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第1章
1 レオンとフラン
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音もなく、夜の大地は霧雨に覆われていた。
広大な緑の放牧地や、瑞々しく生い茂る草の間を縫うように流れる小川。
そして、足早に歩く二人の外套にも、静かに降り注いでいた。
昼間めぇめぇと鳴いていた羊の群れも、今は影すら見当たらない。
石を積み上げた低い壁が草地と道を仕切っている。
一本道の先に街灯が見えるがまだ遠い。
「ランタンを持って来ていて良かった」ひょろりと細長い人物が呟いた。
「お前、確か荷物になるからいらないとか言ってたよな」
中折れ帽子のがっしりとした肩幅が突っ込みを入れると、間髪入れず細長の逆襲。
「まさか帰りが夜になるとは思わなかったからね」
「俺か。俺のせいか。いやとんでもない。あの森がおかしいんだ」
「先頭に立ってあっちだこっちだと、よくもまあ自信満々に迷ってくれたもんだよ」
「嫌味な言い方はよせよフラン。大体お前は日頃からちょっと俺に厳しすぎないか」
「ああ冷える。早く熱い紅茶が飲みたい」
「聞けよ俺の話。いや俺も一杯やりたいけどね。これくらいの田舎はローカルビールが美味かったりするらしい。料理も楽しみだねぇ」
と、うっとりと話した挙げ句、隣にいる人物から何やら暗雲が生じている事に気が付いた。フランと呼ばれた暗雲は、ことさらに足を速めながら
「いいけど調査予算内でおさめてくれよ?経理部のお小言はうんざりなんだ」
心底面倒そうに吐き捨てる。
暗がりの中、濡れた石畳みを歩きに歩いて外套はずぶ濡れ。フランの機嫌はいつにも増して最悪だった。美しい色素の薄い金髪が白い額に張り付いている。その下の眉間には深い皺を寄せていて、折角の美貌が台無しになっていた。
そういう時、なぜか自分が何か悪かったかなと思ってしまうのが幅広の肩、レオポルド・アマンティーニなのである。
「宿についたらさぁ、すぐに風呂に湯を入れてやるからさ」大きな体躯を縮こまらせ
叱られた小僧のように、口を尖らせ言う。
フランは吹き出しそうになったが堪えた。
雨に濡れた草の青い香りに混じって夕餉の良い匂いを鼻孔に感じる。なんだかんだと言いながらも、いつの間にやら民家の灯が近づいていた。
二人の軽口はいつもの事だったが、森での不可解な出来事を、どう話し合えば良いのか分からず、可笑しなテンションになっているのは互いに自覚してはいた。
二人は、ある調査のために田舎町ルルディに隣接する森に分け入った。
各所に点在する「鍵なしの森」と呼ばれる特別な場所だ。現在、八か所ほど確認されている。どう特別かと問われれば、村人の間で、まことしやかに囁かれる噂話が一番的を得た答えになるだろう。
「鍵も掛かっていないのに入れない」または、「鍵を持っていないと入れない」森なのである。「鍵なしの森」とは、先人も気の利いた名前を付けたものだ。
レオンとフランにとっては、初の不思議体験だった事だろう。
「分け入った」というのは少し違う。正確には「入ることが出来なかった」のだ。
そう、入れなかった。柵があるわけでもなく、ましてや大きな塀があるわけでもないのに、だ。
それでも二人はさんざん彷徨い、森への入口を探した。
森はただ、そこにあるだけなのに。足を踏み入れる事すら出来なかったのだった。
フランは考え事に浸る事がある。
我に返るにはきっかけが必要で、それはいつも相棒がくれた。
口笛。
美しい音色が聴覚に心地よく触れる。相棒、レオポルドの故郷の古い民謡だ。
彼とて、森の事は理解し難い案件だろう。だが時折こういう気遣いをする男なのだ。
フランは、すっかりくたびれた足を留めて振り返り、形の良い唇を片方だけ上げて
「風呂は先に使っていいよ。レオン」と言った。
広大な緑の放牧地や、瑞々しく生い茂る草の間を縫うように流れる小川。
そして、足早に歩く二人の外套にも、静かに降り注いでいた。
昼間めぇめぇと鳴いていた羊の群れも、今は影すら見当たらない。
石を積み上げた低い壁が草地と道を仕切っている。
一本道の先に街灯が見えるがまだ遠い。
「ランタンを持って来ていて良かった」ひょろりと細長い人物が呟いた。
「お前、確か荷物になるからいらないとか言ってたよな」
中折れ帽子のがっしりとした肩幅が突っ込みを入れると、間髪入れず細長の逆襲。
「まさか帰りが夜になるとは思わなかったからね」
「俺か。俺のせいか。いやとんでもない。あの森がおかしいんだ」
「先頭に立ってあっちだこっちだと、よくもまあ自信満々に迷ってくれたもんだよ」
「嫌味な言い方はよせよフラン。大体お前は日頃からちょっと俺に厳しすぎないか」
「ああ冷える。早く熱い紅茶が飲みたい」
「聞けよ俺の話。いや俺も一杯やりたいけどね。これくらいの田舎はローカルビールが美味かったりするらしい。料理も楽しみだねぇ」
と、うっとりと話した挙げ句、隣にいる人物から何やら暗雲が生じている事に気が付いた。フランと呼ばれた暗雲は、ことさらに足を速めながら
「いいけど調査予算内でおさめてくれよ?経理部のお小言はうんざりなんだ」
心底面倒そうに吐き捨てる。
暗がりの中、濡れた石畳みを歩きに歩いて外套はずぶ濡れ。フランの機嫌はいつにも増して最悪だった。美しい色素の薄い金髪が白い額に張り付いている。その下の眉間には深い皺を寄せていて、折角の美貌が台無しになっていた。
そういう時、なぜか自分が何か悪かったかなと思ってしまうのが幅広の肩、レオポルド・アマンティーニなのである。
「宿についたらさぁ、すぐに風呂に湯を入れてやるからさ」大きな体躯を縮こまらせ
叱られた小僧のように、口を尖らせ言う。
フランは吹き出しそうになったが堪えた。
雨に濡れた草の青い香りに混じって夕餉の良い匂いを鼻孔に感じる。なんだかんだと言いながらも、いつの間にやら民家の灯が近づいていた。
二人の軽口はいつもの事だったが、森での不可解な出来事を、どう話し合えば良いのか分からず、可笑しなテンションになっているのは互いに自覚してはいた。
二人は、ある調査のために田舎町ルルディに隣接する森に分け入った。
各所に点在する「鍵なしの森」と呼ばれる特別な場所だ。現在、八か所ほど確認されている。どう特別かと問われれば、村人の間で、まことしやかに囁かれる噂話が一番的を得た答えになるだろう。
「鍵も掛かっていないのに入れない」または、「鍵を持っていないと入れない」森なのである。「鍵なしの森」とは、先人も気の利いた名前を付けたものだ。
レオンとフランにとっては、初の不思議体験だった事だろう。
「分け入った」というのは少し違う。正確には「入ることが出来なかった」のだ。
そう、入れなかった。柵があるわけでもなく、ましてや大きな塀があるわけでもないのに、だ。
それでも二人はさんざん彷徨い、森への入口を探した。
森はただ、そこにあるだけなのに。足を踏み入れる事すら出来なかったのだった。
フランは考え事に浸る事がある。
我に返るにはきっかけが必要で、それはいつも相棒がくれた。
口笛。
美しい音色が聴覚に心地よく触れる。相棒、レオポルドの故郷の古い民謡だ。
彼とて、森の事は理解し難い案件だろう。だが時折こういう気遣いをする男なのだ。
フランは、すっかりくたびれた足を留めて振り返り、形の良い唇を片方だけ上げて
「風呂は先に使っていいよ。レオン」と言った。
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