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第1章
その17 婚姻の誓いの杯
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「こんなことになるとは思わなかったわ」
居合わせた全ての人々の胸に、銀の鈴を振るような声が響いた。
それは声ではなく、魂に直接伝わってきた、意思。
「あたしたちの愛し子が森に還るのを、邪魔できる人間がいるなんて」
銀色の靄が広がり、薄れて消えた。
その後に現れたのは、青みがかった銀髪を長くのばした十五歳ほどの少女と、二十歳くらいの青年だった。
どちらも神の手になるかのごとく美しい姿をしている。しかし水精石(アクアラ)色の瞳は冷たく、この場で行われていた祝宴を眺めやった。
「姉さん! 兄さん!」
駆け寄るカルナックを、少女が抱きしめる。
その表情はこの上なく優しく慈愛に満ちていた。
「この服ね。人が家畜の毛を刈り取り、糸を紡ぎ、織り上げて、縫って。刺繍をして仕上げた。その全てに心がこもっている。これが、あなたを縛っているの。これを脱げば精霊の森に還れるのよ。脱ぎなさい」
「……いやだ」
「カルナック?」
「クイブロのおかあさんが作って着せてくれた。おかあさんはとても、あったかいよ」
「人間の世界を選ぶのね」
寂しそうにラト・ナ・ルアは微笑む。
「選ぶなんて! そしたら姉さんや兄さんとは」
「もう会えなくなるわ」
「そんな! どちらか一方しか、だめなの?」
懇願を受け、精霊の少女は、しばらくの逡巡の後に、ゆっくりとうなずいた。
「精霊(セレナン)の愛し子カルナック。あなたが望むなら。両方の世界に身を置き、精霊と共に在り、同時に人間と手を携えて生きることを願うなら。あたしたちも、世界の大いなる意思も、応えるわ」
レフィスとラトは、カルナックの両側に立ち、村人たちに向かって軽く頭を垂れた。
そのことに村人達も驚いたが、一番驚いたのはコマラパだった。
人との関わりを持たない誇り高き「世界の意思」の眷属である精霊たちが、人間にこのような態度をとるとは。
しばし立ち尽くしていたコマラパを、ラト・ナ・ルアが呼び、精霊と村人たちの間に、招き入れた。
「コマラパ。あなたは、あたし達が愛し子を託した者。カルナック自身が選んだ庇護者。立ち会い人になって」
「承知した」
コマラパは大きく頷く。
レフィスはカルナックの肩に手を置き、声をあげた。
「わたしはこの子の養い親にして精霊の兄、レフィス・トール・オムノ・エンバーと申します。こちらは姉、ラト・ナ・ルア・オムノ・エンバー。この村の長は、どなたか?」
「わたしです。貴き精霊様。ローサ・トリエンテ・プーマと申します」
歩み出たのは、ローサだった。
後ろにカントゥータとクイブロが、神妙に顔を伏せて並び立っている。
ローサの夫でありクイブロやカントゥータの父親であるカリートは、村の役員ではないため、後ろに下がって他の村人同様、跪いて頭を垂れていた。
精霊に対する礼儀として、代々の村人たちに申し送られてきたことである。
「この子は跡取りのカントゥータ・ロント。次代の村長を継ぐ娘です」
カントゥータは深く腰を折り、最大の敬意をあらわす。精霊から赦しがあるまで顔は上げられない。
「そして、この子が我がプーマ家の末子クイブロ」
クイブロは、一歩踏み出して、ローサと並んで立った。姉と同様に深々と頭を垂れたが、そのままではなく、ゆっくりと顔をあげて、精霊の兄妹に、目を合わせた。
迷いのないまっすぐな眼だ。
まだ精霊たちが発言を求めていないクイブロは、自分から話しかけることは許されない。村の長であるローサは短い間に、世界の意思である精霊(セレナン)への公式な対応のあれこれを娘と息子に申し含めていた。
ローサが、続ける。
「この子はまだ成人しておりませんが、精霊様の養い子にして愛し子、カルナック様に出会い、一目で懸想をしたと先ほど申しておりまして。それで妻問いをして我が家にお招きしたのでございます。お返事は頂いておりませんでしたが、私どもは、てっきり承諾して頂いたものと思い込み、祝いの宴を設けましたのです」
「村長(むらおさ)の跡取り殿、それに村の皆様。許します。顔を上げて」
ラト・ナ・ルアが許しを告げる。
あちこちで「ほうっ」と息を吐く音がした。
村人達は膝をついたままで顔を上げ、目の前に降臨した精霊たちの神々しく美しい姿を、魂を抜かれたかのように呆然として見入った。
「村長プーマ家の末子クイブロ。そなたは我らが愛し子を伴侶に求めるのか。それは精霊と縁を結ぶこと。御身も、この村も、人の身でありながら精霊の領域にも関わらねばならぬ。それを受け入れられるか?」
「はい」
クイブロは即答した。瞬時も迷いを見せなかった。
まっすぐな視線を受けて、カルナックが僅かに身を引く。
「ねえ、どういうこと? 伴侶ってなに? おれ、どうするの?」
「心配しないで。それより、生命の力が弱まっているわ。どうしたの? 何がそんなに悲しかったの?」
落ち着かせるためにラト・ナ・ルアがカルナックを胸に抱き寄せた。強い香気が立ち、漂っていた精霊火がカルナックに集まってきて、再び、身体に入っていく。
「自分が、人間でも精霊でもないことが」
「どちらかに、なりたいの? それとも、両方になりたい?」
「わからない」
「だいじょうぶよ。あたしたちは、この『欠けた月』の一族なら、という期待もあって、コマラパとあなたをこの土地に送り出したのだもの」
「まさか、森の外に出たその日に、求婚する者が現れるとは思わなかったけれどね」
レフィス・トールは皮肉に呟き、水晶の結晶をくりぬいて作られた筒と、同じく水晶でできた二つの杯を、中央のテーブルに置いた。
「これは精霊の森の、根源の泉に湧く清浄な水と繋がっている。精霊と絆を結ぶつもりなら、杯は、我ら精霊の流儀でなされねばならぬ」
「杯を交わせば人の身でも精霊の世界に近づく」
水晶の筒をかたむけ、透明な杯に清浄な水を注ぐ。
杯の中の水は、微かに泡を立ち上らせており、きらきらと輝いた。
「さあ、飲み干すがよい。プーマ家の末子クイブロ。覚悟があれば」
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