319 / 358
第八章 お披露目会の後始末
その35 リセットしてあげるよと女神は
しおりを挟む
35
カルナックお師匠さまが抱きしめているマクシミリアンくんの身体には、大きな穴が開いている。おびただしい血が流れ出て、あたりはまるで、赤黒い沼のよう。
息が、苦しい。喉が締め付けられて。
ぐるぐる、目眩がする。
もう限界。
あたし、アイリス・リデル・ティス・ラゼルの年齢はまだ、六歳と半月かそこらの幼女ですので!
精神年齢はといえば……前世の『月宮有栖』が享年十五、ニューヨーク在住『イリス・マクギリス』は享年二十五歳だったので、合わせたら結構、いいお年頃? だけど肉体年齢に引きずられているのか、冷静に客観的に考えることは、困難だった。
こんな状況で、冷静でいられるわけない。
ここはエルレーン公国の首都シ・イル・リリヤを統治しておられる大公さまの公邸、敷地内のどこか地下深くにある、いわゆる地下牢の、最奥。
カルナックお師匠さまをさがして、黒竜のアーテルくんに連れてきてもらった。
たぶん、あたしは、『会場に』遅れてきてしまったんだ。
バトルも何もかも、もう、終わってた。
誰も、ここに、生きて残ってはいなかった。
どうなったのかを考えることを、あたしは、放棄した。
何のちからも、持たないのだから。
アーテルくんとあたしは、カルナックお師匠さまに対面している。
「カルナックさま。さっきおっしゃった、エルレーン公国のどんな貴族たちにも与えなかった恩寵って……」
炎の剣のこと?
と、言いよどんだ、あたしの言葉をくみ取って。
お師匠さまは、
「炎の精霊を宿した剣は、恩寵を具現化したものだ。私がマクシミリアンに与えたのは、私の生命のかけら。そのことで彼は、私と同じだけの、永遠にも等しい寿命を持ってしまったんだ……多くの人々が不老不死という幻想にとりつかれていることくらい、じゅうじゅう承知していたのにね」
自虐的に、微笑んだ。
「このことは公にはせず伏せていたんだ。現に、アイリス、きみも知らなかっただろう。……サファイアとルビーには気づかれてしまってたけど」
マクシミリアンくんは、カルナックさまに授けられた『炎の剣』を身体に宿していたから、それを取り上げてしまおうと、狙われた。
エルレーン大公さまの敵勢力だ。
王侯貴族の、身内のなかに、敵が居る。
「ああ……全ては、ヒトの強欲っぷりに思い至らなかった私の落ち度なんだよ。だけど、アイリス、幼いきみには、まだエルレーン公国の暗部を知られたくなかった。だから、『きみには』ここにたどり着けないよう転移魔法陣に細工をしておいたのに、アーテル・ドラコーの助けが入るなんて、これも予想外だった」
マクシミリアンくんを腕の中に抱きしめたまま、カルナックお師匠さまは、言った。
「ここは精霊たちの眼を逃れるために造られた『地下牢』だ。内部で起こっていることを《世界》や《精霊》が知覚できないよう、特殊な建材を用いて」
「それで、カルナック、これからどうするの」
尋ねたのは、アーテルくん。
「そうだね。私には死者を生き返らせることはできないから。また……彼の魂がめぐってくるのを待つだけさ」
「待つ? また?」
あたしはオウム返しに口にしていた。
「お師匠さま……?」
「私は……もう、ここにはいられない、それだけのことをしてしまった。責任も投げ出して、庇護すると誓ったものたちさえ、取り返しがつかないくらい傷つけた」
動かないマクシミリアンくんを抱いて、お師匠さまが、立ち上がる。
その傍らに、音も気配もなく近づいていったものがいた。
青みを帯びた銀髪をたなびかせた、水精石色の瞳を持つ、長身の、美貌の女性。
グラウケーさまだ。
「おまえが罪悪感を持つことなど、ない。こんな厭わしい国など、疾く無くしてやろう」
けれど、その口から出たのは、グラウケーの声ではなかった。
重々しく、地下のホール全体に響き渡る、その、非常な存在感。
《かわいそうな愛し子よ》
世界の大いなる意思。精霊(セレナン)が囁く。
『 ぜんぶひっくり返してあげようか 』
『 こんな国など地図から消してしまおう 』
『 何もなかったことにすればいい 』
『 さあ、どのくらい戻そうか 』
『 世界が始まるとき、まだヒトたちは汚れなきみどりごだった。そこまで、還ろうか? 』
セレナンの女神は、問いかける。
ぜんぶなかったことにしてくれるって。
全てを捨てて、やりなおそうか、って。
「還る? 還れる、のかな?」
絶望の中にいるカルナックさまにとって、
逃れようのない、
甘く、危険な、罠だ。
そのとき、ふいに。
あたしは、猛烈な既視感をおぼえ、戦慄した。
知ってる。
あたしは女神さまに会ったことがある。
いつのことだったか。
遠い昔、
世界を破滅に追いやった、あたしに。
女神さまは、言った。
《辛かったね、アイリス。世界をリセットしてあげる。きみが幸せになれるように》
カルナックお師匠さまが抱きしめているマクシミリアンくんの身体には、大きな穴が開いている。おびただしい血が流れ出て、あたりはまるで、赤黒い沼のよう。
息が、苦しい。喉が締め付けられて。
ぐるぐる、目眩がする。
もう限界。
あたし、アイリス・リデル・ティス・ラゼルの年齢はまだ、六歳と半月かそこらの幼女ですので!
精神年齢はといえば……前世の『月宮有栖』が享年十五、ニューヨーク在住『イリス・マクギリス』は享年二十五歳だったので、合わせたら結構、いいお年頃? だけど肉体年齢に引きずられているのか、冷静に客観的に考えることは、困難だった。
こんな状況で、冷静でいられるわけない。
ここはエルレーン公国の首都シ・イル・リリヤを統治しておられる大公さまの公邸、敷地内のどこか地下深くにある、いわゆる地下牢の、最奥。
カルナックお師匠さまをさがして、黒竜のアーテルくんに連れてきてもらった。
たぶん、あたしは、『会場に』遅れてきてしまったんだ。
バトルも何もかも、もう、終わってた。
誰も、ここに、生きて残ってはいなかった。
どうなったのかを考えることを、あたしは、放棄した。
何のちからも、持たないのだから。
アーテルくんとあたしは、カルナックお師匠さまに対面している。
「カルナックさま。さっきおっしゃった、エルレーン公国のどんな貴族たちにも与えなかった恩寵って……」
炎の剣のこと?
と、言いよどんだ、あたしの言葉をくみ取って。
お師匠さまは、
「炎の精霊を宿した剣は、恩寵を具現化したものだ。私がマクシミリアンに与えたのは、私の生命のかけら。そのことで彼は、私と同じだけの、永遠にも等しい寿命を持ってしまったんだ……多くの人々が不老不死という幻想にとりつかれていることくらい、じゅうじゅう承知していたのにね」
自虐的に、微笑んだ。
「このことは公にはせず伏せていたんだ。現に、アイリス、きみも知らなかっただろう。……サファイアとルビーには気づかれてしまってたけど」
マクシミリアンくんは、カルナックさまに授けられた『炎の剣』を身体に宿していたから、それを取り上げてしまおうと、狙われた。
エルレーン大公さまの敵勢力だ。
王侯貴族の、身内のなかに、敵が居る。
「ああ……全ては、ヒトの強欲っぷりに思い至らなかった私の落ち度なんだよ。だけど、アイリス、幼いきみには、まだエルレーン公国の暗部を知られたくなかった。だから、『きみには』ここにたどり着けないよう転移魔法陣に細工をしておいたのに、アーテル・ドラコーの助けが入るなんて、これも予想外だった」
マクシミリアンくんを腕の中に抱きしめたまま、カルナックお師匠さまは、言った。
「ここは精霊たちの眼を逃れるために造られた『地下牢』だ。内部で起こっていることを《世界》や《精霊》が知覚できないよう、特殊な建材を用いて」
「それで、カルナック、これからどうするの」
尋ねたのは、アーテルくん。
「そうだね。私には死者を生き返らせることはできないから。また……彼の魂がめぐってくるのを待つだけさ」
「待つ? また?」
あたしはオウム返しに口にしていた。
「お師匠さま……?」
「私は……もう、ここにはいられない、それだけのことをしてしまった。責任も投げ出して、庇護すると誓ったものたちさえ、取り返しがつかないくらい傷つけた」
動かないマクシミリアンくんを抱いて、お師匠さまが、立ち上がる。
その傍らに、音も気配もなく近づいていったものがいた。
青みを帯びた銀髪をたなびかせた、水精石色の瞳を持つ、長身の、美貌の女性。
グラウケーさまだ。
「おまえが罪悪感を持つことなど、ない。こんな厭わしい国など、疾く無くしてやろう」
けれど、その口から出たのは、グラウケーの声ではなかった。
重々しく、地下のホール全体に響き渡る、その、非常な存在感。
《かわいそうな愛し子よ》
世界の大いなる意思。精霊(セレナン)が囁く。
『 ぜんぶひっくり返してあげようか 』
『 こんな国など地図から消してしまおう 』
『 何もなかったことにすればいい 』
『 さあ、どのくらい戻そうか 』
『 世界が始まるとき、まだヒトたちは汚れなきみどりごだった。そこまで、還ろうか? 』
セレナンの女神は、問いかける。
ぜんぶなかったことにしてくれるって。
全てを捨てて、やりなおそうか、って。
「還る? 還れる、のかな?」
絶望の中にいるカルナックさまにとって、
逃れようのない、
甘く、危険な、罠だ。
そのとき、ふいに。
あたしは、猛烈な既視感をおぼえ、戦慄した。
知ってる。
あたしは女神さまに会ったことがある。
いつのことだったか。
遠い昔、
世界を破滅に追いやった、あたしに。
女神さまは、言った。
《辛かったね、アイリス。世界をリセットしてあげる。きみが幸せになれるように》
10
お気に入りに追加
277
あなたにおすすめの小説
【完結】選ばれなかった王女は、手紙を残して消えることにした。
曽根原ツタ
恋愛
「お姉様、私はヴィンス様と愛し合っているの。だから邪魔者は――消えてくれない?」
「分かったわ」
「えっ……」
男が生まれない王家の第一王女ノルティマは、次の女王になるべく全てを犠牲にして教育を受けていた。
毎日奴隷のように働かされた挙句、将来王配として彼女を支えるはずだった婚約者ヴィンスは──妹と想いあっていた。
裏切りを知ったノルティマは、手紙を残して王宮を去ることに。
何もかも諦めて、崖から湖に飛び降りたとき──救いの手を差し伸べる男が現れて……?
★小説家になろう様で先行更新中
好きでした、さようなら
豆狸
恋愛
「……すまない」
初夜の床で、彼は言いました。
「君ではない。私が欲しかった辺境伯令嬢のアンリエット殿は君ではなかったんだ」
悲しげに俯く姿を見て、私の心は二度目の死を迎えたのです。
なろう様でも公開中です。
貴族に生まれたのに誘拐され1歳で死にかけた
佐藤醤油
ファンタジー
貴族に生まれ、のんびりと赤ちゃん生活を満喫していたのに、気がついたら世界が変わっていた。
僕は、盗賊に誘拐され魔力を吸われながら生きる日々を過ごす。
魔力枯渇に陥ると死ぬ確率が高いにも関わらず年に1回は魔力枯渇になり死にかけている。
言葉が通じる様になって気がついたが、僕は他の人が持っていないステータスを見る力を持ち、さらに異世界と思われる世界の知識を覗ける力を持っている。
この力を使って、いつか脱出し母親の元へと戻ることを夢見て過ごす。
小さい体でチートな力は使えない中、どうにか生きる知恵を出し生活する。
------------------------------------------------------------------
お知らせ
「転生者はめぐりあう」 始めました。
------------------------------------------------------------------
注意
作者の暇つぶし、気分転換中の自己満足で公開する作品です。
感想は受け付けていません。
誤字脱字、文面等気になる方はお気に入りを削除で対応してください。
記憶がないので離縁します。今更謝られても困りますからね。
せいめ
恋愛
メイドにいじめられ、頭をぶつけた私は、前世の記憶を思い出す。前世では兄2人と取っ組み合いの喧嘩をするくらい気の強かった私が、メイドにいじめられているなんて…。どれ、やり返してやるか!まずは邸の使用人を教育しよう。その後は、顔も知らない旦那様と離婚して、平民として自由に生きていこう。
頭をぶつけて現世記憶を失ったけど、前世の記憶で逞しく生きて行く、侯爵夫人のお話。
ご都合主義です。誤字脱字お許しください。
僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?
闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。
しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。
幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。
お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。
しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。
『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』
さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。
〈念の為〉
稚拙→ちせつ
愚父→ぐふ
⚠︎注意⚠︎
不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。
【完結】悪役令嬢に転生したけど、王太子妃にならない方が幸せじゃない?
みちこ
ファンタジー
12歳の時に前世の記憶を思い出し、自分が悪役令嬢なのに気が付いた主人公。
ずっと王太子に片思いしていて、将来は王太子妃になることしか頭になかった主人公だけど、前世の記憶を思い出したことで、王太子の何が良かったのか疑問に思うようになる
色々としがらみがある王太子妃になるより、このまま公爵家の娘として暮らす方が幸せだと気が付く
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?
つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。
平民の我が家でいいのですか?
疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。
義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。
学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。
必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。
勉強嫌いの義妹。
この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。
両親に駄々をこねているようです。
私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。
しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。
なろう、カクヨム、にも公開中。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる