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第九章 アイリスとアイーダ

その6 女神アエリア

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 何も無い空間にいた。
 浮かんでいるのか、落ちているのか、よくわからない。
 周囲は、夜明け前の空の色に包まれている。

 ああ、ここは。
 思い出した。
  セレナンの女神様、アエリア様に会ったところだ。

『やっと、わたくしを呼んでくれましたね』

 頭の中に直接、声が響いた。
 周囲を漂っていた銀色のもやが、みるみる集まっていき、美しい少女の姿になった。

 年齢は十五歳くらい。
 青みを帯びた銀色の長い髪に、アクアマリンのような淡いブルーの瞳。
 柔らかな光沢のロングドレスは足首まで覆っており、素足に、ドレスと同じ素材と思われる純白の編み上げサンダルを履いている。
 慈愛に満ちた微笑みを浮かべて。

「ああ、アエリア様! そうです。あたし、どうしたらいいかわからなくて。それに前世のことも」
 思いの丈を素直にぶちまければ、
 女神様は頷いて、
『前世の記憶も繋がったようですね。以前のあなたは前世を「飛び降り自殺を図った」ときまでしか覚えていなかった。でも今は、その後のことも思い出したのですね』

 女神様は全てお見通し。

『ヒトたちの生は、多様で多彩ですね。あなたも、以前は一面的な観点で出来事を捉えていたことが、今ならわかるでしょう。いえ、まだ。あなたはこれから先の人生を生き続けるのですから』

「そのことなんです、女神様!」
 あたしは叫んだ。
「これからも生きられるの? 精霊様の聖なる水も、一時しのぎだって聞いて」

『あら。それは誰から聞いたの?』

「……えっ」
 虚を突かれた。
「そういえば……いつ、誰に?」

『いいの、忘れなさい、覚えている必要はないことよ』
 アエリア女神様が近づいてきて、あたしの額に指をあてた。

 ……気持ちいい。
 水源の泉を連想した。
 清冽な流れが、いやな感覚、重いもの、つらい感情、そんな、暗くとどこおったものを、どこかへ運び去って消してしまう。

『わたくしの担当する魂の中でも、とりわけ、いろんな重荷を背負ってしまった愛し子。誓って、あなたを幸せにしてあげる。失った大切なものを取り戻すこともできるの。ここ、セレナンでなら』

「アエリア様……ありがとうございます」

『前にも言ったでしょう。困ったことがあったら、いつでも頼っていいのよ』
 女神様はあたしを胸に抱きしめた。
 ふと、遠い昔に、同じようなことがあった気がした。
 抱きしめてくれたのは、誰?

 そこはもう、何もない空中ではなく。
 白い、地面だった。
 雪が降り積もっているわけではなくただ、純白の地面、周囲に生えている草むらも、灌木も、白くて。
 ただ白い森の中に、自分はいた。
 女神様の腕に抱かれて。

『アエリア。そろそろ、私にも彼女を紹介してくれない?』

 心臓の近くで響いた声に驚いて顔を上げる。

 長い黒髪と黒い瞳をした少女が佇んでいた。
 見た目の年齢は(というのは、この美人さんがもし女神様だったら、人間の年齢なんてあてはまらないから)アエリア様より少し年上かな? 十七、八歳くらい。
 とてもきれいな人だ。
 前世の記憶にある、海外の雑誌の表紙や、ミスユニバースとかに選ばれそうな美女。
 アエリア様と同じ純白のロングドレスの裾から、華奢な靴の足先がのぞいていた。

『あら、ありがとう。あなたも、とてもきれいよ』
 笑ったら、あたりが、ぱあっと明るくなった気がした。

「あの、あなたは」

 黒髪の彼女は近寄ってきて、あたしの手を握った。
 ひやりと冷たい、しなやかな肌が触れる。

 大輪のバラが咲いたよう。
 少しだけ挑戦的な表情、整った顔だち……

 ふと、違和感。
 この人を知ってるような?

 ふふふ、と、彼女は声をあげて笑った。

『そろそろ気づいているだろう? 《相田紗耶香》。いかにも、私だ』

 妖艶ささえ漂わせていた美女の仮面が、するりと脱げて。
 くくく、と低く笑ったのは、いたずらっ子みたいな表情の男の子。
 長い黒髪に黒い目。

 まとっていた純白のロングドレスが、裾のほうから上に向かって、ざあっ、と音を立てたかのような勢いで、漆黒に染まった。
 同時に、瞳はアクアマリン・ブルーに変わる。体内からあふれだす魔力の色だ。

「えっ……え、え!? あなたはカルナック様?」

 漆黒の魔法使いカルナック様、その人が。あたしの目の前にいた。

『しょうがないだろう。この《魂の座》では、誰もが、最も強く記憶している姿になってしまうのだ。現在の自分の容姿をイメージするのに少々時間がかかってね』

 カルナック様は、いまいましそうに舌打ちした。

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