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第九章 アイリスとアイーダ

その17 カルナックからの緊急指令

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「ところで、サファイア」

「うえ!? はっはい」
 条件反射的にサファイアさんはびくっとして首をすくめた。
 怒られ慣れている反応にしか見えない。

「アイリスに妙な先入観を与えないでくれないか」

「え……何のことですかお師匠様?」
 サファイアは気を取り直す。

「妙なことなんか言ってませんよ。お師匠様が熟女好きなのは本当でしょう?」
 確信犯めいて、満面の笑みで答えた。

「それが誤解を招く表現だというんだ。まるで私が女好きみたいじゃないか」

「違うんですか?」
 思わず素朴な疑問をぶつけてしまった、わたし、アイリスは悪くないよね?

「ほら、アイリスが疑ってる! いい加減にしないと……」
 カルナック様の目が、明るい青の光をたたえた。身体の周囲に青白い光球、精霊火が集まってくる。
 ……やばくない?

「うそうそ! アイリスちゃんごめんね、うそよ! お師匠様は真面目な変人だから!」
 いい加減にしないと、どうだったのかしら。

「変人はないだろう……」

「でもお師匠様が食堂のおばちゃんたちに愛想いいのは事実ですよね」
 懲りない、サファイアさん。

「いつもがんばって働いてくれてるお嬢さんたちをねぎらうのは当然のことだろう」
 カルナックさまも、ぶれない。

「そんなの。優しくされたら相手は本気にしますよ。わたし何度も言ってますけど。ぜんぜんご自分をわかってないのは、誰よりも、お師匠様ですよ……」
 お手上げですと肩をすくめ。
「ま、しかたないですけど。そこがお師匠様らしいとこですしね」
 眉根を寄せながらも、呆れたように笑った。

         ※

 ロビーで待つ。お師匠さまはエステリオ・アウル叔父さまにおっしゃっていたけど……どこ?

「アイリスちゃん、もうじき着くからね」
 わたし、アイリスの手を引いたサファイアさんは、カルナックお師匠さまとともに回廊を進んだ。
 総合病院の玄関に向かう広間。
 その片隅の奥まったところに、ひっそりと。木製の衝立……に見せかけた『魔道具』で区切られた区画があった。
 一見したところではわからないだろう。そこは注意深く整えられた、隔離された『場』だった。衝立を越えると、空気が違った。
 会議机を囲む簡素な椅子が、6脚。
 カルナックさま、わたし、サファイアさんの順に、奥から席についた。エステリオ・アウル叔父さまもリハビリが終わり次第に来るようにと呼び出されている。

「アウルが来る前に話しておこうと思うんだが……。アイリス。君は以前、深く考えずに答えただろう。私が人間を見捨てないためには、君にも私と同じように長く生きてもらうと言ったことに対して」

「え」
 そういえば……そんなこと答えたことがあるような……?

「その様子では、やはり理解していないようだね。アイリス。家族の中で一人だけ飛び抜けて大きな魔力を持って生まれてしまった君は。《世界の大いなる意思》の限りない恩寵を受け、同様に《世界》によって無限に生きる呪いをかけられたのだ。……この、私のように」

「……す、すみません、お師匠さま、まだ、よくわからないです……」
 ほんとは、うすうす察せられるけれども。
 認めたくないから。 

「安心したまえ。父上、母上、ラゼル家一同には、人の身に赦される限りの長寿と健康を与える。君が悲しむのはしのびない。いずれ遠い未来には、別れも訪れずにはいないだろうけれど」

 この世界で、エルレーン公国首都の豪商ラゼル家の一人娘アイリス……現在六歳…として転生している、わたし。だけど中身……前世の魂は、東京の女子高生だったりニューヨークに住んでた25歳のキャリアウーマンだったり、地球滅亡のとき人類の最後を看取った管理システムAIだったりした。
 アイリスと、女子高生月宮アリスの意識は、かなり違和感がなくなったけど、ここが東京ではないということに、本当のところまだ慣れてない。

「前世の記憶との齟齬は、『先祖還り』につきものの悩みだ。サファイア=リドラに相談して、力になってもらいなさい。その意味では、ルビーもアウルも同様だが」
 カルナック様は、優しく笑う。

「遅くなりました」
「身支度に手間取っちゃって」
 しばらくして、聞こえてきた声は、二人ぶん。
 エステリオ・アウル叔父さまと、もう一人は、ルビー=ティーレさんだった。

「早速だが本題に入ろう。そろそろ体力も戻ってきただろう。エステリオ・アウル。魔導師協会所属の君に特別指令がある。来月末に、隣国に巣くっている児童誘拐組織の大がかりな摘発を行う。一人でも多くの人材が必要だ。それまでに完治して退院しなさい」

「おおせとあらば」

「ルビー、君にも調査班に入って貰うよ」

「はいはい了解っす」
 けだるそうにルビーさんは答え、にやりと笑った。

「サファイアは引き続きアイリスの護衛だ。まだ守護精霊が戻っていない」

「はい」

 でも、わたしはびっくりして、思わず声をあげた。
「待ってカルナックさま! エステリオ・アウルは病み上がりですよ!」

「あたしも病み上がりだけどね?」
 ニッと笑うルビーさん。

「ごめんなさいルビーさん、そんなつもりじゃ」

「いいのよルビーのことは気にしなくても。この脳筋と繊細なエステリオ・アウルじゃ、基礎体力がまるっきり違うしね!」
「誰が脳筋だ!」
 サファイアさんが笑い、ルビーさんが間髪入れず、どかっと脇腹に拳を入れた! けどサファイアさん、びくともしないわ。
「アイリスちゃん、おちついて深呼吸してごらんなさい」
 言われるままに、わたしは気持ちをしずめようと、深く呼吸した。

「だって聞き捨てならないですもの。児童誘拐? 摘発って……危険なんじゃ、ないですか。そんな任務に、病み上がりの二人を、だなんて」
 一気に言って、息が切れた。

「君は心配しなくていい、可愛いアイリス」
 カルナック様は穏やかに笑って、あたしの頭を撫でる。
 ああ、また、ぴりぴりくるわ。
 なんて強い魔力。

「君が待っていると思えば、エステリオ・アウルは頑張れるからね」
 カルナックさまは、柔らかな表情でいながら、誰にも異議の余地などない、決定事項を通達する。
 するとアウルは息を呑んで、姿勢を正して答えた。
「はい! 全力で治して現場復帰しますっ!」

「君もだよ、ルビー=ティーレ。万全に体調を整えて現場復帰してもらう。相手はサウダージの息のかかった大規模な犯罪組織だ」

「へいへいお任せっすよ!」

 なんとなくルビー=ティーレさんは大丈夫な気がする。
 アウルはがんばって急いで傷を治すって言ったけど、わたしは心配だ。

「カルナックさま。『ヒール』とかみたいな、すごい回復魔法はないんですか。魔法で傷を一気に治したりはできないの?」

「ファンタジーRPGに出てくるような万能の回復魔法か」
 カルナック様は、温かい笑みを浮かべた。

「この世界でも主に冒険者たちが使用しているような、戦闘中に急場をしのぐための特効薬や回復魔法は存在している。だが後遺症や反動によるリスクが伴う。身体のためには、ゆっくり自然に癒やすのが望ましい。それに加えて、エステリオ・アウルの場合は、特殊なのだ」
 眉をひそめる。
「ティーレと同じ。二人はもともとの魔力保有容量が通常よりかなり大きい。その魔力をほぼ空っぽにされたために瀕死状態になったのだ。巨大なプールを元通りに満たすには長い時間が必要だということだよ」

 納得のいく説明ではある。だけど……。

「あの、お師匠さま、気になることが。わたしも、魔力を使い果たして昏睡していたんじゃなかったですか。でも、回復にエステリオ・アウル叔父さまみたいな時間はかかっていないですよね」

「……君が魔力を使い果たしたのは、瀕死のマクシミリアンを助けるためだった。アイリス、ありがとう。君には、どんなに礼を尽くしても足りない」
 お師匠さまの白い頬が、ほのかに赤く染まった。
「そして質問の答えだが。君にはすでに複数の『竜神の加護』がついているからだ。具体的には、とりわけ白竜が与えた『癒やし』の加護。それ故に、他の魔法使いたちが非常な時間を要するようなことでも、通常では考えられないほど早く回復できるのだ」

「白竜さまの」
 わたしは右手のブレスレットを見た。精霊白銀の土台にはめ込まれた。小さな丸い青石と白い石、そして赤い石たちが並んで、柔らかく光ってる。
「知らなかったです。……青竜さまと白竜さまにいつかまたお目にかかれたら、心から感謝を伝えたいです!」

 そしたらサファイアさんが慌てたように、
「待ってアイリスちゃん、誰か忘れてない?」

「あっ、だいじょうぶよサファイアさん。アルナシルさまとシエナさまにも、加護をいただいたし、お世話になったこと忘れてないわよ! 授けていただいた赤竜の加護も、役に立ったのよ」

 うっかりしたわ。
 魔法の特訓をしてくださったアルナシル王さま、もちろん忘れてないわよ。だいぶ無茶振りしてくださった王さまだけど、シエナさまも見張って……尻に敷かれて? いい人だったものね!

「お師匠さま、それは何のことでしょうか」
 エステリオ・アウルの顔色がずいぶん悪くなっていることに、その場にいる他の誰もが気づかなかったのは、彼の不運かもしれない。
「わたしが入院している間にアイリスに大変なことがあったのでは? 竜神の加護とは何です。それほどのものを、苦難を伴わずに得られるはずがない。では、わたしは、また、アイリスを守れなかったのですね」
 あっヤバい、アウルが落ち込んでる!
 どれが地雷だったの?

「エステリオ叔父さま! わたしは苦難なんかに遭ってないわ、へーきよ!」
 にっこり笑って見せる。
 そのときだった。

「あはははは! アウルは相変わらずヘタレだなあ」
 ルビー=ティーレさんが大声で笑う。
「バカだなあ。もっと余裕を持てよ。可愛い許婚のアイリスちゃんは、まるっきりお前に夢中だろ?」

 見た目は十五歳くらいのプラチナブロンドの美少女なのに落ち着いた声で、ちょっぴり大人な発言。さすが前世でリドラさんの上司だっただけあるわ。

「でも師匠、サファイアはともかくアウルは繊細なんで、ちっとは気遣ってやってくださいよ」

「そのつもりなんだがな、私は」
 くすりと笑うカルナック様。
 ティーレさんは、ため息。

「師匠の気遣い、わかりにくいんですよ」
 それから、あたしの耳に顔を寄せて、声を落とす。
「本心はね。師匠は、子供たちが昔のアウルみたいな目にあわないようにしたいんだよ」

 ぴりっと、全身に緊張が走る。
 浮かんできたのは、アウルの体験。
 アウルの記憶からは消された、幼児の時に攫われ、救出されるまでの約半年、レギオン王国で酷い虐待を受けていたこと。
 そんな辛い目にあう子供をなくしたい。
 カルナック様のお気持ちは痛いほどわかる。いつもいたずらっ子みたいだけど、本当はとっても優しい人だ。出会ってから日の浅い、わたしにだってわかる。

「大昔にはいなかったが、今では生まれつき『魔力核』を持つ子供がほとんどだ。アイリスのように。ま、君ほど桁外れな者はめったにいないが……誘拐組織は、人身売買もしているが本当の目的はそれなんだよ。『魔力核』がね。そのために各地で幼い子供たちをさらって集めている」

「そんな……! 小さい子をさらうなんて、信じられない!」
 身体が震える。

「サウダージ共和国を同じ人間の住む土地だと思ってはいけない。同じ人間、なんてことはあり得ないのさ。まずいことに彼らは、絶望している。この世界に生まれ落ちたことを呪っている。どんな犠牲を払っても、目的を達成したいのだ。今、言えることは、これだけだ……アウル、ティーレ、よく養生しておきなさい」

 カルナック様は、静かに席を立った。
 それ以上を教えてくれるつもりはなさそうだ。

 ……子供には、あまり酷いことは聞かせたくない。私のポリシーだ。
 初めてカルナック様にお会いしたとき、おっしゃっていた事だ。
 いくら、わたしに前世の記憶があっても、今世ではまだ六歳の子供だから、ショックを与えるようなことは教えてくれないつもりなのだ。

「ああ、そうそう」
 振り返ったカルナック様は、にやりと笑った。

「アイリス。アウルはどうしようもないヘタレだ。しっかり捕まえておきなさい」

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