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第九章 アイリスとアイーダ
その15 魔法陣でお見舞いにお出かけ
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15
ここエルレーン公国首都シ・イル・リリヤで、最も有名なお医者さまを十人あげるとしたら、絶対にエルナトさまはトップクラス。わたし、アイリスは世間のことを直接は知らないのだけれど、我が家のメイドさんたちの評判を聞く限り、間違ってないはず。
腕もいい、ご実家の地位も高いのに全くおごらない、誰にでも優しいひと。
それにもちろん、ものすごいイケメンだしね!
カルナックさまはお帰りになり、というか影をよこしていらしたので、そろそろ時間だ、コマラパが気をもんでいるだろう、なんておっしゃったかと思えば突然、
「じゃあねアイリス。明日は病院で会おう。私もマクシミリアンの見舞いに行くから。お父上、お母上にもよろしくね。スノッリのことはまた、後で話そう」
「ちょい待ちですよカルナックさま!?」
いい女の猫っかぶりはすぐにどっか行っちゃったわ。
「さらっとマクシミリアンくんのこと流さないで!」
「ああ、そうだったね。ありがとうアイリス。おかげで彼は助かった。今はエステリオ・アウルと同じ病棟に入っているから、大事ない。心配かけてすまなかったね」
「わたしも、明日マクシミリアンくんのお見舞いにも行きたいです」
「ふふ。きっと彼もよろこぶよ。じゃあ明日は、一緒に行こう。迎えにくるよ」
とっても罪な、微笑みを浮かべて。明日の約束をしたのでした。
そしてお昼をいただいてから、午後には、
なんだか久し振りにお目にかかる気がするエルナトさまに、丁寧に診断を受けました。
「ずいぶん体調がいいね。これなら明日はもうエステリオ・アウルのお見舞いに行ってきてもいいよ」
許可をいただけました。
「やったあ!」
思わず声を上げたら、
「アイリスちゃん、大人のふりはどうしたのかしら」
サファイアさんに、笑われちゃった。
あんまり嬉しかったから、いろいろ取り繕うのはやめます。
わたしまだ、六歳と半月だもの!
※
次の日、わたしは朝からうきうきして踊り出しそうに嬉しくてしかたなかった。
入院しているアウルのお見舞いに行くの。
わたしアイリス・リデル・ティス・ラゼルが六歳を迎えた誕生日、この日に開催されたお披露目会、一生一度の思い出になるめでたい祝いの席だったのだけど……このとき、招待もしていないのに押しかけてやってきたお爺さまが問題行動をした。そのために起こった事件で、わたしをかばって怪我をしたエステリオ・アウル。
一時は昏睡状態に陥って、とても心配だった。
お父様の自慢の弟で、わたしが生まれたときから、ずっと大事にして守ってくれていた、婚約者なの。
見た目はちょっと、もっさりしてるけど。
清潔にして髪を整えて。そしたら、わりとイケメンだと思う。
誠実で『魔導師協会』学院で自分の研究室も持っていて、協会の副長でもあるコマラパ老師のお気に入りだから、将来も安泰みたい。
そんなことは、わたしにとって、どうでもいいことだけどね。
生まれたときからの許婚、エステリオ・アウル叔父さまのことが、わたしは大好きで、むしろ、わたしが叔父さまを守ってあげたいの。
だって叔父さま、ぜったい、お人好しだもの!
悪い人にだまされたりしないといいな。
「アイリスちゃん、お支度できた? そろそろ行きましょう」
サファイア=リドラさんが子供部屋まで迎えにきてくれた。
扉の外に出たら、カルナックお師匠さまが、魔法陣の前にいらしてた。室内だということを考慮に入れても、なんて白い肌なの。つややかな長い髪、真っ黒なのに星のような青い光をたたえた瞳に、見つめられたら、もう心臓が騒がしくなっちゃうわ。
何度見ても、見返しても、困ってしまうくらいに美形なお師匠さまです。
「嬉しいです、お忙しいのに、ほんとに迎えにきてくださったの、お師匠さま」
「もちろんさ、私は、女性との約束を違えたことなどない」
「お嬢様、行ってらっしゃいませ」
ローサが見送ってくれる。
「お嬢様の護衛は、このわたし、サファイアにお任せよ!」
頼もしく、サファイアさんは豊かな胸を、ぽすんと叩いて請け負った。
「うふふ。安心してねローサ。行ってくるわ」
お見舞いに行くといっても、玄関を通って外出するわけではないのです。
我が家には秘密の仕掛けがある。
それは、
転送の魔法陣!
普通、一般家庭にはないものです。
ここと登録してある行き先を結ぶもので『魔導師協会』に公認された魔法使いだけが、うまく使える。
わたしはサファイアさんに先導してもらうことになっている。わたしが持っている魔力の量は不足ないけど、到着地点をイメージするとかできないから、まかり間違えば、迷子になっちゃう。
つまり、どこへ行ってしまうかわからないという恐ろしい事態に。
さあてと、深呼吸しなくちゃね。
「サファイアさん、準備はできたわ」
「じゃ、行きましょう」
転移魔法陣は子ども部屋の入り口に設置してあるから、ひょいとそこまでお出かけみたいな気軽さで。差し入れのお菓子を入れた小さなバスケットを持って、サファイアさんとカルナックお師匠さまと、魔法陣に乗る。
「行き先は魔導師協会付属、医療部、個室棟。転送陣B」
円と、細かい文様、文字が、銀色に光って、浮かび上がる。
「これはね、魔導師協会付属医療部個室棟に設けられた転送陣Bに、送られるってことよ』
「はい」
医大付属病院みたいな感じね。
サファイア=リドラさんが左手を握ってくれる。
もういっぽう、わたしの右手首には精霊のブレスレットをはめている。これは精霊白銀の土台に精霊石をおさめ。黒竜くんのうろこ、つまりブラックオニキスみたいなのを蓋に加工してある。あとは白竜さまからいただいた癒やしの効果がある『加護』の白翡翠と、青竜さまにいただいた青石。こっちは水を操れるっておっしゃってたけれど、よくわからない。
足下に、銀色の光が浮き上がる
サファイアさんの手の温もりを感じながら目を閉じた。そうするのは悪酔いを防ぐため。
転移魔法陣に乗るのに、いつも、ちょっぴり不安になる。
通常の空間じゃないところを通過するのだ。
実は目を閉じても開けていても、幻覚を見てしまうことはあるの。
瞬き一つの間に転移は終わる。
魔法陣が5つ設置された部屋に、あたしたちは着いた。他に魔法陣を使っている人はいなかったらしい。無人だ。
周囲の壁は真っ白で、平坦で、何もない。
わたし、月宮有栖が前世で通ってた病院にそっくり。
「着いたわよ。だいじょうぶ? アイリスちゃん」
「はい、平気です」
気遣ってくれるサファイア=リドラさんの手を握り返す。
膨れ上がってくる、不安やとまどいを、押さえ込んでしまう、力になる。
※
月のない暗い夜。
黒い大きなワゴン車が目の前に迫っていた。
この瞬間、あたしは頭が真っ白になって。
身体はぜんぜん動かなくて。
なんにもできずに固まっていた。
次の瞬間、ものすごい衝撃が前面から来て。
地面に強く叩きつけられた。
アスファルトの路面を転がって、体中どこもかしこもすごく痛くて。
顔も打った。
血が……ああ、血って温かいんだ。
大量の血? 血の海?
どこから出てるの。
ママ……。
真っ暗な穴に飲まれたみたい。
次に目が開いたときは周りじゅうが白い壁に囲まれていた。
ママが、いる。
泣いてるの?
頭に包帯を巻かれてベッドに寝ているのは誰?
あたしは宙に浮かんで、その女の子を見下ろしていた。
……ああ、やだ。
ベッドにいるのは、あたしじゃないか。
ピー……
高い機械音が響いて、そして消えた。
「有栖、有栖!」
ママが叫んで。ベッドに横たわる人物の枕元に顔を伏せて、泣いている。
不思議なのだけれど、あたしはなぜか、ママと、ベッドに寝ている、多分、自分の姿を同時に見ているのだと、理解した。
ママの正面に、ベッドを挟んで立っているのに。
看護師さんたちも医師も、誰も、あたしを見ていない。
泣かないでママ、あたしは、ここにいるよ。
それきり意識は、消えた。
不思議だ。
この世界に新生児アイリスとして生まれ出たときには、有栖が死んだときのことなんか思い出さなかったのに。
だから病院にくるのは、ちょっと辛い。
けれど、アウルに会いたい気持ちのほうが強いから。
お願い、一緒に連れて行って、お師匠さま。
※
そもそも魔法陣で転移するってどういうこと?
カルナックお師匠さまの言うことには、こうだ。
「五次元って聞いたことがあるだろう?」
キラキラした目を向けるカルナックさま。
「転移魔法陣っていうのは、それだ。時間と空間を操ることが可能になるんだよ」
「……そうなんですか?」
あたしはどう答えたらいいのか悩んだ。
まさか、そんなの全然わかりません、って言えない雰囲気なんだもの。
カルナックお師匠さまは、みなが自分と同じような基礎知識があって、その上、知識欲に燃えていると誤解している。
すこぶる残念な人なのだ。
外見は、艶やかな長い黒髪を緩い三つ編みにして、濡れたような黒い瞳……この瞳は魔法を行使するときアクアマリン色に染まる……華奢でいて、さりげなく筋肉質。
すらっと背が高くて。カルナック様が男でも女でも、このさいどうでもいいや! って気になってくるほど、ものすごい美形なのに。
「平行世界という考え方もある。魔法陣で通過する世界と世界の隙間。セレナンは超巨大なこの惑星系そのものの意思、意識だ」
「女神さまじゃなく?」
「女神たちは《世界(セレナン)》の《分身》だ。本体は《世界の大いなる意思》そのものさ」
このとき、あたしは軽い気持ちでカルナック様に「転移魔法陣ってどういうものなんですか」と尋ねたことを早くも後悔していた。
せめて30世紀の未来から来た青いネコ型ロボットのポケットのほうがまだ身近で理解できるんですけど。
「えっと、五次元とかにアクセスできるから魔法が使えるってこと? じゃあ、魔法って科学なんですか?」
「私がまとめた魔術理論ではそうなっている。魔法を行使するのに必要な『魔力』も、そもそも『世界セレナン』からエネルギーを借用しているのだよ。まあ、これは私個人の考え、推測だ。他の魔術系統では、あるいは他の原理によるのかもしれない。興味は尽きないね。それにしても、アイリスはなかなか見所があるな。学院に入ったら私と研究をしよう!」
「あ、いえ……その」
「アウルはコマラパに取られてしまって残念だったのだ! 君は私の直接の弟子なのだからね!」
「はい……将来は、よろしくお願いします」
押し切られた! こんなに嬉しそうなカルナック様を断るなんて、無理でした「楽しみだな! ああ、護衛はマクシミリアンに教室にも付き添わせるから」
カルナックお師匠さまとの会話を思い出して、頭が痛くなる。
この話題はもうやめようって思った。でないとファンタジーだかSFだか哲学だかわからなくなってくるから。
※
「アイリスちゃん、この時間はアウルもティーレもリハビリ室だって!」
ここは棟の三階にあるアウルの個室前。
尋ねたらアウルがいなかったのでサファイアさんが詰め所で聞いてきてくれた。
「ありがとうございます、サファイアさん」
「な~に、今さら。水くさいわよ。これも仕事のうちなんだし気にしないで!」
それにしてもリハビリ室?
この世界、『先祖還り』(転生者)が、どこまで影響を与えているのやら。
あ、そうか! カルナック様もだった!
カルナックお師匠さまは魔導師協会の長。影響バリバリの立場だよね……。
「サファイアさん、わたし急に行って邪魔にならないかしら……」
「アイリスちゃんはリハビリ室は初めてでしょ? でも気にすることないわ、気兼ねなく行きましょ!」
ここエルレーン公国首都シ・イル・リリヤで、最も有名なお医者さまを十人あげるとしたら、絶対にエルナトさまはトップクラス。わたし、アイリスは世間のことを直接は知らないのだけれど、我が家のメイドさんたちの評判を聞く限り、間違ってないはず。
腕もいい、ご実家の地位も高いのに全くおごらない、誰にでも優しいひと。
それにもちろん、ものすごいイケメンだしね!
カルナックさまはお帰りになり、というか影をよこしていらしたので、そろそろ時間だ、コマラパが気をもんでいるだろう、なんておっしゃったかと思えば突然、
「じゃあねアイリス。明日は病院で会おう。私もマクシミリアンの見舞いに行くから。お父上、お母上にもよろしくね。スノッリのことはまた、後で話そう」
「ちょい待ちですよカルナックさま!?」
いい女の猫っかぶりはすぐにどっか行っちゃったわ。
「さらっとマクシミリアンくんのこと流さないで!」
「ああ、そうだったね。ありがとうアイリス。おかげで彼は助かった。今はエステリオ・アウルと同じ病棟に入っているから、大事ない。心配かけてすまなかったね」
「わたしも、明日マクシミリアンくんのお見舞いにも行きたいです」
「ふふ。きっと彼もよろこぶよ。じゃあ明日は、一緒に行こう。迎えにくるよ」
とっても罪な、微笑みを浮かべて。明日の約束をしたのでした。
そしてお昼をいただいてから、午後には、
なんだか久し振りにお目にかかる気がするエルナトさまに、丁寧に診断を受けました。
「ずいぶん体調がいいね。これなら明日はもうエステリオ・アウルのお見舞いに行ってきてもいいよ」
許可をいただけました。
「やったあ!」
思わず声を上げたら、
「アイリスちゃん、大人のふりはどうしたのかしら」
サファイアさんに、笑われちゃった。
あんまり嬉しかったから、いろいろ取り繕うのはやめます。
わたしまだ、六歳と半月だもの!
※
次の日、わたしは朝からうきうきして踊り出しそうに嬉しくてしかたなかった。
入院しているアウルのお見舞いに行くの。
わたしアイリス・リデル・ティス・ラゼルが六歳を迎えた誕生日、この日に開催されたお披露目会、一生一度の思い出になるめでたい祝いの席だったのだけど……このとき、招待もしていないのに押しかけてやってきたお爺さまが問題行動をした。そのために起こった事件で、わたしをかばって怪我をしたエステリオ・アウル。
一時は昏睡状態に陥って、とても心配だった。
お父様の自慢の弟で、わたしが生まれたときから、ずっと大事にして守ってくれていた、婚約者なの。
見た目はちょっと、もっさりしてるけど。
清潔にして髪を整えて。そしたら、わりとイケメンだと思う。
誠実で『魔導師協会』学院で自分の研究室も持っていて、協会の副長でもあるコマラパ老師のお気に入りだから、将来も安泰みたい。
そんなことは、わたしにとって、どうでもいいことだけどね。
生まれたときからの許婚、エステリオ・アウル叔父さまのことが、わたしは大好きで、むしろ、わたしが叔父さまを守ってあげたいの。
だって叔父さま、ぜったい、お人好しだもの!
悪い人にだまされたりしないといいな。
「アイリスちゃん、お支度できた? そろそろ行きましょう」
サファイア=リドラさんが子供部屋まで迎えにきてくれた。
扉の外に出たら、カルナックお師匠さまが、魔法陣の前にいらしてた。室内だということを考慮に入れても、なんて白い肌なの。つややかな長い髪、真っ黒なのに星のような青い光をたたえた瞳に、見つめられたら、もう心臓が騒がしくなっちゃうわ。
何度見ても、見返しても、困ってしまうくらいに美形なお師匠さまです。
「嬉しいです、お忙しいのに、ほんとに迎えにきてくださったの、お師匠さま」
「もちろんさ、私は、女性との約束を違えたことなどない」
「お嬢様、行ってらっしゃいませ」
ローサが見送ってくれる。
「お嬢様の護衛は、このわたし、サファイアにお任せよ!」
頼もしく、サファイアさんは豊かな胸を、ぽすんと叩いて請け負った。
「うふふ。安心してねローサ。行ってくるわ」
お見舞いに行くといっても、玄関を通って外出するわけではないのです。
我が家には秘密の仕掛けがある。
それは、
転送の魔法陣!
普通、一般家庭にはないものです。
ここと登録してある行き先を結ぶもので『魔導師協会』に公認された魔法使いだけが、うまく使える。
わたしはサファイアさんに先導してもらうことになっている。わたしが持っている魔力の量は不足ないけど、到着地点をイメージするとかできないから、まかり間違えば、迷子になっちゃう。
つまり、どこへ行ってしまうかわからないという恐ろしい事態に。
さあてと、深呼吸しなくちゃね。
「サファイアさん、準備はできたわ」
「じゃ、行きましょう」
転移魔法陣は子ども部屋の入り口に設置してあるから、ひょいとそこまでお出かけみたいな気軽さで。差し入れのお菓子を入れた小さなバスケットを持って、サファイアさんとカルナックお師匠さまと、魔法陣に乗る。
「行き先は魔導師協会付属、医療部、個室棟。転送陣B」
円と、細かい文様、文字が、銀色に光って、浮かび上がる。
「これはね、魔導師協会付属医療部個室棟に設けられた転送陣Bに、送られるってことよ』
「はい」
医大付属病院みたいな感じね。
サファイア=リドラさんが左手を握ってくれる。
もういっぽう、わたしの右手首には精霊のブレスレットをはめている。これは精霊白銀の土台に精霊石をおさめ。黒竜くんのうろこ、つまりブラックオニキスみたいなのを蓋に加工してある。あとは白竜さまからいただいた癒やしの効果がある『加護』の白翡翠と、青竜さまにいただいた青石。こっちは水を操れるっておっしゃってたけれど、よくわからない。
足下に、銀色の光が浮き上がる
サファイアさんの手の温もりを感じながら目を閉じた。そうするのは悪酔いを防ぐため。
転移魔法陣に乗るのに、いつも、ちょっぴり不安になる。
通常の空間じゃないところを通過するのだ。
実は目を閉じても開けていても、幻覚を見てしまうことはあるの。
瞬き一つの間に転移は終わる。
魔法陣が5つ設置された部屋に、あたしたちは着いた。他に魔法陣を使っている人はいなかったらしい。無人だ。
周囲の壁は真っ白で、平坦で、何もない。
わたし、月宮有栖が前世で通ってた病院にそっくり。
「着いたわよ。だいじょうぶ? アイリスちゃん」
「はい、平気です」
気遣ってくれるサファイア=リドラさんの手を握り返す。
膨れ上がってくる、不安やとまどいを、押さえ込んでしまう、力になる。
※
月のない暗い夜。
黒い大きなワゴン車が目の前に迫っていた。
この瞬間、あたしは頭が真っ白になって。
身体はぜんぜん動かなくて。
なんにもできずに固まっていた。
次の瞬間、ものすごい衝撃が前面から来て。
地面に強く叩きつけられた。
アスファルトの路面を転がって、体中どこもかしこもすごく痛くて。
顔も打った。
血が……ああ、血って温かいんだ。
大量の血? 血の海?
どこから出てるの。
ママ……。
真っ暗な穴に飲まれたみたい。
次に目が開いたときは周りじゅうが白い壁に囲まれていた。
ママが、いる。
泣いてるの?
頭に包帯を巻かれてベッドに寝ているのは誰?
あたしは宙に浮かんで、その女の子を見下ろしていた。
……ああ、やだ。
ベッドにいるのは、あたしじゃないか。
ピー……
高い機械音が響いて、そして消えた。
「有栖、有栖!」
ママが叫んで。ベッドに横たわる人物の枕元に顔を伏せて、泣いている。
不思議なのだけれど、あたしはなぜか、ママと、ベッドに寝ている、多分、自分の姿を同時に見ているのだと、理解した。
ママの正面に、ベッドを挟んで立っているのに。
看護師さんたちも医師も、誰も、あたしを見ていない。
泣かないでママ、あたしは、ここにいるよ。
それきり意識は、消えた。
不思議だ。
この世界に新生児アイリスとして生まれ出たときには、有栖が死んだときのことなんか思い出さなかったのに。
だから病院にくるのは、ちょっと辛い。
けれど、アウルに会いたい気持ちのほうが強いから。
お願い、一緒に連れて行って、お師匠さま。
※
そもそも魔法陣で転移するってどういうこと?
カルナックお師匠さまの言うことには、こうだ。
「五次元って聞いたことがあるだろう?」
キラキラした目を向けるカルナックさま。
「転移魔法陣っていうのは、それだ。時間と空間を操ることが可能になるんだよ」
「……そうなんですか?」
あたしはどう答えたらいいのか悩んだ。
まさか、そんなの全然わかりません、って言えない雰囲気なんだもの。
カルナックお師匠さまは、みなが自分と同じような基礎知識があって、その上、知識欲に燃えていると誤解している。
すこぶる残念な人なのだ。
外見は、艶やかな長い黒髪を緩い三つ編みにして、濡れたような黒い瞳……この瞳は魔法を行使するときアクアマリン色に染まる……華奢でいて、さりげなく筋肉質。
すらっと背が高くて。カルナック様が男でも女でも、このさいどうでもいいや! って気になってくるほど、ものすごい美形なのに。
「平行世界という考え方もある。魔法陣で通過する世界と世界の隙間。セレナンは超巨大なこの惑星系そのものの意思、意識だ」
「女神さまじゃなく?」
「女神たちは《世界(セレナン)》の《分身》だ。本体は《世界の大いなる意思》そのものさ」
このとき、あたしは軽い気持ちでカルナック様に「転移魔法陣ってどういうものなんですか」と尋ねたことを早くも後悔していた。
せめて30世紀の未来から来た青いネコ型ロボットのポケットのほうがまだ身近で理解できるんですけど。
「えっと、五次元とかにアクセスできるから魔法が使えるってこと? じゃあ、魔法って科学なんですか?」
「私がまとめた魔術理論ではそうなっている。魔法を行使するのに必要な『魔力』も、そもそも『世界セレナン』からエネルギーを借用しているのだよ。まあ、これは私個人の考え、推測だ。他の魔術系統では、あるいは他の原理によるのかもしれない。興味は尽きないね。それにしても、アイリスはなかなか見所があるな。学院に入ったら私と研究をしよう!」
「あ、いえ……その」
「アウルはコマラパに取られてしまって残念だったのだ! 君は私の直接の弟子なのだからね!」
「はい……将来は、よろしくお願いします」
押し切られた! こんなに嬉しそうなカルナック様を断るなんて、無理でした「楽しみだな! ああ、護衛はマクシミリアンに教室にも付き添わせるから」
カルナックお師匠さまとの会話を思い出して、頭が痛くなる。
この話題はもうやめようって思った。でないとファンタジーだかSFだか哲学だかわからなくなってくるから。
※
「アイリスちゃん、この時間はアウルもティーレもリハビリ室だって!」
ここは棟の三階にあるアウルの個室前。
尋ねたらアウルがいなかったのでサファイアさんが詰め所で聞いてきてくれた。
「ありがとうございます、サファイアさん」
「な~に、今さら。水くさいわよ。これも仕事のうちなんだし気にしないで!」
それにしてもリハビリ室?
この世界、『先祖還り』(転生者)が、どこまで影響を与えているのやら。
あ、そうか! カルナック様もだった!
カルナックお師匠さまは魔導師協会の長。影響バリバリの立場だよね……。
「サファイアさん、わたし急に行って邪魔にならないかしら……」
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