2 / 28
プロローグ
その2 夢で会えた妻の忠告
しおりを挟む
2
ロンドン、ヒースロー空港に向かう搭乗口に、客が続々と吸い込まれていく。
並河泰三は予約していた席にたどり着いて座った。
急遽決まった出張だったため、250席弱のうち10隻もないファーストクラスは取れなかった。秘書の青年と並んでビジネスクラスの座席についた。
「お嬢さまはずいぶんご心配されていましたね」
いかにも生真面目そうに黒縁のメガネを押し上げて、秘書の青年が言う。
「大丈夫だ」
内心では後悔しつつ、泰三は平静を装った。
(秘書の前で自分が狼狽えるわけにはいかない。この私としたことが。何年、社長をやっているというんだ。なぜ、こんなに動揺しているんだ?)
どういうわけか心臓が早鐘を打ち出していた。
(いかん、落ち着かなくては!)
席についてしばらくすると、落ち着いた女性の声で英語のアナウンスが流れてきた。
『ご搭乗の皆さま、本日は○○航空○○○便、ロンドン行をご利用くださいましてありがとうございます。
この便の機長はジョン・ドゥ、私は客室を担当いたします○○○○でございます。
まもなく出発いたします。
シートベルトを腰の低い位置でしっかりとお締めください。
ヒースロー空港までの飛行時間は13時間○○分を予定しております。
ご利用の際は、お気軽に乗務員に声をおかけください。
それでは、ごゆっくりおくつろぎください。
本日は○○○航空をご利用頂きありがとうございました』
これまでの海外出張で何度も聞き慣れた機内アナウンス。
並河(なみかわ)泰三(たいぞう)は座席に腰掛け、アナウンスに従ってシートベルトを締めた。
トランク一つを手荷物に預け、機内に持ち込んだものは最小限のものだけ。
いつもの出張と何も変わらない。
そのはずだった。
「私は寝る。君も寝ておきなさい」
用意して置いたアイマスクをかけ、私、並河泰三は秘書の青年を促してから、眠りについた。
※
『あなた……あなた、泰三さん、起きて』
懐かしい声が聞こえて、泰三は目を開けた。
「……え? 沙織!? おまえなのか!?」
目の前に、妻、沙織がいた。
相変わらず、たまらなく綺麗だ。
抱きしめたい。
『ばかね、あなた。目を覚まして』
「沙織? 夢か!? 夢なのか、だったら醒めたくない!」
私は叫んでいた。
亡くなった妻が目の前にいるんだ。
夢でもいい。もう一度、抱きしめたい!
『だめよ泰三さん。起きて。でないと、眠ったままで、あなたは……』
※
突然、機体が振動して、
がくん、と大きく揺れた。
ガタガタと音がした。荷物棚からバッグが転げ落ちる。
乗客が騒ぎ出す。
周囲を見回した。
なぜか、秘書の青年の姿はどこにもない。
トイレにでも立っているのか。
だが、この非常時に、そんなことは些細なことだ。
……まさか。
出かける前に聞いた娘の声が、泰三の胸をよぎった。
『パパ。その飛行機には乗らないで!』
いつもワガママなど言ったことのない、聞き分けの良い娘、香織(かおり)が。
今回の出張だけは、行かないでくれと懇願したのだ。
『その飛行機だけはダメなの!』
占いに凝っていた娘だった。
恐ろしいほどによくあたると友人達の間で評判だったという。
泰三と沙織は、一人娘の香織を、目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた。
沙織が二年前に病気で先立ってからは特に、いつかはこの自分も娘を残して逝くのだろうと思うと、不憫でならなかった。それが数年後、数十年後であろうとも、いつかは永久の別れが訪れる。
それまでに娘に何をしてやれる?
だからだろう。
泰三は、たいがいのことなら娘の忠告に従ってきた。
だが今回だけは、どうにも変更がきかなかったのだ。
人生で、これほど後悔したことはなかった。
機体が、急激に高度を下げていくのを感じた。
泰三が知るよしもないことだが、機体はドーバー海峡に墜落したのだった。
ロンドン、ヒースロー空港に向かう搭乗口に、客が続々と吸い込まれていく。
並河泰三は予約していた席にたどり着いて座った。
急遽決まった出張だったため、250席弱のうち10隻もないファーストクラスは取れなかった。秘書の青年と並んでビジネスクラスの座席についた。
「お嬢さまはずいぶんご心配されていましたね」
いかにも生真面目そうに黒縁のメガネを押し上げて、秘書の青年が言う。
「大丈夫だ」
内心では後悔しつつ、泰三は平静を装った。
(秘書の前で自分が狼狽えるわけにはいかない。この私としたことが。何年、社長をやっているというんだ。なぜ、こんなに動揺しているんだ?)
どういうわけか心臓が早鐘を打ち出していた。
(いかん、落ち着かなくては!)
席についてしばらくすると、落ち着いた女性の声で英語のアナウンスが流れてきた。
『ご搭乗の皆さま、本日は○○航空○○○便、ロンドン行をご利用くださいましてありがとうございます。
この便の機長はジョン・ドゥ、私は客室を担当いたします○○○○でございます。
まもなく出発いたします。
シートベルトを腰の低い位置でしっかりとお締めください。
ヒースロー空港までの飛行時間は13時間○○分を予定しております。
ご利用の際は、お気軽に乗務員に声をおかけください。
それでは、ごゆっくりおくつろぎください。
本日は○○○航空をご利用頂きありがとうございました』
これまでの海外出張で何度も聞き慣れた機内アナウンス。
並河(なみかわ)泰三(たいぞう)は座席に腰掛け、アナウンスに従ってシートベルトを締めた。
トランク一つを手荷物に預け、機内に持ち込んだものは最小限のものだけ。
いつもの出張と何も変わらない。
そのはずだった。
「私は寝る。君も寝ておきなさい」
用意して置いたアイマスクをかけ、私、並河泰三は秘書の青年を促してから、眠りについた。
※
『あなた……あなた、泰三さん、起きて』
懐かしい声が聞こえて、泰三は目を開けた。
「……え? 沙織!? おまえなのか!?」
目の前に、妻、沙織がいた。
相変わらず、たまらなく綺麗だ。
抱きしめたい。
『ばかね、あなた。目を覚まして』
「沙織? 夢か!? 夢なのか、だったら醒めたくない!」
私は叫んでいた。
亡くなった妻が目の前にいるんだ。
夢でもいい。もう一度、抱きしめたい!
『だめよ泰三さん。起きて。でないと、眠ったままで、あなたは……』
※
突然、機体が振動して、
がくん、と大きく揺れた。
ガタガタと音がした。荷物棚からバッグが転げ落ちる。
乗客が騒ぎ出す。
周囲を見回した。
なぜか、秘書の青年の姿はどこにもない。
トイレにでも立っているのか。
だが、この非常時に、そんなことは些細なことだ。
……まさか。
出かける前に聞いた娘の声が、泰三の胸をよぎった。
『パパ。その飛行機には乗らないで!』
いつもワガママなど言ったことのない、聞き分けの良い娘、香織(かおり)が。
今回の出張だけは、行かないでくれと懇願したのだ。
『その飛行機だけはダメなの!』
占いに凝っていた娘だった。
恐ろしいほどによくあたると友人達の間で評判だったという。
泰三と沙織は、一人娘の香織を、目の中に入れても痛くないほど可愛がっていた。
沙織が二年前に病気で先立ってからは特に、いつかはこの自分も娘を残して逝くのだろうと思うと、不憫でならなかった。それが数年後、数十年後であろうとも、いつかは永久の別れが訪れる。
それまでに娘に何をしてやれる?
だからだろう。
泰三は、たいがいのことなら娘の忠告に従ってきた。
だが今回だけは、どうにも変更がきかなかったのだ。
人生で、これほど後悔したことはなかった。
機体が、急激に高度を下げていくのを感じた。
泰三が知るよしもないことだが、機体はドーバー海峡に墜落したのだった。
0
お気に入りに追加
52
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

テンプレな異世界を楽しんでね♪~元おっさんの異世界生活~【加筆修正版】
永倉伊織
ファンタジー
神の力によって異世界に転生した長倉真八(39歳)、転生した世界は彼のよく知る「異世界小説」のような世界だった。
転生した彼の身体は20歳の若者になったが、精神は何故か39歳のおっさんのままだった。
こうして元おっさんとして第2の人生を歩む事になった彼は異世界小説でよくある展開、いわゆるテンプレな出来事に巻き込まれながらも、出逢いや別れ、時には仲間とゆる~い冒険の旅に出たり
授かった能力を使いつつも普通に生きていこうとする、おっさんの物語である。
◇ ◇ ◇
本作は主人公が異世界で「生活」していく事がメインのお話しなので、派手な出来事は起こりません。
序盤は1話あたりの文字数が少なめですが
全体的には1話2000文字前後でサクッと読める内容を目指してます。
没落貴族の異世界領地経営!~生産スキルでガンガン成り上がります!
武蔵野純平
ファンタジー
異世界転生した元日本人ノエルは、父の急死によりエトワール伯爵家を継承することになった。
亡くなった父はギャンブルに熱中し莫大な借金をしていた。
さらに借金を国王に咎められ、『王国貴族の恥!』と南方の辺境へ追放されてしまう。
南方は魔物も多く、非常に住みにくい土地だった。
ある日、猫獣人の騎士現れる。ノエルが女神様から与えられた生産スキル『マルチクラフト』が覚醒し、ノエルは次々と異世界にない商品を生産し、領地経営が軌道に乗る。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
能力値カンストで異世界転生したので…のんびり生きちゃダメですか?
火産霊神
ファンタジー
私の異世界転生、思ってたのとちょっと違う…?
24歳OLの立花由芽は、ある日異世界転生し「ユメ」という名前の16歳の魔女として生きることに。その世界は魔王の脅威に怯え…ているわけでもなく、レベルアップは…能力値がカンストしているのでする必要もなく、能力を持て余した彼女はスローライフをおくることに。そう決めた矢先から何やらイベントが発生し…!?
【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。
三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎
長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!?
しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。
ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。
といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。
とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない!
フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

社畜から卒業したんだから異世界を自由に謳歌します
湯崎noa
ファンタジー
ブラック企業に入社して10年が経つ〈宮島〉は、当たり前の様な連続徹夜に心身ともに疲労していた。
そんな時に中高の同級生と再開し、その同級生への相談を行ったところ会社を辞める決意をした。
しかし!! その日の帰り道に全身の力が抜け、線路に倒れ込んでしまった。
そのまま呆気なく宮島の命は尽きてしまう。
この死亡は神様の手違いによるものだった!?
神様からの全力の謝罪を受けて、特殊スキル〈コピー〉を授かり第二の人生を送る事になる。
せっかくブラック企業を卒業して、異世界転生するのだから全力で謳歌してやろうじゃないか!!
※カクヨム、小説家になろう、ノベルバでも連載中

転生テイマー、異世界生活を楽しむ
さっちさん
ファンタジー
題名変更しました。
内容がどんどんかけ離れていくので…
↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
ありきたりな転生ものの予定です。
主人公は30代後半で病死した、天涯孤独の女性が幼女になって冒険する。
一応、転生特典でスキルは貰ったけど、大丈夫か。私。
まっ、なんとかなるっしょ。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる