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第八章 お披露目会の後始末

その35 リセットしてあげるよと女神は

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       35

 カルナックお師匠さまが抱きしめているマクシミリアンくんの身体には、大きな穴が開いている。おびただしい血が流れ出て、あたりはまるで、赤黒い沼のよう。

 息が、苦しい。喉が締め付けられて。
 ぐるぐる、目眩がする。

 もう限界。
 あたし、アイリス・リデル・ティス・ラゼルの年齢はまだ、六歳と半月かそこらの幼女ですので!
 精神年齢はといえば……前世の『月宮有栖』が享年十五、ニューヨーク在住『イリス・マクギリス』は享年二十五歳だったので、合わせたら結構、いいお年頃? だけど肉体年齢に引きずられているのか、冷静に客観的に考えることは、困難だった。
 こんな状況で、冷静でいられるわけない。

 ここはエルレーン公国の首都シ・イル・リリヤを統治しておられる大公さまの公邸、敷地内のどこか地下深くにある、いわゆる地下牢の、最奥。
 カルナックお師匠さまをさがして、黒竜のアーテルくんに連れてきてもらった。

 たぶん、あたしは、『会場に』遅れてきてしまったんだ。
 バトルも何もかも、もう、終わってた。
 誰も、ここに、生きて残ってはいなかった。

 どうなったのかを考えることを、あたしは、放棄した。 
 何のちからも、持たないのだから。

 アーテルくんとあたしは、カルナックお師匠さまに対面している。
「カルナックさま。さっきおっしゃった、エルレーン公国のどんな貴族たちにも与えなかった恩寵って……」

 炎の剣のこと?
 と、言いよどんだ、あたしの言葉をくみ取って。
 お師匠さまは、
「炎の精霊を宿した剣は、恩寵を具現化したものだ。私がマクシミリアンに与えたのは、私の生命のかけら。そのことで彼は、私と同じだけの、永遠にも等しい寿命を持ってしまったんだ……多くの人々が不老不死という幻想にとりつかれていることくらい、じゅうじゅう承知していたのにね」
 自虐的に、微笑んだ。
「このことは公にはせず伏せていたんだ。現に、アイリス、きみも知らなかっただろう。……サファイアとルビーには気づかれてしまってたけど」

 マクシミリアンくんは、カルナックさまに授けられた『炎の剣』を身体に宿していたから、それを取り上げてしまおうと、狙われた。
 エルレーン大公さまの敵勢力だ。
 王侯貴族の、身内のなかに、敵が居る。

「ああ……全ては、ヒトの強欲っぷりに思い至らなかった私の落ち度なんだよ。だけど、アイリス、幼いきみには、まだエルレーン公国の暗部を知られたくなかった。だから、『きみには』ここにたどり着けないよう転移魔法陣に細工をしておいたのに、アーテル・ドラコーの助けが入るなんて、これも予想外だった」

 マクシミリアンくんを腕の中に抱きしめたまま、カルナックお師匠さまは、言った。
「ここは精霊たちの眼を逃れるために造られた『地下牢』だ。内部で起こっていることを《世界》や《精霊》が知覚できないよう、特殊な建材を用いて」

「それで、カルナック、これからどうするの」
 尋ねたのは、アーテルくん。

「そうだね。私には死者を生き返らせることはできないから。また……彼の魂がめぐってくるのを待つだけさ」

「待つ? また?」
 あたしはオウム返しに口にしていた。
「お師匠さま……?」

「私は……もう、ここにはいられない、それだけのことをしてしまった。責任も投げ出して、庇護すると誓ったものたちさえ、取り返しがつかないくらい傷つけた」
 動かないマクシミリアンくんを抱いて、お師匠さまが、立ち上がる。

 その傍らに、音も気配もなく近づいていったものがいた。
 青みを帯びた銀髪をたなびかせた、水精石色の瞳を持つ、長身の、美貌の女性。
 グラウケーさまだ。

「おまえが罪悪感を持つことなど、ない。こんな厭わしい国など、疾く無くしてやろう」
 けれど、その口から出たのは、グラウケーの声ではなかった。
 重々しく、地下のホール全体に響き渡る、その、非常な存在感。

《かわいそうな愛し子よ》
 世界の大いなる意思。精霊(セレナン)が囁く。

『 ぜんぶひっくり返してあげようか 』
『 こんな国など地図から消してしまおう 』
『 何もなかったことにすればいい 』
『 さあ、どのくらい戻そうか 』
『 世界が始まるとき、まだヒトたちは汚れなきみどりごだった。そこまで、還ろうか? 』

 セレナンの女神は、問いかける。
 ぜんぶなかったことにしてくれるって。
 全てを捨てて、やりなおそうか、って。

「還る? 還れる、のかな?」

 絶望の中にいるカルナックさまにとって、
 逃れようのない、
 甘く、危険な、罠だ。

 そのとき、ふいに。
 あたしは、猛烈な既視感をおぼえ、戦慄した。

 知ってる。
 あたしは女神さまに会ったことがある。 

 いつのことだったか。
 
 遠い昔、
 世界を破滅に追いやった、あたしに。

 女神さまは、言った。

《辛かったね、アイリス。世界をリセットしてあげる。きみが幸せになれるように》

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