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第1章
その32 別の可能性の、幸福な記憶
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大きなガラス窓の外は、きらめく夜景。
新宿駅西口にほど近い高層建築のホテルから見る夜景は、幻想的でさえあった。
「きれいね」
傍らで囁く、柔らかい声。
おれは、胸に寄りかかっている、愛する人の肩を、大切に、抱く。
「きれいなのは、香織さんだよ」
本気で言う。
おれの彼女は、世界一の美人だ。
「まだそんなことを言ってる。恥ずかしいわ。それに、香織さん、じゃなくて。呼び捨てにして?」
「でも」
「わたしたち、結婚したんだから」
「……そうだな。やっと、結婚式だ……こんな幸せな日が、本当にくるなんて」
「おかしな充くん」
彼女は、くすくすと笑う。
「まるで、わたしたちのお付き合いが順調じゃなかったみたいよ?」
そうだな、と、おれ、沢口充は、思い返す。
出会ったのは高校の入学式の日。
近所で兄弟みたいに育った幼なじみの山本雅人が、入学式の会場に一緒に来た女の子がいて、その親友ということで紹介された、並河香織さん。
その瞬間、恋に落ちた、おれ。
香織さんより自分のほうが背が低いとか幼く見えるとかは、後で気になったことだけど。一目惚れした瞬間には、そんなことは何も思い浮かばなかった。
なんとかしてお近づきになりたい。
彼女のことばかり頭に浮かんで、でも自分も磨かなくては、彼女に相応しい男になるんだと、空回りぎみで、けっこう勉強も部活もがんばった。
幼なじみと、その彼女と、クラスメイトたち。親しくなった同士、グループ交際できるようになっていった。そのうちに、それぞれカップルができて、おれと香織さんは二人でデートするようになった。
「ねえ覚えてる? 高校一年の秋だったわ。初めてみんなでディ○ニーランドに行った帰りに、お食事したでしょ。このホテルのレストランで」
「忘れるわけないよ。メニューに金額書いてないし、ハラハラしててさ」
すると香織さんは、うふふ、と笑って。
「あれね、前もって頼んでおいたのよ。金額があったらみんな、好きなお料理を注文できないでしょ」
そのときのお勘定は、みんなに親しくしてもらっているお礼だと言って彼女が全て払ったのだ。カードだったし実際はいくらだったのか、教えてくれなかったけど。
彼女の家はリッチな資産家であるゆえの行動であったのだが。
「おれ、あとで恥ずかしくなった。遠慮無くって言われても、ほんとにおごってもらうなんて」
「あら、だからなの? あとで二人だけでデートするようになってからは、いつも充くんが支払うって言って」
「えっと。そこは、充くん、じゃなくて」
「ん?」
「香織さん、いや、……香織。おれのことも、充って呼んで」
「そうだったわね。……充」
おれたちは窓から見える夜景を横目に、向かい合う。
ここには、今夜は、二人だけ。
「わたしたち、お付き合いして、婚約して。大学に入って、充が就職して、やっと、結婚したのよ」
「そうだ。病めるときも健やかなるときも、ずっと、一緒。伴侶として」
伴侶。
ふいに、その言葉が、おれの心に、不協和音を響かせた。
あれっ?
こうだったっけ?
おれと彼女は?
「ねえ。充。キスして。いっぱいキスして。それから、その先のことも……」
香織の、うっとりするようなお誘いに、魂まで持って行かれそう。
抱きしめて。
唇を重ねて。絹のような彼女の肌に、口づけを降らせて。
おれは彼女を抱き上げて、ベッドに運ぶ。
夜は長く。
幸福は、いつまでも続く、はずだった。
「香織……」
「……きて。……あなた」
※
「うわあああああ! なんじゃこりゃ!」
おれは叫んで、寝床から飛び起きた。
正確には上半身を起こした。
身体じゅう、熱っぽい。汗びっしょりだ。
「なんなんだ、さっきのは」
夢?
記憶?
「そんなわけない。おれは、高校三年のクリスマスの前に死んだ……」
思い返していると、しだいに汗が冷えてきた。
まだ夜。
いや、ここには窓なんかないので、時間はわからない。
朝になれば迎えがきて、エルレーン公国国立学院の寄宿舎に移されるはずだったのだ。
おれは、リトルホークと現在は名乗っている。
故郷はエルレーン公国の外れ、クーナ族の自治区域の中、通称『欠けた月(アティカ)』の村。おれは村長ローサ・トリエンテ・プーマの、末の息子クイブロとして生まれた。名前の意味は「小さい鷹」つまりリトルホーク。
そのときはまだ、前世を思い出していなかった。
十三歳のとき、おれの故郷の近くにある高原を訪れたカルナックに出会った。
色白で、華奢で、長い黒髪と水精石色の瞳をした美しい少女だった。
一目惚れした。
今にして思えば。カルナックは、香織さんの幼い頃に出会っていたらこうだったろうと思えるほど、そっくりだった。
前世の記憶が蘇っていないのにも関わらず、香織さんの転生であり外見も香織さんそのままのカルナックに恋をした自分を、現在のおれは、我ながら褒めてやりたい。
どんだけ、好みのタイプが前世からブレてないんだ、おれ。
カルナックが、養父ガルデル・ロカ・バルケス・レギオンに殺されて後、精霊たちに保護され、人間が足を踏み入れることを許されていない精霊の森で匿われていたということは、後で知ったことである。
「それにしても今のは、なんだ? 夢か妄想か? 現実ではない……」
ひどくリアルな、実際に体験したかのような夢から覚めたあとも、その記憶がぬぐい去れず、おれは動揺していた。
肩で息をしていた、おれの、すぐそばで。
静かな、きれいな声がしたのは、そのときだった。
「それはね、ミツル。わたしたちには起こらなかったけれど、別の可能性では起こりえた時系列の記憶なの」
はっと胸を突かれて、おれは声のしたほうに目をやった。
暗がりの中でも、ほの白く浮かび上がるような、純白の精霊の衣をまとった、香織さんが、いた。
「香織さん!? なんで?」
「今は深夜だしあなたのルナは眠っているから。どうしてるかなと思って来てみたのよ。そうしたら、良い夢なのか悪夢なのか、うなされているから、心をのぞいてみたの」
「じゃあ、おれが見ていた夢のことも」
「さっきも言ったわ。それは事実、起こったことよ。このわたしと充くんのじゃないけど、別の時空では起こった、幸福なできごと。幸福な人生」
「ほんとうに、あったこと? どこか別の世界では?」
ふっと、涙がこぼれた。
このおれは、香織さんとの人生をまっとうすることができなかったけど。どこか別の次元では、幸福になることができたのだ、という。
「泣いているの?」
優しい声で囁いて。
香織さんは、おれの頬に流れた涙を、唇を寄せて吸い取った。
「セレナンは、ときどき、残酷なことをするわ。それとは気づかずにね。でも、泣かないでいいの。わたしたちはこれから、幸せになるのよ」
「そうかな」
「ええ。あなたはカルナックと共に生きて、そのうち、ルナが成長したら、わたしと融合yしていくわ。それにね」
香織さんは、いたずらっぽく笑った。
「わたし、本当に、小さい頃は男の子みたいだったのよ。それこそ、クイブロと出会った頃のカルナックそのままに」
「それを聞いて安心したよ」
おれはたぶん泣き笑いのような表情をしていたのだろう。
今はふだん「ルナ」の意識の底で眠っている香織さんは。おれの首に腕を回して、抱きついて。
「大好き。たぶんルナならそう言う。そしてわたしは言うわ。『愛してる』これからも、ずっとよ」
神様。この世界の神がセレナンであるなら、セレナンに、おれは願う。
神様、どうか。
今生では、彼女と、結ばれて、ともに人生をまっとうできますように、と。
とはいえ平穏ではすまなそうな予感に包まれながら。
朝になれば、おれは、魔導師養成学校の、転校生。
リトルホークは青少年なので煩悩まみれだが、今夜は手を出したりしない。しんみりした気分だ。
でも、せめて今は、彼女を抱きしめていたい。
きっと間もなくコマラパか精霊たちが彼女を迎えにくるのだろうけどさ。
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