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第八章 お披露目会の後始末
その27 大切なものの記憶
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27
灰色の女はアイリスの正面に立つと、目深に引き下ろしていた灰色の布を、肩に落とした。
現れ出たのは、力強いまなざしをした、うら若い女性だった。
腰まで届く、つややかな長い髪は、シルバーグレイの光を宿していた。
「また会えて嬉しいよ。アイリスお嬢様。懐かしいねえ」
銀色の瞳が、ぱちりとまたたいた。
「あなたは? どこかでお目にかかったことが?」
つい、疑うような物言いになってしまった。
「あ、ごめんなさい! 信用してないとかじゃないんです。あの、あたしの名前をご存じなのですね」
「ああ、知っているとも。息子からよく聞かされているからねえ」
彼女はクスクスと笑った。
「あたしの名前はグレイス。グリス(灰色)とも呼ばれているよ。息子の名前はルナ。前に会ったことがあるかって? そうさね、会ったことがあるとも言えるし、まだ、ないとも言える」
だめだ! 名前を聞いても、思い出せないわ!
「グレイスさん、あなたのような綺麗な人に会ったら、きっと忘れないと思うんですけど」
「おやおや、お世辞でも嬉しいねえ!」
彼女はカラカラと笑った。
「覚えてないだろうねえ、あのとき、お嬢さんはもっと小さかったからね」
「小さいとき……?」
考えてみたけど、よく思い出せない。
ところどころ、記憶に空白がある気がする。
これって問題なのでは……!
「深く考えるこたないよ。アイリスお嬢さんは、むかし、あたしと息子を助けてくれたんだ。だから恩返しがしたいのさ。道がわからないんだろう、ついておいで、迷子さん」
グレイスさんが差し伸べてくれた手を握った。
あたたかい手だ。
少し、安心した。
「おや、きれいな腕輪をしているね。すかしで見えているのは『精霊石』じゃないか。アイリスお嬢さんは精霊様に愛されているんだねえ」
「ありがとうございます。石は精霊様にいただいたんです。腕輪にしてくれたのは魔法使いになる学校に通っている、叔父さまで」
はめ込まれている『精霊石』のことを思った。
エステリオ・アウル叔父さまのこと。
そして、精霊石に宿る守護精霊ラト・ナ・ルアのこと。
心が、ほっこりする。
グレイスさんと繋いだのは腕輪をしているほうの右手。
左手は、そっとポケットの小さなポーチに触れる。これはお守り。中には、生まれてまもない頃から、あたしを守ってきてくれた守護精霊たちの宿るたまごが入っているの。
いろいろな事件があって、力尽きて卵に戻ってしまったのだから。時間をかければ、いずれ元通りの姿になって戻ってくるって、カルナックさまに教えていただいた。
「目を閉じて、ゆっくりおいで。目眩がするからね」
まぶたを閉じても真っ暗になるわけではない。光の残滓を感じながら、音と、匂いに意識を向ける。
すん、とする、胸のすくような香りが立った。
ローズマリー? ミントかな……。
ゆっくりと足を運ぶ。移動距離はどれくらいかしら。
カツ、カツ。
響くのはグレイスさんの靴音だ。
ということは、やっぱり精霊さまではなさそう。
……そんなに多くは知らないけれど、精霊さまたちって、ご自分の素性を隠したりしないしね。
途中でちょっとふらついて、グレイスさんの手にすがりついてしまった。
目眩がしたのだ。
まるで転移魔法陣に乗ったときみたいに。
「着いたよ。シ・イル・リリヤの目抜き通り『月晶石通り』だ」
あたしは、注意深く、目を開けた。
違和感をおぼえた。
見渡す限り何もかもが灰色の風景だった。
目の前に広がっている街は、あたしの知っているようで、まるきり見知らぬ街のようだった。
六歳と半月の幼女であるアイリス・リデル・ティス・ラゼルは虚弱だったこともあって深窓のお嬢様だったので、街の様子を知っていると言ったところで大層なものではないけれど。
館の窓から見えていた大通りとその周辺、お父さまご自慢の我が家のお庭から見えていた、大公さまの住んでいるお城なら、よく覚えているのよ。
念を押すけど、あたしは幼女で脳細胞はフレッシュ(たぶんね!)記憶力はいいんだから。
「変だわ……」
あたしはつぶやいた。
「色がないの! 黒と灰色と白だけ。でも、きっとここはシ・イル・リリヤの通りだと思うんだけど」
「そりゃそうさね」
グレイスさんが言う。
「今、ここの時間は止まっているからね」
灰色の女はアイリスの正面に立つと、目深に引き下ろしていた灰色の布を、肩に落とした。
現れ出たのは、力強いまなざしをした、うら若い女性だった。
腰まで届く、つややかな長い髪は、シルバーグレイの光を宿していた。
「また会えて嬉しいよ。アイリスお嬢様。懐かしいねえ」
銀色の瞳が、ぱちりとまたたいた。
「あなたは? どこかでお目にかかったことが?」
つい、疑うような物言いになってしまった。
「あ、ごめんなさい! 信用してないとかじゃないんです。あの、あたしの名前をご存じなのですね」
「ああ、知っているとも。息子からよく聞かされているからねえ」
彼女はクスクスと笑った。
「あたしの名前はグレイス。グリス(灰色)とも呼ばれているよ。息子の名前はルナ。前に会ったことがあるかって? そうさね、会ったことがあるとも言えるし、まだ、ないとも言える」
だめだ! 名前を聞いても、思い出せないわ!
「グレイスさん、あなたのような綺麗な人に会ったら、きっと忘れないと思うんですけど」
「おやおや、お世辞でも嬉しいねえ!」
彼女はカラカラと笑った。
「覚えてないだろうねえ、あのとき、お嬢さんはもっと小さかったからね」
「小さいとき……?」
考えてみたけど、よく思い出せない。
ところどころ、記憶に空白がある気がする。
これって問題なのでは……!
「深く考えるこたないよ。アイリスお嬢さんは、むかし、あたしと息子を助けてくれたんだ。だから恩返しがしたいのさ。道がわからないんだろう、ついておいで、迷子さん」
グレイスさんが差し伸べてくれた手を握った。
あたたかい手だ。
少し、安心した。
「おや、きれいな腕輪をしているね。すかしで見えているのは『精霊石』じゃないか。アイリスお嬢さんは精霊様に愛されているんだねえ」
「ありがとうございます。石は精霊様にいただいたんです。腕輪にしてくれたのは魔法使いになる学校に通っている、叔父さまで」
はめ込まれている『精霊石』のことを思った。
エステリオ・アウル叔父さまのこと。
そして、精霊石に宿る守護精霊ラト・ナ・ルアのこと。
心が、ほっこりする。
グレイスさんと繋いだのは腕輪をしているほうの右手。
左手は、そっとポケットの小さなポーチに触れる。これはお守り。中には、生まれてまもない頃から、あたしを守ってきてくれた守護精霊たちの宿るたまごが入っているの。
いろいろな事件があって、力尽きて卵に戻ってしまったのだから。時間をかければ、いずれ元通りの姿になって戻ってくるって、カルナックさまに教えていただいた。
「目を閉じて、ゆっくりおいで。目眩がするからね」
まぶたを閉じても真っ暗になるわけではない。光の残滓を感じながら、音と、匂いに意識を向ける。
すん、とする、胸のすくような香りが立った。
ローズマリー? ミントかな……。
ゆっくりと足を運ぶ。移動距離はどれくらいかしら。
カツ、カツ。
響くのはグレイスさんの靴音だ。
ということは、やっぱり精霊さまではなさそう。
……そんなに多くは知らないけれど、精霊さまたちって、ご自分の素性を隠したりしないしね。
途中でちょっとふらついて、グレイスさんの手にすがりついてしまった。
目眩がしたのだ。
まるで転移魔法陣に乗ったときみたいに。
「着いたよ。シ・イル・リリヤの目抜き通り『月晶石通り』だ」
あたしは、注意深く、目を開けた。
違和感をおぼえた。
見渡す限り何もかもが灰色の風景だった。
目の前に広がっている街は、あたしの知っているようで、まるきり見知らぬ街のようだった。
六歳と半月の幼女であるアイリス・リデル・ティス・ラゼルは虚弱だったこともあって深窓のお嬢様だったので、街の様子を知っていると言ったところで大層なものではないけれど。
館の窓から見えていた大通りとその周辺、お父さまご自慢の我が家のお庭から見えていた、大公さまの住んでいるお城なら、よく覚えているのよ。
念を押すけど、あたしは幼女で脳細胞はフレッシュ(たぶんね!)記憶力はいいんだから。
「変だわ……」
あたしはつぶやいた。
「色がないの! 黒と灰色と白だけ。でも、きっとここはシ・イル・リリヤの通りだと思うんだけど」
「そりゃそうさね」
グレイスさんが言う。
「今、ここの時間は止まっているからね」
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