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第七章 アイリス六歳

その54 ルーナリシア公女のお披露目会(前編)

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         54

 エルレーン公国首都シ・イル・リリヤの中心部。

 アイリス・リデル・ティス・ラゼル六歳のお披露目会が行われていた、その当日。
 大公の宮殿では、アイリスと同じくこの日六歳となった末の公女ルーナリシアのお披露目会が開かれていた。

 このエナンデリア大陸では、レギオン王国やエルレーン公国ほか多くの国で、生まれたばかりの子供は「精霊からの授かりもの」とされている。五歳になれば「仮の姿」を留めるため『代父母』を立てる。代父母は実の両親に万が一のことがあった場合の親代わりともなる重要な『もう一組の父母』である。その後、無事に育てば精霊の領分から人間世界に降りて来たと認められる。
 お披露目の晩餐会は身内とごく親しい間柄の家で行うのが一般的だが、エルレーン大公家であるので、それなりの格式と規模を持った宴となった。
 エルレーン大公、セシーリア后妃、公嗣フィリクス、第二夫人、第三夫人、公子公女たち、宰相、大臣らの役職にある者、および有力貴族たちが参加している。

 フィリクス公嗣が二十歳になったときに後ろ盾となることを公表した魔導士協会の長カルナックも、当然ながら、大公の身内側に席を設けられていた。
 ただし協会の副長であるコマラパ老師は顔出しはしたものの所用があるとのことで昼前には退席し、魔導士協会から派遣された魔法使いたちも、目立たない程度に数人が参加し、会場の警備などを指導している。

 宴会は朝から行われ、城の庭は平民にも開かれて、豪勢な祝いの料理がふるまわれた。
 楽隊も多数、吟遊詩人、踊り子と、さまざま。楽の音が、にぎやかに鳴り響く。夜には景気づけに花火も打ち上げようという予定だった。

 この日の主役であるルーナリシア姫が、親族以外の者の前に初めて姿を見せるのは、夜会である。それも晩餐会が始まる直前に。
 数々の催しも全てルーナリシアの登場を引き立てる前座なのだった。

 この宵、ルーナリシア姫のお披露目が成る。

         ※
 
 楽隊の奏でる演奏が響く、大広間。
 大勢の人々が広間に詰め、歓談をしている。
 供されている酒食に手をつけた客たちは、いささか口の滑りが良くなる。

「盛大な宴ですな。昼間のように明るい。さすが大公閣下は高価な光水晶をふんだんにお使いになる」
「フィリップ閣下は暗闇がお嫌いなので?」
「ああ……昔のことですが……いや、これは儂の口からは話せませんな」
 含み笑いをする老貴族。
 話題を変えようと明るい声を上げる、彼の若い細君。後妻である。
「公女殿下のドレスを引き受ける店が見つからなかったようですわ。出入りの仕立て屋も、第二、第三夫人への忖度などして、愚かですこと。お二人は今こそ勢いがありましても、いつまでのことやら。次の大公となられる公嗣殿下の顔を立てたほうが後々のためになりましょうに」
「あら、応じてくれたのは一つだけ、名もないお針子でございましょ?」
 声に嘲りがあった。
「ですけど、ご存じかしら? 漆黒の魔法使いカルナック様が、公嗣様をお慰めするのに、公女様にと、どれほどの対価を積んでも手に入らない宝石のブレスレットを贈ったそうですわ」
「楽しみですこと」
 その会話を収集している者たちがいることなど思いもよらず、人々は歓談にふける。
 主役であるルーナリシア公女の登場が、遅めに設定されているには、理由があった。 

         ※

「飽きた」
 長い黒髪に薄青い瞳、夜空を照らす真月(まなづき)のごとく白い肌をした長身の美青年が言い放った。

 傍らに控えているフィリクス公嗣は青ざめる。
「長々と宴が続きまして、申し訳ございません、貴き方。どうかもうしばらく、この場にお留まりを」

「大姉様(おおねえさま)、身も蓋もないですわ」
「カル坊の姿をしていらっしゃるのですから、せめてもう少し、ご辛抱くださいませ」
 フィリクスの味方をしたのは二人の美女。淡い青の瞳に映える、輝くような長い銀髪をくるくると巻き上げて頭に巻き付けているのは、ヒトには珍しい銀髪を目立たせないためだ。
 ふん、と、黒髪の青年は笑う。
「おや、本当はキューモトエーもガーレネーも飽きているんだろう?」

「とんでもありませんわ。とても可愛いですもの。それに」
「お名前にあやかっているだけあって本当にシア姫はルーナ姫によく似ておられますのよ」

「そうか、ルーナに似てるのか、しかたないなあ」
 黒髪の青年は、椅子に座りなおした。
「カル坊の頼みだし、愛しい妻のゆかりの家だ。いっそ誰かバカが攻撃してこないかな。そうしたら面白いんだが。たかがヒトの身で……どうしてやろうかなあ」

「やだ悪そうな笑顔!」
「やめて大姉様、後でカル坊が困っちゃう!」
 ちっとも困っていなさそうにキュモトエーとガーレネーは笑う。

 背筋が凍るような恐怖を味わいながら、フィリクスはこう、願い出るしかなかった。
「お……お手柔らかにお願いします、貴き方……」

「ふふ。おまえは軽々しく我が名を口にしない。悪くないね。いずれ『森』に招いてやろう」

「ありがたき幸せで……あの、帰ってこられます、よね?」

「戻る気になればね」

 楽しいことを考えているように、黒髪の青年は笑った。
「ごらん、ヒトは面白いな、なんて小さい、なんてよく動くんだろう。そしてよくしゃべる。口を軽くする、酒というやつ、禁止したほうがいいんじゃないか?」

「そうかもしれません」
 フィリクスは緊張していた。うっかりした一言で逆鱗に触れたらと思うと気が気ではないのだった。
 何しろ相手は、第一世代の大精霊、グラウケーなのだから。

 もとはといえばカルナックが今夜は他にも行くところがあると言って、コマラパ老師に少し遅れて会場を去ったせい。身代わりにと置いていったのが大精霊グラウケーで、カルナックの姿を借りているというのは、はたして良かったのかとフィリクスは思うのだ。
(なぜか、このお方はルーナリシアには甘い。シアは懐いてるし嬉しそうだけど……ああ、カルナック様は今頃、ラゼル家の晩餐会なんだ。……会いたいなあ……)

         ※

 宴もたけなわ。
 ふと、人々のざわめきが大きくなる。
 新しい客が訪れたのだ。

 あれは誰だ、と、ざわめきが波のように伝わっていく。
 公女のお披露目の夜会に、途中から参加する者がいる、しかもどう見ても貴族ではなさそうである……など、上流社交界の常識ではありえなかったのだ。

 すらりとした長身で、気の強そうな、女性だった。
 年のころは二十歳前後。くっきりと濃い眉の下で青い光をたたえた目が、肉食の大型獣を思わせるのが、色白の肌に似合わず、見る者に違和感を与える。
 身に着けているものは最高級の素材を使いながら、形はシンプルそのものの、丈の長いドレス。
 極めつけは、社交界デビューをしている若い娘にはあるまじき、結い上げていないので腰まで届く、くせだらけの毛先があちこち跳ねている、オオカミの毛並みのようなオレンジと茶色に黄緑の差し色をあしらった髪型だ。

「ありゃー、場違いだった? でも、招待状はもらってるのよ」
 若い娘は、にやりと笑った。
「だけど、男も女も、お喋りなんだね、今夜は無礼講?」
 招待状をクラッチバッグから取り出して、ひらひらとかざす。

「あたしは自分が作ったドレスを、パーティー会場で見たいだけ。全身ドレスアップしたところをね。そういう約束をフィリクス殿下と交わしてるから」

 会場に配置されていた護衛たちが彼女を捕まえようと立ちはだかった。

 そこへ、声がかかった。
 エルレーン大公フィリップである。

「よい。その者には『出入り自由、行動構わず』の許しを与えておる。よく来てくれた、姫の装束はまことに見事であった。大公家御用達、銀の針、ルイーゼロッテよ」



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この前・後編で、お披露目会のエピソードと、7章が終わります。
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