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第2章
その7 コマラパ、雷を落とす
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深緑(しんりょく)のコマラパ。
エナンデリア大陸の東の端、大森林に住むクーナ族の村に生まれた彼は、今年で五十歳になった。
生まれつき他の者とは違うものを見ていると、若い頃、長老に言われた。
コマラパはセレナンの女神の導きにより前世を覚えている。
その知識により、自分の生まれ育った土地全体の行く末を案じていた彼は、エルレーン公国の使者と交渉し、公国の民となる代わりに自治権を勝ち取り、村の暮らし向きをより良くすることに尽力した。
やがて人々はコマラパを賢人と呼ぶようになった。
エルレーン公国の若き公子が、その噂を聞きつけ大森林を訪れて、弟子入りしたとも噂されている。
若い頃から禁欲的な生活を送り、研鑽を重ね、常に温厚で情に厚い、穏やかな人であるというコマラパ。
独身を通し、妻も子も持ったことは無い。
もっとも、若い頃には、自分捜しの旅もし、恋愛もしなかったわけではないのだが、その女性とは結婚に至る前に別れたというのは、余人の知るところではない。
しかしながら、現在、欠けた月の一族の村に滞在している、コマラパは。
激しく怒っていた。
※
「この、ばかもの!」
罵倒されているのは村長ローサの末子クイブロである。
口と同時に手が出て、クイブロはコマラパの一撃を腹にくらって、沈んでいた。
「嫁とはいえ、精霊の預かり子。そうそう手を触れて良いものではない」
朝、パコの群れを引き連れて放牧に出かけ、村に帰ってきたクイブロと、昼に弁当を届けに行ったカントゥータに抱きあげられたカルナックを見るなり、コマラパは、そう叫んでクイブロに詰め寄ったのだった。
「手は、出してねえ」
腹を押さえながらクイブロは、うめいた。
「何もしていないだと。では、なぜカルナックは急に大きくなった。小僧、おまえが誓いを破ったのに違いない」
いつも温厚なコマラパとは思えない憤りぶりである。
「コマラパ待って。話を聞いて」
カントゥータに抱えられていたカルナックは、地面に下ろしてもらって、コマラパに駆け寄る。
充分に近寄ってから、コマラパに抱きついて、耳元で囁く。
「お願いパパ。クイブロは悪くないの」
ここだけ、カルナックの中にある別人格、香織の声なのだ。
対コマラパ限定の反則技である。
前世で実の娘だった香織のおねだりに、コマラパは、ぐっ、と息を詰まらせたような表情になり、やがて、ため息を吐き出し、カルナックの頭に、手を乗せた。
「……なぜ、この年頃なのだ」
独り言を呟いた。
今のカルナックの姿は、十歳くらい。
ちょうど、コマラパが前世で一番良く覚えている、妻と娘と共に、最も多く時間を過ごした頃の、彼の娘、並河香織に。
まるで、生き写しの姿だった。
「ともかく無事に帰ってきてくれてよかった。クイブロに付き添って放牧に出かけるなんて、いつも気が気では無いのだからな」
カルナックを抱きしめて、ほうっと息を吐いた。
とりあえず出会い頭にクイブロを一発殴ったことでコマラパは落ち着いた。
それを見計らってカルナックは話しだした。
外で、クイブロと投石紐の練習をしていて、強い日差しに疲れて倒れてしまったこと。
精霊から贈られた水晶の筒に込められた水を、飲ませようとしてくれたこと。
カルナックが衰弱していて自力では飲めないと判断し、クイブロは口移しで、精霊の水を飲ませてくれた。
どうも、それが原因で成長したと思われる、ということを。
「……なんということだ!」
コマラパは大声をあげた。
「クイブロ! 意図したことではなかったというが、やっぱりおまえが悪い。倒れるまで無理をさせなければよかったのだ! そこは、おまえが気を配ってやれ!」
「はい。ごめんなさい」
言い訳を一切しない。
いつものクイブロらしからぬ神妙な態度に、コマラパは、かえって、不審な感じを抱いた。
「おかしい。何かあったのか? おまえが不安になるようなことが。話してみろ。おまえの不調は、カルナックにも影響するからな」
「そのことなら、わたしが話そう。我が家の問題なのだ」
カントゥータが、コマラパに顔を向けた。
「実は、先日……村を訪れた『早便』が」
「お待ち」
しかし、話は中断された。
クイブロとカントゥータの母にして、村長であるローサが割って入ったのだ。
「こんなところで立ち話もないよ。さあさあ、みんな家に入って! いいかい、もう夕食どきだよ。話はそのときでいいじゃないか」
ローサの言葉に、コマラパも頷いた。
「うむ。そうだな。急に育ってしまったカルナックの健康も気になるし、保護者である精霊の兄姉、レフィス・トール殿とラト・ナ・ルア殿を呼んで、相談をしようと思う」
「えっ、レフィス兄様がいらっしゃる?」
カントゥータは、弾んだ声をあげた。
骨の髄まで女戦士であるはずのカントゥータは、今まで村ではついぞ見かけたこともない高貴な精霊の青年であるレフィス・トールに、憧れ、初恋にも似た想いを抱いているのだった。
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