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第八章 お披露目会の後始末
その4 アイリス、お披露目会の後
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4
夜が明ける前に目が覚めた。
ベッドを降りて、窓際に向かう。
しんと静かで、ひんやりした早朝の空気が、好き。
高い窓には遮光カーテンが掛かっている。
六歳のあたしの身長では窓に届かないので、踏み台に乗って、カーテンの下に潜り込んで外を見る。
空はまだ暗く、星が光っているのが見える。
しばらく待っているうちに、あたりはうっすらと明るくなってきた。
明るくなったのは、夜明けが近いからではない。
真夜中にしか見ることのない光の河が、街中を漂い流れていくのだ。
一つ一つが人の頭ほどもある青白い光球が、数限りなく集まって作り出している流れ。
精霊火(スーリーファ)と呼ばれる自然現象だ。
けれども、あたしは知っている。
あれは精霊の魂。
世界に満ちるエネルギーの流れ。
まえ、精霊火に触れたことがある。温かくて優しい。耳元に寄せればパチパチと、弾けるような小さな音がするの。
そして、ふと、寂しくなる。
以前は、生まれてすぐに親しくなった妖精たちが、いつも側にいてくれたから。
握っていた手を開く。小鳥の卵くらいの大きさの、カラフルな卵が四つ、手のひらにある。枕元にいつも置いている箱から、大切に持ってきた。
妖精の卵だ。
風のシルル。光のイルミナ。水のディーネ。地のジオ。
あたしの守護妖精たち。
守護精霊にまで進化していたんだけど……
六歳の誕生日を祝うはずだったお披露目会で、大変な事件が起こった。
詳細は省くけど、セラニス・アレム・ダルに狙われていたのはエステリオ・アウル叔父さま。
叔父さまは、あたしを助けるために生命の危険をおかした。
守護精霊たちは通常の空間から遠く離れた深いところにいる、世界(セレナン)に助けを求めに行ってくれた。
それで力を使い果たして消えてしまうところだったのを、カルナック様と親しい精霊ラト・ナ・ルアとレフィス・トールが助けて『妖精の卵』の状態に戻してくれたの。
卵の表面に触れると温かくて柔らかい。生きてるって感じる。
あたしの妖精たち。
早く孵化しないかな。
また一緒におしゃべりしたり笑ったりしたい。
精霊火が作り出す美しい光の河をながめて、思った。
あたしはアイリス・リデル・ティス・ラゼル。
お父さまはマウリシオ・マルティン・ヒューゴ・ラゼル。
お母さまはアイリアーナ・ローレル・フェリース・ラゼル。
お父様の弟、エステリオ・アウル叔父さま。
まだ二十歳だけどエルレーン公国国立大学院の魔法学科で学長のカルナック様と学長補佐のコマラパ老師に気に入られている。
とても優しくて、生まれつき身体が弱くて外に出られなかったあたしを、ずっと見守っていてくれて、支えてくれていた、大切な人。
そして、あたしの婚約者。
エステリオ叔父さまは、まだ入院している。
今日は、お見舞いに行く予定なの!
「すごい眺めねえ」
窓際に立っているあたしの傍らに、いつの間にか、ものすごい美女が立っていて、精霊火の描き出す光の河について感想を述べていることに、あたしは今さら驚かない。
長身でスタイル抜群、腰のあたりまで届く長いまっすぐな黒髪、黒い目、ミルクティー色の肌をして。エキゾチックな顔立ちの、ナイスバディな妖艶美女は。
黒いメイド服に、ぱりっと糊のきいた白いエプロンを着けている。
「アイリスちゃんは本当に精霊火が好きなのね」
にっこりと微笑む。
誰を狙っているのかな?
あたしは幼女なのでターゲットじゃないと思う。
でも、もしもここにいるのが男性だったら、きっと瞬殺だわ。瞬時に恋に落ちてるわ。
「おはようございますサファイアさん」
「おはようございます、お嬢さま」
メイドでなおかつ頼もしいボディガード。
その実、エルレーン公国魔導師協会に所属するフリーの腕利きの魔法使い、サファイア=リドラ・フェイさんは、メイドらしく、深々とお辞儀する。
絶対、彼女はメイドの扮装をするのを楽しんでいると思う。
本来はカルナック様の護衛で、サファイアというのは役職名なんだって。
ちなみに護衛はサファイア、ルビーとエメラルド、三人一組。
サファイアさんの見た目年齢は二十歳そこそこ。だけど実際は、何歳なのかわからない。持って生まれた魔力が大きければ大きいほど、成人してからは歳をとることがなくなるから。
「あっアイリスちゃん! 今なんか不愉快なこと考えたでしょ! わたしは永遠の十八歳なんですからねっ!」
豊満な胸を張る、サファイア=リドラさん。
揺れた! 揺れるんだ胸って。
あたしは六歳の幼女だから(肉体は)胸なんてないけどね。
ほんとに、誰を狙ってるのかなっ?
ちなみに、サファイア=リドラさんも『先祖還り』で、21世紀の東京に住んでいた前世の記憶があるの。東京のこととか、たまに話したりできるのは、とっても嬉しい。
なんでも話せる、素敵なお姉さん。
でも、たったひとつ難点があるのよね……。
『彼女』の前世は……男性だったの。
38歳で死んだって、ちょっと微妙な年齢じゃない?
若すぎもしないけど、おじさんでもない。
枯れてはいないわよね……?
彼女は『前世ではずっと女子になりたかったのよう。だから転生サイコー!』って言うんだけどね。
「あたしが早く起きたから、リドラさんも起こしちゃったの? ごめんなさい」
「気にしないで。仕事だもん。それに夜はちゃんと休んでるわ。魔導師協会は交代制で完全監視体制が敷かれてるから」
あたしをというより実はエステリオ・アウルを狙った事件だったわけなんだけど、あれから我が家には魔導師協会の監視体制が敷かれて、24時間、見張ってくれている。
「ちなみに夜の担当は、カルナックお師匠様だから」
「え、そうなんですか? でも、カルナック様は、昼間も学院で教えてらっしゃるんでしょう。大丈夫なんですか。あんなに色が白くて」
色白なのは、この際関係なかったかもしれない。
するとリドラさんは、
「カルナックお師匠様には、睡眠は必要ないんだ」
真顔で、素の口調になった。
「あの人は、もうほとんど精霊と同じだからね……」
「……そ、そうなんですか~。……あ、寝なくていいなんて素敵ですね」
重い話題なのかしら?
思わず逃げを打ってしまった、あたし、アイリスです。
ヘタレだと言われても仕方ないわ。
「前世では高校受験の時、苦労したもの! 眠気がこなかったらいいのにって」
するとサファイア=リドラさんは、ものすごく……笑った。
腹を抱えて笑い転げたあとで、再び、真顔になる。
「ま~ね、年に一度、数日間は眠ったきりになるけどね。それで一年分ってわけ!」
今のはギャグなんだろうか?
サファイア=リドラさんも相棒のルビー=ティーレさんも時々、前世の名残りで大阪ノリのギャグをかましてくるんだよね。リアクションに困るわ!
「お師匠様は小さい頃、精霊の森で育てられていたってとこまでは知ってるよね? 育ての兄様がレフィス・トール様、姉様がラト・ナ・ルア様だって。お二人が来てくれたおかげで、お披露目会では助かったわけだけど」
「はい。精霊様が来て下さらなかったら、あたしもエステリオ・アウルも、お父さま、お母さま、この家の人たちもお客さまも、みんな、どうなっていたかわかりません! とっても感謝してます!」
どうなっていたかって。
お爺さまが昔からこっそりと我が家の床下に仕掛けていた『円環呪』とかいう真っ赤な魔法陣みたいなのが作動したら、お披露目会の晩餐にやってきてくれたお客さまたちも家族もみんな生命力を吸い取られたとかで、どんどん倒れていって。
そして。
あたしの婚約者エステリオ・アウルは、『魔の月』セラニス・アレム・ダルが降臨し憑依インストールするための器にされてしまうところだった。
「うんうん。ほんと危なかったわぁ~」
サファイア=リドラさんは何度も大きく頷いた。
「精霊様たちはツンデレだから。精霊の愛し子カルナック様を助けに来ただけだって言ってたけどね。お師匠様の話じゃ、精霊の森で数十年暮らして、その間、食べることも飲むこともしないし、時間も止まってた。もう人間じゃないんだよってのがお師匠様の口癖さ。実際、あのときアウルの身体を乗っ取ったセラニスがナイフで切りつけたら、師匠の傷口から噴き出たのは血じゃなくて『精霊火(スーリーファ)』だっただろ?」
ねえリドラさん、さっきまで、いい女を演じてたこと忘れてない? すごい男前な表情と声になってる。
「お師匠様はね。もう身体の中身はほぼ精霊火なんだって。……いつか、精霊に連れてかれそうな気がして、怖いんだよね」
あたしと並んで窓辺に佇む(あたしは六歳の幼女なので椅子の上に乗ってるけど)リドラさんは、夜明けの徴候も未だ現れない夜更けのシ・イル・リリヤ市街を眺めていた。
精霊火が描き出す光の大河は美しいけれど、リドラさんは微かに身震いをした。
怖いのだ。
きっと、精霊火(スーリーファ)がというより、カルナック様がいつか精霊の森に帰ってしまうと思うことが。
「あの、リドラさん」
空気が重い!
あたしは話題を変えようとこころみる。
「カルナックさま、いつも髪を三つ編みにしてますよね。長い髪の、下半分のほうだけ、ゆるい感じで」
「え? ああ、うん」
思わず素で答えてしまうリドラさんは、かわいい。
「あれってちょっと可愛い。ご自分で編んでらっしゃるのかしら」
「あ~、あれね?」
乗ってきたわリドラさんが。
「実は、わたしが担当なんだよ~。時々は、お師匠様も自分でやってるけどさ。自分で編んでるときは三つ編みが歪んでるんだよね」
「そうなんですか」
「でも、何百年もずっと髪型を変えてないのよ。なんでか、わかる? どうしても、また会いたい人がいるんだって! だから再会したときにわかってもらえるように、髪型を変えてないわけ。泣けるわぁ~」
「ええっ!? なにそれロマンチック!!」
「でしょでしょ~!」
ガールズトーク(?)で盛り上がっているときでした。
「きみたち、何を話しているのかな?」
突然、凜々しい声がして、あたしたちは揃ってびくっとして、おそるおそる、振り向きました。
そこに立っていたのは、全身を漆黒のローブに包み、まっすぐ垂らしたら床まで届くに違いない長い黒髪を下半分だけ緩い三つ編みにした、夜目にも白いとはっきりわかるすべすべ美肌にアクアマリン色の瞳を輝かせた、背の高い美人さんでした。
つまりカルナックさま。
あ、ちょっと怒ってます?
目が青い時は魔力が溢れてるってか漏れ出してるってことなんだよね。
「サファイア=リドラ・フェイ。まだ君は担当時間じゃないはずだが。こんなに早くからアイリス嬢に何を吹き込んでるのかい」
美形が凄むと、怖いです。
「やぁだ、お師匠さま! 吹き込むなんて人聞き悪いですぅ」
手もみしてるリドラさん。
コントに出てくる悪徳商人じゃないんだから。
「コミュニケイションですよ! 護衛対象のことはよく知らないと!」
「アイリスが寝不足にならないように気をつけるのもきみの任務の一環だよ」
「はあ。すみませんでした」
まるで上司に叱られる平社員?
「まあいい。二人とも、身体がもたないよ。少し休んでおきたまえ。まだ太陽は昇る気配もない。どうせ、そんなに遅くまで寝ていられるわけでもないんだからね。わたしが見張りをしていよう」
カルナックさまは、鷹揚におっしゃった。
そうそう、朝は早いのよ。
太陽が昇る頃にメイドさんたちがやってきて、あたしのお着替えが始まるの。
もちろん、この屋敷に詰めている下働きの人たちもメイドさんたちも、もっと早く起きていろいろ支度してるし、料理人さんも朝ご飯の準備に取りかかっている。
朝食はできるかぎり家族が顔を合わせることになっているから、お仕事に行ってしまうお父様や、お茶会や園遊会という上流社会の情報を集める役目を持っているお母様、二人と顔を合わせる貴重な時間。
本来ならエステリオ・アウルも同席するところだけど、今はまだ入院してるから。
早く元気になってほしいな。
「では、お休み」
カルナック様は、いたずらっぽく笑った。
あ、しまった。
眠りの魔法を掛けられた!
急速に意識が遠のいて……
あたし、六歳幼女のアイリスは、寝落ちしました。
夜が明ける前に目が覚めた。
ベッドを降りて、窓際に向かう。
しんと静かで、ひんやりした早朝の空気が、好き。
高い窓には遮光カーテンが掛かっている。
六歳のあたしの身長では窓に届かないので、踏み台に乗って、カーテンの下に潜り込んで外を見る。
空はまだ暗く、星が光っているのが見える。
しばらく待っているうちに、あたりはうっすらと明るくなってきた。
明るくなったのは、夜明けが近いからではない。
真夜中にしか見ることのない光の河が、街中を漂い流れていくのだ。
一つ一つが人の頭ほどもある青白い光球が、数限りなく集まって作り出している流れ。
精霊火(スーリーファ)と呼ばれる自然現象だ。
けれども、あたしは知っている。
あれは精霊の魂。
世界に満ちるエネルギーの流れ。
まえ、精霊火に触れたことがある。温かくて優しい。耳元に寄せればパチパチと、弾けるような小さな音がするの。
そして、ふと、寂しくなる。
以前は、生まれてすぐに親しくなった妖精たちが、いつも側にいてくれたから。
握っていた手を開く。小鳥の卵くらいの大きさの、カラフルな卵が四つ、手のひらにある。枕元にいつも置いている箱から、大切に持ってきた。
妖精の卵だ。
風のシルル。光のイルミナ。水のディーネ。地のジオ。
あたしの守護妖精たち。
守護精霊にまで進化していたんだけど……
六歳の誕生日を祝うはずだったお披露目会で、大変な事件が起こった。
詳細は省くけど、セラニス・アレム・ダルに狙われていたのはエステリオ・アウル叔父さま。
叔父さまは、あたしを助けるために生命の危険をおかした。
守護精霊たちは通常の空間から遠く離れた深いところにいる、世界(セレナン)に助けを求めに行ってくれた。
それで力を使い果たして消えてしまうところだったのを、カルナック様と親しい精霊ラト・ナ・ルアとレフィス・トールが助けて『妖精の卵』の状態に戻してくれたの。
卵の表面に触れると温かくて柔らかい。生きてるって感じる。
あたしの妖精たち。
早く孵化しないかな。
また一緒におしゃべりしたり笑ったりしたい。
精霊火が作り出す美しい光の河をながめて、思った。
あたしはアイリス・リデル・ティス・ラゼル。
お父さまはマウリシオ・マルティン・ヒューゴ・ラゼル。
お母さまはアイリアーナ・ローレル・フェリース・ラゼル。
お父様の弟、エステリオ・アウル叔父さま。
まだ二十歳だけどエルレーン公国国立大学院の魔法学科で学長のカルナック様と学長補佐のコマラパ老師に気に入られている。
とても優しくて、生まれつき身体が弱くて外に出られなかったあたしを、ずっと見守っていてくれて、支えてくれていた、大切な人。
そして、あたしの婚約者。
エステリオ叔父さまは、まだ入院している。
今日は、お見舞いに行く予定なの!
「すごい眺めねえ」
窓際に立っているあたしの傍らに、いつの間にか、ものすごい美女が立っていて、精霊火の描き出す光の河について感想を述べていることに、あたしは今さら驚かない。
長身でスタイル抜群、腰のあたりまで届く長いまっすぐな黒髪、黒い目、ミルクティー色の肌をして。エキゾチックな顔立ちの、ナイスバディな妖艶美女は。
黒いメイド服に、ぱりっと糊のきいた白いエプロンを着けている。
「アイリスちゃんは本当に精霊火が好きなのね」
にっこりと微笑む。
誰を狙っているのかな?
あたしは幼女なのでターゲットじゃないと思う。
でも、もしもここにいるのが男性だったら、きっと瞬殺だわ。瞬時に恋に落ちてるわ。
「おはようございますサファイアさん」
「おはようございます、お嬢さま」
メイドでなおかつ頼もしいボディガード。
その実、エルレーン公国魔導師協会に所属するフリーの腕利きの魔法使い、サファイア=リドラ・フェイさんは、メイドらしく、深々とお辞儀する。
絶対、彼女はメイドの扮装をするのを楽しんでいると思う。
本来はカルナック様の護衛で、サファイアというのは役職名なんだって。
ちなみに護衛はサファイア、ルビーとエメラルド、三人一組。
サファイアさんの見た目年齢は二十歳そこそこ。だけど実際は、何歳なのかわからない。持って生まれた魔力が大きければ大きいほど、成人してからは歳をとることがなくなるから。
「あっアイリスちゃん! 今なんか不愉快なこと考えたでしょ! わたしは永遠の十八歳なんですからねっ!」
豊満な胸を張る、サファイア=リドラさん。
揺れた! 揺れるんだ胸って。
あたしは六歳の幼女だから(肉体は)胸なんてないけどね。
ほんとに、誰を狙ってるのかなっ?
ちなみに、サファイア=リドラさんも『先祖還り』で、21世紀の東京に住んでいた前世の記憶があるの。東京のこととか、たまに話したりできるのは、とっても嬉しい。
なんでも話せる、素敵なお姉さん。
でも、たったひとつ難点があるのよね……。
『彼女』の前世は……男性だったの。
38歳で死んだって、ちょっと微妙な年齢じゃない?
若すぎもしないけど、おじさんでもない。
枯れてはいないわよね……?
彼女は『前世ではずっと女子になりたかったのよう。だから転生サイコー!』って言うんだけどね。
「あたしが早く起きたから、リドラさんも起こしちゃったの? ごめんなさい」
「気にしないで。仕事だもん。それに夜はちゃんと休んでるわ。魔導師協会は交代制で完全監視体制が敷かれてるから」
あたしをというより実はエステリオ・アウルを狙った事件だったわけなんだけど、あれから我が家には魔導師協会の監視体制が敷かれて、24時間、見張ってくれている。
「ちなみに夜の担当は、カルナックお師匠様だから」
「え、そうなんですか? でも、カルナック様は、昼間も学院で教えてらっしゃるんでしょう。大丈夫なんですか。あんなに色が白くて」
色白なのは、この際関係なかったかもしれない。
するとリドラさんは、
「カルナックお師匠様には、睡眠は必要ないんだ」
真顔で、素の口調になった。
「あの人は、もうほとんど精霊と同じだからね……」
「……そ、そうなんですか~。……あ、寝なくていいなんて素敵ですね」
重い話題なのかしら?
思わず逃げを打ってしまった、あたし、アイリスです。
ヘタレだと言われても仕方ないわ。
「前世では高校受験の時、苦労したもの! 眠気がこなかったらいいのにって」
するとサファイア=リドラさんは、ものすごく……笑った。
腹を抱えて笑い転げたあとで、再び、真顔になる。
「ま~ね、年に一度、数日間は眠ったきりになるけどね。それで一年分ってわけ!」
今のはギャグなんだろうか?
サファイア=リドラさんも相棒のルビー=ティーレさんも時々、前世の名残りで大阪ノリのギャグをかましてくるんだよね。リアクションに困るわ!
「お師匠様は小さい頃、精霊の森で育てられていたってとこまでは知ってるよね? 育ての兄様がレフィス・トール様、姉様がラト・ナ・ルア様だって。お二人が来てくれたおかげで、お披露目会では助かったわけだけど」
「はい。精霊様が来て下さらなかったら、あたしもエステリオ・アウルも、お父さま、お母さま、この家の人たちもお客さまも、みんな、どうなっていたかわかりません! とっても感謝してます!」
どうなっていたかって。
お爺さまが昔からこっそりと我が家の床下に仕掛けていた『円環呪』とかいう真っ赤な魔法陣みたいなのが作動したら、お披露目会の晩餐にやってきてくれたお客さまたちも家族もみんな生命力を吸い取られたとかで、どんどん倒れていって。
そして。
あたしの婚約者エステリオ・アウルは、『魔の月』セラニス・アレム・ダルが降臨し憑依インストールするための器にされてしまうところだった。
「うんうん。ほんと危なかったわぁ~」
サファイア=リドラさんは何度も大きく頷いた。
「精霊様たちはツンデレだから。精霊の愛し子カルナック様を助けに来ただけだって言ってたけどね。お師匠様の話じゃ、精霊の森で数十年暮らして、その間、食べることも飲むこともしないし、時間も止まってた。もう人間じゃないんだよってのがお師匠様の口癖さ。実際、あのときアウルの身体を乗っ取ったセラニスがナイフで切りつけたら、師匠の傷口から噴き出たのは血じゃなくて『精霊火(スーリーファ)』だっただろ?」
ねえリドラさん、さっきまで、いい女を演じてたこと忘れてない? すごい男前な表情と声になってる。
「お師匠様はね。もう身体の中身はほぼ精霊火なんだって。……いつか、精霊に連れてかれそうな気がして、怖いんだよね」
あたしと並んで窓辺に佇む(あたしは六歳の幼女なので椅子の上に乗ってるけど)リドラさんは、夜明けの徴候も未だ現れない夜更けのシ・イル・リリヤ市街を眺めていた。
精霊火が描き出す光の大河は美しいけれど、リドラさんは微かに身震いをした。
怖いのだ。
きっと、精霊火(スーリーファ)がというより、カルナック様がいつか精霊の森に帰ってしまうと思うことが。
「あの、リドラさん」
空気が重い!
あたしは話題を変えようとこころみる。
「カルナックさま、いつも髪を三つ編みにしてますよね。長い髪の、下半分のほうだけ、ゆるい感じで」
「え? ああ、うん」
思わず素で答えてしまうリドラさんは、かわいい。
「あれってちょっと可愛い。ご自分で編んでらっしゃるのかしら」
「あ~、あれね?」
乗ってきたわリドラさんが。
「実は、わたしが担当なんだよ~。時々は、お師匠様も自分でやってるけどさ。自分で編んでるときは三つ編みが歪んでるんだよね」
「そうなんですか」
「でも、何百年もずっと髪型を変えてないのよ。なんでか、わかる? どうしても、また会いたい人がいるんだって! だから再会したときにわかってもらえるように、髪型を変えてないわけ。泣けるわぁ~」
「ええっ!? なにそれロマンチック!!」
「でしょでしょ~!」
ガールズトーク(?)で盛り上がっているときでした。
「きみたち、何を話しているのかな?」
突然、凜々しい声がして、あたしたちは揃ってびくっとして、おそるおそる、振り向きました。
そこに立っていたのは、全身を漆黒のローブに包み、まっすぐ垂らしたら床まで届くに違いない長い黒髪を下半分だけ緩い三つ編みにした、夜目にも白いとはっきりわかるすべすべ美肌にアクアマリン色の瞳を輝かせた、背の高い美人さんでした。
つまりカルナックさま。
あ、ちょっと怒ってます?
目が青い時は魔力が溢れてるってか漏れ出してるってことなんだよね。
「サファイア=リドラ・フェイ。まだ君は担当時間じゃないはずだが。こんなに早くからアイリス嬢に何を吹き込んでるのかい」
美形が凄むと、怖いです。
「やぁだ、お師匠さま! 吹き込むなんて人聞き悪いですぅ」
手もみしてるリドラさん。
コントに出てくる悪徳商人じゃないんだから。
「コミュニケイションですよ! 護衛対象のことはよく知らないと!」
「アイリスが寝不足にならないように気をつけるのもきみの任務の一環だよ」
「はあ。すみませんでした」
まるで上司に叱られる平社員?
「まあいい。二人とも、身体がもたないよ。少し休んでおきたまえ。まだ太陽は昇る気配もない。どうせ、そんなに遅くまで寝ていられるわけでもないんだからね。わたしが見張りをしていよう」
カルナックさまは、鷹揚におっしゃった。
そうそう、朝は早いのよ。
太陽が昇る頃にメイドさんたちがやってきて、あたしのお着替えが始まるの。
もちろん、この屋敷に詰めている下働きの人たちもメイドさんたちも、もっと早く起きていろいろ支度してるし、料理人さんも朝ご飯の準備に取りかかっている。
朝食はできるかぎり家族が顔を合わせることになっているから、お仕事に行ってしまうお父様や、お茶会や園遊会という上流社会の情報を集める役目を持っているお母様、二人と顔を合わせる貴重な時間。
本来ならエステリオ・アウルも同席するところだけど、今はまだ入院してるから。
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