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第4章
その2 グラウケー(海の蒼い輝き)
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精霊の白き森の底に開いた空間には、螺旋状になっている階段が現れた。
ナ・ロッサとレフィス・トールは、階段を降りていく。
森の奥底には、いくつもの階層になった深い空間があった。
そして階層の一つ一つにつき十数人の精霊がいる。
地下にマンション……集合住宅があって、そのロビーで住民達が思い思いにくつろいでいるようなものだ。
この、森の底には、合計で数十人か百人を越える精霊族がいるのである。
現在のエナンデリア大陸では、精霊族の姿を見ることはほとんど無い。
五十歳以上の人々の中には、かつては「世界の代理人」としての精霊族に出会ったことがあると語る者もいるだろうが。
ことに、レフィス・トールとラト・ナ・ルアという若い世代の精霊族が生み出されてからは、旧世代の精霊族は、若い者に全ての仕事を押しつけて、自分たちは人間に会うなどという些末事を投げ出してしまったのだった。
理由は「面倒くさいから」であった。
「待ちかねたよ、若者。何やら面白いことになっているようじゃないか」
三階層ほど降りたところで、声をかけてきた精霊がいた。
旧世代の精霊の代表、グラウ・エリス・ケート・オロ・ムラト。
生命を司るものたちの長。
彼女は『海の蒼い輝き(グラウケー)』という呼び名で知られている。
かつて、彼女が代表として人間達との交渉に臨んだおりに、相手方のとある王族から贈られた尊称だ。
グラウケーはカルナックと仲がよく、いつも何かと気に掛け、遊んだり話を聞いたりと可愛がっている一人である。
見た目は二十代半ばで、若々しいが、雰囲気は、経てきた歳月を反映して、ナ・ロッサよりも貫禄がある。
ナ・ロッサにとっては直接の上司であり親のような存在。
どの精霊族もそうであるように、足もとまで届く豊かな銀髪、水精石色の涼やかな目。女神のごとき美貌である。しかしながら、グラウケーは、その美しさとは裏腹に、性格に大いに問題ありなのだった。
表情も変えずに、ククク、と、はなはだ不穏な笑いをもらす。
「我らの愛し子カルナックは、可愛いだけじゃない。いい拾いものだった。つくづく楽しませてくれるねえ。森の外に出たとたんに人間の男の子に求婚されたのも素晴らしかった。人間の基準ではまだ幼いのに『欠けた月の一族』と婚姻の契約を結んだのにも、久しぶりに胸が躍ったものだが……」
いったん言葉を切り、グラウケーは、真面目な表情を取り繕った。
「素晴らしいのは、ルミナレスに宿る銀竜の加護を総取りしたこと! あれは傑作だった。いまだかつて、なかったことだよ。まったく、その能力を駆使して、全力で戦うところを見てみたいものだな」
「グラウ! そんな事態を招かないようにと、我々は日々心を砕いているのではありませんか」
ナ・ロッサは柳眉をつり上げた。
「旧世代の方々は不謹慎ですわ。そんなだから、わたくしのような中間管理職が苦労するんです」
「中間管理職? どこからそんな言葉が? きみ、少し人間に染まりすぎじゃあないかね?」
一転してクールなツッコミに転じたグラウケーに、ナ・ロッサは呆れる。
「いい加減にしてください。自分たちは動かないくせに、何でもこちらに押しつけないでくださいませんこと」
しかしグラウケーはいっこうに動じない。何しろ、彼女はその昔、この世界に降り立った人間達を出迎えた第一世代の精霊である。
年下の者の言葉など、怖いわけもない。
「若い世代に頑張って経験を積ませてあげようという親切心だよ。ナ・ロッサ。きみだって、レフィス・トールにずいぶん無理難題を押しつけていないかね」
「問題をすりかえないでください」
「まったくです。無茶振りのことは否定しませんが」
レフィス・トールはナ・ロッサに同意する。
先輩の精霊族たちは、まだまだ数百人以上と、結構な人数がいるし元気があるのだが、人間たちに接しているうちに、いつしか『面倒くさい』という人間のような感覚を身につけていた。
「先輩方の、こんな怠惰な姿、高貴な存在であるとか精霊に幻想を抱いている人間達には見せられませんよ」
気にやむレフィス・トールである。
「若者は固いよ。それにケチだな。コマラパという人間も、面白そうだから顔を見せに連れてこいと言ったのに、レフィスったら全然、会わせないし~」
「先輩に会ってたらコマラパも絶対に幻滅してましたよ。あれで、かなりのロマンチストですからね」
レフィスがこう言うと、グラウケーは、思い出したように、くすくす笑う。
年齢相応の落ち着きは、どこにも見えなかった。
「ああ。そのようだねえ。彼は本気で生涯一人の女性の面影を抱いて生きるつもりかな。浮気したりすぐに再婚する男も多いというのに。人間というものは、個体差が激しくて、実に面白いよ」
これらの言葉を、神々しいまでの美しい女性が口にするのである。
コマラパが見ればたちどころに女性不信になること請け合いである。
その様子に不安を覚えたのか、レフィス・トールは、「それに」と前置きして、苦言を呈した。
「あまりカルナックに構わないでください、先輩。あの子はまだ幼いんです。悪い影響を受けたらどうするんです」
「悪い影響って。あんまりじゃないか」
口ではショックを受けたように言うが、その実、かけらほども困っている様子はないのだった。
「きみたちは、これから森の底に居る長老たちに会うんだろう。じゃあ今、カルナックの相手をしているのはラト・ナ・ルアだけかい? それは気の毒だ。わたしもちょっと行って手助けをしてやるよ」
あれこれ若い者をからかったり、ちょっかいを出したりと軽く振る舞っているわりには、グラウケーは面倒見のいい精霊でもあった。
さらに階層を降りていくナ・ロッサとレフィス・トールを見送り、グラウケーは、逆に、螺旋階段を上がっていく。
「グラウ! どこへ行くの?」
途中、彼女を呼び止める声がした。
振り返ると、階段を、グラウケーよりもほんの少し若く、小柄な精霊族の女性がのぼってくる。
グラウケーとナ・ロッサの中間の位置にある、キュモトエー。
外見年齢は二十歳そこそこくらい。
「カルナックが泣いてるそうなんだが、今、そばにはラト・ナ・ルアしかいない。一人では荷が重いかもしれん」
「連れ戻されてから、ずっとでしょ。大丈夫かしら。体力がもたないわ」
さざ波を思わせる長い髪が揺れる。
キュモトエーの性格の特徴は、精霊以外の生き物に対して向けられる優しさだ。
「グラウ姉さま、わたしもお供します」
「ありがたい。キューモー。ラトと交替して、休ませてやろう」
階段をのぼりながらグラウケーはキュモトエーに語る。
「さて、どうするかな。頭の固い爺さまたちは」
「姉さま、わたし、世界の大いなる意思は、案外、カルナックの好きにさせてやっていいというのではないかと思うわ」
「同感だね。ともかく泣いているカルナックをなだめてやらないと、森に被害が出ることは間違いない」
頭上を眺めやる。
森の上空は、常にはただ、白い炎や銀のもやで閉ざされているのであるが、現在、森の上には、ぽっかりと穴が開いている。
藍色の空が見えている箇所があるのだ。
森の梢に開いた穴を塞ごうと、おびただしい数の精霊火が、森の中まわりから集まってきていた。
「困った子だ、カルナック。我らの愛しい養い子よ。そんなにも、あの『伴侶』が、大切なのかい? 悪いが、存在の根本が「世界(セレナン)」である我々には、「ヒト」が内包する生命の儚さも、それでいて相反する強さも、感情の揺れも愛情も、理解できないんだ。……残念ながらね」
空の藍色を見つめてグラウケーは呟き、色の薄い唇に、柔らかな笑みを浮かべた。
「期待しているよ、愛し子カルナック。我々が今まで目にしたことも無い生命の輝きを、きみは、きっと見せてくれるだろう」
そして、囁く。誰にも聞こえないような微かな声で。
「命の終わりに、その輝きを見ることができたら。そうしたら、この退屈な生命なんか、いつ手放したって構わないんだから……」
グラウケーは、銀の髪をなびかせて森を歩む。一歩踏み出すごとに、足下に白い炎のように見えている『世界』のエネルギーが、たちのぼる。
そして白い影のように、『波の速さ』という意味の名を持つキュモトエーが、厳粛に付き従う。
※
「……外へ、行かせて。ぱぱが、クイブロが、みんな、死んじゃう」
子どもの泣き声が、聞こえてくる。
それはすでに、かすれて力ない囁きのようだ。
「だいじょうぶよ。コマラパとカントゥータは強いわ。それにしゃくだけどクイブロも強いもの。アルちゃんもついてるわ。彼はきっと味方になってくれるわよ」
必死に慰めている、優しい少女の声にも、疲労感が漂っていた。
なかば気を失っているカルナックを抱きしめて。
カルナックの頬には涙がこぼれ落ちている。
「お見舞いにきたよ。どうだいカルナックは」
背後にキュモトエーを従えたグラウケーが、声をかけた。
「あ、グラウ姉さま。キューモー姉さま!」
二人を見たラト・ナ・ルアは、明らかに気をゆるめ、ほうっと息を吐いた。
「泣き疲れて寝ちゃったみたい」
「お疲れさま。ラト。わたしにもカルナックを抱かせてね」
差し伸べたキュモトエーの腕が、泣きながら眠ってしまったカルナックを、抱き上げて膝に乗せた。
「カルナックを膝に乗せるのは久しぶりだわ。少し育ったわね。例の、伴侶のせいだったわね?」
「ええ。キューモー姉さま」
「この子、泣いてるわ。悲しい夢を見ているのかしら? かわいそうにね……」
「……影が、落ちる」
グラウケーは、ふたたび、ひっそりと呟いた。
「どうしようか? 放置か容認か、無視か。それとも……愛し子の、したいようにさせてやる……? ねえ、世界(セレナン)。ねえ、世界の大いなる意思。いったいどう思っているのかい……」
※
藍色の空に、小さな白い雲が流れる。
荒野に、高原に、野山に、ちぎれ雲が落とす影が、往く。
ぞわぞわと、影はひろがり。
そこから、たちのぼるヒトの群れがある。
しだいにそれらは、たよりない黒いかたまりではなく、形をとりはじめる。
それは、飼い慣らされた、灰色の駆竜に跨がった、一団の男達だった、
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先頭切って竜を奔らせているのは、一際体格のいい大男だ。
右目を覆い隠すように頭に巻き付けた布は、血の色に染まっていた。
赤みを帯びた長い金髪を首の後ろで一つに束ねているのだが、頭の右側は、血塗られたかのように赤く濡れている。
唇は歪み。覆われていない左目は、目の前の景色を観ていなかった。
男の後に続く灰色の集団は、駆竜たちと一体になっているかのように足並みをそろえ、急がせた。
声もなく。音もなく。影たちは、ひたすら進む。
彼らの行く手、北方には、万年雪を頂いた雪峰ルミナレスが、白く輝いていた。
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