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第七章 アイリス六歳
その55 ルーナリシア公女のお披露目会(中編)
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55
大公家御用達の『銀の針』ルイーゼロッテ。
その名をフィリップ大公が口にしたことで、会場のざわめきはさらに大きくなった。
エルレーン公国、ことに首都シ・イル・リリヤの住民であれば知らない者はない。
百年か二百年か、それ以上前から、代々の女主人ルイーゼロッテが引き継いできた小さな洋裁店。
大公家の正妃御用達の『銀の針』という称号を得ているルイーゼロッテの詳細は知られていない。何代目の主人か何歳か、独身なのか、家族がいるのかさえ。
弟子や使用人の一人もなく、デザイン、仕入れ、縫製から何からすべてを行う。
店の場所は誰もが知っている裏通りの一角、けれどもたどり着ける者は限られており、そこへ行けるなら望み通りのドレスを仕立ててもらえる。
まるで店そのものが妖精か精霊の領域にあるのではないかという、都市伝説のような店だ。
女主人は代替わりをしているのだろうが、常に、ルイーゼロッテと名乗る。
そして今夜、ルイーゼロッテは現れた。
エルレーン大公が開催した、六歳になったルーナリシア公女のお披露目会に。
だが大公、正妃、第二、第三夫人、宰相、各部門の大臣、高位貴族たちが居並び、頭上には高価な光水晶を光源に用いたシャンデリアが煌めく、華やかな宴のさま、並べられた料理も、奏でられる音楽も、どれもこれも彼女の興味の範疇にはないようだ。
ただ、挑戦的な目をしたルイーゼロッテが、広間の最奥にフィリクス公嗣の姿を認め、その傍らの椅子に掛けている長い黒髪に青い目の青年を見るや、彼女の表情は、明らかに変わった。
まるで恋する相手を見出した乙女のように、頬を染め、目を輝かせたのだ。
「いらしてましたの! 『影の呪術師(ブルッホ・デ・ソンブラ)』様!」
足早に駆け寄る、彼女を止められる者はいなかった。
大公の開いた晩餐会である。本来ならば彼女のように自由気ままに振る舞うなどありえないが、その大公じきじきに、構わぬと許しを得ているのだから。
黒髪の青年に駆け寄り、跪いたとしても。
そして青年のほうも動じる様子はなかった。椅子から立つということもない。身じろぎもせず、だが、それまで、つくづく飽き飽きしていたかのような表情を緩める。
「やあルイーゼロッテ。息災かな」
「ええ、それはもちろん、『いとも貴きお方』。このような場にいらっしゃるとは」
弾む声を上げる、ルイーゼロッテ
「このような、ではない。エルレーン公国をよくとりまとめ統治している大公家に対して、礼を欠く。それに、私の隣にいる者にも敬意を払わねばならないだろう。ルーナリシア公女の装束を君に依頼したのは彼、フィリクス公嗣なのだからね」
言葉では叱責しているが、その表情は、楽し気な笑顔だ。
「あらそうでした。フィリクス坊やも、大きくなりましたわね。妹姫のために、セシーリア正妃殿下のつてを頼らずに自力でこのルイーゼロッテの洋裁店にたどり着いて、オーダーをくれるなんて、えらい、えらい」
無礼と咎められてもおかしくない言動だが、誰も動かない。
「お褒めに預かり光栄です」
フィリクスもまた、ごく当たり前に答えた。
少年のような笑顔で。
「では、そろそろ、始めましょうか」
合図の声を上げたのは、この場の主人である大公ではなく魔導士協会の長カルナックだったが、それを疑問に思う者はいなかった。
そのとき、シャンデリアの光が、ふっと消える。
「……」
身をすくめる大公フィリップを傍らの正妃セシーリアが抱きしめる。
「大丈夫。わたくしがいますよ」
他の者には聞こえないように、囁いた。
次に起こったことを、誰が、信じられるだろうか?
宮殿の天井も屋根も消えて。
あるいは、透明になって。
満月だった。
真月(まなづき)の光が差し込んで、人々の影を床に落とす。
けれどもカルナックの足もとには影はない。
次の瞬間。
屋外で打ち上げられた花火が、招かれた客たちの頭上に、大輪の華を咲かせたのだった。
一瞬の沈黙の後、どよめきが起こった。
間を開けず次々に開く花火。
その饗宴が一刻ほども続いたあと、透明になっていた天井は元の通りに、シャンデリアはきらきらと眩い光をよみがえらせた。
「さあ、おいでルーナ……いやルーナリシア公女」
恭しく、カルナックが上体をかがめ、手を差し伸べる。
その手を取ったのは、ルーナリシア公女。
人々は、驚いた。
古式ゆかしい白の長衣に、銀と黄金の光沢を持つ布を重ねて纏う、幼い少女は頭部に純白のヴェールをまとっていた。顔は見えない。ヴェールを押さえるためのサークレットは、精霊の守護を象徴する白銀に輝いている。
静かな溜息が、広間に充ちる。
主役の登場だと、皆が悟った瞬間だった。
------
すみません終わり切れなかった。
次回、後編です。
大公家御用達の『銀の針』ルイーゼロッテ。
その名をフィリップ大公が口にしたことで、会場のざわめきはさらに大きくなった。
エルレーン公国、ことに首都シ・イル・リリヤの住民であれば知らない者はない。
百年か二百年か、それ以上前から、代々の女主人ルイーゼロッテが引き継いできた小さな洋裁店。
大公家の正妃御用達の『銀の針』という称号を得ているルイーゼロッテの詳細は知られていない。何代目の主人か何歳か、独身なのか、家族がいるのかさえ。
弟子や使用人の一人もなく、デザイン、仕入れ、縫製から何からすべてを行う。
店の場所は誰もが知っている裏通りの一角、けれどもたどり着ける者は限られており、そこへ行けるなら望み通りのドレスを仕立ててもらえる。
まるで店そのものが妖精か精霊の領域にあるのではないかという、都市伝説のような店だ。
女主人は代替わりをしているのだろうが、常に、ルイーゼロッテと名乗る。
そして今夜、ルイーゼロッテは現れた。
エルレーン大公が開催した、六歳になったルーナリシア公女のお披露目会に。
だが大公、正妃、第二、第三夫人、宰相、各部門の大臣、高位貴族たちが居並び、頭上には高価な光水晶を光源に用いたシャンデリアが煌めく、華やかな宴のさま、並べられた料理も、奏でられる音楽も、どれもこれも彼女の興味の範疇にはないようだ。
ただ、挑戦的な目をしたルイーゼロッテが、広間の最奥にフィリクス公嗣の姿を認め、その傍らの椅子に掛けている長い黒髪に青い目の青年を見るや、彼女の表情は、明らかに変わった。
まるで恋する相手を見出した乙女のように、頬を染め、目を輝かせたのだ。
「いらしてましたの! 『影の呪術師(ブルッホ・デ・ソンブラ)』様!」
足早に駆け寄る、彼女を止められる者はいなかった。
大公の開いた晩餐会である。本来ならば彼女のように自由気ままに振る舞うなどありえないが、その大公じきじきに、構わぬと許しを得ているのだから。
黒髪の青年に駆け寄り、跪いたとしても。
そして青年のほうも動じる様子はなかった。椅子から立つということもない。身じろぎもせず、だが、それまで、つくづく飽き飽きしていたかのような表情を緩める。
「やあルイーゼロッテ。息災かな」
「ええ、それはもちろん、『いとも貴きお方』。このような場にいらっしゃるとは」
弾む声を上げる、ルイーゼロッテ
「このような、ではない。エルレーン公国をよくとりまとめ統治している大公家に対して、礼を欠く。それに、私の隣にいる者にも敬意を払わねばならないだろう。ルーナリシア公女の装束を君に依頼したのは彼、フィリクス公嗣なのだからね」
言葉では叱責しているが、その表情は、楽し気な笑顔だ。
「あらそうでした。フィリクス坊やも、大きくなりましたわね。妹姫のために、セシーリア正妃殿下のつてを頼らずに自力でこのルイーゼロッテの洋裁店にたどり着いて、オーダーをくれるなんて、えらい、えらい」
無礼と咎められてもおかしくない言動だが、誰も動かない。
「お褒めに預かり光栄です」
フィリクスもまた、ごく当たり前に答えた。
少年のような笑顔で。
「では、そろそろ、始めましょうか」
合図の声を上げたのは、この場の主人である大公ではなく魔導士協会の長カルナックだったが、それを疑問に思う者はいなかった。
そのとき、シャンデリアの光が、ふっと消える。
「……」
身をすくめる大公フィリップを傍らの正妃セシーリアが抱きしめる。
「大丈夫。わたくしがいますよ」
他の者には聞こえないように、囁いた。
次に起こったことを、誰が、信じられるだろうか?
宮殿の天井も屋根も消えて。
あるいは、透明になって。
満月だった。
真月(まなづき)の光が差し込んで、人々の影を床に落とす。
けれどもカルナックの足もとには影はない。
次の瞬間。
屋外で打ち上げられた花火が、招かれた客たちの頭上に、大輪の華を咲かせたのだった。
一瞬の沈黙の後、どよめきが起こった。
間を開けず次々に開く花火。
その饗宴が一刻ほども続いたあと、透明になっていた天井は元の通りに、シャンデリアはきらきらと眩い光をよみがえらせた。
「さあ、おいでルーナ……いやルーナリシア公女」
恭しく、カルナックが上体をかがめ、手を差し伸べる。
その手を取ったのは、ルーナリシア公女。
人々は、驚いた。
古式ゆかしい白の長衣に、銀と黄金の光沢を持つ布を重ねて纏う、幼い少女は頭部に純白のヴェールをまとっていた。顔は見えない。ヴェールを押さえるためのサークレットは、精霊の守護を象徴する白銀に輝いている。
静かな溜息が、広間に充ちる。
主役の登場だと、皆が悟った瞬間だった。
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すみません終わり切れなかった。
次回、後編です。
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