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第八章 お披露目会の後始末
その38 サファイアの言い分
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38
この世界セレナンそのものである大いなる意思の体現である女神は《海の青い輝き》とヒトの祖先から尊称を贈られた精霊グラウケーを通して、高らかに哄笑した。
「これは面白いな! やれやれ、我が遠大な計画が台無しだ。あの愚かな《魔の月》まで計画に組み込んで入念に準備したのに。予期しないことにあの『彼』が再び転生してきたのが始まりだけれど。ならば、また《奪う》しかないだろう? とことんきみを追い詰めて、我にすがるしかないくらいに弱らせておいて、だいぶんもったいをつけて、恩に着せてきみに大事な『彼』を返してやろうと思っていたのになあ」
「相変わらず、いい性格してらっしゃいますね」
カルナックはグラウケーを通じて、世界と対話する。
「では、戻してやろう。我を楽しませてくれるという約束に従い、対価を払おう」
エルレーン公国首都シ・イル・リリヤ、大公の領分である離宮の地下深くに築かれていた牢の、広大な空間に、光が満ちる。
『しばしの別離だ、我が愛し子よ。ここに流れた血肉を《原初の精霊》どもに渡してやるがいい。あれらは我の別の側面だが、我の支配下にはおらぬ、交渉することだ』
「仰せのままに」
深く身体を折ったカルナックは、黒耀の杖を掲げ、原初の精霊たちを呼び出した。
アイリス・リデル・ティス・ラゼルの邸宅で行ったことと同様に。
交渉の末に四大精霊たちが地下牢の修復を行っている。
それが今しも終わろうとしているとき。
カルナックの影から、ヒトの身体ほどもある、氷柱がせり出してきた。
みるみるうちに氷柱は溶けていき、あとには水もしたたる……黒髪を腰までのばした美女が、立っていた。
「カルナック様。わたしをいつ呼んでくださるかと思っていたんですけど」
「あ、ごめん。すぐに出すつもりだったんだよ! ホントだから!」
※
「で、言い訳は?」
サファイアは怒っていた。滅多にないほどに怒っていた。何せ黒真珠を思わせるつやのある瞳に魔力の青い光を浮かべながらも表情のほうは彼女の得意な営業スマイルを浮かべ。
「ねえ、お父様」
こう言ったのだ。
「え、いやそれは」
思わず怯んでしまった。エルレーン公国に本拠地を置く魔道士協会の長にして漆黒の魔法使い、500年を生きる闇の呪術師(ブルッホ・デ・ソンブラ)と呼ばれるカルナックともあろう者が。
「昔、私を養子にしてくださったとき、『おとうさん』って呼べっておっしゃたじゃありませんこと」
これは地味にこたえた。
いつもより距離感のある他人行儀な敬語づかい。
「ごめん悪かった」
早々にカルナックは白旗を揚げた。
「は?」
サファイアは柳眉を逆立てる。
「ギィとシェーラが『水底の異界』まで呼びに来たんです! よほどのことでしょ。なのに矢も楯もたまらず駆けつけた、わたしたちを、あっさりと門前払いしてくださいましたよね。転移魔法陣の動作不良でアイリスだけ弾いたことも、お父様が意図して仕掛けておかれたなんてびっくりですわ。ギィとシェーラはまとめて外に追い出して銀竜に押しつけて。わたしのことは『冷凍睡眠』で、影の中に収納しましたね。従魔のシロとクロじゃあるまいし、なんでしたの。『わたくし』モノ扱いされるのに『小さい頃は』慣れてましたけど、まさか今になってお父様からそんな目に合わされるとは思ってもみなかったですのよ!」
「すまない」
まずい。サファイアのトラウマに触れてしまった。カルナックは焦った。だが彼は怒っている女性をなだめるのは上手くなかった。昔から。
「わたくしが頼りにならないからですね」
「そんなことは思っていない」
「じゃあ何故ですの。お父様」
サファイアは公式の場で用いている『お師匠様』呼びをすっかり放り投げていた。
「迷惑がかかると思って」
「……今さらですか?」
カルナックはついに観念した。
「おいで」
両手を広げた。
「久し振りに、抱っこしよう。きみが大きくなってからは、あまりやらなくなっていたね」
「ずるいです。……お師匠様」
約束だった。サファイアが今回の人生では恵まれなかった実親のかわりに、父となってくれるという。そのためにカルナックは孤児院を創設し、多くの子供を養った。
サファイアだけを養子にすれば、彼女が『弱点』であると知られてしまう、そのことを危惧したのだ。
「ところで一つ、お願いがあるんだけど。私を助けてくれるかな?」
「……そんなことだと思いましたわ!」
※
この世界に、最初に転生したときのことを思い出して、あたしは、身が引き締まる思いをした。
あれは失敗した、破棄されたルート。
この国は独立したエルレーン公国じゃなかった。
権力を持っていた宗教組織は『聖堂教会』で、エステリオ・アウル叔父さまは教会の司祭だった。
大きな『聖なる力』を持って生まれたあたしは、教会とレギオン国王に目をつけられて、家族から引き離されそうになった。お父さまも、お母さまも、叔父さまも、あたしが利用されないように守ろうとして……
死んだ。
権力によって。
そして今でも、
あたしは、転生した肉体が今の時点で六歳の幼女だからってことで逃げていた。あたしは前世も併せれば遙かに大人だというのに。
目が覚めたわ。
もう、幼女を看板にしない。
どれだけ甘えれば気が済むの、あたし。
目が覚めたら。
おとなになっているって、誓います。
身体は、急には成長しないけど。
精神的な意味です!
この世界セレナンそのものである大いなる意思の体現である女神は《海の青い輝き》とヒトの祖先から尊称を贈られた精霊グラウケーを通して、高らかに哄笑した。
「これは面白いな! やれやれ、我が遠大な計画が台無しだ。あの愚かな《魔の月》まで計画に組み込んで入念に準備したのに。予期しないことにあの『彼』が再び転生してきたのが始まりだけれど。ならば、また《奪う》しかないだろう? とことんきみを追い詰めて、我にすがるしかないくらいに弱らせておいて、だいぶんもったいをつけて、恩に着せてきみに大事な『彼』を返してやろうと思っていたのになあ」
「相変わらず、いい性格してらっしゃいますね」
カルナックはグラウケーを通じて、世界と対話する。
「では、戻してやろう。我を楽しませてくれるという約束に従い、対価を払おう」
エルレーン公国首都シ・イル・リリヤ、大公の領分である離宮の地下深くに築かれていた牢の、広大な空間に、光が満ちる。
『しばしの別離だ、我が愛し子よ。ここに流れた血肉を《原初の精霊》どもに渡してやるがいい。あれらは我の別の側面だが、我の支配下にはおらぬ、交渉することだ』
「仰せのままに」
深く身体を折ったカルナックは、黒耀の杖を掲げ、原初の精霊たちを呼び出した。
アイリス・リデル・ティス・ラゼルの邸宅で行ったことと同様に。
交渉の末に四大精霊たちが地下牢の修復を行っている。
それが今しも終わろうとしているとき。
カルナックの影から、ヒトの身体ほどもある、氷柱がせり出してきた。
みるみるうちに氷柱は溶けていき、あとには水もしたたる……黒髪を腰までのばした美女が、立っていた。
「カルナック様。わたしをいつ呼んでくださるかと思っていたんですけど」
「あ、ごめん。すぐに出すつもりだったんだよ! ホントだから!」
※
「で、言い訳は?」
サファイアは怒っていた。滅多にないほどに怒っていた。何せ黒真珠を思わせるつやのある瞳に魔力の青い光を浮かべながらも表情のほうは彼女の得意な営業スマイルを浮かべ。
「ねえ、お父様」
こう言ったのだ。
「え、いやそれは」
思わず怯んでしまった。エルレーン公国に本拠地を置く魔道士協会の長にして漆黒の魔法使い、500年を生きる闇の呪術師(ブルッホ・デ・ソンブラ)と呼ばれるカルナックともあろう者が。
「昔、私を養子にしてくださったとき、『おとうさん』って呼べっておっしゃたじゃありませんこと」
これは地味にこたえた。
いつもより距離感のある他人行儀な敬語づかい。
「ごめん悪かった」
早々にカルナックは白旗を揚げた。
「は?」
サファイアは柳眉を逆立てる。
「ギィとシェーラが『水底の異界』まで呼びに来たんです! よほどのことでしょ。なのに矢も楯もたまらず駆けつけた、わたしたちを、あっさりと門前払いしてくださいましたよね。転移魔法陣の動作不良でアイリスだけ弾いたことも、お父様が意図して仕掛けておかれたなんてびっくりですわ。ギィとシェーラはまとめて外に追い出して銀竜に押しつけて。わたしのことは『冷凍睡眠』で、影の中に収納しましたね。従魔のシロとクロじゃあるまいし、なんでしたの。『わたくし』モノ扱いされるのに『小さい頃は』慣れてましたけど、まさか今になってお父様からそんな目に合わされるとは思ってもみなかったですのよ!」
「すまない」
まずい。サファイアのトラウマに触れてしまった。カルナックは焦った。だが彼は怒っている女性をなだめるのは上手くなかった。昔から。
「わたくしが頼りにならないからですね」
「そんなことは思っていない」
「じゃあ何故ですの。お父様」
サファイアは公式の場で用いている『お師匠様』呼びをすっかり放り投げていた。
「迷惑がかかると思って」
「……今さらですか?」
カルナックはついに観念した。
「おいで」
両手を広げた。
「久し振りに、抱っこしよう。きみが大きくなってからは、あまりやらなくなっていたね」
「ずるいです。……お師匠様」
約束だった。サファイアが今回の人生では恵まれなかった実親のかわりに、父となってくれるという。そのためにカルナックは孤児院を創設し、多くの子供を養った。
サファイアだけを養子にすれば、彼女が『弱点』であると知られてしまう、そのことを危惧したのだ。
「ところで一つ、お願いがあるんだけど。私を助けてくれるかな?」
「……そんなことだと思いましたわ!」
※
この世界に、最初に転生したときのことを思い出して、あたしは、身が引き締まる思いをした。
あれは失敗した、破棄されたルート。
この国は独立したエルレーン公国じゃなかった。
権力を持っていた宗教組織は『聖堂教会』で、エステリオ・アウル叔父さまは教会の司祭だった。
大きな『聖なる力』を持って生まれたあたしは、教会とレギオン国王に目をつけられて、家族から引き離されそうになった。お父さまも、お母さまも、叔父さまも、あたしが利用されないように守ろうとして……
死んだ。
権力によって。
そして今でも、
あたしは、転生した肉体が今の時点で六歳の幼女だからってことで逃げていた。あたしは前世も併せれば遙かに大人だというのに。
目が覚めたわ。
もう、幼女を看板にしない。
どれだけ甘えれば気が済むの、あたし。
目が覚めたら。
おとなになっているって、誓います。
身体は、急には成長しないけど。
精神的な意味です!
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