋をしたら何かが変わるのだろうか。
そのとき、ほんの少しだけ、私は恋というものに興味を持った。
「マコー!ご飯できたよー」
宿題をやっていると、下からママの声がした。
時計を見ると19時を少し過ぎていた。私にしては案外集中して宿題をしていたようだ。
「いまいくー」
キリもいいところだったので、ノートを閉じ部屋を出る。階段を降りていると、夜ご飯のいい香りがしてきた。どうやら、今日のメニューはシチューのようだ。
「何か手伝うことある?」
「そうね……じゃあスプーンだしてもらっていい?」
「わかった」
二人暮らしには広すぎるリビングで、私とママはご飯の準備をする。準備と言っても、私がしたことはスプーンを用意したぐらいで、他はほとんど既にママが終わらせていた。
私の席にはシチューの横にご飯、ママの席にはシチューの横にスライスしたフランスパン、それにコーヒーが置かれていた。
「……今日、お見舞い行ったんだ」
コーヒーを見た瞬間、自分でも気づかないうちに私の口からは、そう言葉が漏れていた。ママには聞こえなかったのか、サラダを盛り付けていた。
ママがコーヒーを飲むのは、決まってお見舞いに行った日だ。
私は、ママとあの人との間になにがあったのかをほとんど知らない。けれど、いつもコーヒーを飲みながら幸せそうにあの人のことを語るママを見るとなにかを感じずにはいられなかった。その、未だ正体不明の感情を知ることが出来れば、この退屈な日常も変わるのだろうか。
「ねぇママ」
「うん?」
「私もコーヒー飲んでいい?えっと……砂糖とミルク多めで」
ちょうどサラダを持ってきたママに言うと、一瞬驚いた顔をしたが快く引き受けてくれた。
鼻唄まじりにコーヒーを淹れる姿はそれだけで絵になる。娘の私が言うと、親バカならぬ子バカ?なのだが、ママは美人さんだ。私と一緒に買い物に行けば姉妹だと勘違いされるくらいには若作りだし、雪みたいに真っ白な肌は私も欲しいくらいだ。唯一ママと似ていた髪は陸上を始めてからというもの邪魔にならないよう短くしている。私が陸上を引退して髪を伸ばし始めたら、ママも髪を伸ばしてくれるのだろうか。そんなことを考えながら、私は憧れの人の姿を眺めていた。
「やっぱり、マコはパパに似たのかしら」
しばらくご飯を食べていると、突然ママがそんなことを言い出した。私はあの人よりもママに似ていたいというのに。
「そうかな?」
「ほら、マコは昔っから甘いココアがすきでしょ?コーヒーも甘くないと飲めないし」
「それは、まだ私が子供だからでしょ」
「別に大人でも甘いコーヒー飲む人いるわよ。パパもずっとそうだったし」
「ふーん、でも私はそのうちママみたいにブラックで飲むようになるから」
言って、甘いコーヒーを飲むと、昼間に味わったあの苦味には敵わないがコーヒー独特の苦味が口を襲った。
「うっ……うぇ」
「ふふっ、まだまだブラックは早そうね」
そう言って浮かべたママの笑顔は久しぶりに見る優しい笑顔だった。
食事の後は、いつもの退屈な日常に戻った。
風呂を済ませて、宿題を終わらせ、適当に動画を見て眠るだけ。宿題や見る動画の種類は変わっても私のやることはたいして変わらない。明日も明後日も、きっとこれからもずっと変わらない日々を過ごしていくのだ。
「ん?なんだこれ?」
明日の準備をしていると、鞄の中から見覚えのないものが出てきた。充電器くらいの大きさで、「タイムマシン」と見覚えのある丸っこい字で書かれたラベルがついている。
「絶対奈々ちゃんだな……」
また何か私にイタズラを仕掛けようとしたのだろう。けど、少々まぬけが過ぎている。間違って私の鞄に仕掛け道具をいれてしまっているのだから……。
「仕方ない、明日こっそり返してあげるか」
ポイっと、タイムマシンとやらを適当に鞄に放ってから布団に入った。
目覚ましをセットして、電気を消す。
別に眠くないので、目が冴えているが夜更かししてまですることもないし、目を瞑っていればそのうち眠くなるだろう。
そうして、私は退屈な明日を迎えるために眠りに落ちた。
だが、そのとき私は気づいていなかった。
鞄の中でタイムマシンの電源が入っていたことに。
こんなにも日常に退屈を覚えたのは……。
私の頭では、そんな答えのわかりきった問いが浮かんでいた。
「……はぁ」
プイッと窓の外を眺めても空はあいにくの雨模様。どんよりと重たい雲が広がり、昼とは思えないくらいに辺りは暗い。こんな天気だとため息もでてくるものだ。
せいぜい晴れてればなぁ。天気予報で今日はずっと雨なことを知っているので、それは叶わない願いなのだが、それでも天気くらい晴れて欲しい。そうすれば、私の中でどうしようもなく広がっているこの虚無感とやらも少しは薄れるのに。
ボーッと外を眺めていると、グラウンドにポツリと一人の陰があった。隣のクラスの三島駆だ。
けっして水捌けのよくない我が校のグラウンドは、歩くだけでもビチャビチャ土が飛び跳ね、足元を汚していく。けれど、駆はそんな事を気にした様子もなく最終コーナーを駆けぬけていく。
「……なにがそんなに面白いんだか」
流石に三階の教室からは遠すぎて顔はよく見えない。けれど、私には彼の顔が容易に想像できた。きっと、いつもの部活の練習で見せるみたく真面目で緊張感を持った顔をしているに違いない。ほんの少し満足気な笑みを浮かべて。
久しく見ていないあの顔を思い出すと、なぜだか無性に腹がたった。
「なーに黄昏っちゃってるの!」
「ひゃいっ!?」
突然の声、それと同時に冷たい何かが首に当たった。
振り返るとイタズラを成功させて喜ぶ友人の姿があった。彼女の右手には缶コーヒー。それが私の首に当てられたものの正体だろう。夏だというのに、首に当てられた缶コーヒーはとてつもなく冷たかった。どうにも戻りが遅いと思っていたが、私へのイタズラのために無駄な時間を過ごしていたようだ。
「うぅー、やっぱり奈々ちゃんか……」
「ホッホッホ。マコの可愛い声を聞けてワシは満足じゃ」
言って、奈々は肩甲骨あたりまで伸びた長い後ろ髪を髭のようにして遊ぶ。私は髪が短いからそんな変な遊びができることが少し羨ましいが、それを言うと奈々が調子に乗りそうなので言わないでおいた。
「誰のせいだ誰の」
「はいはい、そんなに怒らないの。カルシウム足りてないんじゃない?小魚食べなさいよー。あっ、それとも生理?」
「その発言、女子にはセクハラ」
「えぇー、同じ女の子同士なんだし固いこと言わないでよー」
ケチケチーと言いながら奈々がじゃれてくる。
奈々はスキンシップ過多だ。誰にでも抱きついてくるし、とにかく距離が近い。おかげで勘違いする男子も多いのだとか。
普段は奈々が抱きついてきても抱き心地もいいし、別に気にしないのだが、今は夏だ。いくらなんでも暑いし鬱陶しい。
「……はぁ、まあ奈々ちゃんに何言っても無駄だし、私もそんなに気にしない方だからいいんだけどさぁ……暑い」
「暑い?まあ、夏だもんねー。今はこれくらいにしとくね」
今は?
私の疑問は軽くスルーされ、缶コーヒーが手に渡される。それとお釣りも。
「さてはて、お子さまのマコにそれが飲めるかなぁ」
私がまじまじと缶のラベルを見ていると、奈々がからかうようにそんなことを言ってきた。
「よ、余裕だし」
「へぇー」
私の強がりを適当な様子で返すと、奈々は空いていた前の席に座った。いや、座ったのは机の上でしかも胡座をかいている。一応、奈々なりに気を使ったのか上靴は並べて下に置いてはいたが。
注意するのも面倒だったので、スルーして冷えきった缶コーヒーを一口。
「冷たっ!うぅ……うえ、苦くてまずい」
苦い。その一言につきる。
身近に一人、ブラックコーヒーを美味しそうに飲む人がいるので、飲んでみようと意気込んでみたが、どうやら私にはまだ早かったようだ。
そんな簡単なことに気づけたのはいいが、苦味が口に残って消えない。
「ほらー、やっぱり言った通りじゃん」
「ココア……甘いココアが欲しい」
「はいココア」
私が飲めないことを予想していたのか、奈々が背中に隠していたココアが出てきた。五百ミリ入りの紙パック。いつものやつだ。
コーヒーをココアで流し込むとようやくコーヒー独特の苦味が消えた。
「ふぅ、助かった。ありがと」
「どういたしまして。けど、なんで急にブラック飲みたいとか言ったの?」
「何かが変わるかなぁって思って」
「あー、いつものアレね。刺激が欲しいってやつ?」
「その言い方は気にくわないけど、まあそうかも。暇っていうか、退屈っていうか」
「ふむふむ、マンガの最終話を読み終えたみたいな感じね。あの喪失感というか虚無感はどうしようもないよねー」
奈々は適当な感じで言うが、案外的を得ていた。きっと、私の胸にあるこの感情はそういった類いのものなのだろう。原因は分かっていても解決方法を見つけられていない。マンガだったら、新しいマンガを見つけれればいいのだろうけど、私の場合はそうはいかない。そうそう代わりなんて見つからないのだ……。
「奈々ちゃんはさ、そういうときどうするの?」
「あたし?あたしはそうだねー」
奈々は一瞬悩むような素振りを見せた後、何か見つけたのか窓の外を指差した。
「あっ、三島くんだ。今日も頑張ってるねー」
「……」
「あははは、三島くんの話はタブーだったかな」
「別に、私は気にしてないし」
私にとってはどうでもいいことなのだが、去年クラスで私と駆が付き合っているという噂が流れた。同じ陸上部のエースだし、家も近くだったからよく一緒に登下校していたのがよくなかったのだろう。話の内容は陸上のことばっかりだったし、努力型の駆にしてみれば、あまり練習しなくても大会でそこそこいいタイムを出す私のことを好きになるはずもないのに。
「それに、私が三島くんと付き合うと困るのは奈々ちゃんでしょ」
「うーん、そうでもないかも」
「え?」
「三島くん格好いいけど付き合うとかは違うなぁ」
「そうなの?奈々ちゃんって面食いでしょ?」
「まあ、あたしも少しは成長してるんだよ。顔がよくても性格がよくなければダメだって分かったの」
「ふーん、別れたんだ」
「あ、バレた?」
奈々は居心地悪そうな笑みを浮かべて頬をかいている。あまり彼氏の話には触れてほしくないのだろう。逃げるように話を私の問いに戻した。
「さっきの答えだけどね。私は男かも」
「……」
「ちょっと!?何か反応してよー!」
「奈々チャンラシイネ」
「うぅ、マコのいじわる」
「冗談だってば。でも、その考えはなかったかも」
私はまだ、恋というものをしたことがない。
それなりに格好いいと思う人もいるし、いいなって思う人も何人かいた気もする。けれど、好きかと聞かれると悩んでしまうのだ。私は本当にこの人を好きなのだろうかと。
だから、私は恋というものを知らない。
もしも、恋をしたら何かが変わるのだろうか。
そのとき、ほんの少しだけ、私は恋というものに興味を持った。
「マコー!ご飯できたよー」
宿題をやっていると、下からママの声がした。
時計を見ると19時を少し過ぎていた。私にしては案外集中して宿題をしていたようだ。
「いまいくー」
キリもいいところだったので、ノートを閉じ部屋を出る。階段を降りていると、夜ご飯のいい香りがしてきた。どうやら、今日のメニューはシチューのようだ。
「何か手伝うことある?」
「そうね……じゃあスプーンだしてもらっていい?」
「わかった」
二人暮らしには広すぎるリビングで、私とママはご飯の準備をする。準備と言っても、私がしたことはスプーンを用意したぐらいで、他はほとんど既にママが終わらせていた。
私の席にはシチューの横にご飯、ママの席にはシチューの横にスライスしたフランスパン、それにコーヒーが置かれていた。
「……今日、お見舞い行ったんだ」
コーヒーを見た瞬間、自分でも気づかないうちに私の口からは、そう言葉が漏れていた。ママには聞こえなかったのか、サラダを盛り付けていた。
ママがコーヒーを飲むのは、決まってお見舞いに行った日だ。
私は、ママとあの人との間になにがあったのかをほとんど知らない。けれど、いつもコーヒーを飲みながら幸せそうにあの人のことを語るママを見るとなにかを感じずにはいられなかった。その、未だ正体不明の感情を知ることが出来れば、この退屈な日常も変わるのだろうか。
「ねぇママ」
「うん?」
「私もコーヒー飲んでいい?えっと……砂糖とミルク多めで」
ちょうどサラダを持ってきたママに言うと、一瞬驚いた顔をしたが快く引き受けてくれた。
鼻唄まじりにコーヒーを淹れる姿はそれだけで絵になる。娘の私が言うと、親バカならぬ子バカ?なのだが、ママは美人さんだ。私と一緒に買い物に行けば姉妹だと勘違いされるくらいには若作りだし、雪みたいに真っ白な肌は私も欲しいくらいだ。唯一ママと似ていた髪は陸上を始めてからというもの邪魔にならないよう短くしている。私が陸上を引退して髪を伸ばし始めたら、ママも髪を伸ばしてくれるのだろうか。そんなことを考えながら、私は憧れの人の姿を眺めていた。
「やっぱり、マコはパパに似たのかしら」
しばらくご飯を食べていると、突然ママがそんなことを言い出した。私はあの人よりもママに似ていたいというのに。
「そうかな?」
「ほら、マコは昔っから甘いココアがすきでしょ?コーヒーも甘くないと飲めないし」
「それは、まだ私が子供だからでしょ」
「別に大人でも甘いコーヒー飲む人いるわよ。パパもずっとそうだったし」
「ふーん、でも私はそのうちママみたいにブラックで飲むようになるから」
言って、甘いコーヒーを飲むと、昼間に味わったあの苦味には敵わないがコーヒー独特の苦味が口を襲った。
「うっ……うぇ」
「ふふっ、まだまだブラックは早そうね」
そう言って浮かべたママの笑顔は久しぶりに見る優しい笑顔だった。
食事の後は、いつもの退屈な日常に戻った。
風呂を済ませて、宿題を終わらせ、適当に動画を見て眠るだけ。宿題や見る動画の種類は変わっても私のやることはたいして変わらない。明日も明後日も、きっとこれからもずっと変わらない日々を過ごしていくのだ。
「ん?なんだこれ?」
明日の準備をしていると、鞄の中から見覚えのないものが出てきた。充電器くらいの大きさで、「タイムマシン」と見覚えのある丸っこい字で書かれたラベルがついている。
「絶対奈々ちゃんだな……」
また何か私にイタズラを仕掛けようとしたのだろう。けど、少々まぬけが過ぎている。間違って私の鞄に仕掛け道具をいれてしまっているのだから……。
「仕方ない、明日こっそり返してあげるか」
ポイっと、タイムマシンとやらを適当に鞄に放ってから布団に入った。
目覚ましをセットして、電気を消す。
別に眠くないので、目が冴えているが夜更かししてまですることもないし、目を瞑っていればそのうち眠くなるだろう。
そうして、私は退屈な明日を迎えるために眠りに落ちた。
だが、そのとき私は気づいていなかった。
鞄の中でタイムマシンの電源が入っていたことに。
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