上 下
347 / 358
第九章 アイリスとアイーダ

その25 エステリオ・アウルの失言とアイリスの覚悟

しおりを挟む
        25

「絶対に、無事に生きて還るよ。きみのところへ」
 アイリスの手をとり、並々ならぬ決意をこめてエステリオ・アウルはこう言ったのだったが。
 
 何か、まずかったらしい。

 それに気づいたのは、それまで愛情深くうっとりするような目で彼を見つめていたアイリスの表情が、途端に曇り、双子のパオラとパウルが顔を見合わせ、そろって首を横に振る。
 コマラパは「ううむ」と唸り、ルビーは「あちゃー」サファイアは「ばかねえ」と呟いた、
 一連の反応からである。
 カルナックはというと、ひとり、楽しげな笑みを浮かべていた。
 弟子として師事してきたエステリオ・アウルの経験では、こういうとき、ろくなことはない。

「エステリオ・アウル。きみがそんなにも健気な覚悟をしているなら、師匠たる私も応えなくてはね」

「は、はい? お師匠様?」

「魔導師協会の長であるこの私と副長のコマラパが認めた許婚のアウルとアイリスに、絆を深める『おまじない』をしてあげるよ。それでいいね? アイリス」

「はい、お師匠さま。お願いします」
 アイリスは安堵の表情で、即答し、大きくうなずいた。

「よろしい。良い子だ」
 カルナックはアイリスに対しては優しい笑みを向け、同席している、今宵の晩餐に招いてくれた主人夫妻に対しては、非の打ち所のない態度で相対した。
「申し訳ない、ラゼル家ご当主並びに奥方。これから魔力のこもった『呪文』を唱えます。少しの間だけ音が聞こえないように遮蔽の魔法をかけるので、しばし、そのままお待ちいただけますか。魔法使いでない者は、音を聞かないほうが良いのです」
 丁重に説けば、カルナックに全幅の信頼を置いている夫妻は一も二もなく同意した。

 遠国『扶桑』からの重要な客人としてラゼル家が預かっている双子のパオラとパウルはブンブンと音が聞こえそうなくらい忙しく首を縦に振っていた。
「それいい!」「アイリスもあんしんできるね!」

 この状況で置き去りになっているのはエステリオ・アウルのみだ。

 音声遮断の魔法が発動した。
 その途端。
「アウル! アホぼけなすがっ! 長期入院して脳までイカれたのかよ」
 憤慨を隠さす際限の無いあくたいをつき始めたのはルビー=ティーレである。

「ティーレ、どうどう! アウルがお馬鹿さんなのは今さらしょうがないでしょ」
 手綱を引き締めたのはいつもながらのサファイアだ。
 
 さすがに、ともかくまずい、と危機を感じたエステリオ・アウル。
「お、お師匠様、申しわけありません!」
 思わず立ち上がり頭を下げようとするのを、カルナックの隣に居たコマラパが力強い腕で押しとどめた。
「いかんぞ。ご当主も奥方もここには居られる。不審な行動は慎め、我が弟子ならばの」

 そうだよー、と、カルナックは、へらりと笑った。
「遮蔽しているのは音声だけだし。土下座とか、本当にやめて? 意味ないから」
 笑ってはいるが、相も変わらず辛辣だ。

「じゃ、始めよう。ところでアイリス、どれにする?」 

「お師匠さま、どれって、おっしゃいますと?」

「大丈夫よアイリスお嬢様! お師匠様におまかせ。よりどりみどりだから」
「そこらのお守りとは訳が違うからねえ」
 サファイアとルビーは満面の笑みで、ニヤニヤとしていた。

「何もかも、きみが望むようにするからね。不安だろう、エステリオ・アウルが失言したから。まったく。私が引率するって言って、危険は少ないって印象づけたのに。その直後にあれはない」
 一呼吸おいて、カルナックは、
「ねえ、エステリオ・アウル。こんなに馬鹿だったかい?『今度こそきみを守る。絶対に生きて還る、きみのところへ』……どんなフラグだよ。まるで生還が難しい任務みたいじゃないか」

「えっっ? いえ、そんなつもりでは」

「つもりがあろうと、なかろうと。そう聞こえるよって言ってるんだ。で、エステリオ・アウルの発言はここで終了だよ。ぜんぶアイリスの希望に合わせる。ねえアイリス、どうしたら不安が消える?」

「そんなにまでお気遣いくださって、お師匠さま、ありがとうございます。……わたしは」
 アイリスは呼吸を整えた。
 堰を切ったように、吐き出した。
「一番の望みは、無茶だってわかってます。わたしも一緒に行きたいです! だって叔父さま、ご自分のこと、ないがしろにしちゃうところがあるから。心配で。一緒についていきたい。苦しいことがあったら退けて、敵がいたら、わたしが倒したい。叔父さまを守りたいの!」

「……」
 その場にいる全員が、絶句した。

 ややあって、

「あっはははははは!」
 弾けるように、カルナックは笑い出した。
 ひとしきり笑った後で、目を輝かせ、身を乗り出した。
「こりゃあいい、愉快だ。さすが《世界の大いなる意思》が目をつけるのもうなずける」

 きらきらと輝くその瞳からあふれ出す魔力の青に、臆することなく、アイリスは向き合う。

「以前にも言いましたよね、わたし、もう、幼女だってことに逃げるのはやめました。誰も失いたくないの。もちろん一番はエステリオ・アウル叔父さまですけど」

「ふうん。本当だね、少し大人になった。今なら『アイリス』と『月宮アリス』は同等に並べる。……具体的にはどうする? 連れて行くことは無理だけれども、そうだなあ。きみたちの『婚約指輪』、今でも縁を結んでるけど、こいつを強化して、同期する? 何かあったらすぐにわかるように」

「いいえ、わかるだけじゃイヤ!」
 アイリスは声を上げる。

「お師匠さま。わたし魔法のレベル上がったんです。レベル5になったの。お師匠さまや魔法使いさんたちが使ってる、魔法の『目』や『耳』や『影』を、習得できませんか?」

「……へえ? 教えてもいいけど。覚悟はある?」
 カルナックの目は、いよいよ水精石の如く青く輝きを強め、肌も白く光り、その周囲には、精霊の魂と考えられている青白い光球、『精霊火(スーリーファ)』が集まってきた。この世のどこにも、カルナックを置いて他にはこのような現象を引き起こす者などいない。

「その魔法を使って、私たち潜入捜査部隊に視覚、聴覚、影を沿わせたら。この世の暗部に触れずには済ませられないよ。その覚悟が、あるのなら」

「はい」
 アイリスは、答えた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

愛していました。待っていました。でもさようなら。

彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。 やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。

【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。

曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」 「分かったわ」 「えっ……」 男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。 毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。 裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。 何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……? ★小説家になろう様で先行更新中

好きでした、さようなら

豆狸
恋愛
「……すまない」 初夜の床で、彼は言いました。 「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」 悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。 なろう様でも公開中です。

貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた

佐藤醤油
ファンタジー
 貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。  僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。  魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。  言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。  この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。  小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。 ------------------------------------------------------------------  お知らせ   「転生者はめぐりあう」 始めました。 ------------------------------------------------------------------ 注意  作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。  感想は受け付けていません。  誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。

せいめ
恋愛
 メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。  頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。   ご都合主義です。誤字脱字お許しください。

【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?

みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。 ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる 色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く

【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?

つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。 平民の我が家でいいのですか? 疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。 義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。 学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。 必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。 勉強嫌いの義妹。 この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。 両親に駄々をこねているようです。 私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。 しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。 なろう、カクヨム、にも公開中。

処理中です...